神斬り師
森に挟まれた街道を一人の長身の男が歩いていた。
三度笠を被り、黒い袴に青い羽織物を身に着けている。
一見どこにでもいる旅人だが、異様な物を背負っていた。
三尺三寸以上(百センチ以上)の刀だ。大太刀よりも長く、腰に佩くことは到底できない代物のため、背負っているのだろう。
空を飛ぶカラスの声に男は反応し、傘を少し上げて空を見上げた。
秋の空が赤く染まっており、色づきだした葉が風に揺られて、かすれた音を奏でる。儚くて、侘しさを感じる冬が迫っていた。
風情を味わった男は、止めた足を動かして街道を進んだ。
風に乗って聞こえる音に、木々のざわめき以外の音が混じってくると、男は足を止め右手の森に体を向けた。
「逃げんなよ、小娘がぁ!」
「いい加減諦めろやぁ!」
がさつな男の声がした。思わず顔をしかめたくなるような、汚らわしい声質をしている。
次いで聞こえてきたのは、下草を踏みしめる音と荒い呼吸であった。森から飛び出てきたのは、一人の少女であった。
質素な着物の少女の顔には、いくつも薄い傷が入っており、服には木の枝や葉がついている。
男の前に立った少女は急に足を止めた。
「あ、あ、あ……」
少女の目は潤んで小刻みに震えており、声もろくに出すことができないでいる。
硬直した少女の後を追うように、二人の男が森から姿を現した。どちらもみすぼらしい恰好で、小汚い風貌をしている。
「ったく、手間を掛けさせやがって。あ? んだ、てめぇは?」
小柄で出っ歯な男が問いかけた。いぶかしんだ視線は少女の先にいる、三度笠を被った男に向いている。
「私のことですか?」
「お前以外に誰がいるってんだ!?」
「これは失礼を。私は小次郎と申します」
小次郎と名乗った男は、会釈をした。小次郎の反応に汚い男達だけでなく、少女も呆気に取られている。
時が止まっていると、少女が我を取り戻し、小次郎の後ろに回った。
「お、お願いします。た、助けて、ください」
震える声で懇願した少女は、小次郎の服の袖を掴んで、身を小さくしていた。
小次郎は首を回して少女を見る。
「助ける? あの人達からですか?」
小次郎の問いに少女は何度も首を縦に振った。潤んだ瞳で必死に懇願している少女に、出っ歯の男が怒声を浴びせた。
「この小娘が! 面倒を掛けさせんな! おい、小次郎とか言ったな!? 男に用はねぇ。とっとと、消えろ。でないと、ぶっ殺す」
「物騒な言葉ですね。私が去ったら、この子をどうする気ですか?」
「あん!? そんなの決まってんだろうが! 楽しんだ後に売りさばくのさ。悪くない顔をしているからなぁ。言い値が付きそうだぁ」
出っ歯の男が粘っこい口調で、舐めるような視線を少女に向けた。少女は大きくビクつくと、自分の手で体を抱きしめ震えを必死に堪えている。
それでも震えは止まらず、歯をカチカチと鳴らしてしまう程の恐怖に襲われていた。小次郎は震える少女の頭に手を置くと、軽く撫でた。
「安心してください。私がお守りいたします」
優しい口調で言うと、三度笠の紐を緩めて地に放った。
小次郎の素顔があらわになった。顎まで伸ばした艶のある黒髪に、透き通るような白い肌。涼やかな顔つきで、年の頃は二十代前半だろうか。
少女の目は小次郎に釘付けになっており、先ほどまで震えていた瞳も恍惚としたものに変わっていた。
「さて、私はあなた達を倒さなければなりませんが……。もし、よろしければ、引いてはいただけないでしょうか?」
小次郎の問いに反応したのは、出っ歯の方だった。
「舐めた口きいてんじゃねぇぞ! 兄貴、やってください!」
出っ歯の男は、横にいたガタイの良い、ひげ面の男に向かって言った。
