▼サクラはカエサルとブルータスに出会った
隕石に当たって死ぬレベルの天文学的確率で、ユキの願いは成就された。
しかしこの場合、隕石に直撃されたのはユキではない。サクラである。
「ええっと……お前さんが、家出少年くん?」
サクラは馬の上から、叫び声の主を見下ろす。彼は全力で走ってきたのだろう、肩を大きく上下させ、壁に手をついて必死に息を整えようとしている。が、失敗したらしくごほごほと咳き込んだ。
とりあえず、喋れる状況ではなさそうなので待ってあげるサクラ。その間、なかなかいい身なりをしてるじゃないかと存分に男を観察していると、視線を感じたのか感じていなかったのか。男は顔をあげ、キッとサクラを睨みつけてきた。
「このっ……誰が、家出少年だ!」
「……失敬した、家出青年」
男の低い声は、少年のものとは言い難い。そう思って言いなおしたのだが、
「訂正すべきはそこじゃない!」
と厳しい反論をくらう。男の目がますますつり上がるのを見て、目つき悪ぅ、と失礼な事を考えるサクラ。ふわふわの髪や整った顔立ちなど、美術品と評するにふさわしいほど男の容姿は見目麗しいものだったが、ひどい三白眼がすべてをぶち壊しにしていた。ヤクザの若頭みたい、というのが第一印象である。
そんな無礼な事を考えられているとは全く知らない若頭、「おい!」とサクラに向かって怒声を浴びせた。
「おいおまえ、さっさと私の馬から降りろ!」
「そうか。タローはお前の愛馬なのか……」
「タっ……そいつは、ブルータスだ!」
なんだか主人を裏切りそうな名前だ、というのがサクラの感想だった。おそらく、この男の名前はカエサルだろう。
そんなことより、とサクラは馬の上から口を開いた。降りようという素振りまはったく見られない。
「ということは、この積み荷もお前さんのものだべな?」
この積み荷、というところでサクラは地面を指差す。サクラの指が荷物を指すのと、カエサルが「ああっ!」と叫ぶのは同時だった。
「何をするんだ、貴様!」
「何をするんだ、はこっちの台詞だべ!」
叫び返すサクラ。反論されるとは思っていなかったのか、少し気圧されて一歩下がるカエサル。そのすきに馬から飛び降りたサクラが、厳しい顔でカエサルに詰め寄った。
「馬の主人を名乗るぐらいなら、こんな大荷物を馬に背負わしたらいかんべよ!
足の関節を痛めたら、走れなくなるかもしれないんだべ!」
「そ、そうなのか?」
「言語道断、常識だべ!」
と、言っているが、これは昔、馬に大荷物を積んでサクラを叱った世蓮からの受け売りである。ずるい王女様だった。
「馬は人類の友、人を愛する前に馬を愛せと、かの偉大なる王女も言っている!」
「そんな格言、初めて聞いた……」
かの偉大なる王女はその場の勢いと思いつきで言ったのだから、当然である。しかし呆然とするカエサルを、調子に乗って「愚か者め!」と理不尽にも罵るサクラ。
「馬のことを気遣ってやれない奴が、人を気遣えるはずもない! 人を思いやれないお前はまさに、人間失格だべ!」
「くっ……俺が、太宰治だと……」
もう色々と筋違いな上、全くもって不条理な怒りを浴びせられたカエサル。しかしサクラの言葉に感銘をうけたのか、敗北するように地面に膝をついた。サクラの方はというと、本気でへこんだらしいカエサルを見て、ちょっと言い過ぎたかな、とかすかな後悔を抱いているところだった。俯いたままのカエサルが、ぼそり、と呟く。
「……三か月……」
「三か月?」
「私が、城からの脱走を計画していた時間だ……」
やはり、カエサルは家出少年もとい、家出青年だったらしい。顔を歪めてくしゃりと髪の毛を掴み、頭を抱えるカエサル。やっぱり言い過ぎたかも、と深刻なムードにうろたえるサクラ。
「地図を用意し、城壁を掘り、荷物を整え……三か月かけて綿密に計画していたのに。
三ヶ月間ものあいだ、ブルータスのことを気遣う必要に気付けなかっただなんて!」
「あ……いや、そんな深く考えることはないべ……たかが馬だべよ、馬」
「しかし馬は人類の友達だろ!」
そんなあほな事を言った三分前の自分死ね! とサクラは心の中で叫んだ。
「ああ……私はなんて罪深い人間なんだろうか……」
どんどん落ち込んでいくカエサル。サクラは、おそらく彼より罪深い文化・馬刺しについて話してあげようと思ったが、馬刺しに対する偏見を育ててしまうのを恐れて口をつぐんだ。サクラは馬刺しが大好きだった。
