▼サクラは人間としての威厳を失った
町を見つめるユキの視線の先。具体的に言うと城から5キロ程度離れた場所で、サクラとカエサルは馬から降りて休憩していた。
というか、休憩せざるを得なかった。
「うええええええ……ぎ、ぎぼぢわるい」
「馬が苦手なら、早くそう言えばいいものを……」
茂みにて、本日二度目のリバースを果たすサクラ。やれやれ、と呆れた表情で背中をさすってやるカエサル。無様にしゃがみこんでいる人間二人を、いささか軽蔑した目で見つめる馬。
「う、馬が苦手なんじゃないべ。乗り物が苦手なんだ!」
「馬は乗り物にカウントされるのか?」
「うるさいやい!」
と、言ったところでまた吐き気がこみ上げたらしく、青い顔で口元を押さえる。カエサルは、深い憐みを込めた視線をサクラに送った。あらかじめ背負っていたリュックの中から、水筒を取り出して差し出す。何故か拒否するサクラ。
「へっ。武士に情けはいらねえべ……」
「馬鹿なこと言ってないで飲め」
あっさり一蹴されて、無理やり水を飲まされるサクラ。気管に水が入って死にかけたり何なりしたが、先ほどよりは気持ち悪さが抜け、多少はすっきりした。
気分が良くなったサクラは、ふと、カエサルの背負っているリュックを見つめる。そして突然に眉間にしわを寄せ「おまえ……!」と怒りをあらわにした。
「荷物を持って来ちゃったべか!」
剣幕に押され、ちょっと後ずさったカエサル。三白眼をきょろきょろさせながら、おずおずと頷いた。はぁあああああ、と盛大な溜息をつくサクラ。
「はあ……だから言ったべ。荷物を抱えてたら遠くに行けないと……オラが!」
「お前がかよ! 馬じゃねえのかよ!」
「うっせえ! 揺れが激しくなるんだべ!」
「逆ギレすんな! だいたい、これは必要最低限の物だけだぞ!」
「最低限でも、荷物は荷物だべ!」
「理不尽も甚だしいぞ、貴様!」
よくわからないうちに勃発した争いは、白熱を極めた。言論は昨日の晩御飯からタイ焼きの頭か尻尾かという話に発展し、コンビニ肉まんのべちょべちょに対する怒りとなった。おそらく、二人ともお腹がすいていると思われる。
これらの不毛な応酬は、ブルータスの「人間なんてこの程度か」と言わんばかりのいななき(嘲りとも言う)で終末を迎える。ぶひん、という三文字に込められた威力は計り知れない。
「……う、馬に馬鹿にされた」
ブルータスのいななきに、ややショックを受けるサクラ。もっとショックを受けたのは愛馬に馬鹿にされたカエサルであろうが、男としての威厳で衝撃を押し殺す。涙ぐましい男である。
気を取り直して、サクラはごほん、と咳払いをする。ちょっと気まずそうに目線をそらした。
「オラ、ちょっと言い過ぎたかも」
「……私も、そう思う。ピザまんの怒りを貴様にぶつけるべきではなかったな」
「オラも、からあげチャンに対するクレームはファザリーマートにすべきだったと思う……ごめんなさい」
「……すみませんでした」
和解。まるで子供の喧嘩だったなあ、と謝りながらサクラは思った。
さて、喧嘩も収まったところで一行は再び町に向かって馬を走らせることとなった。しかし、ここで問題が再び浮上する。肉まんのべちょべちょなんか比にならない、深刻な事態である。
ブルータスが背中に乗せてくれなくなった。
まず、「はっはっは。じゃあ、さっそく町に向かおうか!」と仲直りに気分を良くしたサクラが馬に近寄った。ら、鼻づらを押し付けられて拒否される。
「はっはっは。貴様も嫌われたもんだなあ」と仲直りに気分を良くしたカエサルが馬に近寄った。ら、足蹴にされて拒否される。
馬に蹴られて死んでしまうところだったカエサル。しばらく茫然とした後、ハッと何かを悟る。サクラと肩を寄せ合い、深刻な顔でこそこそと囁き合った。
「こ、これは……」
「ま、まさか……」
馬に見下されている!?
