山田琴葉とヒーロー5
あれから一週間が過ぎた。
世間はまだバリバリの夏休み。太陽が頭上高くから俺を見下ろし、セミがミンミンと鳴き、運動部は「今が俺たちの旬だぜ!」とばかりに声を張り上げている。
そんな喧騒を流し聞きしながら、俺と琴葉は学校の屋上にいる。
ベンチもプールも、本当に何もない屋上に二人っきり。
そういった場所を探していた。
だから、呼び出したのは俺だ。
「うちで暮らすか?」
そう言ったのも俺だった。
「ううん、気持ちは嬉しいけど、やめとく。お母さんは私に強くなって欲しかったみたいだし、私もその願いを叶えてあげたいから……。私はこのまま、独りで頑張ってみる。あえて孤独な状況に、頑張って耐えてみる」
飛び降り防止用の金網フェンスに手をかけながら、琴葉は答えた。彼女の目は俺たちの生まれ育った街並みを真っ直ぐ見下ろしている。
「そうか」
入口のドアに背を預けて、俺は地べたにしゃがみ込む。
――やっぱり、そうか。
ふと、琴葉の横顔を注視する。
街並みを望む彼女の瞳は、色彩を失っていた。
――結局、それがお前の答えなんだな。
琴葉は、自分が強くなることでお母さんを安心させようとしている。彼女の母さんが望んだ自分というのは、強い心を持った山田琴葉だから。その期待を裏切らないため、天国で見守っているお母さんに心配をかけないため、弱いところは見せられないと、彼女は必死に悲しみから耐えている。最愛の人たちの『死』という現実を受け止めて、耐えて。耐えて耐えて耐え抜こうとしている。
立派なことだ。
家族思いの琴葉らしい、素晴らしい決意だ。
でも、それじゃあダメなんだ。
人間はそんなに強くない。そんなんじゃ琴葉が悲しみに呑まれてしまう。
そんな結末は、俺が嫌なんだ。
「なぁ琴葉、俺たちってまだ中二じゃん」
「……そうだね」
そう、嫌だから。
「中二っていったらさ、何か変な病気疑われて、大人になったのは気分だけで、何だかんだいってもまだ幼い時期じゃん」
「……そうだね」
「強くなったと思っても、まだ弱い時期じゃん」
「……」
「だからさ」
俺はゆっくり立ち上がる。
「今はまだ泣いたっていいんだよ」
琴葉は無言だった。
無言で手を震わせていた。
「今はまだ弱い時期なんだから泣いたっていいよ、俺が許すよ。……だってお前は、大切な人を一度に二人も失ったんだから」
琴葉の表情はこちらからは窺えない。
けれど、その声は彼女の手と同じくらい震えていた。
「ねぇ若葉」
「何だ?」
「大切な人を失っちゃったよ」
「……うん」
「また独りになっちゃったよ」
「……うん」
「会いたいよ」
「……うん」
「ママとパパに会いたいよ!」
金網から琴葉の手がほどけていく。
地べたにしゃがみ込んだ琴葉は、幼い赤ん坊のように泣き叫んでいた。
「頼れる身寄りがいないよ! 私もう天涯孤独だよ! 何で私ばっかりこんな目に遭うのよ! 何でいつもこうなのよ! 何で、何で……」
そこで、俺と琴葉の視線が交わった。
「そばにいてよ、若葉」
真っ直ぐ俺に向けられたその言葉。
「もう……私を独りにしないで」
その涙声に、俺は無意識に応えていた。
「うん、そばにいる。お前と、お前の母ちゃんとの約束だからな」
嗚咽を漏らし、端正な顔をぐちゃぐちゃに歪ませながら琴葉が飛び込んでくる。
行き場を失っていた琴葉の手が俺の背中を温め、琴葉の涙が俺の服を濡らす。
息が詰まるほど、強く強く抱き締められた。
「バカ……苦しいっての」
苦しかったのは心の中だ。
琴葉のこんな面を間近で見るのが苦しかった。胸が痛んだ。柄にもなく、俺は同情などしてしまった。
もう二度と、琴葉にだけはこんな顔をして欲しくない。笑っていて欲しい。そして、今泣いた分だけ、琴葉には幸せになって欲しいから。
俺は誓うんだ。たとえ狐の代役だとしても、自分が狐の代わりには力不足なことを知っていても、どんなに頑張っても琴葉の会いたい人に彼女を会わせてやることができないと知っていても。それでも俺は言うのだ。
「安心しろ。お前は変われる。だってお前には俺がついてるから」
いつかの俺と同じ台詞。でも、あのときよりも強い想いで。はっきりと伝えた。