私の場所(下)
家の鍵をかけて、階段に向かい階段を上る。四階・・・・五階・・・・六階・・・・七階・・・・八階からは壁の色がオレンジから灰色に変わる。その先も延々と階段を上り続けた。息が上がり、同じ壁、同じ階段が延々と続く為、精神的にも疲れてきた頃ぷっつりと階段が切れた。はあはあと息を切らしながら廊下を歩くと、開けた庭園が目の前に現れる。このマンションには八階と十六階に子供が遊ぶように庭園が設けられている。しかし、一年ほど前に幼児の転落事故があった為、今では南京錠で入り口は硬く閉ざされている。しかし、その網のドアは中学生がよじ登れないほどではないので、中学一年生の頃にはよく悲しい気持ちになったときに来ていたのだが、一度管理人さんに見つかってこっぴどくしかられて以来ここには来ていない。期間的に言うと半年近くになる。
金網に指を通し、数回揺らして容易には壊れないことを確認する。そして、背伸びをして高いところの網目に指を絡ませて、右足を南京錠をかけてあるところに足をかけ、一気によじ登った。ドアの向こう側には整備された芝生と木製の椅子が二つのみで、他に特に何も無い開けた空間だ。一応、という感じで、私の肩位の金網フェンスが備え付けられている。
フェンスに近寄り金網に指を絡ませる。春の匂いを含んだ風の代わりに夏の匂いを含んだ風が吹き始めても、やはりまだ夕方だと風が冷たく感じる。ここへ来るときにはエレベーターを使わないのがミソ。良い感じにつかれると妙な開放感がでてくるのだ。
赤く染まる町を見下ろしながらいろいろなことを考えた。これからのこと、いろいろな意味でだ。洋子のことに受験のこと、弓子のこと、登校拒否児になった私を父がどう思うか。もしくは私が学校でいじめられていたことを知ったときどんな顔をするか。本当にいろんなことを考えた。でも、それら全てが目の前の赤く染まる町の中にゆっくりとゆっくりと解けて行き、そのうちに消えていった。
目をつむり、瞑想をする。実際にしたことはないし、してる人間も見たことが無いが気分だけそんな気分に浸る。心のドアを開け放ち全てを取り込む。不幸、悲しみ、不安、理想に現実。それら全てを集め、一つ一つ丁寧にちぎって「無」に換える。
何分経っただろうか。しばらくして目を開け、決意を固めた。明日洋子に謝ろう。こんなちっぽけな理由で友情が儚く崩れ去ってしまうなんておかしな話だ、きちんと話し合って謝れば洋子だって許してくれるはずだ。知り合ったのは中学生になってからだから、たった一年間の付き合いだが、大切な友達に違いはない。
気が付くと、もう空は夜の準備に取り掛かっていた。最後に町を見下ろして帰ろうと思い、ふと下を見ると八階の庭園にも人がいた。顔ははっきりと見えないが同い年くらいだろう。目をしっかり開けてみていたつもりだが、突然ふっ・・・っと、その人は消えてしまった。その瞬間ヒューと木枯らしが吹き、背筋がぞーっとなった。
なんだか怖くなったので、来たときと同じ手順でさっさとフェンスをよじ登ってエレベーターホールに駆け込んでいった。