そう。二人は自らの浅はかな行動により、ブルータスよりすっかり軽視されていた。馬の大きな瞳に溢れんばかりの嘲笑。しゃんと耳を立て、彼らをじっと見下ろしている。その様子から察するに、彼らの人間としての威厳はすべて失われたっぽい。
「……ど、どうするべ。ブルータスのあの顔、絶対にオラ達を乗せる気がないべよ!」
「むしろ、『俺を背中に乗せていけ』という表情をしているぞ」
そんな具体的な顔をする馬はいない。
ううん、と腕組みをするサクラ。このままでは、歩いて町に向かうことになってしまう。ここから徒歩だなんて、アイシールド21とかでないと到着前に日が暮れてしまうだろう。非常に困った。
ふと、自分の腰に巻かれた巾着袋に目を落とした。慌てて手を突っ込んで見ると、金平糖が一握り。……そうだ! 甘味で馬を手なずけよう!
手に持った金平糖をじゃらじゃらとさせながら、下卑た笑みで馬に近づくサクラ。金平糖の正体に気付いた途端、キラッと目を光らせるブルータス。うへへ、計画通りとサクラはさらに馬に近づいた。
「ほらほーら、ブルータスきゅぅぅん。金平糖だべよー」
「なっ……抜け駆けか、貴様! 私にもよこせ、そのコンペートーとやらを!」
「はははは。もうないべよー」
どうやら巾着袋に穴が開いていたらしく、袋の中はすっからかんになってしまった。帰ったらユキに縫わせないと、と胸の内で呟くサクラ。彼女の辞書には『自分でする』という言葉はない。そのかわり、『従者に押し付ける』という項目がびっしり並んでいる。
金平糖で買収したおかげか、ブルータスは背中にユキを乗せた。勝ち誇ったような顔でカエサルを見下ろし、ふふんと笑う。それを見てムキになって強引に馬にまたがろうとするカエサル。再び馬に蹴り飛ばされる。
「なぜ私がこんな仕打ちを……っ」
「はっはっは。ブルータスは既におまえの愛場ではなく、オラの愛馬だべ! こやつは糖分のしもべ、すなわちオラのしもべ!」
「そ、そんなわけないだろう、ブルータス!」
「…………」
沈黙のブルータス。それこそ、裏切られたカエサルのような顔をするカエサル。三白眼が、しゅん、と下を向いた。HAHAHAとサクラが笑う。
「きっと、荷物をいっぱい積んじゃったから怒ってるんだべよ。これはブルータスのささやかな復讐かもしれないべ!」
「三度も主人を蹴り殺そうとすることが、ささやかだとは到底思えない!」
馬に蹴られると割と本気で死ぬので、気をつけましょう。
そうだ、とサクラは口を開いた。思い付きだけで発言する王女様である。
「こんな時は土下座だべよ、土下座」
「ど、土下座……」
「土下座、それは最も素晴らしいの謝罪の姿勢! 自分の弱点である後頭部を相手に向け、そのうえ手まで相手の眼前にさらけ出すいう、無抵抗と誠意の表れ!
いつ殺されてもおかしくないその状態でなお許しを請うその姿は、馬の心さえも打つはずだべ!」
「な、なるほど……」
良くわからないうちに丸めこまれたカエサル。ううむ、と腕を組む。顎に手を当ててしばらく逡巡し、迷い、目を閉じ、唸り、それから何か決心したかのようにカッと目を見開いた。ざ、と一歩を踏み出し、膝をつく。
そして、土下座。文句のつけようがないほど清々しい、土下座。大の男が、馬に土下座。
傍で見ていたサクラが、うーん、と首をかしげ、頬を指でかく。
やらせた張本人が言うのもなんだけれど、とてつもなく悪いことしているみたいだべ……。
具体的な例で言うと、アリシアの第一王子を馬に向かって土下座させているような、そんな悪いことをしているような気分になった。
まあ、本当にそんなことをやったらアリシアの王子冒涜の罪で国が滅亡しちゃうな。サンリア武道の国だが、アリシアの軍事力には到底及ばないだろう。魔法で木っ端微塵にされても不思議ではない。
メラゾーマ! とか唱えられて、翌朝には焼け野原……なんちゃって!
えへ、と一人で笑うサクラ。何故か背中がうすら寒くなったのは、恐らく風のせいだろう。
そんな彼女の横で、恐る恐るブルータスの体に手をかけるカエサル。無事にまたがったところを見ると、ブルータスは彼を許したらしい。カエサルはほっとした表情を浮かべる。
「……それでは、今度こそ出発!」
「おう!」
二人と一頭が再び出発し、諸事情(主に食物逆流の問題)で足を止めたのは、それから数分後のことである。