乞われたひげ面の男は、だるそうに体を揺らして小次郎に近づくと、腰に佩いていた刀に手を掛けた。
ぎらりと光る白刃が鞘から姿を見せる。
「逃げてたなら見逃したのによっ!?」
ひげ面の男が目を見開く。視界に映るのは噴き出す赤い液体。自分の首から溢れ出す血液であった。
鯉のように口を開け閉めしながら、事態を把握することなく、地面に倒れこんだ。
流れ出した血液が地に広がった時、出っ歯が悲鳴を上げた。
「あ、兄貴~! て、てめぇ! なっ……んだ、そのなげぇ刀」
出っ歯の目は抜き放たれた、小次郎の持つ長刀に向いていた。
長刀の切っ先には血の跡が残っており、その刃によってひげ面の男を討ったことを証明している。
「この刀ですか? 長くて扱いずらいんですよね。ですが……」
小次郎の目が据わった。
瞳の色が漆黒に染まる。
大きく一歩踏み出すと、長刀を横に構えて、薙いだ。
「ひゅっ!?」
出っ歯の男が息を呑む音と共に、首から血液が飛び出した。
目にも見えぬ速さで繰り出された一撃が、出っ歯の男の喉を切り裂いたのだ。血しぶきを上げて地面に倒れると、屍が一つ追加された。
ほんの少しの時間で二人の男が斬り伏せられた。それも一合も交わすことなく。
戦いにすらなっていない戦いを終えた小次郎は、背負った鞘を外して手を全開にまで伸ばして納刀した。
小次郎は長刀を背負うと振り返り、少女の背の高さにまで腰を曲げた。
「大丈夫でしたか?」
少女は目を丸くしたまま、固まっている。だが、次第に表情が崩れていく。目に涙が溜まり、そして流れた。
声は涙で濡れて震えている。安堵の涙を流している少女を、小次郎は優しく抱きしめた。
・ ・ ・
囲炉裏にくべた木が爆ぜて音を立てた。
吊るされた鉄鍋には根菜や山菜を混ぜた味噌汁が入っており、薄っすらと湯気を上げている。
囲炉裏の周りには小次郎と、細身の中年男性、先ほど助けた少女がいた。
小次郎は長刀を床に置いて、正座をしている。
「この度は、娘を助けていただき、まことにありがとうごぜぇましたぁ」
中年男性は深々と頭を下げた。この男性が少女の父親である。
少女を助け、そのまま家に届けただけだったが、その礼をと言われて家に上がって今に至っていた。
「お気になさらないでください。大したことはしておりませんので」
「そんなことはございません。賊を二人も倒したなんて、お侍様は大したものですだぁ」
「それ程の者ではございません。運が良かっただけです」
小次郎は微笑んで返した。
男性はもう一度頭を下げ、それにつられるように少女も頭を下げた。
今日何度目かの光景に、頭を上げるように小次郎は言う。
だが、頭も下げたくなるだろう。大事な娘が賊に捕らわれるなど考えるだけでも、身悶えして狂いそうになるに違いない。
命だけでなく、尊厳まで踏みにじられるところを救われたのだ。感謝の念で頭が重くなってしまうのも無理もない。
男性が顔を上げたところで、小次郎は居住まいを正して、顔を引き締めた。
「賊がはびこる世の中とは……。天下泰平の世と言っても、物騒なものですね」
「はい、仰る通りで。北条様が崩れて以降、賊が度々、姿を見せるようになったのです。もちろん、お上様に申し立てたのですけども、場所を転々としているようでぇ」
「賊を捕らえることはできなかった……。妙なことを聞きますが、この辺で賊に狙われそうな人はいませんか?」
小次郎の問いに男性は首を傾げた。
「狙われそうな……方ですか?」
「はい。私は人探しに来たのですが、もしかしたら賊と関係があるかもしれないのです。狙われるような人の近くにいれば、賊と接触できると思っております」
「ん~……。そう言われますと、悩みますがぁ。庄屋様ですかねぇ」
