★サクラとユキの悪党退治
さて。
言うまでもないが、サクラとユキは同じような境遇で育った、幼馴染である。
生まれる前から関係が定められていて、生まれた後はずっと寄り添っていた二人である。
アリシアにやってきたばかりの、馬車の中でのやり取りしかり。
謁見中の無言の意思疎通しかり。家出騒動しかり、勝負の腹の探り合いしかり。
誰よりも近く、根っこまで理解している二人。
それは、お互いの考えていることすら推し量れるということ。
まあ、つまり。
危機的状況における連帯攻撃なんて、お手の物というわけだ。
「!?」
突然視界が覆われ、パニックに陥る。しかし彼も大の男、それもテロを実行するような男であるから、反射的にそちらに拳銃を向け、引き金を抜いた。
耳をつんざく銃声と、硝煙の香り。
生暖かい風がひと吹き、火薬くさい匂いが彼の鼻孔に届いた頃には、男はそれがなんであるか理解していた。
「は、花……?」
空を飛ぶ麦わら帽子。場にそぐわない、色とりどりの野花。男の呆けたようなつぶやき。一気に開けた視界。
そのとき、自分が脅しかけていた中の一人の姿がないことに気づく。
しかし、事態は男を追い抜く勢いで進んでいた。
肌を刺すような殺気。振り返るより先に、手の中の拳銃が軽快な音を立てて宙を舞う。一歩遅れて訴えられる激痛。視界の端には、黒髪の少女。ハイヒールで蹴られたのだ、とわかった頃には、もう遅い。
「ヒィさま!」
「わかってらい!」
かたい拳が、男の顔面にめり込む。その拍子に腕の力が抜け、手の中の少女が逃げ出すのを肌で感じていたが、混乱が収まらない男は反応できない。腕がぐい、とひっぱられ、にやりと笑う少年の笑みを見た時も、呆然とした緩い顔のまま。
「うおりゃあああっ!」
耳元で聞こえる大声。自分の体が宙に浮く。回転する世界。どんどん近づく大地。一度まばたきをし、瞼を開く頃。背中から地面に叩きつけられ、肺の中から空気が逃げ出す。ひしゃげたようなうめき声が、男の口から漏れ――そして、動かなくなった。
男の意識が遠のき、瞼がゆるゆると閉じていくのを見て――――その腕を掴んでいるサクラは、不敵に笑う。
「テロを起こす場所が悪かったな、この悪党め!」
一瞬の静寂。それから、わぁっ、と湧きおこる歓声。背負い投げが決まって、満足そうに胸を張るサクラ。場内の空気が安堵に緩んだ。
なんか、時代劇みたいな台詞だ。サクラの勝利宣言に一人だけ場違いな感想を抱いていたユキ、中庭の中心でへなへなと崩れ落ちそうなクレーネの姿を見て、慌てて駆け寄る。安心して腰が抜けたのだろう、か細い身体が芝生に落ちる寸前で、ユキは彼女を受け止めた。
「大丈夫ですか!?」
「わきゃっ!」
自分を支える存在の出現に驚いたのか、可愛らしい悲鳴を上げるクローネ。数瞬の後に自分の状況を理解した彼女は、ユキの顔と細腕を交互に見つめ、どぎまぎと視線をそらした。
「だ、大丈夫ですわ。立てますから、離して下さいまし」
「大丈夫ですわって……」
小さく呟いたユキは、クローネの足元に視線を落とす。赤いハイヒールの爪先が、小刻みに震えていた。温室育ちのお姫様が死の恐怖に直面したのだから、無理もない話だ。
それでも彼女は気丈にも、スカートの裾に足を隠し、心配そうなユキに噛みついてきた。
「少し寒かっただけです! 貴方もさっさとこの手を離して、ブランケットでも持ってきたらどうですか!」
わたくしは寒いのです! となおも怒るクローネ。ユキは腕の中の少女を、困ったように微笑しながら地面に降ろした。そそくさと白の方に駆けだし始めるユキ――毛布を探しに行くと思われる――は、その途中、クローネの方を振り返る。訝しげに眉をひそめ、つんけんとした応答する彼女。ユキはしもろどろに口を開いた。
