山田琴葉とヒーロー
期まっちゃんこと期末テストが無事に終了し、俺に念願の夏休みが訪れた。
その初日。
俺は琴葉と待ち合わせをしている。
場所は俺の通う中学から徒歩五分程度のところに位置する増田駅前。
県外の人から「そこそこ栄えているね」という文字通りそこそこの評価を頂いている俺の地元、牧野市。
その中心部へと通じる三波駅から三駅ほど離れたこの増田駅周辺は、駅前のバスターミナルをグルリと囲うようにして小規模なスーパーマーケットや喫茶店などが立ち並ぶのみで、普段は御世辞にも賑わっていると表現できない。
が、これも夏休みという魔物が生み出す光景なのだろう。その初日だけあり、今俺の周辺にはオシャレな私服を纏った学生たちの姿が際立っていた。特に女の子。胸部をちら見せする女の子なんてもうあれだ。俺みたいな純真少年では到底太刀打ちできない。ちら見じゃなくてガン見レベルになってしまう。何だろうね、この男として負けた感じは。
果たして、俺が今にも鼻から赤い液体を放出しかけているところに、
「おーい!」
キャッキャウフフしてそうな周辺の女子たちとは打って変わり、極めて控え目な私服を纏った女の子がこちらに向かってきた。
なんと黄色い無地Tシャツに青の短パン。
の○太くんみたいだな。と思ったら、
「ごめん遅れちゃった。待った?」
琴葉だった。いやまぁ、無地の白Tシャツに紺のジーンズを組み合わせただけの俺が指摘するのもなんだけど、中二女子ならもう少し努力した方がいいと思うぞ。せっかくの見てくれが台無しだ。
「まぁ、待ったな。五分くらい」
「たったの五分で何言ってんの! こういうときは普通『いや全然、今来たとこ!』が常識でしょ。……全く、若葉はそんなんだから彼女ができないのよ」
「余計なお世話だ」
ぷんぷんと憤慨するサッカーブラジル代表みたいな服装の少女をどう呼んでやろうかと、俺はこめかみを押さえて黙考する。『ブラジリアン琴葉』それとも、『ブラ琴葉』……何かエロいな、『ブラ琴葉』。
とりあえず、『ブラ琴葉』は候補から弾き出し、俺は訊ねる。
「で、俺に何の用?」
俺がここに来た経緯。
それは昨夜、この琴葉から一本の電話をもらったことに始まり終わる。
こんなやりとりがあった。
『ねぇ若葉。明日暇?』
「えっ、明日。あしたは……」
『暇だよね! 若葉、顔にそう出てるもん』
「なんで電話越しで俺の顔が分かるんだよ。ってかあれだ。明日はちょっと用事が……」
「若葉! 明日の午後一時に駅前だよ! 分かった!」
「いや、ちょっ、だ・か・ら」
『じゃあね、おやすみ! グッドナイフ!』
「ちょ、琴葉! ……き、切りやがった」
ちなみに、俺はその後何度も電話を掛け直したのに、琴葉の奴、ザ・無視だった。
まぁでも、用事ってのは休日は家に居たい派の俺が咄嗟についた嘘だから別にいい。琴葉がグッドナイトとグッドナイフを間違えたこともいい。ってか、グッドナイフって何だよ、怖いよ。と思う俺も別にいい。何もかも別にいい。いいのだが、何だか釈然としない心地で俺はここに立っていることを分かってほしい。
「誕生日プレゼントを選んで欲しいの」
一刻おいて、琴葉は素っ気ない口調で返してきた。
ってもあれだな。ここはプレゼントを選んで欲しいというより、買って欲しいと解釈した方が良さそうだな。
どっかのテレビ番組で紹介されていた。女の子の『選んで欲しい』という言葉の裏には、『選んだ上で買って欲しい』という要求が潜んでいるのだと。……俺の所持金五百円で足りるのかどうか分からないけど。
少し予想外の回答と、俺の小遣い少なすぎるだろ! と我が肉親に不満を漏らしたところで、俺は歩き出した琴葉の後ろ姿を追いかける。
行き先はいつかの商店街。
俺たちが大変お世話になった交番へと続く商店街だ。
前回ここを訪れたときはチームパリ―の人数集めという名目があったために、この商店街はあっさりと素通りしたのだが――こう注視してみると中々趣のあるところである。
