▲ユキは舞い降りる変質者を目撃した
例え他国の王宮であろうと、女子はコミュニティーを形成するらしい。
それをユキが知ったのは二度目のお茶会の席である。
「あらぁ、ごきげんよう。サンリアの王女様」
「え、ええ……ごきげんよう」
ユキは健全な男だ。それも十六歳という、異性への興味が真っ盛りな年頃の男だ。最近はスカートをはいたり化粧をしたりトイレの前で葛藤した末に女子トイレに入ったりしているが、それでも男だ。可愛い女の子は当然好きである。ウメという絶対なる想い人が彼の心には君臨しているが、それでも可愛い女の子に囲まれているという状況は嬉しい。
……囲んでいるのが、ただの可愛い女の子ならば。
「先日は、お城から脱走なさったんですってね?」
「は、はい。まあ……」
「あらまあ。田舎が恋しくなったんですの?」
「やだぁ、だめですよぉ。いくら泥だらけの姿がおかしかったからって、ホームシックの人を笑ったりしてはいけませんって」
「うふふ、いっそのことお帰りになられたらどうですか?」
「おほほほ……」
くすくすと笑う姫君たち。引きつった笑みを浮かべたユキ。困り果てた彼はとりあえず便乗して「うふふふふ……」と笑ってみたが、何故か睨まれた。……はい、わかりました。僕に笑う権利はないんですよね、はい。
日を改めた開催された、王子との顔合わせを兼ねた二度目のお茶会。
そんなお茶会でユキは、きらびやかな姫君たちにぐるりと周囲をかこまれて。アリシア国での初の大ピンチは、意外にも早くやってきた。
この前の脱走事件は緘口令を敷かれていた……はずなのに、いつのまにか城中の人間が事件の顛末を知っているという不思議。そして囁かれる、『一目で恋に落ちた王子と王女が駆け落ち未遂したよ!』の声。んなわきゃない、僕は男だと声高々に弁明してしまうと、誤解が解けないことより恐ろしいことが待ち構えている。具体的に言うと人生の終着点である。
以前に使用人たちにさりげなく否定をしたのだが、それがますます信憑性を深めてしまった。地獄へと続く墓穴をどんどん掘り進めて言っていることに気付いたユキは、今は噂について黙して語らず。だんまりの姿勢を決め込んでいる。
その態度がいけなかったのだろうか。どうやらユキは、他国の姫君のハートに火をつけてしまったらしいのだ。
「たしか貴方の国の名前は……忘れてしまったわ。すみませんねぇ、外交に必要な国の名前しか覚えていなくて」
「そうそう、東の方の国でしたよね。サン……何という国でしたっけ?」
「もう、国の名前を間違えては失礼ですよぉ。サンリオですよね?」
その間違いだけは色々な問題を巻き起こすのでやめてほしい!
と、その旨の発言をしようとユキが口を開きかけた瞬間、じろっと姫君はこちらを睨んで来る。喉の奥へと引っ込む文句。肩を落としたユキは、女性の人間関係って難しい……と胸の内で呟き、茶をすする。
ユキを取り囲むどの少女もとても美しい微笑をたたえているのだが、うわーやべえー、とユキが直感するような雰囲気を常に放出していた。触らぬ神にたたりなし、と部屋に引っ込みたいところだが、立ち上がろうとすると少女たちは鋭い目でユキを牽制する。良家の子女にヤンキーの必殺技『ガン飛ばし』をくらわされるとは思わなかった。効果は絶大、いまだにユキは固い椅子に座ったままである。それに、彼女たちが自分に意地悪をするのは当然と考えていた。
彼女たちは皆、これから出会うであろう王子に恋をしているのだ。完璧と噂される王子とのお見合い、ときめきの始まり、運命の愛の始まり……というほど夢見がちではないだろうが、胸を躍らせているに違いない。その矢先に王子脱走の知らせ。囁かれる田舎国の王女との駆け落ち。姫たちの心を踏みにじるには十分な話だ。ついでに、プライドがぺしゃんこにされるにも十分。こうやってトゲトゲした言葉を投げたくなるのも、わからなくもない。
僕だって、ウメさまが誰かと駆け落ちなんて聞いたら……………………………………うん。闇討ち。
お茶に毒とか入れられてないだけ、ありがたいと思うべきなのだろう。そう思って、紅茶に砂糖を山盛り入れて飲んだ。ら、「ぶほっ!」塩だった。砂糖じゃない、この海の香りは砂糖じゃない! 誰だよ、こんなバラエティー番組みたいな嫌がらせを考えたのは!
