★サクラとユキのThe 逃亡
「泥棒め、待てぇえええええええい!」
中年とは思えないスピードで追っかけてくるおっさん。それに追われる若者三人組。彼らは人ごみを押しのけながら、路地を疾走していた。
「ど、どーすんだこの状況! 何でオラ達おっちゃんに追いかけられてるわけ?!」
レイモンドの右腕を掴んだまま息を切らせるサクラに、「知るか!」と反論するレイモンド。左腕を掴んで走るユキが「いやいや!」と答えた。
「百パーセント王子のせいですって! 言っておきますが、商品を勝手に持ってくるのは万引きって言うんですよ! 泥棒ですよドロボー!」
「マンビキ? それは犯罪なのか?」
「万引きが犯罪じゃない国を教えてくれ! 今すぐ移住するぞ、あのおっちゃんから国外逃亡するぞ!」
「あっ、あそこの隙間に入りましょう! 後ろのおじさん、太めですから入れないはずです!」
「とりあえず、お前らは私の腕を離せ!」
建物と建物のあいだ。ユキが指で示した隙間に、サクラ、レイモンド、ユキの順に飛び込む。路地裏に無造作に立てかけられた鉄パイプや、アルミサッシ等の廃材を乱暴に蹴り倒しながら進んでいると、背後から怒声が響いてきた。ユキの目論見通り、追手のおっさんは平均より太めなので三人を追うことはできなかったらしい。危機からの脱出にほう、と一息をつく。
「はぁ……間一髪だったべ」
額の汗をぬぐい、壁にもたれかかるサクラ。道の幅が狭いので座りこむことができず、結果的に他の二人もサクラにならうこととなる。しばし無言の休息を取る三人。息を整えるだけに使われる沈黙。間を流れる空気には、疲労と安堵がにじみ出ていた。
が、しかし。その穏やかな空気は破られる。
しばらくすると、路地裏の外で断続的に聞こえていた怒鳴り声が途切れた。諦めたか、と三人が想ったのもつかの間、再び外は騒がしくなる。路地裏から見える細い長い景色、それをよぎる人影に、ユキは背筋が凍る思いをする。
「……見ましたか、今の」
「…………」
「? 青い制服に、金色のバッジが付いた帽子の男がたくさんいるな。
それがどうかしたか?」
「………………あのですね、王子様。
青い制服に、金色の星バッジの男性というのはですね……」
「………………警察なんだべよ」
『万引き犯め! そこを動くな!』
うわああ、わあああ、と響く悲鳴。一人ぽかんとしている王子の背中を、ユキが全力で押した。叫び声をあげて前につんのめるレイモンドは、サクラの背中に手をつく。サクラもつんのめる。
「押すな! 押すなって、転ぶから!」
「わかってますけど! 早く、早く進んでください! 今度の追手は太めじゃないですよ、めちゃめちゃスリムなお巡りさんですよ!」
「よく知らないが警察って、捕まるとアレがアレになってアレされるアレか?」
「恐ろしさだけを醸し出す説明はやめてください王子……って、ひぃいいいいヒィさま! こっち来ますよ! とにかく外に出ないと!」
「わぁってるべ! オラだって焦ってるんだ!」
廃材につまづきながらも前に進み、よたよたと路地裏を脱出する一行。埃まみれになりながらも、突然に飛び出してきた三人に驚く人々。
しかし彼らは周囲の目など構わず、猛然と走りだす。後ろでは制止の声があるが、お巡りさんの命令に従う良い子はいなかった。石畳につまづきそうになりながらも、人を突き飛ばしてまで逃げる逃げる。後ろの人ごみから追随するように悲鳴が上がっていることから、おまわりさんも同じように走っているらしい。
「どどどどどうすればいいんだべ! このままじゃ捕まっちまうべ!」
腕を振りながら、隣を走るユキに向かって言うサクラ。息を切らしているユキが負けじと叫び返す。
「捕まっちゃえばいいんですよ! お城に王子が強制送還されれば、一件落着じゃないですか!」
「なら何故逃げるユキよ! 囮として捕まって、オラ達の礎になれ!」
「嫌ですよ! 人は追いかけられると逃げたくなる生き物なんです!」
