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久々に会った初恋の訳アリ幼馴染とワンナイトした  作者: テル


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美月視点⑤ 恩返し

 私の人生って何なんだろうなってずっと思っていた。

 

 生まれた時から私の人生は普通の日常とはかけ離れていた。

 

 私の家族は父と母、そして私の三人家族だった。

 

 同じ屋根の下で暮らしていたけれど、父と母の仲は最悪だった。

 毎日のように喧嘩していて、怒鳴り声が聞こえない日がないのが普通だった。

 

 そんな声に驚いて赤子の私が泣いていたところで誰も気づいてくれないから、途中から泣くのをやめた。

 でも、それでも、喧嘩した日には母はいつも私のことを怒った。

 

 泣いてさえいないのに目を合わすだけで怒鳴られた。


「あんたさえいなければ……!」

 

 保育園に入っていた時、とうとう私は大人の人に保護された。

 児童相談所の人なのだろう。


 けれど当時の私はなぜ保護されるのかわかっていなかった。

 

「もう大丈夫だからね。美月ちゃん」


 今でも覚えている。

 保護される前、優しい顔をしたおばあちゃん先生が泣きながら私のことを抱きしめてくれたのを。


 何で泣いているのか当時は分からなかったけれど、気づいてくれない悲しさだけは理解していたから私の方が先生の頭を撫でていた記憶がある。


 保護された施設のことはあんまり覚えていない。

 でも、怒鳴り声が聞こえなくて私からしたら不思議な環境だった。


 すぐに家に戻りたくなった。


 そして私の『日常』への望みはすぐに叶えられることになった。

 

 一週間くらいしたらまた家に戻れた。

 しかし日常は戻ってこなかった。


 父がしばらく帰ってこなかったのだ。


 代わりに違うおじさんがよく私の家に来るようになった。

 おじさんが来るたびに私は父の部屋に閉じ込められて、一人遊びを強要させられていた。

 夜ご飯を与えられないこともあった。


「ねえ、ままー、シチューたべたいよー」


「だめー! つくってあげませーん」


 空腹で寝ることなんてできないから、そんな一人芝居を疲れて寝落ちするまでしていた。

 扉越しに何度も聞こえてくる母の甲高い声を聞きながら。


 ある夕方のことだった。

 いつも通りに私が父の部屋に閉じ込められていると、外から猫の鳴き声が聞こえてきた。


「え、にゃあにゃあいるの!?」


 私は興奮してベッドから飛び降りる。

 そして私の背より高い位置にある窓の縁を掴んで体を持ち上げると、外を見ようとする。

 

 しかし子供の腕力では一秒も体を支えることができなかった。

 

 それでも窓の向こうから猫の声が聞こえる。


 気づけば私は子供用の小さな椅子を持ってきて、窓から外へと身を乗り出していた。

 初めて父の部屋から自分で脱出した瞬間だった。


「にゃあにゃあ、まってー」


 外で鳴いていたのは茶色の毛と翠色の目を持つ大人の猫だった。

 

 私はその体毛を撫で回したいと無邪気な心で猫を追いかける。

 けれども走るのが遅い私が素早い猫を捕まえるのは至難の技だった。


 猫と追いかけっこして、追いかけっこして、着いた先は知らない家の前だった。


「……ここどこ?」


 辺りを見渡してみれば、いつの間にか私が全く知らない土地に来ていた。

 不安になっていると、猫が私の方に振り向いて、鳴く。


 その後すぐに目の前の家の扉が開いた。


 そして杖をついて背を屈めたお婆さんが出てくる。


「あら……早いわね、ご飯かい? みかん」


 お婆さんは猫に向かってそう尋ねる。

 猫はもう一度鳴いた。


 お婆さんは私の方にも目を向ける。


「あら……こんにちは」

「こ、こんにちは」


 知らない人だったから私は緊張しながら挨拶する。

 手も同時に動かして頭を下げると、お婆さんはニコニコとした様子を見せた。


 やがてお婆さんは背を向けて家へと戻っていった、かと思っていると猫の餌が入った容器を持ってきてまた外へと戻ってくる。


 それを地面に置いて、お婆さんが「お食べ」と言うと猫は与えられた餌を食べ始める。


 猫にはリードがついていない。

 けれどお婆さんに懐いている。


 飼い猫なのか、はたまた野良猫にただ餌をあげているだけなのか。


 そんな疑問が子供ながらに浮かんだが、目の前の光景を見ていてどうもよくなった。

 

 ……おなか、すいた。


 猫が頬張っているのを見て、あてられたのか自分が空腹であることに気づいたのだ。

 今日は保育園がなかったからお昼も食べていない。

 

