表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不良のお前を終わらせてやる!  作者: 渡邉鍋大
1/16

山田琴葉とその約束

 ――この学校コミュニティには、決して関わってはならない女がいる。


 俺は隣の席に目を向ける。

 キッと鋭い眼差しが、まっすぐに俺を射抜いた。


 ……全く、何故こうなってしまったのか?


 本日最後の授業。四時限目の始業の鐘が鳴り響き、やや緊張した面持ちで英語教師が教室に足を踏み入れた。

 その折、俺はもう一度同じことを考え、呟いた。


「……全く、何故こうなってしまったのだろうか?」




 今日は始業日だった。

 ま、そういうこともあり、俺――日野若葉ひの わかばは今年度初のスクールライフに心を躍らせ、指定の学ランと腕の間にスクールバッグを挟んだまま普段より高いテンションで校門を抜けた。校門と昇降口とを繋ぐツリーサークルの上、そこで今年人生初の『彼女』ができたらどうしよう! と、そんな浮かれた妄想に浸っていたことも恥ずかしながら事実だ。


 若干小走りをして昇降口に入ると、下駄箱の位置が変わっていた。正面から見て通路は三つ。下駄箱も同じく三。左より新一年、新二年、新三年生用……俺は真ん中を突き進み、バッグから新品の上履きを取り出した。そして上履きの先をトントンと地面に叩きつけ、階段を使い三階へ。

 新二年生の教室がずらりと並べられたこのフロアには至るところにクラス表が貼り出されていた。


 二年二組 出席番号 三十 日野若葉


 俺は教室を確認し、該当する席に腰を下ろした。ちなみに席は窓際最後尾、の一つ隣、及び主人公席の隣にあたるヒロイン席。

 ま、あれだな。自分を冴えない黒髪少年と評する俺でもさすがにテンションが頂点に乗ったよ。チラッ、チラッと周りを見回せば、可愛らしい女の子も中々に多い。あまりにも幸先のよいスタートに、俺はついうっかり小躍りを始めそうになった。


 ――が、そのとき。


 ガン! 

 後方のドアが、荒々しく開け放たれた。

 驚いた新クラスメイトたちは一瞬でその一点へと振り向き、それに釣られるようにして俺もそちらに視線を投げた。


 ――長い、黒髪の少女だった。


 毅然とした態度。それ故、身長百六十センチの俺より二十センチも低い百四十センチ前後にもかかわらず、実物はその数字よりも大きく見えた。

 まるで生徒手帳に記載された模範生のように黒ブレザーとブラウスのボタンを全て留め、スカート丈も長い不思議な少女。態度の割にあどけないその顔立ちも、胸元できっちりと結ばれた赤リボンによってすっかり影を潜めていた――、


 しかし。


 その目は。

 燃えるように赤く鋭いその目だけは、模範生のそれとは似ても似つかない。


 暴力的なまでの、『圧力』

 そんな不条理なものを、教室中にまき散らしていた。



 やがて、少女が歩き出すと、自然と人集りが消え、少女の前には道ができた。

 その中で俺はと言えば、

 クラスメイトの誰よりも……いや、俺が今までに見た他の誰よりも端正な顔立ちを持つこの少女に見惚れていた。怖いけど、マジマジと少女を見つめていた。

 ただ、見惚れると同時に俺は気付いてしまった。


 ……こいつ、山田琴葉やまだ ことはだ。

 この学校コミュニティで、絶対に関わっちゃいけない奴だ。


 俺がそのことに気付くと、琴葉は該当の席に腰を下ろした。

 俺の隣の主人公席。

 そこが、彼女の席だった……。




「はぁ……」


 本日最後の授業。四時限目の始業の鐘が鳴り終わり、英語教師は言った。


「はい! じゃ~今日は最初の授業ということで、親睦を深めるべくグループワークをしてもらいます! 各々、近くの席の子とグループを組んで! レッツイングリッシュよ! イングリッシュ!」


 何とも快活でよろしい女性教師の声だ。しかしグループと一口に言っても果たして何人組になればいいのやらぁ? と俺は密に疑問を抱いたが……まぁ分かってる。問題はそこじゃない。

 チラッ!