「ぐだぐだ言ってないで、オラの代わりに捕まれよ! 人は逃げることをやめて初めて大人になるんだよ!」
「大人になってからも脱走を繰り返していた人が何を言ってるんですか! そのおかげでどれだけ僕が苦労したか……大人になってください脱走王女!」
「そう言えば、脱走王子は?」
「…………」
ざざざざざ、と砂ぼこりをあげてストップするサクラとユキ。後ろでは王子が石畳につまずいて、「うわっ!」顔面を強打していた。更に後ろでは、待てえええぇ、と追ってくる警察。「おうじー!」とサクラの悲鳴。
「うわーうわー! どうしよう! おうじがころんだー!」
「ああもう! なんてベタなタイミングで転んじゃうんですかあの人は! ドジっ子ですか、ヤローのドジっ子としてキャラを確立するつもりですか!?」
「このままじゃ王子ではなくムサいドジっ子として捕まっちゃうべ! どうしよう、ユキ!」
「捕まっちゃえばいいんですよ、お城に帰ってしまえば!」
「もし王子が捕まったら、一緒にいたオラ達のことまで浮き彫りになっちまうべよ! 王子に万引きさせたとか浮世に流れたら、国に帰れないべ!」
「そりゃ困ります」
視線を走らせ、警官の数を素早く確認するユキ。人数は二人、ドンくさそうな中年。路地裏だから人目もなく、周りに人気はなし……っと。
「やりましょう、ヒィさま。迎撃です」
「時々思うけど、ユキって実は腹黒いよな……」
油断ならない、とぼやくサクラに、ウメさまのもとへ帰るためなら、と返す。ユキは愛に生きる男である。
警官はすぐ目前に迫り、今にもレイモンドに追いつきそうだ。それを見るサクラは腕まくりをし、膝を曲げて姿勢を低くし、腕を構える。戦闘態勢に入ったサクラは、警官たちを睨みつけた。
「今回はオラだけで十分だべ。ユキは腕っ節が弱いから、王子を助けるべ」
「モヤシで悪かったですね」
口を尖らせるユキの隣で、ヒュッと息を吸い込む音。ユキが横目で見たのは、地面を軽快に蹴るサクラの革靴だった。
細い脚は驚くほど前に伸び、一瞬で警官の前に到達、音もなく警官の懐に潜り込んだ。実質は剣道などで使われるただの踏み込みなのだが、異国人には馴染みがないものだろう。
しなやかに、素早く。まるで突然に現れたような。そんな感覚を覚えるはずだ。
警官だけでなくうつ伏せに倒れた王子までもがぎょっとする中、サクラはにやりと口の端を釣り上げた。
「必殺! ウルトラハイパービッグラリアット!」
適当な技名にぽかんとしていた警官の顔面に、めり、とサクラの拳がめり込んだ。ラリアットという技は一見すると弱そうだが、実に威力のある攻撃である。人間は横からの攻撃にはとんと弱く、遠心力を利用したこの攻撃は実戦でかなり有効だ。声をあげる間もなく、唾を飛ばしながら吹っ飛ぶ警官。もう一人の警官も、「そいやっさ!」とサクラは腕を振り回し、同じように撃退してしまった。ぽかんとしているレイモンドの肩を、ユキが軽く叩く。
「さっ、王子。早く逃げましょう」
「あ、ああ……」
戸惑ったようにサクラを見つめるレイモンド。ユキはその手を強引に引き、立ち上がらせる。王子はその予想外の力強さに違和感を覚えはしたが、よもやユキが男などとは到底思わなかった。ましてや、女性的で小柄な少年が大の男をなぎ倒しているという強烈な光景の前では、そんな些細な違和感は形も残らない。
「あいつは、あんなに凶ぼ……腕っ節が強いのか?」
「そりゃあ、すごく強いですよ。たまに、本気の取っ組み合いとかするんですけど一度も勝ったことがありません」
「手加減なしなのか!?」
「ええ、まあ」
何の気なしに頷くユキに、愕然とするレイモンド。女性に対して、手加減なく取っ組み合いをする男――レイモンドの中で、サクラの印象が変わりそうだった。
「はっはっは、一丁上がり! オラ様にかかれば、ポリスメンなんて瞬殺さ!」
死屍累々の路地裏で、警官を踏みつけつつ勝利の雄叫びをあげているサクラ。そのサクラに向かって、レイモンドは小さくて招きをする。小首をかしげつつ近寄るサクラに、王子は囁いた。