と言っても、全体を通じてとりわけ際立ったところはないのだが、派手さのない茶色を基調とし、一店一店が特別な個性を持っていない分、商店街として統一感がある。「らっしゃいらっしゃい!」と声を張り上げる魚屋さんがいない分、いくらか落ち着いて見える。印象としては商店街というより地下商店街に近いといったところか。
「若葉、こっち」
周囲に小さな喧騒が漂う中、琴葉は俺の手を引っ張り、ある店に入った。
店名『全て揃ってるぜベイベー』から察するに――まぁ、色々揃っているところなのだろう。
「いや、ほとんど揃ってないじゃないの」
が、それは大いなる勘違いだった。琴葉が言うようにほとんど揃ってない。文房具、お菓子、ちょっとした装身具、装飾品があるくらいである。
「店、変えるか?」
「うーん、いや、ここでいい。せっかく冷房のあるところに来たんだし。それにこの店、なんか泣けちゃうくらいお客さんが少ないから、じっくり選べそうだし」
そう否定する琴葉の目にキラリと光るものがあるが……しかしこの店、店名こそ詐欺だが、こぢんまりとしている割に意外と明るく、商店街と同様に茶色を基調とした内装が何とも言えない清潔感を演出していた。店名を変えてこの雰囲気をアピールできればもっと人気がでるだろうに……と、ふと本気で思案してしまいそうになるほど、いい店だと思う。俺個人としては。
「ねぇ、若葉はどれがいいと思う?」
琴葉が顔を覗かせているのは装飾具及び装飾品のコーナーだ。数自体は決して多くないが、一つ一つが中々いい値段で取引されている。俺が買わされるケースを想定するに、ここは安い品から順に勧めた方が良さそうだ。
「これとか可愛いんじゃないかな」
俺はキラキラと輝く腕輪やら耳飾りなどが丁寧に陳列されている台上から一番安い物をセレクトし、琴葉の手のひらに乗せてやる。
「うーん、正直可愛い系じゃない方がいいんだよね」
あっさり拒否された。
「なら、これとか」
次こそは! と俺は蝶の形をしたブローチ渡した。無論、二番目に安い物だ。
「それも違うんだよね~。そうね~、例えば~」
そう言って、琴葉は一つのペンダントを手に取った。何故か顔がほんのり赤い。
「こ、これとか……どうかな」
俺は目を丸くする。
は、ハートマークだと!
「お、お前! これはどういう意味合いで」
「どういうって、好きな人に好きな気持ちを伝えるにはハートマークが一番かなと思って」
す、す、す、好きな人!
「もしかして、琴葉……お前、好きな人が……」
そこで俺は閉口した。
いや、普通の話じゃないか。周りからは不良だとか言われ腫物扱いされているが、本当の山田琴葉は普通の中学生じゃないか。普通に笑って、普通に泣いて、そういう琴葉を俺は見てきたじゃないか。だから、そりゃ恋だってするだろうし、好きな人にプレゼントくらい……って、何をそんなに焦ってんだ? 俺。
「ほら、何変顔してんのよ。さっさと行くよ」
どういうわけか琴葉はもう一つ同じペンダントを手に取り、とっとこ早足でレジへと向かっていく。そこでようやく俺も我に返って値札を見た。
……三千三百円。おい、何事だよ。
「……ち、ちょっと待てよ」
念のため、俺は財布の残高をもう一度確認する。もしかしたら、さっきのは見間違いだったのかもしれない。だって五百円って、俺も中学生だ。健全な男子中学生が所持金五百円だなんてことはない……はずだ。
俺はクワっと目を見開く。
だが、やはり五百円だった。
「あ、あのさ琴葉」
「どうしたの?」
「い、いや俺たちってさ。別に彼氏とか彼女とかじゃないじゃん」
「そうだね、当たり前じゃん」
当たり前なのか、何でだろう? やっぱちょっぴり悲しい。
「まぁ、だからなんてのかな~」
俺はボリボリと髪を掻き乱しながら琴葉を一瞥する。
「だからどうしたの?」と琴葉がプレッシャーをかけてくる。
くそぅ、言うしかないのか。
「だからさ、俺がお前にプレゼントを買う義理はないと思うんだけど」
琴葉を真っ直ぐ見据えて俺は告げた。いや、告げてしまった。でも俺は悪くないはずだ。女の子の期待に応えられないとか、確かにちょっとかっこ悪いけど……悪くはない。悪いのは両親だ。競馬とか行きすぎ! 馬へのその愛情を俺に回してくれ!