「やはり、そうなりますか」
「あっ」
男性は声を上げて、顔を明るくした。
「美しい女子がおります。それはもう、見惚れてしまうような美人で」
「女性ですか。……美しき人ならば狙われそうですね」
「はい。この村の近くにある山林の中に家があります」
「山林の中とは、また危険ですね」
「あまり人と関わらないように生きているようでして。父親と女子の二人暮らしのようです」
「のよう、とは?」
小次郎が問うと、男性が面目なさそうに頭を掻いた。
「実は、二年前ぐらいに越してきたものでして。普段も挨拶ぐらいしかしねぇんです」
「そうでしたか。何故、越して来たのですか?」
「それもさっぱり。ですが、狙われる程に美人です。それだけは間違いねぇです」
男性の言葉に小次郎はしきりに頷いた。
美人であることが村に広まっているなら、どこかで賊も聞きつけているかもしれない。
小次郎の目的が賊と結びつくのなら、女の近くにいるのが良いだろう。小次郎は長刀を手にすると、すっ、と立ち上がった。
「お話、ありがとうございました。早速、その女性に会いに行ってみます」
「え? もう、陽が暮れてますし、今日は家で休んで」
「お言葉だけ、ありがたく頂戴します。ですが、善は急げと申します。何かが起きてからでは遅いので」
「そ、そうですか。なら、お送りいたします」
男性も立ち上がると、提灯を手にして外へと出ていった。
小次郎は少女に優しく笑みを向けて頭を撫でると、男性の後に続いた。
月のない夜だった。
提灯の明かりが、あぜ道を淡く照らす。光によって、ぼんやりと浮かんで見える道を頼りに、山へと向かう。
風が吹くと、草が囁く。
しばらく続いた、二人の歩みが止まった。
二人の前には細い道が続いており、その脇にいくつもの木が茂っている。
「この先です」
男性が言うと、再び歩き出した。
木々が増え、次第に森へと変わっていく。虫が奏でる音色に、フクロウの優しい鳴き声が森に響く。
深い深い暗闇の中、男性は顔をやや硬くしていたが、小次郎は至って平静だった。
むしろ、今の状況に風情を感じて、心を傾けているようでもあった。
前を進んでいた男性の足が止まると、提灯を前に突き出した。
「あそこです」
男性が前方を指さした。提灯の光とは別に、森の中に薄っすらと光が見えた。
「あそこですか。ご案内、ありがとうございました。あとは私だけで充分です」
「えっ? 良いのですか?」
「えぇ。お気をつけて、お帰りください」
言うと、小次郎はか細い光を頼りに、闇の中に足を進めた。
不思議なことに一寸先も見えぬ闇の中であるのに、散策でもしているかのように足取りが軽い。
藪や木の根に引っ掛かることなく、明かりの灯る家を目指した。
家の近くは森が開けており、星が空に瞬いている。
木造の平屋建ての家が一軒と、その周りに幾つも畑があった。
明かりは、その家の隙間から洩れていた。安普請なのか、近くで見るといくつも明かりが漏れている。
入口の前に立つと、戸を三度叩いた。
反応がない。小次郎はもう一度、戸を三度叩くと声を上げる。
「夜分遅くにすみません。旅の者なのですが、道に迷ってしまいまして。風をしのぎたいので、家の影を借りてもよろしいでしょうか?」
家の奥から物音が聞こえた。
床が軋み、わらじが地面を擦る音がした。
「構いません」
女の声だ。柔らかく、淑やかな声であった。
戸に掛けていたであろう、つっかい棒が外れる音がした。
静かに戸が開くと、家の中から光が放たれた。戸の影から女が姿を見せた。
艶やかな黒髪に、甘くとろけるような瞳。赤く潤いのある唇に、新雪のような純白の肌。
見る者の心を捕らえて離さない、その顔が女の全てではなかった。盛り上がった乳房と、ハリのある尻。
