二、始まり
自宅でゲームを作っていたというのがエミルの最後の記憶だ。そして目が覚めると、驚くべきことに、何故か空中に浮かぶ城塞にいた。
エミルが驚いたことはそれだけではない。それは二つあった。
一つは空中城塞アリアスティ――
これについてエミルは良く知っている。それもそのはず、この城塞はエミル自身が造ったものなのだから。
しかし、造ったといっても、エミルが実際に建築したというわけではなく、先程まで制作していた、ゲームの中で造ったものだ。ゲームの中で造ったものなのだから、現実に存在するわけがないのだ。それがこうして実際に存在しているというのは、何故なのか。
百歩譲って、城塞は飽くまでも建物なのだから、誰かが造ることはできるので、今、ここにあることについては、エミルにも理解できなくはない。空中に浮かんでいるということに関しては、完全にエミルの理解の範疇を超えていたが……
きっと狐につままれているんだろう。そう思いたい気持ちでいっぱいのエミルだったが、二つ目のことも考えようとする。いや、考える必要はない。直接尋ねれば早いのだから。
そして、エミルはゆっくりシルシィに視線を移す。視線の先では、少し離れた位置で、シルシィが銀色の目を潤ませ、エミルをじっと見つめていた。
「……シルシィ」
恐る恐るといった様子でエミルがシルシィに話しかけた。するとシルシィは、はいと短く答え、機敏な動きでエミルのもとへ向かうと、さっと、エミルの前に跪き、頭を下げた。
「如何なされたのです?」
頭を下げたまま言葉を発するシルシィに、エミルは眉をひそめたが、他に重要なことがあり、今はそんなことは些末なようなことだったので、先を続ける。
「お前は一体何者だ?」
エミルの問に、一瞬困惑した顔を浮かべたシルシィだったが、恭しく言った。
「わたくしは、創造主たる、貴方様の御手によって創られた者にございます」
いつまでも下を見て話すシルシィを見兼ねて、とりあえず頭を上げてくれとエミルは言い、更に続けて言葉を紡ぐ。
「それは、確かにそうだが……お前が実際に存在するわけがないだろう。お前は俺がゲームのキャラクターとして創っただけだ」
「申し訳ございません。エミル様の仰ることの意味が……ゲームという娯楽のことは、言葉としては理解していますが、わたくしが存在するわけがないと仰いますのは、どういったことでしょうか」
どうやら、シルシィは自分がゲームのキャラクターだという自覚がないようだった。これ以上訊いても無駄たと判断したエミルは別のことを訊く。
「いや、それはもう良い。気にしないくれ。では、俺は何故ここにいる?」
「それは、エミル様が倒れられたので、わたくしの部屋でお休みになって頂いたからです」
エミルは自宅にいたはずなのに、何故ここにいるのかを訊きたかったのだが、そんなことをシルシィは知る由もない。
「倒れていた? 何故だ」
「存じ上げまぜん。エミル様が通路に倒れられているところをカエデが発見し、わたくしがこちらへお運び致しました」
エミルはシルシィの言ったことに訝しげな顔をした。
アリアスティのキャラクターはエミルが造っているため、主要のキャラクター達は把握している。しかし、今彼女が言ったカエデなる人物は、エミルの記憶にはなかった。
「……カエデとは誰だ?」
「エミル様専属のメイドではありませんか。エミル様御自身で指名なされたと存じていますが……」
当然、エミルには思い当たる節がなどあるはずがなかった。エミルにとって、ここに来たのは、今日が初めてなのだから。
しかし、『ブレイブ』の、アリアスティの雰囲気作りの一貫で、エミルは大分前に、給仕係として、適当にメイドを相当数作っていた。ただ、何年も前のことだったので、流石にメイド全員まで把握するのは難しかった。その中のメイドの一人だろうと、エミルは結論付けたが、一応確認のために話を続けた。
「それはいつのことだ?」
「四〇〇年程前のことだったと記憶しております」
「よっ……四〇〇年前だと!? ふっ――」
ふざけるな! と叫びそうになったエミルにだったが、シルシィの顔見て、冗談を言っている風でもなさそうだったので、何とか言葉を飲み込んだ。
確かに、ゲームの設定上魔王達は、四百年の間アリアスティを居城にしていた。
しかし、ただの人間であるエミルが四百年も生きられるはずがない。最早、エミルの理解の範疇を超えていた。逆に自分の頭の方がおかしくなっているではないかとさえ思えてくる程だ。
エミルは必死に思案する。今の状況を整理すると自宅で寝ていたら、何故かアリアスティにいて、ゲームのキャラクターであるはずの、シルシィと会話をしている。つまり、ゲームの世界に自分が入り込んでしまったのか、この世界、つまり地球が、もしくは日本が、ゲームの世界になったのか……今考えられる可能性はこれくらいだろうか。
そうしてエミルが思案をしていると、シルシィが不安そうに尋ねた。
「エミル様、何かございましたか? いつもとご様子が異なるようですが……」
エミルはそれには答えなかった。代わりに疑問を投げかけた。
「今更だが、何故お前は俺の名前を知っているのだ?」
エミルは、信じられないことが目の前で起こっていたため、その小さな違和感に今まで気づくことができなかったのである。
「貴方様御自らが名乗られたからです」
「そんな覚えはないが、いつだ?」
「四〇〇年程前です」
「またそれか……四百年前に何があった?」