「言っておくがな……紳士たるもの、女性には優しくするものだぞ」
「? はあ、そうっすか」
意味がわからないサクラにレイモンドは神妙な顔を向けて、説教を続けようと口を開きかける。が、それはユキの鋭い声で遮られた。
「やばいですよ! 警察官、増員です! こっち来ます!」
「ええっ、なんで万引き犯にこんなに人員投入されてるんだべ!? 暇なの、都会の国って暇なの?」
「平和な国と言え! 無駄口叩いてないで、とにかく逃げるぞ!」
先頭切って走り出すレイモンドに、『さっきはすっ転んでたくせに……』と思う二人だったが、黙って後を追った。確かに無駄話をする余裕などない。その上、万引き罪だけでなく傷害罪も加わってしまったので、状況が切羽詰まっていた。
走っている最中に、サクラが「あっ」と声をあげる。
「そうだ、ブルータスで逃げればいいべ! 馬なら奴らを振り切れる!」
「ブルー……よくわかりませんが、馬に三人乗りは無理ですよ!」
「お前はブルータスじゃなくて、自分が乗ってきた馬を使えよ!」
「初顔の僕じゃ、馬なんて借りれませんって! 徒歩です!」
「ちょ……おまえってセナ君!? セナ君なの!?」
「どうでもいいが、ブルータスは町の東だぞ! そこの角を右だ!」
「アイアイサー!」
逃げているうちに町の端まで来ていたのか、角を曲がった先は町の東出口、つまりはブルータスがつながれていた。騒々しくやってきた三人に、何事かと目を瞬かせるブルータス。そんな彼に、サクラは飛び付くようにまたがった。それに続いてレイモンド、ユキと馬に飛び乗る。悲鳴を上げるブルータス。
「おい、さすがに三人乗りは無理だぞ! ブルータスが嫌がってる!」
「人生には不可能を可能にする時が必要なんですよ! 具体的には今!」
「くそっ、都会の警察はしつこい……とにかく出発するべ! しっかり掴まってろ!」
サクラは手綱を思い切り引き、ブルータスがいなないた。それが合図だったのか、三人を背に乗せたブルータスは軽快な音を立てて走り出す。蹄が石畳が叩く後ろでは、男たちの叫び声が聞こえていた。流れる町並み、尾を引いて通り過ぎていく景色。頬に当たる風が冷たく、手綱を握る手に力がこもった。ひゅ、と息を吸う。
「…………うおっしゃー! 脱出成功ー!」
ただっ広い草原の真ん中で、大声をあげるサクラ。その声が留め金をはずしたのか、ユキがレイモンドにしがみつく力がふっと緩む。はあ、と安堵のため息をついていると、ユキは目の前の背中が小刻みに震えているのに気付いた。首を上げて、彼の金髪を見上げる。
「……王子?」
「ふ……っふ、あははっ……っはははははは!」
重力など忘れてしまったような、軽やかな笑い声。レイモンドの声に、ユキだけでなくサクラも一瞬聞き惚れる。それほどまでに彼の声は明るくて、無邪気で。楽しさをふんだんに含んだ声が、とてもきらきらしているように思ったのだ。
興奮も冷めきらぬようで、熱のこもった声で王子は口を開いた。
「すごい、すごいぞ世界というのは! 城の外がこんなに楽しいものだとは知らなかった!」
見ろ! とレイモンドは叫ぶ。つられてサクラも馬なりになって、周りを見回す。一点に視線をとめたサクラは、瞬きを忘れていた。
「この景色を見ろ! まるで、自由そのものじゃないか!」
遠くで沈みゆく太陽の、目に焼けるような赤さ。蒼茫とする草原の、風が草木を揺らす音。薄暗い空でまたたきはじめた星。前には城がぽつんとあるだけで、地平線を遮るものは何もない。その中で自分は馬にまたがり、風を切って走っているのだ。
どこまでも、行けそうな気がした。
「……ははっ。そうだべな、自由だべな」
数瞬の後、夢から醒めたようにサクラが呟き、王子につられるように笑いだした。
「はっははははははは! 聞いたべか、さっきの警官たちの声!」
「悔しそうな叫び声だったよな、ははっ」
「気分爽快!」
「だな!」
「もう、二人とも……悪いのは百パーセントこっちなんですから、笑っちゃだめですよ」