 俺は右を見る。


 俺の右隣の女子生徒、

 その子はすでにその右隣の子とグループを組んでいた。


 ……じ、じゃあ仕方ない。いいや男でも。前の奴と――

 前席の男子は、俺の左斜め前の男と机をくっつけ談笑していた。


「……は、速いな」


 じゃなくて、


「ま、マジか~」


 必然的に俺は山田琴葉とグループを組まなければならないらしい。


 ふはぁ……。

 あまりに早い人生終了のお知らせ。

 俺は琴葉の耳に入らぬよう小さく息をつき、

 それから一目散に机に突っ伏せた。

 そう、これが俗に言う日野若葉必殺の『寝たふり』――などではなく、

 俺は単にこの現実から逃げ出したくなったんだ。


 ――横に、あいつがいる。

 山田琴葉。

 喧嘩連戦連勝の最強不良少女。

 一匹狼の、ちょー怖い女の子。


 奴がこの学校の生徒であることは頭に入っていた。まぁ入学した日にその名前を見た数十名の生徒たちが謎の貧血で倒れるなどという事件が起きてしまえば知らない方がおかしいくらいだろう。『最悪』と言っても差し支えない中学生活のスタートに、俺もその日は流れる雲をただ呆然と眺めることしかできなかった――のだが、


 結果から言って山田琴葉がこの学校を訪れることは、一度たりともなかった。


 考えるまでもなく、彼女は超が付くほど有名な不良少女だった。


 では、そんな超危険集団からドラフト一巡目で指名されてしまいそうな金の卵(もちろん危険な方向での)が、律儀に制服着て、机に座って、教科書を開くなどという行為に及ぶものだろうか? と、この学校の生徒たちは冷静になった頭でそう自問し、答えを導き、そして皆知らず知らずのうちに山田琴葉という恐怖の対象を頭から切り離していた。

 俺だって、例外ではなく――


 けど、

 その問いかけに対する答えは、果たして間違っていたのだろうか?

  いや、

  きっと間違っていたのだろう。


 間違っていなければ、山田琴葉はこの敷地内にいないはず。

 この教室に、いないはず。

 そして、何より、


 ……俺の隣に、いないはずなんだよな~。


 思わず、嘆いた。

 グループワークも、隣の席に座る不良少女のことも忘れたく瞳を閉じると、昼下がりの日差しを心地よく感じた。

 見えるのはただの暗闇。

 聴こえてくるのは、英語という名の子守歌。


 ふと、睡魔に襲われた。



「……ねぇ、あんた」


 ん~、誰だよ?


「ちょっと、起きなさいよ!」


 あぁ、何だ母さんか。ごめん。あと五分だけね。


「起きなさいってば!」


 起きなさいってば……って。な、何だよ! いいじゃねぇかよ! 今日学校休みなんだからさ。もう少しだけさ~。


「お、お、お、お、お」


 えっ、お?


「うぉきろぉぉぉ――ッ!」

「ぐはっ!」



 重たい何かに、俺の後頭部が襲撃された。

 あまりにも突然の出来事。まだ夢と現実の区別がつかない。

 俺は、瞼を擦りながらぼんやりと母さんを見る。


「……全く、ほら、やるよ!」


 いや、待てよ。こいつ母さんではない、よな……。


「グズグズしない! 手を動かして!」


 こいつは……、

 ……や・ま・だ・こ・と・


「ひぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 そして、全てを理解した俺は、大音量の悲鳴と共に背中から豪快に床へぶっ飛んでいた。

 ガタン! と無造作に倒された椅子が教室中に大きな騒音を響かせ、周りのクラスメイトたちは、一斉に身体を震わせる。

 さっきまで喧騒に包まれていた教室は、

 このときばかりはしんと静まり返ってしまった。


「ちょっと、何してんのよ?」


 ……だから、なんだろうな。

 案外可愛らしい山田琴葉の声は、この際よく響いた。


「あぁ悪い。昨日あんまり寝てなくて」


 俺は倒れた椅子を素早く元に戻し、「お騒がせしました!」と声を張り上げた。

 こちらに向けられていた視線は、あるべき方向へと引返していく。


「全く、授業中にお昼寝とか、あんた何考えてるの?」


 こっちが聞きたい話だよ。

 不良少女が相手を叩き起こしてまでグループワークとか、あんた何考えてるの? 