誤魔化すかのように、「ええっと……」と視線をさまよわせる。彼女の救世主になったのは、地面に転がる荷物だった。
「そ、そう言えば! なんで家出なんかしようと思ったんだべか?」
「そうだ! そもそも、それがいけないんだ!」
サクラの一声を聞いた途端、がばっと顔をあげるカエサル。予想外の食らい付きに、今度はサクラが一歩後退する番だった。彼女の中で、カエサルが目つき以外にも残念な男として降格していく。
全力で戸惑うサクラに近寄り、「聞いてくれ!」と両肩を掴む。カエサルはそれなりに長身な男性だっため、それなりに小柄な少女であるサクラは怖かった。自分より体躯の大きい男から詰め寄られるというのは、中々に恐怖を覚える。
コクコクコク、と頷いたサクラに、男はとうとうと語り始めた。
「実はだな、昔から私は視察ぐらいにしか城の外に出たことがない!」
「へー」
「…………」
「それだけ?」
「私としては、お前のリアクションの方がそれだけ? なんだが……」
サクラは王女として城に囲われてはいたが、別に退屈ではなかった。ときどき城を抜け出して城下に遊びに行ったりもするが、たいていの娯楽は城の中にある。馬も本も道場も、遊び相手であるユキや兄弟たちも城には居た。故に、城の外に出られないからという彼の言い分には共感できない。
「わ、私はジャンクフードなるものも食べたことがない!」
「オラも食べたことなーい」
王族や貴族にとっては、どれも当たり前のことだ。こいつはとんだ甘ちゃんかな、とサクラが思いかけていた折のことだった。
「私は、街で遊んだこともないんだぞ!」
「そ、それはもったいない!」
共感ゲージが振り切れた。なんてことだ! とサクラは再度、声を張り上げる。そして、まだ見ぬ彼の両親の過保護っぷりに憤った。
「街には子供を成長させる、いろいろなものがあるというのに! それを自分の過保護ゆえに遠ざけるとは、許しがたいことだべ!」
サクラの脳裏には、祖国の街で学んだことが走馬灯のように駆け巡っていた。活気のある人々、ぴかぴかの服が並ぶ店、焦げたソースの臭いのする屋台。でこぼことした町並みに、路地裏のわくわくするようなツタの匂い。そして、闘鶏場で知ったギャンブルの甘さとしょっぱさ……。
それらを想像したこともないだろう、目の前の男が急に可哀想になってきた。そして、このあわれな貴族の息子に、街で遊ぶ楽しみを教えてやらねばという使命感が俄然湧いてきた。よし、と一人で握り拳を作る。
「よし、カエサル。オラの後ろに乗れ!」
「カエっ……って、なんでお前が仕切っているんだ! だいたい、私はまだ家出の途中で……」
反論しようとするカエサルの目の前で、ちっちっち、と指を振るサクラ。わけ知り顔で、ふふんと鼻を鳴らす。
「だいたい、あんな荷物を抱えてたら遠くに行けないべよ。まずは街に潜伏して荷物を調達し、馬車を借りて遠くに行くのが吉! だべ」
「ほほう、まるで経験があるような口ぶりだな」
感心するカエサルを尻目に、ブルータスに近寄り鞍に足をかけるサクラ。荷物から解放してやったおかげで信頼を勝ち取っていたサクラは、馬の反撃などもなく腰を据える。それを見て、なんとなく不満そうな顔をするカエサル。反撃を受けたことがあると思われた。
「さあ、オラの後ろに!」
「なんでだよ……普通は私が前だろう……」
ぶつぶつ言いながらも鞍に足をかける。が、いななきと共に馬が体を震わせ、カエサルは振り落とされた。地面に落とされて驚いていたカエサルだったが、反応は早かった。
「な、何をするんだブルータス!」
「…………」
不機嫌そうにそっぽを向くブルータス。まあまあまあ、とサクラは美しい縦髪をなでてなだめる。
「乗せてあげてもいいじゃないべか。ねっ!」
「…………ヒン」仕方ねえか、と言わんばかりの目でカエサルを見下ろすブルータス。
鞍に足をかけ、サクラの後ろにまたがったカエサルが呟く。
「納得がいかない……」
「それより、しっかりつかまってるべ! 振り落とされんなべよ!
はいヤー、すすめ!」
サクラのかけ声とともに、前足をあげて大きくいななくブルータス。突然の揺れに驚き、「うわっ!」とサクラに慌ててしがみつくカエサル。サクラの笑い声と、地面を蹴る軽やかな馬蹄の音を響かせながらも、二人と一頭の姿はどんどん城壁から遠ざかって行った。
ちなみに、サクラが後ろに乗せたその男。
金髪碧眼だった。