それは確かに愛だった
私の家の隣にはアパートがある。その一室の窓際でカーテンが揺れていて、薄い白のカーテン越しに黒いラックが透けている。時々、風に乗って音が流れてくることもある。
毎朝カーテンを開ける時に視界に入るその部屋。誰が住んでいるのだろうという興味はある。もしかしたらスーパーで会ってるかも、道ですれ違っているかも、なんて想像したりもする。その人物を知りたいような、知りたくないような。勝手にワクワクし、小さな楽しみにしている。
梅雨や長雨で窓が閉め切りの日もあった。なにしてるかな、明日はどうかなとまるで恋してるみたいだ。
ある日、その部屋から人が出てきて車に荷物を詰め込むのを目撃した。30から40代の白髪混じりの男性だった。私は正直ガッカリしてしまった。男性に、ではない。正体が分かってしまったから。
想像の余地があるのがいい。とある男性が「見えるか見えないかぐらいが丁度いい」と言っていた。下着が見えるか見えないかぐらいが妄想が駆り立てられて興奮するというやつ。あの感情に似ていた。
決して、監視ではない。「今日はどうかな?」という、ちら見がいい。
監視は嫌いだ。じーっと全身を舐め回すような気持ち悪い視線、家までつけられる異常行動、仕事のミスを数えて「次ミスしたらどうなるか分かってるな?」と脅されたりする。
親友のしず曰く、私は見る目がないらしい。やんわりしたお断りに気づかず拗らせた初恋、詐欺のようなやり口でやりたくなかった仕事をさせられていた半年、ヤリモクのために言葉巧みに誘導し主導権握られた過去もあった。
そんな私を見かねて、しずの紹介で夫と出会い、交際し、結婚した。子供には恵まれなかったけど、夫と穏やかな日々を過ごした。「これからも、あたしはきょんの目になる」そう言ってくれるしずに私もできることはするつもりだ。
夫は一言でいうと、凪みたいな人だった。単語でいうと、“穏やか”、“ 冷静”、“淡々”、“なにを考えているか分からない”、“怒らない”、“無愛想”という言葉が当てはまる。
夫は私を支配しなかった。そばにいてもいいし、いなくてもいい。そんな感じだった。そんな夫の行動にキュンとする時もあった。例えば、荷物を当たり前かのように持ってくれたり、気に入った料理を真っ先に食べたり。可愛らしい場面もいくつかあった。
そんな夫と過ごして、思ったことがある。「この人の遺伝子を残した方が世のためでは?」と。こんなにいい遺伝子を私の病気のせいで途絶えさせてしまうのはすごく罪深く感じたのだ。だから、私は離婚を覚悟し、夫に問いかけた。でも、夫は「僕のことを決めるのは僕です」と一掃してしまった。
夫が私のことをどう思ってくれているのか分からなかったけど、そばにいることを許されていたから、そこにいた。
そんな夫は40年以上勤め上げ、年金を受け取ることなく他界。スキルス胃がんだった。当時私は夫のお見舞いだけでなく、親の介護や自分の病状や薬の副作用でいっぱいいっぱいで追い詰められていた。
一瞬…ほんの一瞬「いつまでこの生活が続くのだろう」と思ってしまったことを後悔し続けている。夫や親を看取ることはできたけど、消えない自己嫌悪。悔恨。
遺影に毎日声をかける。「おはよう」「おやすみ」「つらい」「会いたい」「大好きだよ」。
かけがえのない存在だった。もう、増えることのない愛しい日々。何度も想いを巡らせ、涙する。泣く回数は徐々に減ったけど、大好きの気持ちは変わらず更新中。
あなたが最後にくれた植物に水を注ぐ。私はあなたを最期まで看取るよ。
それは確かに愛だった
終




