▲ユキは逝けメンと遭遇する
異国で迎える秋は、早かった。
先日まで夏のような日照りだったというのに――今考えると、あれは残暑だったのか――浜辺の波が引くように、あっというまに熱気が姿を潜める。
中庭では花の色が少なくなる。芝生には鮮やかさが欠け、葉の先に黄金色が混じりだす。半袖のドレスを着ていてふと肌寒くなったり、木が紅葉しているのを見ると、おおっ、と季節の到来を感じた。
秋である。
「秋かぁ……秋かぁ……」
そうぼやきながら、ユキは城を散策していた。衣替えされたドレスに袖を通し、すっかり板についた女装で歩いていた。それでもまだ慣れないのか、またがスースーするー、とか思いながらも居心地悪そうに内股で歩いたりする。しかし、ユキはこの格好に毛頭慣れる気はない。慣れてしまったら人として終わる、ユキはそう考えていた。
ユキは不意に足をとめ、庭の様子に目をやった。視線の先には、たわわに実ったリンゴの木。背筋をしゃんとのばして庭の景色を眺めているユキの姿は、どことなく憂いているようでもあり、見る物に気品を感じさせた。
ああ……実家を思い出すなぁ……。
ユキの実家は果樹園だ。秋といえば、収穫で一番忙しい時期。出来る果物はブドウにカキにリンゴに……と、数え始めたらきりがない。採りまくって、売りまくって、食べまくる季節なのである。サクラがこの時期になると、よく体重計を窓から投げる。これは間違いだべ、と新しい体重計を取り寄せる。また投げる。
父さん……人手不足で収穫に困ってないかな。
去年までは、サクラやその兄、ユキが競い合うように手伝っていたから、人手には困らなかった。正直、王族に仕事を手伝わせるのはどうかと思うのだが、良くも悪くも田舎国、身分の差なんて大して気にしないのである。楽しくも忙しい、一年で一番の行事だった。
今年はというと自分とサクラは遠い西洋の国で身分入れ替えてるし、サクラの兄は仕事で各国を飛び回っているし。静かな収穫で、家族が寂しい思いをしていないのだろうかと、少々心配になった。
ああ……りんごたべたい……お家でごろごろしたい……ウメ様にあいたい……むしろウメ様たべたい……ウメ様とごろごろ……。
重度のホームシックに陥り、もんもんと危険な事を考えるユキ。人間、ストレスのかかるような出来事があると、あらぬ方向に思想が向かい始めるものだ。たとえば、男のくせに『今日は結構上手に化粧できたな』と喜んでいる自分に気づいちゃったりしたときである。しばらく茫然とした。現実逃避にクローゼットへダイブした。頭にたんこぶを作り、サクラに正気を疑われた。
「サクラコ様、少しよろしいでしょうか」
低くとも凛とした声が、ユキのアブノーマルな思考に歯止めをかけた。慌ててよだれをぬぐうと、何事もなかったように美麗な微笑みを浮かべて振り返る。サクラと二人で日夜練習している、『スーパー愛想笑い』である。
「何でしょうか……アレンさん」
振り返った先には、赤毛を綺麗に切りそろえた騎士が立っていた。サクラとユキを部屋に案内してくれたりなど、何かと縁のある男だ。若く精悍な顔立ちと爽やかな雰囲気は、王子を抜いて王宮で一番の麗しさなのではないだろうか。
インテリやくざっぽい王子対、甘いマスクのミント配合騎士。うわ―、王子立場ないですねー。
ユキがそんな事を考えているとは露知らず、白い歯をのぞかせてにっこりと笑うアレン。この場にサクラがいたら、くらっとしていたかもしれない眩しさである。ユキも心にウメが鎮座していなかったら、くらっとしたかもしれない。イケメン恐るべし! と密かにおののくユキ。
「はい。貴方にお客人が」
「客人?」
はて、そんな人いたっけな……まさか! ウメさ「隣国のリオン王子です」………………ああ、そうですか。
「どうなさったのですか? 顔色が優れないようですが」
「いえ……すごくがっかりしただけなので、大丈夫です」
「?」