「ほら、グズグズしない! 教科書開く! 五ページ目だよ!」

「……あ、ごめん。俺教科書忘れた」

「はぁぁぁ? ががが学校に教科書忘れるとか、あんた何しに学校来てんの? 頭おかしいんじゃないの」


 いやいやお前がな! 何であの有名な不良少女が律儀に教科書とか持ってきてるの? 頭おかしいんじゃないの!

 隣の琴葉はまだガミガミとほざいていた。

 が、やがて何か閃いたように、


「よし! 教科書忘れたなら、私が見せてあげる」


 そう言ってグイグイっと、俺の机に彼女のそれを寄せてきたわけで――、


「はぁぁぁ! いやいやいいよそんな気を遣ってくれなくて! いや大丈夫。俺一人で『Mike』役やるから。一人で勉強しますから!」

「ダメ! ダメよそんなの! 先生はグループでって言ったんだから、ちゃんとその通りにや・る・の! ほら、あんたは『Mike』私は『Ms.Blue』。いい! 心も体も『Mike』になりきるのよ!」

「んな、アホな」


 俺の言い分など一切気にかけず、琴葉はせっせと文面に目を通す。

 俺は、諦めた。

 多分、いいや絶対。この女は人の話にまともに耳を貸すようなタイプではない。

 性格は超強引で。超わがままで。けど、仮にこのまま口論なんてしたら、間違いなく殺されるのは自分。それなら……と、俺は諦め琴葉の手元を覗き見た。


 俺の視界のド真ん中を彩る、教科書五ページ。


 ちなみにグループワークの内容とは、『mike』という少年と『ms.blue』という女性教師が仲睦まじくお喋りしている場面の音読。教科書の冒頭部分であるためか、そこには学年順位二百五位の俺レベルでもすらすら読める易しい文章が綴られていた。 

 それを知ってか知らずか、琴葉はおもむろに教科書を立てると、自らを奮い立たせるように「よし!」と呟いた。俺が渋々その意気込みに応えるように一つ頷くと、赤い瞳をカッと見開き、それにそぐわぬ可愛らしい声で彼女は音読を始める。


「え~と、わっ、ワット~ど、ドゥ~よ、よ、ヨウ、リンク?」


 俺はすかさず教科書を奪い取る。


『What do you like?』……か。おお! そうか、これが言いたかったんだな! も~おっちょこちょいだな~山田琴葉ちゃんは! 全然聞き取れなかったぞ☆

 隣の少女は何故か、「よかった~上手に言えたわ」と、満足そうな表情を浮かべているが……正直こっちが『what!』だ。こんなの教科書に今の文章が綴られてなかったら返答のしようがない。

 が……まぁ、ともあれだ。

 別に今回は、というより今回も本物の外人と話すわけではない。つまり俺の眼下にはmikeが次に喋る言葉がご丁寧に綴られているのである。

 俺は心も体もmikeになりきると、おもむろに口を開いた。


「アイ ライク ミュージック!」


 待ってました! と言わんばかりに、教科書を奪い返した琴葉が続く。


「え、え、えーと、あ~もう分かんないよ!」


 いや、続かなかったよ。


 英語の教科書は勢いよく俺と琴葉の中間地点に放り出され、琴葉は机に伏せ、髪をわしゃわしゃと掻き乱し始める。小刻みに震える彼女の背からは哀愁のようなものが漂い、何だか見ているこっちまで胸が苦しくなった。

 ――全く、そんなわけの分からない心境だからだろうか?

