私の場所(上)
からっぽの脳で家までフラフラ歩いた。と言ってもほんの数分の距離なのだが。オートロックのドアを鍵で開け、珍しくエレベーターで三階に昇ることにした。ボタンを押しエレベーターを呼んで、一階にエレベーターが来るまでの時間が私は嫌いだ。この空白の時間が無性にもったいない気がする。数分待ってやっと来たエレベーターに乗り「3」のボタンを押した。三階まで昇るのはあっという間だった。エレベーターを待つ時間などを差し引きするとやっぱり階段の方が早いなと思ったが、階段を上っている途中で洋子に出会うのは避けたかった。
家の冷たい玄関のドアの鍵を差込み、捻る。ドアを開けて空っぽの家に「ただいま」と呟く。返事はかえってこないのを知りながら毎度やってしまう。自分の部屋に入りカバンをその辺に放り、ベットの上に崩れ落ちる。ポケットを探り、今さっきの手紙を取り出した。
ベットの上に仰向けになり手紙を天井にかざし、短い文面をしっかり咀嚼するようにゆっくり読む。
「いい加減。どんな人間にも良い顔をするあなたに愛想が尽きました。しかも、他人の秘密を軽々しく話す。近い内にあなたは空気になります。もう学校なんて来ないでね」
みぞおちの辺りが軋む。胸にポッカリ開いた穴を風がひゅうひゅう通り抜ける。また、元の通り手紙をたたみ直してポケットの中に入れた。
給食の時間からHRの時間まで記憶の中を探し回っても見つからなかった宝のありかが分かった。初めから自分自身のポケットの中に自分で入れていたのだ。初めから持ってるものをいくら探しても見つかるはずがないのに私は一生懸命探していた。今朝洋子に無視されたときから感付いていたが見て見ぬ振りをしていた。いや、もっと深く言えば洋子の秘密を橋本弓子に話したときからいつかこうなるとは思っていた。しかし、そのいつかがこんなにも早く訪れるとは。
橋本弓子とは、同じ学年の洋子と同じクラスの女子だ。陽気でおしゃべりで、物事への考えがいつだって軽々しい。そんな弓子に洋子の秘密を話してしまったことは大誤算だと、話してしまった日から思っていた。洋子の秘密とは、三ヶ月ほど付き合っている彼氏とHしたことだ。別になんてことのない話だ。人間が生きていく過程の中での絶対必要な行為。そんなちっぽけなことを橋本弓子に話しただけで洋子は私をつまはじきにしようと目論んでいるのだ。
ニ三日前の話になる。私は駅ビルに参考書を買いに行って、たまたま弓子に会った。そして、流れで一緒にマックに言ったのだが弓子は本当に良く喋る子だった。詳しい経緯は忘れたが、何かの弾みで洋子の話になって、弓子が「なにかよーこの秘密とか栞知らないの? 」
っと、聞かれたので思わず言ってしまった。「うっそ」っと赤縁の眼鏡の奥で大きく見開いていた。すぐにヤバイと判断した私は「ウソウソ。噂だからこの話しには確証はないよ」っと慌てて付け加えたのだが結果的に最悪のパターンになってしまった。大方面白半分でこの噂が本当か嘘か洋子本人に直接聞いたのだろう。本当に物の考えが軽い。
ベットから身を起こしてベットの縁に腰をかける。「なぜ? 」という疑問は頭の隅の方にしっかり根を下ろした代わりに、「どうしよう」という戸惑いがさっきから頭の中を右往左往している。一週間もすれば今まで通りに私と接する人間は半分に減ってしまう程、洋子の勢力はデカイ。よからぬ妄想が浮かんでは弾け、浮かんでは弾けを繰り返した。終いには「トウコウキョヒ」なんて情け無い言葉まで浮かんだ。ダメだダメだ、と頭を振って立ち上がった。