聞きしに勝る、美に溢れた女であった。
「外は寒うございます。中に入られては?」
「よろしいのですか?」
「はい。大丈夫です。お一人ですか?」
「えぇ、一人です。では、失礼を」
小次郎は戸をくぐった。中には女以外、人はいない。
戸を閉めた女に小次郎は問う。
「お一人ですか?」
「はい、私だけです」
「良いのですか? 私は男ですよ?」
「乱暴を働くような方には思えません。どうぞ、お上がりください」
小次郎は小さく頭を下げると、家に上がり、囲炉裏の近くに座った。
吊るされた鉄鍋には味噌汁が入っている。具材の中には、肉が入っており、食欲をそそる香りを漂わせていた。
「食べられますか?」
女性の問いに、小次郎は首を横に振った。
「先ほど、食したもので満腹です」
「迷われていたのに?」
「あれは嘘です」
「嘘?」
「あなたに会いに来たのです」
小次郎は口角を吊った。
女は噴き出すと、袖で口を隠して小さく笑い出した。
「おかしな人。何故、私に?」
「麗しき女性がいると聞きまして。一度、お目に掛かりたかったのです」
「それも嘘ですね?」
意地悪な笑みを浮かべて言った。
小次郎は目を丸くすると、低く笑い出した。
「これは参りました。会いたかったのは事実なのですが。私は人を探しておりまして」
「お人探し? それと私が関係しているのですか?」
「関係している。というよりも、関わるかもしれない。といった方が正しいかと。私が目を付けているのは、最近、活発に動いている賊です。探し人はそこにいるかもしれません」
笑みを薄っすらと残した小次郎を、女性は目を細めて見つめた。
「それは大変ですね。では、私の近くにいらっしゃると?」
「えぇ、邪魔にならないようにはします。よろしいでしょうか?」
女性が意地悪な笑みを浮かべた
「いや。と申しても、離れてはくれないのでしょう?」
「はい」
「でしたら、お好きにされてください。私は珠。あなた様は?」
「小次郎と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
珠が笑みを浮かべる。それは大輪の花が咲いたように美しかった。
・ ・ ・
昨夜、小次郎と珠は長い時間、語らった。
珠は父との二人暮らしで、この村に来たのは静かに過ごしたかったからだと言う。
小次郎は静かにとは、と問うと、珠はにっこりと微笑んで答えてはくれなかった。
たぐいまれなる美貌の持ち主だ。色々と苦労があるのだろう。小次郎は、それ以上、その事には触れなかった。
聞いた代わりに小次郎も少しだが、自分のことを語った。諸国を旅しながら、色々な仕事を受けて、その日暮らしの生活をしていると。
見て回った土地の話をすると、珠はしきりに頷き、楽しそうに目を細めていた。
そうして時を過ごし、朝を迎え、昼に差し掛かっていた。
珠が山菜を取りに行くというので、小次郎も付いて山に来ていた。
小次郎は腰をかがめて、地に生える山菜を摘んでいく。
遠くで珠も同じように腰をかがめているのが見えた。
二人して、黙々と山菜を探している。
小次郎がふと地面から目を上げると、珠が見当たらなかった。
見失ったのか。小次郎は珠に呼び掛けようとした時、木の陰から三人の男が駆けるのが見えた。
一人の肩に珠が背負われている。
気を失っているのか、抵抗している様子はない。
小次郎はすぐさま駆け出した。
「待ちなさい!」
走る男達の背中に呼び掛ける。
だが、男達は後ろを見ることなく、猛然と山を駆けあがっていく。
駆ける足に迷いはないようで、一瞬も止まろうとはしなかった。
小次郎の足は男達になかなか追い付けないでいた。