 その、黒く艶やか髪を眺め、ほぼ無意識に、俺は思いがけない行動をとっていた。


「なぁ」

「何?」

「お前って不良なんじゃないの? それなのに何でこんな一生懸命やってんだよ。……何かちょっと、変だぞ」


 素直に、そうは思っていた。俺の思う、あるいは俺が見てきた不良たちとは明らかに異なるこの勤勉な授業態度。そして何より、俺が伝え聞いた山田琴葉という人物と、今、俺の目の前にいる少女の印象は大きくかけ離れていた。

 だから、訊いてみたのだが……。


「……」


 俺のクエスチョンに琴葉は無言だった。無言で顔を上げ、俺と琴葉の中間地点に着地した教科書を無言のままバッグに戻してしまう。

 ま、そうだな。訊いたのは突然だったし、人によっては偏見と捉えてもおかしくない質問だった。無視されるのは当然であり、むしろその方がありがたいか。


 ……だよな、何話しかけてんだろ俺。だってこいつは、あの山田琴葉なんだぜ。


 たとえ少し興味を抱いたからといって、むやみに近づいてはならない相手。山田琴葉とはそういう奴だ。最強不良少女である山田琴葉は、その『最強』と言う称号を欲する多くの不良やら組織やらに身を狙われている。つまり、山田琴葉に近づくということは、それだけ危険な敵を増やすということである。


 そんなのはごめんだ。

 まるで、自殺行為ではないか。

 俺は、俺はそんな命知らずのバカじゃない。

 ――だから、今の発言はなかったことでいい。忘れてくれ。


 バタン! と両手を合わせ、俺は琴葉にそう念じる。

 が、今日はどうにも厄日って奴らしい。

 山田琴葉は、またも俺の思い通りに動いちゃくれない。


「私、不良やめるの」


「はっ?」


 頓狂な声を上げる俺を尻目に、琴葉は頬杖をつきながら視線を眼下へ。さも独り言のように呟いた。


「不良をやめるってことを、もう誰も傷つけないってことを、私はある大切な人と約束した。だから、これからはトラブルなんて起こさない。喧嘩もしない。暴力も振るわない。ちゃんと学校に行って、授業に出て、そうやって優等生になって――みんなに認めてもらうの。みんなって言葉に具体性はないけどね、でもみんな。みんなでいいの。何か壮大な感じでやる気が出るの」

「お、お前、それって」

「……まぁ、もちろん時間はかかると思うけどね。でも、優等生になって山田琴葉は変わったんだ、改心したんだってところを私は皆にアピールし続けるよ。だってそれが報われたとき、私は初めて胸を張って不良をやめたって言えると思うから」


 意外すぎる言葉。いや意外すぎる言葉のせいで俺の頭の中は――

 すっかり彼女の世界に囚われてしまった。


「じ、じゃあ。お前にとって『不良をやめること=みんなに認められること』ってわけで、そのために、お前はトラブルを起こさない優等生になりたい、と?」

「うん。まぁそんなとこ。ほら、『私の』トラブルって言うのはさ、起こした側も巻き込まれた側も両方が悪になるの。問答無用でね。だから、もし私が一方的に巻き込まれた側でも、そこに私が居たら、ちょっとでも関わっていたら、私は悪にされちゃう。みんなが私を悪人として見る。それが私、最強不良少女である山田琴葉の宿命。私はそういう悪いレッテルを持っているし、そいつは簡単には消えてくれないの」


 言われてみれば、確かにそうだ。俺だって同じみたいだ。


 ――山田琴葉が何らかのトラブルに関わっていた。


 などと、仮にそんな噂を耳にすれば、俺はそれだけの理由で琴葉をトラブルの根源だと定めるだろう。たとえ琴葉が何一つ悪いことをしていなくても、俺の山田琴葉に対する歪すぎる偏見が彼女を『悪』と断定してしまうだろう。彼女の言うことは、つまりそういうことだ。


「だから、私はトラブルを起こせない。関わることもダメなの。トラブルは人の評価を貶める。私の評価はもう底辺ギリギリ、これ以上落ちたら、たぶん誰にも一生認められなくなっちゃうから――それは、困るの。約束を果たすことが絶対にできなくなる」


 ここで、俺には琴葉の考えがある程度理解できた。端的に言えば、彼女はみんなから「あの子は不良じゃなくなった」と思われることを目標としている。きっと、その『認識』こそが彼女にとっての『不良をやめられた』という証明になるからだ。


 ……でも、

 気づくと、俺は最強不良少女に反論まで口にしていた。


「そんなの、簡単にはやめられねぇだろ。お前ほど有名な不良なら敵だって多いし。第一、お前にトラブルを起こす気がなくても、お前の敵共は問答無用でお前に襲い掛かかるぞ。そしたらお前はどうすんだよ。逃げるのか? 多勢相手に逃げ切れるか? 無理だろ。お前は戦わざるを得ない状況に陥るんじゃ……」