意図せずして白いテーブルクロスを茶色く染めてしまったユキ。ハンカチで口元をぬぐっていると「やあねえ」「汚いわぁ」と観客たちの笑い声が聞こえてきた。こっそり悔しがるユキ。というか、このネタは昨日タウンタウンがやってたドッキリじゃないか! 同じのの見てたな、誰か! ドッキリ系ギャグは頼むから実践しないで! あのシーンは面白かったけど!
「それにしても、サクラコ様はお幾つですか? 随分と行動に落ち着きがないように見えますが」
それはあなた達が怖すぎるからです! という叫びを必死に飲み込むユキ。傍から見れば、悔しさに歯を噛みしめていると思うだろう。くすくすくす、という笑い声が周りで湧き上がった。
そんな彼女たちの声がふと止み、ぴんと張り詰めたような沈黙になる。何事だ、とユキも顔をあげて視線の矛先を捉えた。
「……タウンタウンの真似事ですか?」
レイモンドが怪訝そうな顔をしながら、悠々とこちらに歩いてきていた。彼の口調に多少の違和感を感じつつ、やっぱり見てますよね! と少し王子に親近感を覚えるユキ。が、他の姫君たちはそれどころではないようだ。ぶわ、と噴き出すピンク色。いや、別にそんな超常現象が本当に起きたわけではない。比喩である。ピンク色が目に見えるくらい、姫たちが色めき立ったのだ。
椅子から立ち上がり、姫君がレイモンドのもとにしずしずと近寄った。そんな彼女たちに向かって、王子はにっこりと笑いかける。
「お初にお目にかかります、レイモンド・カルヴィンです。以後、お見知りおきを」
噴き出すピンク色を濃くしつつも、口々にこちらこそ、とか、はじめまして、等の言葉が交わされる。姫君の媚びを売ったような――と言ったら可哀想かもしれない。おそらく皆必死なのだ――笑顔を受けても、そつのない言葉を返すレイモンドを見て、ユキはすげえ、と呟いた。自分があんな人たちに囲まれたら、愛想笑いもひきつるに決まっていた。王子なのだな、としみじみ感じ入る。王子という身分を考えれば、馬鹿に丁寧な口調も似つかわしい物に思えてきた。
……お。常に笑っていたら、目つきの悪さは気にならないや。
昨日みたいなインテリヤクザじゃない、と微笑をたたえっぱなしのレイモンドを眺めながら失礼な事を考える。そういえば、周りを見れば他の姫君たちはみな席を立って王子を取り囲んでいる。一人だけ座っていたら失礼だろうか……と腰を上げかけたそのとき、レイモンドとユキの視線がぱちっと音を立てた。驚いたように目を見開いた王子は、目つきの悪さが露見してしまったのも気にしない様子で目を瞬かせる。そしてこともあろうか、ユキの方に歩み寄ってきた。慌てて立ち上がり、背筋を伸ばして佇まいを正す。意図せずしてひきつった笑みを浮かべながら、ユキはドレスの端をつまんだ。
「お、お初にお目に……」
「お初じゃないだろう。おまえ、王女だったのか?」
レイモンドの突然のタメ口に、空気中を飛乱するピンクに紫が混じった気がした。あわわわわ、と冷や汗を流しながら声をすぼめるユキ。
「は、はい。まあ……」
しかしレイモンドは眉を上げて「もっと声を出さないと、聞き取りにくいぞ」と文句を言う。あんたも聞き取れよ、この呪詛の声を! と心の中で盛大に突っ込みを入れる。あの声は王子には聞こえない仕様なんですか、モスキート―ンなんですか!?