心配そうに眉根を寄せ、少し考え込むアレン。何かを思いついたようにポン、と手を叩くと、再びフラッシュをたいた……ではなく、歯を見せて笑った。彼の破顔は太陽並みの光量だ。
「失礼ですが、サクラコ様の城の近隣では果樹園がありますよね?」
「ええ、はい……」
うちの実家です、という一言を飲み込んで頷く。
「ホームシックですか?」
「……ええ、まあ、そうですね」
どちらかというとホームシックよりウメホリックだったが、そんなことを見抜かれてはたまらないので話を合わせる。憂いがちな表情を作り、演技は完璧。サクラと夜中に演技の特訓なんかしちゃったりしているので、ユキはすごく芸達者になっていた。
そんなユキの演技にだまされたアレン。気遣わしげな顔で、「でしたら!」と口を開いた。
「この城には、他にもいくつか実のなる木があります。サクラコ様の部屋への通り道にもあるので、よろしければご案内いたしましょうか?」
「本当ですか!? それでは、ぜひ」
ええ人やー! とユキは内心で叫んでいた。普段、遠慮なんて知らない人間の世話やら尻拭いやらで忙しいユキにとって、優しさとは強力な媚薬である。好感度マックスである。
そんな心の叫びはおくびにも出さず、楚々としてアレンの隣に並ぶユキ。さあ、行きましょうと微笑み合い、アレンが一歩中庭に踏み出したその時。
ずぼ。
「ずぼ? ……って、うわあああ、アレンさああぁああ!」
ユキが足元を見下ろせば、地面にぱっくりと口をあけた穴。の、中で泥まみれで体を沈めているアレン。「落とし穴かいなー!」と思わず祖国の方言で突っ込んでしまった。
「っと、突っ込んでる場合じゃなかった……アレンさん大丈夫ですか!?」
「え、ええ……大したことじゃないですよ」
「懐の深さがパネェですね、アレンさん」
よくよく見れば、芝生の苗木までアレンの体に降りかかっている。わざわざ芝生を乗せてまで、巧妙に隠されていた落とし穴……まるで熟練の落とし穴職人が作ったような、完璧な落とし穴だった。
泥まみれになりつつも、アレンが落とし穴から這い出ようとする。しかし泥で手が滑って、なかなか地上に戻れない。「ふごっ!」滑った拍子に、泥の中に顔を突っ込んだ。その傍らで手助けしようかしまいかと、おろおろ逡巡しているユキ。なんせ自分が着ているのは、大事なご主人様のドレスである。汚すわけにはいかないので、アレンのことは助けず見ているだけに決めた。いい人より、想い人にコネがきく幼馴染の方が大切なユキだった。
「アレンさん、本気で大丈夫ですか? イケメンなのに、鼻の穴にまで泥が詰まってます」
「慣れているので、ご安心を……」
「落とし穴に落ちるのに慣れているって、どのくらい壮絶な人生を送られたんですか」
しかし言われてみれば、確かに堂に入った落ち方だった。きちんと受け身を取っていた。受け身を取っても泥だらけになるのは変わらないけれど。
実は、と真面目腐った顔でアレンが話し始めた。泥だらけの男が真面目な顔をしても、面白いだけである。ユキは笑いを必死にかみ殺し、神妙に見えるように表情を取り繕った。
「これはこの城に住まう、つき落としチルドレンの仕業なのです……」
「つき落としチルドレン……!」
なんなのだそれは。
笑いを全力で皆殺ししているユキの前で、何か重大な秘密でも打ち明けるような声色で囁くアレン。
「城に数々のトラップを仕掛ける、貴族の子供集団です。たぶん」
「たぶんって何ですか」
「トラップ近くに子供の足跡が複数残されるだけで、彼らの姿を見たものは誰もいないのです……」
「落とし穴を誰にも見られず掘るなんて、何者……!」
っていうか、それはすでに都市伝説じゃないですか。とユキがぼやく。王宮伝説です、と答えるアレン。まじでか。
「さっ。そんなことより、部屋までご案内しますよ」
「いえ、遠慮しておきます……早いとこ、お風呂に入ってください」
一国の騎士が泥まみれなんて格好がつきませんよ、と続けようとしたが、それは叶わなかった。
なぜなら、靴底に張り付いた泥で滑ったアレンが大胆に転んだから。とことん哀れな男だった。