人一人背負っているとは思えない早さである。
男達を追走していくと、次第に森が深くなっていった。
走る男達の足が急な斜面に向かった。
その先を見ると、草やこけに覆われた石段があり、男達はそれを上っていく。
小次郎も後を追って、石段を蹴るように上った。
石段を上った先には、朽ちた寺があった。
屋根は傾き、壁はヒビが入っている。
男達は本堂に向かい、中へ消えていった。
追おうとした小次郎の足が止まる。
いくつもの視線を感じる。小次郎は囲まれていることを察した。
砂を擦る音がした。徐々に距離を詰めて来ている。
小次郎は長刀を抜き放った。
周りに目を向けると、七人の男が刀を構えてにじり寄っていた。
「誘き出された……ということですか。先日、斬った男達のお仲間ですか?」
「そうだ。大事な仲間をよくもやってくれたな」
答えたのは、七人の中でひときわ大きい男だった。目がぎょろりとしており、頬に傷が入っている。
周りの者と比べて、凄味がある面構えをしている。
「あなたが賊の親玉ですか?」
「だとしたら?」
「一つ伺いたいことがあります」
「何だ? 冥途の土産でも欲しいのか?」
親玉が笑うと、周りの男達も声を上げて笑った。
「いいぜ、聞いてみろ。教えるかは分からんがな」
「あなた方は人ですか?」
「あ? 当り前じゃねぇか」
「それは良かった」
「何がだ?」
「あなた方を殺さなくて済むからです」
小次郎の言葉によって、沈黙が生まれた。
男達が顔を見合う。そして、噴き出した。
「馬鹿か、お前! この状況で」
「引かねば斬ります。そこにいても斬ります。視界から消えなければ斬ります」
「……ぶっ殺すっ! やれぃっ!」
親玉が声を上げた。
男達が気炎を上げて、小次郎に一気に駆け寄る。
刀を振り上げて突進する男達を、小次郎は黙って迎えた。
「えやぁぁぁ!」
一人の男が叫んだ。
小次郎の目が鋭くなる。
手にした長刀を跳ね上げた。
「えぁ? あ!? あああぁぁぁ!」
男の悲鳴が響いた。振り下ろしたのは、手首を失った手だけで、刀を握った手は男の後方に落ちていた。
「ぜぇい!」
小次郎の後ろに迫っていた男が声を張り上げた。
小次郎は体を反転させると同時に、長刀を薙いだ。
男の喉に一筋の赤い線ができると、すぐに血が噴き出した。
「おあぁぁぁぁ!」
今度は側面からであった。
斬りかかる男に、小次郎は体をねじって、長刀を斜めに斬り上げた。
「ぎゃああぁぁぁ!」
腰から肩に掛けて一刀された男の断末魔が響く。
一瞬で三人の男が命を散らせた。そのことに気づいた男達は、足を止めて、ゆっくりと後ずさりを始めた。
親玉も頬の傷に汗が伝っている。
「何なんだ、お前……」
だらしなく開いた口から、親玉は何とか言葉を絞り出した。
小次郎は長刀を振るって、刃に粘り着いた血を払った。
「私は小次郎と申します。これで最後にします。私の視界から消えてください」
「ぐっ!?」
親玉は小次郎の発する気に押されて、一歩下がった。
更にもう一歩。下がりだした足は止まらず、最後には背中を見せて去って行った。
他の者達も我先にと石段を駆け下りて行った。
境内には静けさが戻った。
小次郎は長刀を握ったまま、本堂へと向かう。
傾いた戸を蹴破ると、床の上に珠が寝転がっていた。
三人の男達はどこに行ったのか。小次郎は注意深く、珠へと近づいた。
「珠殿、目を覚ましてください」
「うっ……」
薄っすらと目を開けた。少しの間、目をしばたたかせて、小次郎を見つめた。
「小次郎様? 私は……うっ」
「大丈夫ですか? あなたはさらわれたのです。ご無事そうで、何よりです」
「そうでしたか……。まだ、目眩がします。あの、肩を貸してもらえないでしょうか?」
