★サクラとユキは王様に謁見した
「サクラコ・トウドウ。ユキ・アズマ。遠い国から、よくぞ来てくれました」
広く豪奢な謁見室。威厳をたたえた壮年の男性――アリシア国の国王は、その最深部に立ち、やわらかく微笑みかけてきた。
ずらりと並べられた護衛兵たち。豪華なシャンデリア。ふかふかの赤いカーペット。
その中心に片膝をついたユキは、完全に委縮していた。
「は、はじめてお目にかかります。サクラコ・トウドウでございましゅ」
噛んだ。緊張のあまり、自己紹介で噛んでしまった。緊張で紅潮させている頬を、さらに赤く染めるユキ。見た目こそたおやかだが、内心は阿鼻叫喚の大騒ぎだった。
うわあああああああああああ噛んじゃった、噛んじゃったよぉおおおお! 助けてヒィさまアああああ!
若干涙目になりながら自分の後ろに控えるサクラを盗み見る。
「はっ、はじめてお目にかか……くくっ、従者のユキ・アズマです……ぷッ」
サクラは肩を震わせていた。大爆笑である。場所が場所でなかったら、声高々に笑い転げていたであろう。必死に深呼吸しながら、彼女は湧き上がる笑いを押さえていた。
ユキの顔は真っ赤で、そのくせ唇はぶるぶる震えていて、目はきょろきょろとしている。おまけに噛んだ。国王の前で。半泣きである。これが笑わずにいられるか、とばかりにサクラは笑っていた。
こんな状況を引き起こした本人であるオラが言うのもなんだが、ユキにも悪いとも思うが、それでもやっぱり。
おーもーしーれー!
……とか、思ってるんだろうな、ヒィさまは。
長年彼女につき添っていたユキは、自分の主人の考えることが手に取るようにわかった。なんだか、一人でパニックになっている自分がアホらしくなってくる。そうなると、ユキの緊張も少しずつ和らいできた。思わぬサクラ効果である。
「まあ、息子の妃選びもそんなに長くはかからないでしょう。それまでの間、どうぞごゆっくりしてください」
「は、はい。光栄です」
王との短いやりとりが終わると、ユキは逃げるようにいそいそと謁見室を退場する。もちろん礼儀をわきまえて走りだしたりなどしなかったが、周りに誰もいなかったなら、なりふり構わず全力疾走していただろう。ユキは恥を知っている人間だった。
「いやー、緊張したべなぁ」
対して恥を知らないサクラは、ぬけぬけと言い放つ。ユキが恨みがましそうに睨むと、先程の光景を思い出したのか再び噴き出した。頭を抱えるユキ。
二人の入れ替わりに気付く者がいなかったのは幸いというべきか、不幸というべきか。とにかく、サクラとユキは入れ替わった。もう、『オラはやっぱり、きちんと王女をするよ。えへ★』とか言えなくなってしまった。ユキはその言葉をずっと待ち焦がれていたのだが、想いが報われることはなく。あれよあれよという間に、王様との謁見は終了した。
「では、サクラコ様。お部屋の方にご案内させていただきます、アレン・ベレスフォードと申します」
二人の前に、若い赤毛の騎士が歩み出る。先程、馬車へとサクラたちを迎えに来た男だ。甘い声に、白い歯を輝かせたさわやかな印象のハンサム。
年頃の娘であるサクラはすこし胸をときめかしたが、彼はまっすぐユキの方に微笑んでいる。サクラの方には、ちらりとも視線を寄こさない。
「では、アレンさん。よろしくお願いしますね」
緊張が解けたせいか、幾分か表情が和らいだユキ。にっこりと笑い返すと、アレンは何故か顔を赤らめた。
「…………」
おもしろくないサクラ。ぶう、と頬を後ろで膨らませた。
くそう、まさかユキがこんなに男受けするなんて。オラだってこんなハンサムに顔を赤くされたことがないのに。悔しい。
「それでは、お部屋にご案内させていただきます。こちらへどうぞ」
ユキは楚々として、サクラはふくれっ面をしてアレンの後ろを追う。いつもはエスコートされる側だったサクラにとっては、この扱いは新鮮であり不満であった。強引に入れ替わったくせに、不平不満を垂れ流している。サクラは王女ゆえ、我儘な気質だった。
もっとも、一番不平不満を垂れ流したいのは、恐らくユキの方だと思うが。
「なるべく小さな部屋がいいのですが。あまり立派な部屋だと、恐縮してしまいます」
妙に板についてきた女言葉で、ユキがアレンに尋ねる。アレンはすこし困った顔をして、ううん、と唸った。
「城の者に申しつければお好きな客間に移ることもできますが、今日のところはこちらでご用意させて頂いた部屋で……」
「す、すいません。急な事を言ってしまって」
「いえ、こちらこそ気が回らず申し訳ありませんでした」
フラグが! フラグが立ってる!