そんな心の叫びなど知る由もなく、レイモンドはユキの隣に腰かけた。その後ろに控える姫君たちを覗き見て、ユキは深呼吸のやり方を必死に思い出そうとする。呼吸ってどうやるんだっけ、落ち着くってどんな感じだっけ。
「サクラコ……だっけか。馬を率先してつないだり、妙にあいつを気遣ってたから従者か何かかと思ったぞ」
さらりと核心を突かれ、どきりと心臓が跳ねるユキ。意外と鋭いな、と舌を巻く。巻いた舌は根までからからに乾いていた。
「そ、そんなわけないじゃないですか」
「そうか? それに、あいつのことを『ヒィさま』だとか呼んでたし……」
「こ、子供の頃からのあだ名なんです。慌てていたからとっさに出てしまって……ふ、普段はきちんとユキって呼びますよ!」
そんな強調しなくてもいい、と笑うレイモンド。愛想笑いを返すユキ。レイモンドがティーカップに手を伸ばしているのを見ながらも、ユキは体を固くしていた。
レイモンド王子……ドジなヘタレ野郎だと思っていたのに、この洞察力……あの完璧超人の噂もあながち嘘じゃないのか。
こっそりとユキはレイモンドの方を伺った。さすが王子というべきか、優雅に紅茶を口に含む。
そして噴き出した。ユキの塩紅茶だったらしい。すごくむせている。タウンタウンもどきが二人、ここに誕生した。慌てるユキ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……平気だ。少し辛くて……」
「あの味を『少し辛い』なんて柔らかに表現できるあなたを尊敬します」
不幸な事にユキは甘党であり、砂糖をたっぷり入れる派だった。王子が手にしているのは紅茶などではない、ただの塩水だ。
「あ、そうだ、お菓子でもいかがですか? 糖分で塩分を中和しましょう!」
「おまえのその発想が、従者そっくりだな……」
心の底から心外な発言である。あんな非常識な人と比べないでほしい、とユキはひそかに口を尖らし、山積みのマドレーヌをひとつかみした。
「そういえば、あの従者はどうしたんだ? ここにはいないようだが……」
「ああ、あの人なら、城の裏で素振りでもしてると思いますよ。まったく、ぼ……わたくしを放って遊びに行くなんて薄情な人です。もぐもぐ」
「自分で食べるのか! 糖分で塩分を中和するという話はどうした!?」
「貴方にあげようと思いましたが、王子が失礼な事を言ったので立ち消えに」
「おまえの行動より失礼な事を言った覚えはない!」
「もりもり」
「くそっ……憎らしいほどおいしそうに食べるな、お前」
「都会のお菓子はサイコーですね。移住を考えます」
「おまえがこの国に住むということは、俺と結婚するということに他ならないんだがな……」
何かを諦めたように首を振るレイモンドの前で、「ごふっ!」マドレーヌをのどに詰まらせる。そういえばそうだった、とユキは自分の立場を思い出した。お菓子のせいで会話がなおざりになってしまったが、迂闊な発言は慎むべきだ。今日から王子との会話には気をつけよう。というか、接触を避けよう。バックに控えている人たちに刺されそうだ。
と、ユキが決意を新たにしていると。鋭い悲鳴がバックの人たちから上がる。その甲高い声に驚き、中庭中の人間が振り返った。声の持ち主である人――姫君の一人は、震える指先で城壁を指した。
「あ、あそこに……城壁をよじ登って、侵入しようとしている人が!」
視線を向けて見れば、確かに。青い服に身を包んだ男がロープを伝って石壁を超え、城の中へと降りようとしているところだった。あれが噂に聞く、街に出る変質者!? と顔色を悪くするユキの隣で、レイモンドが「ああ」と納得したようなつぶやきを漏らした。どちらかというと、呆れを多く含んでいるようなつぶやきだった。
「心配しなくてもいい。あれは、俺の顔見知りだ」
「変質者と知り合いだなんてさすが王子」
「違う!」
激しく否定された。違うのか、と少し落胆するユキ。そこには、カラーヒヨコを洗ったら普通のヒヨコになってしまったようながっかり感があった。珍しい物を見たと思ったのに。
やれやれ、といった様子で肩をすくめるレイモンド。肩をすくめる、という仕草があつらえたようによく似合っていた。いつも誰かに呆れているから動作が板に付いたのかもしれない、とユキはこっそり考える。
「あれは隣国の王子でな。堅苦しいもてなしが嫌いだのなんだの理由をつけて、いつもどこかから侵入してくるんだ。まったく……毎回迷惑だというのが、わからんのか奴は」
「へ、へえ……あれが王子」
とんでもない国だ、と自分たちのことを棚に上げて呆れるユキ。同じように呆れた表情のレイモンドが、やれやれと首を振った。
「仕方がない。ちょっと、奴をちょっと探しに行ってくる」
椅子から腰を上げる彼を、「待ってください!」と急いで引きとめるユキ。王子と仲良く……かはわからないが、二人で雑談をした後だ。蜘蛛の巣に飛び込む蝶になる気はさらさらなかった。
「このお茶会、あなたが主役なんですけど! 行っちゃだめですよ、行っちゃ!」
「お茶会なんて女性の社交場というし、別にいいだろ……どうでも」
「よくないです! って、待ってください王子ぃいいい!」
城壁を伝う男が足を滑らせ、どさりと音を立てて茂みに落ちた。