第三十四話 将来の夢
「先輩、元気にしてて本当に良かった」
志織と別れた後、十七時前。
一樹と美月の二人は話しながら、予約していたホテルまでの道のりを歩いていた。
真っ赤に染まった夕暮れの下、前に長く伸びた影がゆっくりと進んでいっている。
「言ってた通り優しい人だったな」
「でしょ? 本当にお世話になったから、いつか恩返ししなきゃなー」
美月は遥か先にまで伸びた影を見ながら、そう呟いた。
近頃、美月は恩返しという言葉をよく口にする気がする。
もうすでに美月は前を見ていて、その言葉を聞くたびにこの暮らしが終わるのもすぐなのだろうと感じる。
一樹としてはこの生活が楽しい。
けれどそんなことを言っていられないのも事実。
隣に美月がいるはずなのにどこからか現れた寂しさに胸をいっぱいにさせていた。
「……一樹も、ありがとうね。一緒に来てくれて」
「いや、こっちこそありがとう。ホテル代は美月が出してくれるわけだから。イルミネーションも探してくれた」
「日頃のお礼だよ。バイトし始めたし、一樹にもちょっとずつ返していかないとね」
喧嘩のような状態から仲直りしてから、やはり美月は前とは違う。
時間があれば勉強しているし、日中はバイトしている。
にも関わらず、家事までこなして夜には美味しい料理を作ってくれているので、一樹が逆に申し訳なく思う状況にさえなっている。
何か明確な目標を持つようになったのだろう。
『先輩、夢、叶えたんですね』
あの時の美月の眼差しは羨望と嬉々と尊敬と、そんな感情で満ちていたような気がする。
一体、美月の夢は何なのだろうか。
「なあ、美月」
「どうしたの?」
「……美月の夢って何なんだ?」
一樹がそう聞くと、美月はその顔に笑みを含ませる。
そして一樹の方に向けてニッと笑うと一言。
「まだ内緒」
「……内緒か」
「その夢が叶うまでは、ね。叶ったらわかるんじゃない?」
「どういうことだ?」
「ふふ、教えなーい……ちなみに一樹の夢は?」
「俺はまだ夢がないんだよな」
一樹の周りの人は夢を持って行動できている人が多い。
そもそも一樹が将来を考えなさすぎていたというのもあるのだが、考え始めてからもまだ夢が見つからない。
自分が何をやりたいのか、どう生きたいのか。
そう悩んでいると、隣にいた美月は立ち止まった。
それにしばらく歩いて気づいた一樹は振り返って美月の方を見る。
「ねえ、一樹、知ってる? 夢ってさ、一人じゃ叶えられないこともあるんだよ」
太陽が地平線に沈もうとする中、紅く輝く太陽を背にして美月が立っていた。
「だから一樹の夢が決まったら、私も協力させてよ」
「ありがとう。なら、遠慮なく頼らせてもらう」
美月がニコッと笑ったので、一樹も笑い返す。
そして、ふと、心の中の何かが軽くなったような気がした。
重くて濁ったその感情はなぜか今、不思議なくらい軽くて、けれど強く光り輝いている。
その光が照らす先に美月がいることは間違いなかった。
***
「ちょっとコンビニ寄っていいか?」
しばらく歩いてホテルもあと少し。
そんな時、その道中にコンビニが一軒立っていた。
喉が渇いていた一樹は目の前にあるコンビニの誘惑に勝てなかったわけである。
「わかった。じゃあ私、外で待ってるね」
「来ないのか?」
「うん。買いたいものもないし……懐かしい街並みだからちょっと浸ってたいんだよね」
そうして一樹は一人コンビニへと入店した。
本当にただジュースを買うだけのつもりだったのだが、コンビニの誘惑というものは恐ろしい。
スナックコーナーに立ち寄ったり、スイーツコーナーに立ち寄ったり。
目的のものが陳列された棚まで行くのに時間を要してしまったわけである。
「……美月も待ってるし、早く買わないとな」
一樹はようやく飲み物が陳列してある冷蔵庫の前に立つ。
そうしてそこでジュースを手に取ろうとした時だった。
隣の棚のお酒コーナーが一樹の目に留まる。
夜、ホテルで美月と飲むかもしれないから何本か買っていった方がいいだろうか。
そう思った時に初めて一樹の見ている光景に既視感というものを感じた。
去年、一樹がコンビニでお酒を買おうとして、そこで美月と再会した。
その日の夜に起こったことも、当然一樹は忘れていない。
とはいえ、あれから状況は大きく変化した。
美月を家に匿って、一緒に生活をして、美月のことを知っていって、美月のことを好きになった。
おかげで一樹は大きく変われた気がする。
一樹はそういえばと元カノの浮気による傷が綺麗さっぱり消えていることに気づく。
「……今となったら、懐かしいよな」
一樹はお酒コーナーから二本のストロング缶を取り、ジュースを一本冷蔵庫から取り出した。
今ならもう大丈夫だろう。
飲まないようにしていたストロング缶も、今ならきっと二人で楽しみだけを共有できる。
そしてそれらを購入した一樹はコンビニを出た。
しかし美月はコンビニの前にはいなかった。
どこかをぶらついているのだろうか。
そう思って、ひとまず辺りを見渡してみる。
すると美月の代わりにコンビニの傘立ての前に猫がいた。
茶色の毛と翠色の目を持つ大人の猫だった。
その猫はこちらを見ていて、目が合うとただ一声『にゃあ』と鳴いた。