「アリアスティが造られ、わたくし達が生まれました。それ以上のことは、わたくしは存じ上げません」
エミルは、そうかと落胆気味に呟き、シルシィはこの異変に関しては何も知らないのだと結論付けた。
「四〇〇年の間、俺とお前は一緒だったということか?」
「はい」
そこまで話し、エミルは、信じたくないからか、今まで考えないようにしていたことに目を向ける。
今、自分が着ている真っ黒の服――
これはエミルが考えた魔王の服装だ。つまりは……
ずっと違和感は感じていたはずだったのだ。エミルの身長は百七十センチ程度であるが、今は、普段のエミルの視点よりも高く、察するに、百九十センチ前後はあるだろう。
ゆっくり深呼吸をしたエミルは、答え合わせをしようとする。
「シルシィ、魔王は今どこにいる?」
シルシィは一瞬、はっとした表情をしたが、妙に仰々しい素振りで手を胸に当てながら言った。
「御前にございます。わたくし達の魔王は貴方様以外にございません。」
判っていたことではあるが、このようにはっきりと言われてしまうと、エミルには、どうすれば良いのか見当も付かない。真夜中の森の中へ放り込まれたような気分であろう。考えてもどうしようもないので、エミルは考えることを放棄した。エミルは、立ってくれとシルシィに言った後、取り敢えず自分の姿を確認しようと、部屋の鏡の前へ行った。
「うおおおお! 何このダンディーさ! 渋い! 何これ!」
何かが弾け飛んだのか、エミルはおかしなテンションになっている。
勿論、魔王を造ったのもエミルなのでデザインは知っていたのだが、実際に目の前にすると、その端正で渋みのある顔立ちは、荘厳さを感じさせる。
髪は黒髪ロングで、その長髪を後ろで束ねてポニーテールにしている。前髪は、赤く冴えた鋭い瞳に、かからない程度だったが、左右端だけは頬を伝うように長く、垂れ下がっている。体は、日々のトレーニングの結果作り上げられたスポーツ選手のように、固く引き締まった筋肉をしており、、服の上からもそのたくましさが伝わってくる。
「この世にエミル様より美しい者などおりません」
後ろの方に立ったシルシィは、恍惚としたような表情ででそう賛美した。
しばらくの間、様々なポーズを取り、様々な角度から自分を眺めていたが、突然思い出したかのように言葉を発する。
「ところで下界は今どうなっている?」
「申し訳ございません。わたくしは下界に降りたことがございませんので、解り兼ねます。しかし、それならば――」
ここで一旦言葉を切り、妬ましそうに言う。
「カエデにお訊きになれば宜しいのではないでしょうか」
「何故だ?」
「エミル様は、カエデを連れて時折、下界に降りられていたではありませんか」
「あ、ああ、そうだったな。」
全く身に覚えがないエミルだったが、取り敢えず話を合わせた。図らずも、魔王になってしまった以上は、当面、それなりの振る舞いをするしかないと判断したのだ。
「カエデを呼びましょうか?」
「そうだな」
先ほどから良く話に出てくるカエデがどのような人物なのかは、エミルの知る由もないないが、何かを知っている可能性が高いと判断し、即断した。
「畏まりました。では――」
「――待て」
カエデを呼び出そうとしたシルシィをエミルは制止した。
(話も訊きたいが、まずは自分の目で確かめた方が良いな……)
「これから下界に降りる。状況によっては長くなるかも知れない。話は道中で訊くとしよう。お前もついて来い」
その言葉を受けシルシィは目を爛々と輝かせた。今にも踊りだしそうといった雰囲気であった。
「わたくしも同行して宜しいのですか!」
「ああ」
嬉しそうだったシルシィだったが、途端に不安気な表情に変わる。
「ですが、失礼ながら、先程から平時のエミル様とは異なるご様子ですし、もう少しお休みになられた方が宜しいのではないでしょうか」
「いや、さっきまでは少し寝ぼけていただけだ。問題ない」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ。何の問題ない。それより早く準備をするんだ」
「畏まりました!」
そう言ってシルシィは、疾風の如く、ドレスルームへ駆け込んでいった。先程の不安気な表情と打って変わって、今度は満面の笑みであった。エミル様と~ふんふんと鼻歌交じりに準備をしている。
その様子を見て、四百年も城の中にいたのだから、外に出られることがよっぽど嬉しいのだろう、とエミルは思った。
四百年の間同じところにずっといるということは、エミルにとっては想像もつかないことだ。人間の寿命が長くても精々百年かそこらである。その間に沢山の経験をするわけだが、その四倍の時をここのみで暮らすというのは一体どのような気持ちなのだろうか。それを想像して、エミルは背筋が寒くなった。
「準備ができたら城壁まで来い」
そう言い残してエミルはシルシィの部屋を後にする。
「しゅ、出立の準備はこちらに……あります」
部屋を出た途端に、いつからいたのか、少女がおどおどとした様子でエミルに声をかけた。
その少女は、一二〇センチ程の背丈をしており、見た目の通り声も幼かった。容姿は十二歳前後程のあどけなさが残る顔立ちで、頭には動物の耳が、殿部には尻尾が生えていた。また、秋を感じさせる綺麗な紅葉色の髪をしており、楓を連想させる。
(この子がカエデか? メイド服も着ているし……)
「ご苦労、ではお前も一緒に来い」
「は、はい」