美男とのフラグが立つと知っていたなら、入れ替わりなんて言い出さなかった!
と、ひそかに大騒ぎしていたサクラをよそに、一行は目的の部屋の前にたどり着いた。ユキの要望に沿わない、立派な扉の部屋である。
「それでは、アリシアでの滞在をお楽しみください」
「わざわざありがとうございました、アレンさん」
いえいえ、と爽やかな笑顔を見せるアレン。サクラはそんな彼を見て、ちょっぴり意地悪な気持ちが湧いた。
部屋に入っていくユキを尻目に、アレンに近寄って耳打ちした。身長が大分足らないので、アレンの肩に手を置いて、うんと背伸びをしての囁きである。
「坊ちゃん、ユ……うちの姫様に惚れんなべよ? 姫様のお相手は、この国の王子様なんだからなぁ」
言ってやったぜ! と内心ガッツポーズしながら、にやにや笑うサクラ。彼女は割と性根が腐っている。
しかしアレンの反応は、彼女の予想を裏切るものだった。
ばちーんと肩の手を払い、衝撃によろめいたサクラを見下し、ギッと目を釣り上げて睨んだ。はん、と不機嫌そうに鼻を鳴らし、吐き捨てるように言い放った。
「てめぇみたいな従者風情が、この俺様に軽々しく触れるな!」
…………………え。
しばらく、フリーズした。
唖然とするサクラを置いて、アレンは再び偉そうに鼻を鳴らし、踵を返して廊下を歩きだす。コツコツコツ、と響かせる革靴の音が妙に嫌味。
その後ろ姿が消えたところで、予想に反するアレンのぶっちぎった反撃に狼狽するサクラ。
なんなんだ。なんなのだ。甘い声はどうした。爽やか120%はどうした。ユキへの紳士的な態度は、どうした!
自分が意地悪をしすぎたのか、とか、彼の虫の居所が悪かったのか、とか、いろいろな思想が駆け巡ったが、最終的には『都会の人間は怖い!』という結論に落ち着いた。
「都会こえぇよ、国に帰りてぇよ……」
体を震わせるサクラのことなど露知らず、ユキは「わあああぁ!」と部屋で歓声をあげていた。
「す、すごいですよヒィさま! サンリアでは考えられないほど、いっぱい小説が並んでます!」
「そりゃあ、人の数だけドラマがあるし……ましてやあんな二重人格者がいる国だし……」
「??」
「オラ、一人でもいいから帰りたいべ。ちょっと馬車借りてくらー」
「だっ、駄目ですよ、ヒィさま! お妃選びは強制参加ですし……僕を置いて国に帰るなんて、無責任すぎます!」
「うるさいべ! 王女が無責任で何が悪い!」
「悪いどころか国際問題です!」
ぎゃあぎゃあと二人が言い合っていると、扉が控えめに数回ノックされた。応酬を一旦止めるサクラとユキ。「すみませーん」と女性の声がした。
「サクラコ様のお世話をさせていただく、侍女のメリッサですが……」
「あ、はい。ど―……」
ぞ、とサクラが返事をしようとしたところで「むぐぅっ!」風よりも素早くユキの手が動いた。口をふさがれてじたばたするサクラに、声を潜めつつ怒鳴るという器用な真似をするユキ。
「な、な、何やってんですかぁああヒィさま!
侍女なんて呼んだら、い、い、い、一発でアウトじゃないですかぁああああああああ!」
「あ、そっか」
侍女は、王女の食事をはじめとする、ありとあらゆる世話を請け負う。その中には当然、お風呂や着替えも含まれているわけだ。アウトどころの騒ぎではない。
「いやあ、すまんすまん。うっかりしていたべよ」
「そんな軽いノリで謝らないでください……ど、どうするんですか! 侍女の皆さん、入ってきちゃいますよ!」
そう言うユキの声がだんだん震えて、顔面蒼白になってくる。彼の頭の中では、『号外! サンリア国の王女は男だった!』という新聞の見出しや、サクラと仲良く逆さ釣りされる自分の姿が闊歩していた。ユキ、ふかふかのベッドに「うわああぁああああああ!」と飛び込んで現実逃避を図る。
サクラの方はというと、とりあえずは出て応対しなければ不信がられると思い、一人で扉を開いた。廊下には、ずらりと並んだ年配の侍女たち。どの侍女も結構な熟練者に見えるのは、他国の王女への配慮なのだろうか。どちらにせよ、厄介なことに変わりはない。
「え、えーっとぉ……う、うちの姫様は、今、人に会われたくないとかで……」
「まあ。具合が悪いのですか?」
「い、いえ。そうじゃなくて」
冷や汗をだらだらと流すサクラ。大ピンチである。
その脳裏に、かつて見た兄の姿が浮かんだ。