「うん、そだね」


 俺の言葉を遮るようにして琴葉は首肯した。そんなことは理解してる。分かってる……口には出さずとも、彼女がそう告げているように感じた。


「でも、何とかする。ここだけは譲れないの。たとえ何があっても、私はこの約束だけは果たしたい……逃げるわけには、いかないのよ」


 そう、小さく呟いた少女を見て『ゾクッ』と。この胸が痺れたのは、少女の横顔に覚悟が漲っていたからだろう。

 赤みを帯びた瞳が、窓より差し込む日光にも負けないくらい、キラキラと輝いているからなのだろう。

 他人のことをあまり褒めない俺が思わず、


「……か、かっこいい」


 などとほざいてしまうくらい、今の琴葉はとにかく凛々しかった。

 ……まぁ、だから、


『ブブブラウスの第一ボタン外そうぜ! 半減してるよ! お前のかっこよさ!』


 と、危うく口から滑り落ちそうになった指摘を何とか腹の中に食い止め、俺は彼女の不自然な格好を凝視するが、


「……何ジロジロ見てんのよ。私の顔に何かついてる?」


 どうやら思ったより長く見つめていたらしい。少し苛立ちを孕んだ声と共に顔を上げた琴葉にジト目で睨まれ、俺は情けなく口ごもってしまう。


「いや、何でも。あっ、そうだ。もう読み終えたし机離すか! いや~ありがとな、教科書貸してくれて。ほんと、おかげで助かったよ」


 ハハ。正直、何も助かってない。むしろ精神的に超疲れたのだが……。 

 ――何だろうな。

 俺の御世辞を受け取った琴葉の顔は、その笑顔は、


「そりゃ、どういたしまして」


 この世のものとは思えないくらい、愛らしかったさ。


「はい、そこまで!」


 奇しくも、俺が琴葉の笑顔に魅了されたところで、英語教師はグループワークの終わりを告げた。

 それと同時に、罰ゲームを行うメンバーも選出した。


「じゃあ、日野くんと山田さん。スタンドアップ!」


 悲しいことに、そのメンバーとは俺と琴葉だった。

 まぁ何だ。席を立てと命じられたが……これは難しいな。何しろ周りの視線が痛い。この教師は新米だから知らないのかもしれないが、山田琴葉の名はすでに学校全体に知れ渡り、恐れられている。


 そして、その琴葉が今から、『みんなの前で音読』という、健全な中学生とって苦痛以外の何ものでもない罰ゲームを行うのだ。


 当然クラスメイトたちは困惑し、チラッ、チラッとこちらを見ては目を伏せ、時間が経てばまたこちらの様子を窺ってくる。おいおいマジで勘弁して欲しいぜ。俺がこいつらの気持ちを代弁してやろうか。きっとこうだ、「何でよりによってあいつらを選んじゃったんだよ!」ってな。……本当にそう思います。何で俺たちを選んだの?


「ほら、さっさと立ちなさいよ! 教科書はまた私が貸してあげるから」


 んでまた何でこいつはこんなにも自信満々なの? 三行目でギブアップしたこともう忘れたの? 


「山田さんの言う通り。早く立って、日野くん。……それと教科書忘れで減点ね」

「マジすか」


 さらりと減点を食らい、ようやく俺は立ち上がった。さすがに琴葉と先生に促されてはやらざるを得ない。嫌よ嫌よも好きのうちである。うぅ、とりあえずそう言い聞かせるしかない。

 俺はそっと琴葉に目配せして、合図を示す。すると、琴葉が口を開いた。


「わ、わ、わ、ワット ドゥ ヨウ リンク?」


 次の瞬間、あまりのレベルの低さにクラスメイトたちが必死に笑いを堪え始めた。


 いや、何これ? みんな年末恒例の笑ってはいけない的なことやってんの? 笑ったらケツバットとかされちゃうの? さっきよりは良くなったな~。とか冷静に考えちゃってる俺はその輪に混ざれないの?