「えぇ、良いですよ。どうぞ」
小次郎は長刀を左手に持つと、右手を差し出した。
珠が手を伸ばし、小次郎の手に触れる。
「ああああああ!」
珠が絶叫した。
「あああ! 熱いいいい!」
珠は小次郎の手を振り払うと、床に転がってもんどりうった。
顔を苦痛に歪め、歯をむき出しにしている。
「やはり、あなたでしたか。すぐに襲い掛かってくるかと思っていましたが。意外に慎重なのですね」
「くぅぅぅ! 貴様、やはり討魔師か!」
「さて、どうでしょうか」
小次郎は低く笑った。珠の顔に憎悪の色が浮かぶ。
「なんでもいい! 貴様を殺す! やれっ!」
珠の声と同時に、本堂の中に人が雪崩込んできた。
先ほど消えた三人の男だ。
その目は虚ろだった。焦点が合っておらず、口は半開きだ。
異様な雰囲気を出す男達は、刀を一斉に構えた。
今度は珠が低く笑う。
「ここで終わりよ。その刀、この中では使え?」
珠の言葉が止まった。
目を大きく開けてみるのは、小次郎の左手であった。
長刀がない。
右手を見る。
そこにも長刀はなかった。
長刀はどこにいったのか。
「人刃一体・飛燕」
小次郎が呟くと、ひゅっ、と風を切る音が聞こえた。
音が消えると、三人の男が同時に崩れ落ちた。
頭が三つ床に転がる。その一つが、珠の足に当たった。
「なっ!?」
「使えないこともないですよ」
「ちぃっ!」
珠は本堂の壁に突進すると、壁をぶち破って外に飛び出ていった。
小次郎も境内へと出ると、珠の行く手に立ちふさがった。
「逃がしませんよ」
「邪魔くさいわねぇ……」
忌々しい口調で言うと、伸ばした髪の毛に変化が起きた。
髪の毛が一束になると、髪の周りに黒くて鋭い棘が付き出てきた。
まるで茨のようだ。
珠の髪の毛は首を動かすことなく、くねくねと動いている。
その動きに合わせて、髪の毛がじわじわと伸びていく。
髪の毛が地面に着いた時、珠が一歩近づいた。
珠の髪がうねりを上げて、小次郎へと襲い掛かる。
「むっ?」
小次郎は声を上げると、後ろに飛び退いた。
珠の髪は鞭のように大きくしなり、地面を強く叩いた。
叩きつけられた地面にはいくつも穴が開いており、髪の毛に生える棘の硬さと鋭さが伺える。
珠の髪は生き物のように、せわしなく動いていた。
うねうねと動く様は蛇のように見える。
「はぁ……。せっかく、落ち着いて暮らせていたのに」
珠がため息混じりに言った。
「それは残念でしたね。あなた方が人を喰らい続ける限り、私はあなた方を殺し続けますよ」
「人と大して変わらない生き方だと思うけど? まぁ、良いわ。あなたを殺して、また別の賊を操るとしましょう」
「賊を操る?」
小次郎の問いに、珠は口を吊った。
「私の体液には人を操る毒があるのよ。私ほどの女なら、賊が近づかない訳がない。たっぷり楽しんだ後、今度は私がたっぷり楽しませてもらうって訳」
「なるほど。髪の毛とその話から、あなたの正体が分かりました。邪神・宵末」
珠の顔が青ざめた。
小次郎は手を前へ伸ばすと、服の袖から長刀がゆっくりと白刃を見せた。
手品のように現れた長刀を小次郎は手にして、八相の構えを取る。
「あなたは私の探し人です」
「邪神を探している? 私を殺せると言いたいの? 討魔師風情が何を偉そうに!」
「私は討魔師ではありませんよ」
小次郎が大きく一歩前に出た。
宵末の髪がしなる。同時に、小次郎の長刀が唸った。
太く束になった髪の毛は一刀で両断された。
地面に落ちた髪の束が、生き物の死に際のようにもんどりうっている。
「私の髪を斬れるだと!? その刀は!?」
「さて、なんでしょうか? ……お教えしようと思いましたが、もう一人いらっしゃったようですね」