心の声を漏らさないように体内で処理する。そんな俺に、あるいは俺の言葉に琴葉は目をまんまるくしていたが、やがて納得したようにポンと手を叩き、突然笑い出した。
「そっか、そういうことか~。若葉もあのテレビ観てたんだね。ごめんね、誤解させて」
「誤解?」
クエスチョンに琴葉が頷く。
「今日は私のお母さんの誕生日なの。だから心配しないで、これは元々私が買う予定」
「おぉ、そ、そうか」
それを聞いて安心した。
というより、初めて琴葉を尊敬した。
家族想いの優しい奴だと思った。
と同時に。
一つ、疑問が浮かんだ。
――心優しいこいつが、何で不良なんかになってしまったんだろう。
「でもありがとう、若葉。気持ちだけ受け取っておく」
「お、おう」
また、琴葉のそんな意外な一面を知ってしまったからなのだろうか。
丸みを帯びる琴葉の目に、その笑顔に、俺は違和感を覚えた。
いつもと同じ笑顔なのに、いつもとは明らかに違う。明らかに違うのは、琴葉ではない。
そう、いつもと違うのは俺の胸の中、
ドキッとしたのだ。
この心臓が飛び出るかと思うくらい。
俺は自分の心境の変化に戸惑い、足早に店を出た。すると、後ろから。
「はいこれ! あげる」
琴葉が茶色い包み紙を渡してきた。さっき店員さんが包んでくれたものだ。
「へぇ? あげるってお前、それ自分で渡すんだろ」
「うーん、まぁー最初はそのつもりだったんだけど……色々あってね……」
そっと落とした視線は、寂しそうに揺らいでいた。
「会ってくれないんだ。お母さん」
「会ってくれないって……どういうことだ? それ」
「端的に言えば、私、家を追い出されたみたいな」
エヘヘと、琴葉は自嘲気味に笑うが、その笑顔が返って痛々しい。
「何か悪いことしたのか?」
「失礼ね、私がそんなことするように見える?」
「まぁ、見えるけど」
ふんと鼻を鳴らして琴葉が俺の足の甲を踏む。そして、その場を取り繕うように、
「ほら、だからあんたが渡す! 私の実家教えてあげるから」
琴葉はそう言って明るく振る舞う。が、俺がすでに見てしまったものまでは隠せない。視線を落とした琴葉の顔には、はっきりと本心が表れていた。こいつ、本当は会いたいんだ。もう一度お母さんに会って、このプレゼントを自分で渡したいんだ。
「ダメだ。琴葉が渡せ、それ」
「いや、でも……」
「いいから。ってか、お前が渡さないと意味ないだろ」
俺は琴葉の反対を押し切り、包み紙を琴葉に押し付ける。
返ってきたのは、琴葉の拗ねた声。
「だから、お母さんは会ってくれないんだって」
「いつからだ」
「いつからって?」
「母さんが琴葉に会ってくれなくなったのは、いつからだ?」
「……さ、三年前くらいだけど」
三年前。
それは、俺が初めて山田琴葉の名を知った頃合い。
つまり、琴葉が彼女のお母さんと絶縁状態になったときとほぼ同時期に、琴葉は不良と呼ばれるようになった。そう考えると、
「……お前、お母さんと離ればなれになって寂しくなっちゃったんだな。そんで自暴自棄に……うぅ、可哀そうに……」
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ。別に自暴自棄になったわけじゃないから。ただちょっとあれよ。たまたまよ。たまたまお母さんと離れてから上手くいかなくなったってだけよ」
そうして「たまたまよ」と言い張る琴葉だが、果たしてそんな偶然が有りうるのだろうか。
そもそもおかしい。琴葉が不良と呼ばれるようになること自体がおかしい。
始業日に俺がやり合ったあのゴリラ顔は、琴葉から喧嘩を売ったことは一度もないと言っていた。そんな奴に何故あんなにも大勢の敵ができた? その世界に足を踏み入れた理由は何だ?
もしかして誰かに仕立てられたんじゃないのか。
「なぁ、琴葉が一人暮らしを始めたのも確か三年前だよな」
「うん、そうだけど」
何と無く嫌な予感がした。
「じゃあ、お前が初めて人を傷つけたのも、やっぱり三年前でいいんだよな?」
「そ、それは……」
「教えてくれ、どうなんだ?」
何か恐怖にも似た感情に駆り立てられるように俺は語気を強めていた。
琴葉が話す言葉を待ち、その口元に視線を集めていた。
やがて、琴葉の口が動く。その瞬間を感じて、見て。後悔した。
「そんなの知らないよ! あんまり私の過去を訊かないで! 私に思い出させないで!」
琴葉の赤い瞳が俺を射抜き、俺は自分の愚かさを思い知らされた。自分だって同じはずなのに。琴葉のこの気持ちが分からない俺じゃないのに。とにかく、エキサイトしすぎた。
俺はちらっと琴葉の様子を窺ってから、会釈程度に頭をぺこりと下げる。
「ごめん、地雷踏んじまったか」
「ううん、大丈夫。でも、どうしたの若葉? 顔色、悪いよ」
「まぁ、生まれつきだ」
曖昧な相槌と共に言葉を濁した。俺のせいで琴葉を怒らせた上に、変な心配までさせるわけにはいかない。
「ふーん、そっか。納得」
琴葉は失礼なことを告げてから、俺の先を行く。その後ろ姿が少し悲しげに映ったのは、おそらく俺の心境に問題があるからなのだろう。
琴葉が一人暮らしをしていることは前から知っていた。
けど、その理由については知らなかった。
琴葉が彼女の母さんと絶縁状態になっていることは今日初めて知った。
けど、何でそうなったのか、俺は知らない。
うっすらと、俺の頭の中には嫌な仮定が浮かんでいる。それは琴葉と彼女の母さんに関わること。きっと琴葉は、自ら望んで不良になったわけではない。そうなるように誰かに仕組まれたんだ。
……ったく、今日の俺は変だ。さっき怒られたってのに、何でまたこんなことを訊こうとしてんだよ。
俺は琴葉の後ろ姿に声をかける。
「なぁ、琴葉。最後に一つだけ教えてくれ。心優しいお前が何で――」
琴葉は振り向いてくれなかった。けれど、構わず言った。
「不良なんかになっちまったんだよ」