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ヒューと別れて一人、ジョシュアは洞窟の奥を目指す。
暗いはずの洞窟がぼんやりと光っているのはキノコか苔のようなものでも生えているのだろう。
奥に進むにつれて段々と湿度が高くなる。
デメル人の男はここに水竜がいると言っていた。きっとそのせいなのだろう。
しばらく歩くと王宮の広間程の場所に出た。
奥にはジョシュアの何倍もの大きさのドラゴンが体を丸めている。
(これがドラゴン…)
群青の体は所々キラキラと光って見えるようだ。
厄災の報告書に、ドラゴンのような魔獣が出たと書いたあったが、ここにいるのはそんなドラゴンもどきではない。
正しくドラゴンだった。
近づく事は出来るだろうか。
様子を伺っていると、ドラゴンが首を持ち上げた。
『人の子か』
頭の中に声が響く。
「話が…出来るのか…」
そんな事、今まで一度も聞いた事は無い。
ドラゴンという生き物がいるのは知っていたが、出会った事のある人間などほとんどいないだろう。
『何をしに来た』
ジョシュアはドラゴンの様子をじっと見る。怒りなどは感じられない。
「あなたが…水竜ですか?」
『そうだ。お前は私を捕まえようとした人間とは違うようだな』
「捕まえる気も危害を加える気もありません。あなたはずっとここに?」
ドラゴンはじっとジョシュアを見つめる。
『怪我をして休んでいた。眠っている間に隠していた入り口が開いてしまったようだ。気づいたら随分と時間が経っていたようだな』
ドラゴンがどれほど生きるのかは知らないが、きっとここにいる期間は数年単位では無いだろう。
「水害が起こった原因を調べるために来ました。私はここローウェン王国の魔術師ジョシュアと申します」
『私を捕まえに来た人間を追い払うために雨を降らせ川を溢れさせた。あの者達は邪な気持ちで私に近づいた。しかし罪の無い者にも被害が出てしまったか』
少なくとも危害を加える気持ちが無ければ交渉は出来るかも知れない。
「水害はデメル人の行動で引き起こされたものです。あなたは被害者だ。ですが、この地に住まう人間に被害が出たのは事実です」
手の平がじっとりと汗ばむのを感じる。
ここで間違ってはいけない。
『私に何を望む?』
「…あなたの怪我を治させてもらえませんか?元気になればもといた場所に戻れるでしょう。この地に平穏を、それが私の願いです」
ドラゴンから目を逸らさずにジョシュアは言う。
(ドラゴンを治す事が出来るかは分からないが…)
『人の子に治せるか?』
「分かりません。しかし試してみる価値はあります。私の力で無理ならば、あなたはここで傷が癒えるまで休めばいい。私が生きている間は、人間がここに来られないよう結界を張りましょう」
スッと、ドラゴンが目を細める。
その視線がなんとも居心地が悪い。
『お前の魔力は歪だな』
(歪…ドラゴンにはそう感じるのか)
「私の父が魔力回路の治癒を受けたのです。子供は稀に見る高魔力保持者になります。私はそうして生まれました」
『…禁術に手を出したか』
「当時の王によって無理矢理ですが。治療を担当した母はその対価として記憶を取られました」
『そうか…』
上手くいくだろうか。
ジョシュアは唾を飲み込む。
(自分一人で無理ならヒューも手伝わせればいい。それでも駄目なら二人で結界を張ろう。破れる者はそうそう居ないはずだ)
『…お前に任せよう。こちらへ』
ドラゴンの言葉を聞いて、ジョシュアはゆっくりと近づいた。
ドラゴンは閉じていた翼を開き、ジョシュアに見せる。
腹と翼、前足に大きな傷があった。
「これは…」
『かつてこの地を治めていた人の王が、禁術に手を出してお前のような者を作り出そうとした。たまたまこの地にいた私を捕えるために、何人もの魔術師を送り込んだ。この傷はその時に出来たものだ』
ドラゴンの話はきっと、この国が隠し続けている負の歴史だ。魔力回路を無理矢理壊し、治癒師を脅して魔力回路の治癒をさせてジョシュアのような存在を作り出そうとした暗黒の時代。
多くの者が犠牲となり、それを憂いた王弟が反旗を翻した。この事は師匠付きの治癒師と呼ばれる高い魔力を持った治癒師のみに伝えられ、他に漏れる事がないよう国が誓約魔法で管理している。
ジョシュア自身も伯父である師匠シモンから修行の最後に教えられた。魔術師の才を買われ治癒師にはならなかったが、ジョシュアにも誓約魔法をかけられている。
「愚かな王によってあなたを傷つけた事はお詫びのしようもありません」
『もう終わった事だ』
ジョシュアはそっとドラゴンに触れると治癒魔法をかける。
数百年かけても治らない程の傷は、ジョシュアの膨大な魔力をどんどん吸い取っていく。
(これは…生まれて初めて魔力切れを起こすかもしれないな…)
魔力を扱う者なら誰でも一度はなった事がある魔力切れだが、ジョシュアは一度も起こした事はない。しかし、それを起こすかもしれないと思うほど、ドラゴンの傷は深かった。
ジョシュアの額から冷や汗が流れ、指先が冷たくなっていく。
それでもゆっくりと傷は塞がっていった。
(あと少し…あと少しだ…)
酸欠のように頭がぼうっとする。
目の前がチカチカと光って見え、自分の呼吸音だけがやたらとうるさく聞こえる。
(彼女が少しでも安心して暮らせるように…あと少しだけ持ってくれ、僕の魔力…)
不意に吸い込まれる魔力が途切れた。
思わずジョシュアは座り込む。
「ハァ…ハァ…」
とてもじゃないが立っていられない。
目の焦点が合わず、ドラゴンがはっきりと見えない。
『…お前の魔力はおよそ人間の持てる量ではないな。長きに渡り治らなかった傷が癒えた』
ジョシュアは何か返事をしようとしたが、上手く口が回らない。
『礼を言うぞ、人の子よ。お前に何かあればこれを持って私の名を呼ぶがいい」
ジョシュアがなんとか顔を上げると、ドラゴンは一枚の鱗を咥えていた。受け取る事すら出来ないジョシュアの前にそれを置くと、翼を大きく広げた。
『私はここを去る。我が名はレヴィアタン。鱗を持ってこの名を呼べば、お前のもとに駆けつけつけよう』
「あなたの、名を呼ばずともよい世界に、なるよう、力を尽くす、つもり、です」
息も絶え絶えにジョシュアがそう言うと、レヴィアタンと名乗ったドラゴンは目を細めた。
『私は悠久の世を渡る者。長きに渡り一人だ。友として一度くらい呼べ』
ドラゴンの表情はよく分からないが、ジョシュアにはなんだか嬉しそうに見えた。
「分かり、ました。いつか、必ず、レヴィアタン…」
『ではまた会おう』
レヴィアタンの声が聞こえた途端、強烈な風が洞窟内に吹いた。
あまりの風にジョシュアは目を開けている事が出来ない。
風が止むと、辺りに静けさが戻った。
「終わった…?」
いつの間にか右手にはレヴィアタンの鱗を握っていた。
群青色の深い水底を思わせる鱗。
無くさないようにポケットにしまう。
緊張感と強い疲労感からジョシュアは硬い地面に倒れ込んだ。
(もう…起きていられない…これが魔力切れ…?)
グルグルと目が回る。
こんな事今まで体験した事はない。
「これで…アリスさんの平穏が…少しでも…」
最後まで呟く事も出来ずに、ジョシュアは気を失った。