 ……まぁ、

 混ざりたいとも、思わないけど。


 俺は、異様な空気に包まれた教室をぐるりと見回す。

 ……分かってる。これは楽しいゲームなどではない。

 こいつらは怯えているんだ。もし笑ったりしたら俺の隣の少女に何をされるか分からないから、それこそケツバット程度では済まされないと思っているから。こいつらは必死に、自らの脚をつまんででも、笑うことを耐えているんだ。

 俺は、結局そうなのだと思った。こいつらにとって山田琴葉は恐怖の対象でしかない。おそらく琴葉が不良をやめたいと願ったところで、みんなに認められたいと張り切ったところで、その印象や評価といったものは変わらない。琴葉はずっと、独りぼっちなのだ、と。


 俺の傍らで、琴葉は次の文章と睨めっこしていた。

 その横顔を、何だかとても切ないものに感じた。

 どっかの誰かを見ているようで嫌になった。


 ……ったく何だってんだ。


 モヤモヤした気持ちを振り払うように、俺は次の文を即座に終わらせる。次は三行目。さっき琴葉が諦めてしまった文章。

 俺は知っていた。琴葉が教科書をバックにしまった後、それからグループワークが終わるまでの僅かな時間を使って勉強をしていたことを。慣れない手つきで電子辞書を弄って、さっき読めなかった単語を一生懸命調べていたことを知っていた。

 やがて、俺は琴葉の吐息を聞いた。横目で彼女を見る。先ほどと違い、目は泳いでない。息が詰まるような緊張感の中、彼女はピンと背筋を立て、すーと教科書に視線を落とし、そして――。

 小さく息を吸った。

 ――が、

 またしても、琴葉がその三行目を読み上げることはなかった。


 バリン!


 突然、琴葉目掛けて飛んできた野球ボール。

 窓は粉々に砕け、女子生徒は悲鳴を上げ、男子生徒は「なんだなんだ!」と興奮気味にボールが投げ込まれたグラウンドを見下ろし、新米教師は魂が抜けたようにポカンとその場に立ち尽くす。 


 ――琴葉は?


 そう俺が思うと、山田琴葉は走り出していた。

 背後の掃除用具入れから自在箒をぶん取り、俺の脇を駆け抜けていた。


 燃えるような赤い瞳。

 目にもとまらぬスピード。

 長く艶やかな髪が俺の頬を掠め、その一本一本の隙間から覗く彼女の表情が俺に畏怖の念を抱かせる。すれ違った拍子に振り返れば、闘争心の表れか、箒を握り締めたその手は小刻みに震えていた。


 ……あぁそうか、こいつが。


 その少女を見て、俺は静かに納得した。


 ……俺が、皆が知っている最強不良少女は、確かにここにいた。


 琴葉が教室を出ると、窓越しにグラウンドを眺めていた男子生徒たちが口々に叫んだ。


「あいつら、中見高校の連中だ!」

「ヤバイよ! 十人もいるよ!」

「しかも金属バットなんて持ってやがる!」

「きっと、山田琴葉を狙ってきたんだ。前に一悶着あったって聞いたことがある!」


 正直、自業自得だと思った。

 勝手に暴れて、勝手に反感を買って、また勝手に暴れようとしている。琴葉てめぇの私事をこんなとこに運んでくるな! 超迷惑だっての!


 そんな風に思っていた。


 嘘ではない。全部本当のことだ。俺は善人じゃない。てめぇのことを最優先に考え、てめぇが一番大事。そんな思考が俺の核である。かっこ悪いが俺はそういう人間だ。人のためだとか、誰かを守るだなんていう感情とは、遠い昔に別れた。

