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エッチな、Hな話

中国によるホロコースト

作者: 天本有泉

残虐な記述があるかもとしれませんが、あえてR15にはしません。

中国が行ってきた残虐な行為を注視してください。

中国という、とんでもない国が近隣に存在していることそのものが、

日本人にとっては脅威なのです。

いつなんどき、ドイツがユダヤ人に対して行ったような、ホロコーストが、中国人が日本人に対して行うかわかりませんから。

中国人は、すでにチベット人に対して行っています。

日本人に対してやらないという保証は全くありません。いや、むしろ、やると考えた方が合理的です。


20XX年1月

中華人民共和国の、中国共産党の軍隊は、日本の領土である、沖縄県尖閣諸島へ軍事侵攻をし、事実上、制圧した。

日本政府は、問題先送りと、内閣の責任回避に始終し、なんの解決策も示されず、あっさりと中国の侵攻を黙認した。

そして、国民には、「冷静に対処せよ」「ただちに問題はない」と呼びかけるだけだった。


20XX年2月

味をしめた中国は、今度は、沖縄県の那覇市などがある本島に上陸を開始した。

アメリカ軍とは、日本の政府の知らない間に、密約を結んでいた。

アメリカ軍が、沖縄の基地を自由にしようできることを中国政府は認める代わりに、中国軍の行為を黙認することだ。

沖縄の基地問題をめぐって、しばしば日本政府と、いさかいになることにアメリカ軍は、嫌気と面倒くささを感じていたわけだ。

中国軍が制圧してしまえば、沖縄基地をこれまで以上に自由に使用できるわけだ。

アメリカ軍は、当初から、日本の国土防衛などに興味はない。沖縄は、ベトナム戦争や、イラク、イラン戦争へ向けての、基地なのだ。


またしても、日本政府は、沖縄を見捨てたわけだ。

沖縄人は、アメリカ軍の基地拡張や、中国軍の支配下に入り、中国人の移住計画のため、ゲットーという、那覇の郊外にある、狭い居住区に強制移住させられることになった。


ゲットーにおいては、常識のように、ホロコーストが行われた。

中国人においては、日本人=悪、悪=滅亡させるもの、滅亡させる=ホロコースト=大量虐殺

だ。

これは、中国の教育が悪い。愛国教育に名を借りた、洗脳教育だ。


中国では教師のマニュアル書である「中国歴史・教師用指導書」というものが存在しており、そこには歴史教育について次のように日本を恨むように子供の感情に訴える指導がなされている。

『南京大虐殺』については「残虐性と野蛮性を暴露せよ」「教師は日本軍の残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませて、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」「南京大虐殺の時間的経過と人数を生徒に覚えさせよ」

教科書記載例 甲午農民戦争のとき、日本の軍隊は旅順で、住民をひとまとめに縛りつけて撃ち殺した。酷い時は体を刀で切り刻んだり、皮を剥いだりした。

中国側首脳が言及する日中戦争の「犠牲者数」「虐殺被害者数」は戦後一貫して増加し続けており、これを反日プロパガンダと看做す意見もある。


こんな教育をされていたんじゃ、たまったものじゃない。

日本人は、中国人に虐殺されても、当然だとされるわけだ。

現在の対日暴動をみよ。日本に対するホロコースト以外のなにものでもないのだ。


中国人は、チベット人に対して、なにをしたか。

■中国共産党のチベット侵略戦争

 1950年10月7日、中共軍がチベット東部へと侵略戦争を開始した。チベット国境警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な中共軍を相手に退却を余儀なくされた。

 そもそも中共軍は100万の軍勢を有している一方で、チベット軍は8500人に過ぎない。始めから軍事力による勝敗は見えていた。1951年5月、北京でチベットと中国との交渉が行われた。チベットから北京に派遣された代表2人は交渉に赴いただけで、チベット政府から条約を締結する権利を与えられていなかった。だが中共の脅迫により強引に署名させられてしまった。こうして1951年5月23日、チベットの平和解放に関する十七か条協定が締結された。

■チベットが中華人民共和国の支配下に入ると早速チベット人と中国人の摩擦が激化した。当時人口7万人のラサに2万人以上の人民解放軍が進駐し、ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、瞬く間に食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃した。チベットと中国を結ぶ道路建設には大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられ、数千人の命が奪われた。また、中国共産党はチベットの青少年に、チベットの宗教、文化、習慣を侮辱し、共産党を賛美する教育を強制した。

 チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳らと会談した。このときダライラマ法王は一筋の希望を見出し、中国との協調も本気で考えるようになったという。だがその後にチベットでは、人類がかつて経験したことがないような悲劇に直面するようになる。

■チベットへの弾圧強化

中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪した。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用しよう。

「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。

 貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」

■ラサ動乱とダライラマ法王の亡命

1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。その際、警備をつけないようにという注文をつけた。法王が拉致されるのではないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。1959年3月10日、3万人のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、人々は口々に「チベットに独立を、中国人は帰れ」とシュプレヒコールを叫んだ。法王は観劇への出席を取りやめることにしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。これに対し中国共産党は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。3月16日、ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、インドへ亡命した。

3月19日、ついに悲劇は起きた。中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が虐殺されたのであった。3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、チベット自治区準備委員会に統治されることとなったのである。(チベット自治区は1965年に発足した)