小次郎は宵末を見たまま言った。
石段から姿を見せたのは、蓬髪で厳めしい顔の中年男性だった。
肩には熊の毛皮を羽織っており、一見して狩人に見える。
だが、鉄砲や弓は見えず、脇に抱えているのは数本の刀であった。
小次郎は一歩下がると、男に目を向ける。
「お仲間……でしょうね」
「宵末が世話になったようだな」
「大したことはしていませんよ。黄泉路にお送りするのはこれからですし」
「俺に勝てるとでも思っているのか?」
「さて、どうでしょうか?」
小次郎が口を歪めると、男の眉間にしわが寄った。
男は体をわなわなと震わせている。震えに合わせて、体が大きく盛り上がっていく。
「ほぉ」
小次郎は感嘆の声を上げた。
六尺(百八十センチ)弱の小次郎よりもでかい。腕周りなど、女の腰回り程の太さになっている。
男の膨張が治まった。
「大柄な人ですね。これは大変そうです」
「さっき人を喰ったばっかりだからな。力に満ち溢れている」
男の言葉に、宵末が顔をしかめた。
「豪獅、あんた、まさか他の奴も」
「悪い、そこら辺をふらついていたから喰っちまった。ま、お前がいれば喰うに困らんからな。また頼む」
「じゃあ、先にその男から喰って。討魔師で、変な術を使うようよ」
「討魔師か。喰ったら腹を壊しそうだが、殺さなきゃならんな」
豪獅が指の関節を鳴らすと、脇に抱えていた刀を抜いていく。
抜き身の刀を指の合間に挟んだ。獣の爪のように伸びた刃が怪しく光る。
豪獅は巨体を揺らして、小次郎に近づく。
地を踏みしめた足の筋肉が、爆発するように膨れ上がった。
「ふんぬぅっ!」
豪獅は声を上げ、飛び上がった。
右手の指に挟まれた三本の刀が、天から振り下ろされた。
「くっ!」
身を引いた小次郎の目の前を、白刃が通り過ぎていった。
風を斬り裂いた豪獅は、もう一度、飛び掛かり左手を振るう。
たまらず小次郎は大きく飛び退いた。
豪獅の口角が上がる。
「なかなか、やるな」
「そのお言葉お返しします。さすがは邪神ですね。厄介そうです」
「そうだな。俺だけでも厄介だぞ」
豪獅の目が小次郎の先に向いた。
小次郎の背筋に寒気が走る。黒い影がしなった。
「うっ!?」
宵末の茨のような髪が小次郎の左腕に絡みついた。
鋭い痛みに小次郎が顔をしかめた。
「くうっ!」
「あはっ! よそ見なんてするからよ! さぁ、豪獅やりなさい!」
愉悦に歪んだ宵末の声に、豪獅は歯を見せて頷いた。
「人刃一体・血炎」
小次郎が呟いた。
チリチリと音がする。ついで、鼻を突く異臭が漂った。
左腕に絡みついた宵末の髪が火を上げる。
「いやぁぁぁぁ!? 何、何っ!?」
宵末が悲鳴を上げた。
髪の毛が炎に焼かれて、地面で暴れる。
火は一向に消えることなく、次第に宵末の顔にまで迫った。
「くそっ!」
吐き捨てると、髪の毛が途中でちぎれた。
髪は肩にかかる程度の長さにまで短くなっていた。
「一体、なんなの!?」
「さて、何でしょうね? 飛燕」
小次郎は右手を手刀にして突き出した。
突風が吹く。同時に、宵末の胸に大きな三日月状の傷が入った。
「がはっ!」
宵末の胸に深々と刻まれた傷から大量の血が流れた。
口からも血を流している。
だが、その血が止まった。
口から垂れた血を拭うと、宵末が怪しく笑う。
「その程度の術で私達が倒せると思っているの?」
「さて、どうでしょうか?」
小次郎が首を傾げた時、背後に大きな人影が迫る。
獣のように両手を上げた豪獅が、その爪代わりの刀で斬りかかる。
「死ねぇぇぇ!」
「霞爪」
振り下ろされた豪獅の刀が、小次郎の背の前で止まった。