 ――いや、別れたはずだったんだ。

 だから、自分でも分からない。


 ……何で、俺は琴葉を追いかけているのだろう。


 教室を出て、廊下を突っ走り、階段を駆け下りる。

 やがて、下駄箱の前に人影を見た。

 山田琴葉は泣いていた。

 俺の目の前で、あの有名な不良少女が床に膝をつけ、手のひらで両手を覆い、ワンワンと涙を流していた。


「やっぱり、ダメだったね……」


 自嘲気味に漏れた涙声が、妙に耳に残る。


「頑張ろうとした。大切な約束だったからさ。絶対に果たしたかった……。でも、やっぱり変われないんだね。どんなに頑張っても、私は私のままなんだね……」


 琴葉の後ろ姿が弱々しい。丸まった背中が彼女の悲しみをひしひしと俺に伝えてくる。


 しかし、


「あいつら、私を狙ってきたよ。もう私が行かないと納得してくれないよね。痛い目みないと……帰ってくれないよね。だから私が行くよ。私の約束わがままのせいで関係ない人たちに迷惑はかけられないよね」


 それでも山田琴葉は戦うんだ。涙を拭いて膝下のぶきを拾い、あのうざったい不良共を薙ぎ払い、また不良共の反感を買い、また戦うんだ。


 そしてそのループの果て、きっと彼女は不良に戻ってしまう。本人の意志に関係なく、周囲の人間が、ここで彼女の戦う様を見る全校生徒がそれを不良と見なし、恐れ、嫌い、彼女は本当に誰からも認められない存在になってしまう。彼女は、大切な約束とやらを果たすことができなくなってしまう。


 ほんとに少しの間だ。ほんとに少し間だけど、同じ時間を共有してみてよく分かった。山田琴葉はとても不器用な人間だ。考えて行動するとか、冷静に物事を見極めるだとか、そういうことができない人間なんだ。そう、言ってしまえば彼女はただのバカだ。それでいて、不器用で、危なっかしくて……。 


 誰かが傍に居てやらないと、

 きっと壊れてしまう子だから。

 だから、

 誰かがこいつを助けてやらなければならない。


「ふー」


 一つ、俺は息を吐いた。

 山田琴葉は、この約束だけは守りたいと言った。

 俺には山田琴葉が約束を交わした相手なんて分からないし、何故彼女がその約束に固執するのかも分からない。

 実際、今日初めて会って、何かよく分からないうちに二人一組を組まされ、「不良やめるの」。だなんて、信じられないことをカミングアウトされた。言ってしまえばそれだけの関係。たったそれだけのはずだが――。

 不運にも、俺は彼女のいいところを一つだけ知ってしまった。


 ……こいつが笑うとさ、ほんの……いや、ほんとにちょっぴりだけ、


 可愛いん、だよな……。




 守ろう。山田琴葉とその約束を。

 あの笑顔が枯れてしまうのは、嫌だ。




「……大丈夫。変われるよ、お前は」


 床に横たわる箒を拾い上げ、俺は琴葉の頭に手を添える。


「だってお前には、俺がついてるから」


 戦いに向かう体は――大丈夫。滾ってる。今までにないくらい、闘志が漲っている。

 今回は守りたい奴がいるから、きっと俺は頑張れる。


「……あんたは、何者なの?」


 背後から琴葉の声がした。

 しかしその返答に俺は少し困ってしまった。

 だって俺には別段かっこいい通り名とかないし、もちろん異能とか超能力だとか、そういう非科学的なものも使えない。『ごく普通の男子中学生』。それが俺に配られたカードであり、俺の正体。

 ……って、いや、それも違うか。


「俺は日野若葉。この学校(コミュ二ティ)で一番関わっちゃいけない奴だ」


 残念ながらこういう奴なのだ、俺は。

 肩越しに告げて、俺は再び歩き出す。


 ……あぁ、そう言えば、靴を履き忘れた。悲しいことに上履きで戦わなくちゃいけない。

 ……あぁ、そう言えば、武器が自在箒しかない。相手金属バットだぞ。


 勝てる確率は……まぁ、低いか。

 昇降口を出ると、不良共が待ち構えていた。ご苦労なことに、わざわざグラウンドから移動してくれたらしい。


「なんだてめぇは! 山田琴葉はどうした!」


 はは、無駄にうるさい声だが……なるほど、高校生だけあって、さすがに体格はいい。リーダーと思しきこのゴリラ顔を中心として不良共は左右に広がっている。


「あいつは今日休み。家に引きこもってる。引きこもり」

「何嘘ついてんだこの野郎! 俺はこの目で見たんだぞ! 山田琴葉を窓越しに! ちゃんとこの目で見たんだぞ!」


 ゴリラうるさっい! 二回も言わなくていいし! 唾飛んでるから! それと……やっぱあの教師なんで俺たちを選んじゃったかなー。スタンドアップしなきゃたぶんバレなかったよ、あいつ。 