その後も中国共産党による残虐行為は絶え間なく続いた。1959年4月には「民主改革」運動が行われ、ありとあらゆるチベット人が摘発の対象となった。多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。比較的軽いものでも数ヶ月間の洗脳教育を受けさせられた。以下はダライラマ法王が難民からの報告をもとにまとめたものである。

「彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、はりつけにされたり、生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死されたものもあった。絞め殺されたり、首をつって殺されたり、熱湯によるやけどで殺された。また、あるものは生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首をきられたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。村人たちはそれを見物するように強制された。自分の家族のものが強制されて見ているその目の前で、ゆっくりと殺されていったのである。さらに小さな子供たちは、その両親を射殺するように強制された」

■文化大革命

1966年5月にはチベットにも文化大革命の嵐が吹き荒れた。8月には紅衛兵の数は1万人に達し、最盛時には十数万に達した。紅衛兵は「四旧」を打破し、「四新」を建設しようというスローガンの名のもとに、数少なくなったチベットの寺院、文化施設を徹底的に破壊し、通りの名称を変更し、個人の家に入り込んで祭壇や民俗家具などをかたっぱしから壊しまわった。民族衣装を着ることもペットを飼うことも屋上で香をたくことも、伝統の模様を描くことも全て禁止された。宗教文献、写本、彫像などはあとかたもなく破壊された。チベット語も弾圧の対象となり、会話以外ではありとあらゆるチベット語の書物、教科書、が廃棄された。チベット語で印刷されたものといえば毛沢東語録と共産党の宣伝文書ぐらいになってしまった。全ての僧侶は「反動分子」として扱われ、罪名を書いた板を首かけられ、市内を引き回された。チベットのありとあらゆるものが破壊された大混乱の10年間であった。

■総括

1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行為は大幅に緩和された。しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった(それとて全く被害がなかったわけではない)。虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。(中共侵略前のチベットは貧しくはあったが、その歴史において飢餓を経験したことがなかった)。

■今でも続く弾圧、文化破壊

改革開放以来、大規模な殺戮はなくなったし、仏教を信仰することも可能になったし、破壊された寺院の再建や修復も進んでいる。それでもチベット人に対する弾圧は依然として続いている。

1989年にはラサでチベット人による大規模なデモが行われ、これに対し中共軍が数百人のチベット人を虐殺している(そのときのチベット自治区の共産党書記は胡錦濤である)。現在でも数千人が政治犯として収容されていると言われている。ダライラマの写真やチベットの国旗を所持しているだけですぐさま摘発の対象となるほど自由は制限されている。ほかにも子供たちにダライラマ法王の写真を踏み絵さたり、中国共産党のイデオロギー教育を行うなど前近代的な植民地支配が継続されている。2006年10月にヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命しようとしていたチベット人を人民解放軍が射殺した映像が世界に流れたのは記憶に新しい。

1995年には即位したばかりのパンチェンラマ11世を拉致監禁し、別のパンチェンラマをたてるという暴挙に出た。拉致されたゲンドゥン・チューキ・ニマ少年は当時6歳で、世界最年少の政治犯となった。ダライラマ法王は亡命から48年間、一度も祖国への帰還を果たしていない。

中国共産党は半世紀以上にわたる残虐行為を認めないどころか、「かつてのチベットは5%の僧侶及び貴族、地主が、95%の奴隷を搾取していたが、中国共産党がチベットを平和解放し、チベットに幸福を繁栄をもたらした」などというまるで幼児向けのアニメみたいなストーリーを「歴史」として宣伝しているのだから開いた口が塞がらない。当然ダライラマ14世のことは分裂主義者、仏教秩序の破壊者として悪者扱いである(ダライラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している)

近年特に深刻なのは大量の中国人がチベットに入植していることである。もともとチベットの一部分であった青海省は今や中国人が多数派となっている。チベット自治区では今でもチベット人が多数派であるが、2006年7月の鉄道開通によって今後は自治区内にも大量の中国人が入植することが予想される。大規模な虐殺や破壊はなくなったが、今でも中国共産党によるチベット文化の破壊は着々と進んでいる。50年代から70年代にかけてチベット文化は徹底的に破壊されたが、さらに80年代にかけてチベットの中国化が強化されている。ラサ市街は今や社会主義国らしい地味な5階建てのコンクリート建築が並び、チベットらしさが失われてしまった。道路には北京路、福建路、解放路などの中国的な名称がつけられている。

今回は「中国共産党の犯罪」という連載記事の一部としてチベット問題を取り上げた。なるべく多くの方に読んでもらうためにも、あまり長文になり過ぎないように、中共のチベット侵略史をコンパクトにまとめるよう努めたつもりであるが、凝縮しすぎたために、十分には伝えきれていないかもしれない。にも拘らず字数は4500字を超えている。中共のチベットへの残虐行為がいかに膨大なものかを示しているといえよう。


チベットを沖縄と置き換えてくれ。

あまりにも、あまりなので、とても、作者として、できなかった。

これは、中国がチベットに対して、行ったことなのだ。


こんな野蛮な国が、こんな近隣に存在していいのだろうか?

我々の取るべき道は、2つにひとつ。

中国に支配される前に、日本から逃げ出すか、中国と戦うかだ。










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