豪獅が顔を歪め、呼気を荒くしている。刀が震えていることから、力を込めていることが分かる。
その刀の前には靄のようなものが漂っており、手のような形をしていた。
「な、何だ!? これは!?」
「さて、何でしょうね?」
小次郎が冷たい目で、豪獅を睨みつけた。
豪獅が怯んだ。
「お、お前は一体!?」
「小次郎です。それ以外の何者でもありません。ですが、こいつはあなた方に関係しています」
靄が薄れると、小次郎の右手の袖から長刀が現れた。
「この刀は、あなた方、四十八邪神の兄弟です」
「何っ!? そんな奴は知らないぞ?」
「でしょうね。こいつは四十九番目ですから。あなた方が生まれた後に生まれたようです。あなた方が母を喰った後にね」
「なっ!?」
豪獅が更に怯んだ。
大きく一歩後ろに下がった。
「私には恨みはありませんが、こいつはあるようです。……そして、私の願いはあなた方を滅することです」
「あぁ、そうかよ! 覚えのない兄弟なんてどうでもいい! 貴様を殺して、終いだ! 宵末!」
豪獅の声に動かされて、宵末が動く。
短くなった髪が少し伸びている。胸元まで伸びた髪を槍のようにまとめ、小次郎に飛び掛かった。
「これで終わりぃっ!」
宵末の髪が小次郎の心臓を狙う。
「しっ!」
小次郎の右手が動く。
雷のような速さで長刀が振るわれた。
宵末の胸を腹を裂き、大量の血を大地にぶちまけた。
「ぐふっ! この程度、すぐに……? ぐほぉっ!」
「宵末! 貴様ぁ!」
豪獅が吠えた。
引いてしまった足を前に出した。
小次郎はゆっくりと振り返る。
豪獅が右手を振り上げた。
応じるように小次郎も長刀を構えた。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!」
豪獅は咆哮を上げた。
右手が大きくしなり、風を切り裂いて小次郎に襲い掛かる。
小次郎の瞳が光った。
「ふっ!」
きぃん、と高い音が鳴った。
「ぐはぁっ! ぐおおおぉぉぉぉ!」
豪獅の右手の刀がことごとく折られており、腹から胸にかけて深々とした刀傷が走っていた。
「秘剣・燕返し」
小次郎の呟きは豪獅の絶叫で消された。
鮮血を噴き上げると、地に膝を着いて痛みに悶えている。
「くそっ! 何で治らないんだ!?」
「この刀の呪いですよ。あなた方は呪いに侵された。邪神を殺すための呪いに」
「くっそぉぉぉぉぉ!」
豪獅が悲痛な声を上げる。
宵末もうずくまって、悶絶している。
「どうやら、この戦いは終わりのようですね。お命いただきます。苦しませはしません。ご安心ください」
「や、やめろ! 来るなぁ!」
小次郎は長刀を高々と掲げた。
「止めろぉぉぉぉ!」
絶望の声が山に轟いた。
・ ・ ・
地面に横たわる豪獅と宵末は首が胴から離れていた。
小次郎は長刀に付いた血を拭いて、鞘に納めた。
「終わりましたよ」
虚空に小次郎が呟いた。
いつの間にか境内に一人の男が現れていた。
人の好さそうな初老の男性だ。薬売りのように大きな箱を背負っている。
「お疲れ様でした。まさか二体とは」
「厄介でしたが、何とかなりました」
「流石です。早速、首を持って行かせていただきます」
「えぇ、そうしてください。半蔵殿から次の獲物の情報はありましたか?」
「いえ、まだ何も掴めていないようです」
「そうですか。では、また適当に旅をしようと思います。徳川様によろしくお伝えください」
「はい」
小次郎は境内を去り、石段を下りていく。
青空には薄い雲が浮かび、風に吹かれて流れている。
秋の風に吹かれて、小次郎も雲と同じように流れていく。
母を喰らった兄弟を始末する。
怨念に取り憑かれた刀を背に、日ノ本に潜む邪神を討つため小次郎は旅を再開した。