口をとがらせるユキに、サクラがまた笑う。ふと、何かを思いついたように王子がサクラに向かって言った。
「そういえば、聞くのを忘れていた。お前らの名前はなんて言うんだ?」
「…………」
「…………」
レイモンドをはさんで、顔を見合わせる二人。奇妙そうな顔をするレイモンドの前で、サクラが口の端を釣り上げて笑った。
「どーも! ユキ・アズマでーっす!」
「え、えっと。サクラコ・トウドウ、です……」
一人は楽しそうに、一人はぎこちなく、自己紹介。一人は満面の笑みで、一人は気まずそうな顔。
レイモンドがその意味を知るのは、今からずっとずうっと先のことになる。
「それじゃあ、ちょっと馬を繋いできますね」
ユキが綱を引き、城の方へと歩いていくのをサクラはぼんやりと見つめていた。すっかり日は暮れ、隣に立つレイモンドの顔がおぼろげに見えるほどだ。
……状況が落ち着いてきたところで、サクラは思い出した。隣に立つ彼は、この国の王子なのだ。少しだけ、体に力がこもる。どうやって話しかけたらいいのかわからなくなり、じっと押し黙った。
「おい、ユキ」
「は、はい。なんでしょうか」
なんか違和感あるなあこの名前、と思いながら緊張気味に返事をする。夕闇の中でも、レイモンドの眉がつり上がったのがわかった。
「……その喋り方、やめろ」
「え? 喋り方?」
「敬語をやめろ、と言っているんだ。気持ち悪くて仕方がないしな」
「き、きもちわる……?」
少しショックを受けるサクラ。だから! とレイモンドは続ける。
「私の友人なら、さっきみたいな砕けた喋り方をしろ! 距離なんて置くな!」
「……友人」
その言葉に、胸がほこっとするのを感じる。照れているのか、そっぽを向くレイモンド。その横顔を眺めながらも、サクラはおずおずと口を開いた。
「じゃ、じゃあ。王子は……」
「王子も却下だ、レイと呼べ。親しい者は皆そう呼ぶ」
愛称だ、と再び胸が暖かくなる。肌寒い風が吹いているというのに、体はほかほかだった。
「じゃあ、レイは良かったべか?」
「良かったって、何が?」
「だから……家出をやめて、城に帰って来ちゃったこと」
馬の手綱を操っていたのはサクラだったし、サクラは他に行く場所が分からないから城へと帰ってきた。レイモンドは道中、それについて何も言わなかったのだ。本当は、城に帰って来たくなかったのではないかと、今更ながらに心配になってきた。
「良いんだ」
「本当に?」
「ああ。さっきの……サクラコが言う通り、私は城の者に心配をかけた。それについては、謝らなければならないからな」
「……そっか」
サクラはふと、レイモンドのことをとても大人だと思った。一緒に遊んでいた時間や先ほど浮かべていた子供めいた表情から、自分と同い年くらいだと思っていたが、実はもっともっと年上なのかもしれないと感じた。それが彼自身の性質なのか、周囲が彼をそうさせたのかは分からないが。
「レイ、お前は立派だべ!」
とりあえず、抱きついてみた。
「ちょっ……おかしいだろ! 話の流れとしておかしい!」
「ういーういー! レイはいい子だべー立派な王子だべー! でも、オラの前でくらい子供でいろよなー!」
「わかった、わかったから離せ!ああ、どうしてこうなった!」
レイモンドに頬をずりずりと擦りつけたり、長身によじ登ったり、嫌がられたり。二人でじたばたしていると、城の方から見知った姿が走ってくるのが見えた。ユキが何やら慌てた様子で、こちらに向かっている。何事かと思っておとなしくしていると、息を切らせたユキが「大変です!」と叫んだ。
「国の王子とサンリアの王女がいなくなったって、王宮が大騒ぎですよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あはっ」
色々な偉い人に怒られながら。すまなそうな顔をするレイモンドの隣で、サクラの頭の中を占めていたのは。
やっぱり入れ替わりなんて提案するんじゃなかったな、という僅かな後悔であった。