 はぁと俺は一度ため息をつき、ゴリラ顔を見据える。


「で、何しに来たの? あんたら」

「ああん、あの女に借りを返しに来たに決まってんだろ! 前回はえらく痛めつけてくれたからな!」


 見れば、ゴリラ顔の頬がウホウホと腫れていた。琴葉がつけた傷と考えて間違いないだろう。

 ……琴葉が、つけた傷か。

 知って、一つだけ聞きたいことができた。


「なぁ、一ついいか、ゴリラ?」

「誰がゴリラだこの野郎! やっぱてめぇからブッ飛ばしてや――」

「山田琴葉は、自分からお前に喧嘩売ったのか?」


 喧嘩ってのは売る方が圧倒的に悪い。だから知りたかった。自分が守りたいと思った女の子がどういう人間なのかを。むやみに人を傷つけるような奴じゃないと、そう勝手に期待して。

 俺がゴリラ顔の言葉を遮ると、ゴリラ顔はおかしなものを見るように目を眇めた。


「はぁ? 何言ってんだ、てめぇ。山田琴葉が喧嘩を売るわけねぇだろ。そんなのこの街の常識じゃねぇか。まぁ、それでも最強なんて呼ばれてんだからな。俺みたいに、奴を叩いて名を上げようって輩や、もっとたちの悪い、ただ気に入らないってだけで奴を狙う輩がうじゃうじゃいるんだけどな!」

「ほう、つまり理由はともあれ、やっぱあいつには敵が多いと」


 ……な、なーんだ。そっか。


 ゴリラ顔の言葉を聞いて安心した。琴葉は悪い奴じゃなかった。あいつは売られた喧嘩を買っていただけ。たった一人で、傷つかないために、自分を守るために。それが分かって嬉しかった。


 ただ、それ以上に俺はカチンときてしまった。


 何が名を上げるだ! ふざけんな! ふざけんなよゴリラ! ブサイク! ブサゴリラ! ブサゴリ! そんな下らない理由で、頑張ろうとしてるあいつの邪魔すんな! 


 怒りのままに俺は自在箒を構える。すると、不良共は一斉に笑った。「そんな武器で俺たちとやる気か!」とか、「舐めるのも大概にしろ!」などと好き勝手言ってくれる。


 ――でも、そりゃ違うだろ。舐めてんのはどっちだよ。


 唾すらも届いちまうこの近距離でろくに武器も握り締めない。戦意もない。

 こんな弱い連中に琴葉が泣かされたと思うと、さらに腹の中がざわついた。ムカついた! だから、戦線布告してやった。

 俺と、山田琴葉を、


「舐めるな」


 刹那、俺は大口を開けているゴリラ顔の額に箒の尾を突き刺した。遥か前方へ飛んでいくゴリラ顔。一瞬でその姿を確認し終えると、素早く目配せして次の相手の脳天をぶっ叩く。剣道でいうところの面。

 バキン! 衝撃で真っ二つに折れた自在箒。その先端部分を素早く空中で拾い上げると、それを不良の一人へと投げ込む。クナイのように真っ直ぐ、ただ真っ直ぐと飛んでいくその棒切れは、やがて相手の額を突く。

 そして、不良三人組が同時に地面へと吸い込まれたところで、誰かが言った。


「こいつ日野だ! 西宮小の日野若葉だ!」


 ……ったく、今更気付いても遅いっての。

 心中でそう呟いて、俺は折れた箒を夢中で振り回した。




 山田琴葉は不良である。

 そして、俺、日野若葉も同じく不良である。 

 山田琴葉は長く艶やかな黒髪に特徴的な赤い瞳を持つ小さな女の子。

 彼女を知る者は彼女のことを『最強不良少女』と呼ぶ。

 日野若葉は眉にちょい被るくらいの前髪に、あまり覇気のない瞳を持つ平均よりちょっと高めの男の子。

 彼を知る者は彼のことをこう呼ぶ、

 『人殺し少年』



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