 ……よるごはん、まま、つくって、くれるかな。


 そんな不安もあって、私は猫が食べている様子をじーっと眺めながらお腹の音を鳴らせていた。


 お婆さんはその音を聞いて、クスッと笑う。


「あら……お腹、空いてるの?」

「……うん。おひるごはん、たべて、ないから」

「……あら。なんで?」

「ままがわるいこにつくるごはんない、っていってたから」


 ご飯のことを考えていると、またお腹の音が鳴る。

 するとお婆さんは柔らかな笑みを浮かべて……。


「……じゃあお婆ちゃんが作ってあげる。何食べたい? 家へおあがり」


 その日から私は苦しい日々の中で少しだけ満たされていた。


 知らないおじさんが家に来る日には私は窓から外に抜け出して、お婆さんにご飯を振舞ってもらった。

 お婆さんが作る料理で一番好きだった料理はクリームシチューだった。

 

 暖かくて、美味しくて、柔らかくて、心が楽になる。

 今はそんなシチューを再現しようと頑張っているけれど、やっぱり難しい。


 その道中で私は同じ保育所だった一樹とも仲良くなった。

 ある日に一樹が公園で遊んでいたところを見ていて、遊びに誘われたのだ。

 

 道中の公園で一樹といっぱい遊んで、お婆さんの家でご飯を食べて、夜になったらバレないように帰る。


 多分、母はこのことに勘づいていたけれど、私のことなんてどうでも良かったから叱られることはなかった。


 小学校に上がる前に私に世間を教えてくれたのがそのお婆さん。

 今でも私の恩人で、ずっと記憶に残っている。


 しかし小学校に上がってすぐにお婆さんは死んでしまった。

 

 その頃はもう知らないおじさんが来ることはなくなっていて、父が戻ってきた。

 喧嘩ばかり相変わらずしていたけれど空腹に苦しむことはもうなくなった。


 でも、料理は美味しくなかった。


 またあのシチューたべたいなー。


 結局、お婆さんの死を知ったのは私が小学校高学年くらいになってからだった。

 寿命による老衰だったそう。

 誰にも看取られずに孤独死していたらしい。


 聞いた時はショックも悲しみもなかったけれど、恩返しができなかったという後悔があった。

 今でも思い出せばお婆さんの優しくて柔らかい笑顔が脳裏に浮かぶ。


 思い返せば、私を救ってくれた人は多くはないけれど、いたのだ。

 

 最初から外れていた道を正すことは容易ではなかったけど、今はそれを支えてくれる人がいる。

 過去に支えてくれた人もいる。


 ……生きている間に恩返ししないとね。


 ***

 

 朝、カーテンの隙間から差し込んで来る日の光で私は目を覚ます。

 体をゆっくりと起こすと私は机の上に突っ伏しているという事実が寝ぼけた頭の中に入ってくる。


 ……あれ、私、昨日、何してたっけ。


 突っ伏して寝ていた机の上には『高卒認定試験対策本』が置かれていた。

 しかし教材は見事に私のよだれで濡れてしまっている。

 私はそれを自身の袖で拭う。


 そうだ、今日バイトがないから昨日は頑張ろうと夜遅くまで勉強していたのだ。

 気づけば私は寝落ちしていたらしい。


 時刻を見てみればもう十一時過ぎ。

 一樹は家を出ているだろう。


 家事も全てしていないので、やらかしたなどと思いながら立ち上がる。

 すると私の肩には毛布がかけられていたらしく、それが床に落ちる。


 一樹がおそらくかけてくれたのだろう。


 ……優しいなあ、本当。


 彼の優しさに胸をドキドキさせつつ、洗面台へと向かう。

 そして顔を洗いながら、鮮明になっていく意識で考え事をしていた。


 ……今日はまだもう少し勉強して、掃除して、それから。


 私の人生って何なんだろうなってずっと思っていた。

 いいことなんて一つもなかった、そう思っていた。


 でもそんな中で優しくしてくれる人がいた。


 だから私はそんな人たちに恩返しができるようになりたい。


 最近受かったバイトも頑張って、勉強もして、それで……私は初めてできた自分の夢を……。


 そんなことを考えながらタオルで顔を拭いている時だった。

 ふと、夢の内容を思い出した。


 そして過去に私に優しくしてくれたお婆さんの笑顔が久々に瞼の裏に現れた。


「……生きている間に、恩返し、しないとだよね」


 焦りのようなものはない。

 でも、同時に恩返しをするために止まっている暇はない。

 

 これ以上、恩を増やされたら返すに返せなくなってしまう。


 そうして、ふと、お婆さんの笑顔と共に『先輩』の顔が浮かんだ。


「ちょっと、電話してみようかな……先輩、元気かな」


 先輩もまた私に生き方を教えてくれた恩人だった。


『何かあったら連絡ちょうだいね。電話番号渡しておくから』

『ありがとう、先輩』

『……ごめんね、美月。何もしてあげられなくて』

『ううん、大変なのは先輩もだからお互い頑張ろう』

『そうね。何もなくても、連絡待ってるから……結婚したとか、そんな自慢報告でもいいから』

『うん、落ち着いたら絶対連絡する……今までありがとう、先輩』


 顔を洗った私はすぐに財布の中からある紙を取り出した。

 

 そして、私はそこに書かれた電話番号に電話をかけた。


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