「なんですか? まだ何か用が?」
「あの、その。痛いところとかないですか? あっ、ヒリヒリするようなところでもいいですけど」
「は、はぁ。別にないですけど」
「ああ、それなら」
ユキのふわりとした笑顔に、目を奪われる。
「貴方が怪我をしなくて、よかった」
失礼します、と一礼してパタパタと立ち去るユキ。言葉もなくその場に立ち尽くし、彼を見送っていた彼女はしばらくして頬を赤らめ、ほんの一言だけ、呟いた。
「……王子様、ですわ」
「まったくもってその通りだな、クローネ!」
絶妙のタイミングで雰囲気をぶち壊し、妹の肩を気安く叩く男。うんうんと何度もうなずいては、ユキの姿を目で追っている。その表情は、いまだ満面の笑みのままだ。
「はっはっは。あのサクラコ姫とやら、性格良しで器量良し、おまけに強いときた! 嫁にするにはもってこいだな!」
「おっ、お兄様……まさか」
「俺は口説くぞ、彼女を。レイの婚約者候補らしいが、知ったことじゃないしな」
「だ、駄目です! 絶対駄目です! お兄様はそこらへんの壁でも相手にしてて下さい!」
「確かにさっきまで抱きついていたが……あれは遊びだったんだ」
「無機物に対して盛るとは、なんと破廉恥な!」
「ちょっと落ち着けクレーネ。理想の王子様が現れて喜んでいるところに水を差すようだが、サクラコ姫は女性だぞ」
「お兄様には関係ありませんから!」
頬を紅潮させて怒鳴るクレーネと、それを笑顔でなだめるリオン。そんな彼の背後に、不穏な空気を纏った影が忍び寄る。具体的には、殺意を持って竹刀を盛ったサクラが忍び寄る。
「けぇーんーどぉーうぉー、スウィィィーングッ!」
スパコーン、と竹刀がリオンの後頭部に炸裂。腰のひねりといい竹刀の軌道といい、素晴らしいフォームである。渾身の力で殴られたリオンは「ぐはっ」と芝生に倒れこみ、動かなくなる。傍らには息を切らせ、恨みがましそうな目でそれを見下ろすサクラの姿があった。城内で殺人事件が起こっては困るので、レイモンドが慌てて止めに入る。
「お、おまえ。忘れていると思うがこいつは他国の王子で……」
「よぉーくわかってるべ。こいつが他国のアホンダラってことも、無邪気な子供を地で行くトラブルメーカーってこともな!
腹黒キャラよりよっぽど性質悪いべ! ひとこと言わねば気が済まん!」
「気持ちは分からなくもないが、ひとこと言われる前にリオンが死にそうだ」
「ふっ。俺を見くびってもらっちゃ困るな……ぐほっ」
痙攣しながらも、よろよろと立ち上がるリオン。蘇生した! と驚くレイモンド。「このまま目覚めなければよかったのに……」と毒づくサクラ。レイモンドはそれを咎めはしたが、否定はしなかった。
「はっはっは……これぐらいで死ぬものか!」
リオンは鼻の頭に血をにじませながら、鉄壁の笑顔を誇る。その隣では猫が毛を逆立てて――ではなく、サクラが「シャー」と唸っていた。何かを諦めたようなレイモンドが、小さく嘆息する。
「やれやれ……私も、お前にひとこと言っておきたいことがある」
「二人して、俺にラブコールか? はっはっは、残念ながら俺には男色の気は……いてっ」
ぽかんっ、と再び殴られる。今度はレイモンドとサクラの拳、二発分である。今、二人の心は一つ。示し合わせたように、ぴったりの叫びが場内にこだまする。
「「こんなややこしい事態を引き起こすな馬鹿野郎!」」
そんな二人の大声を、ユキは背中で聞きながら。
騒動の時から収まらない汗で、化粧が落ちるのではないかと気が気ではなかった。