第十五話 因縁はないけれど
元カノの浮気相手とは一度だけ直接的に話したことがある。
そこで一樹は彼をクズ中のクズだと思った。
『なあ、その隣の男、誰なんだ?』
彼と話したのは夜のホテル街だった。
当時の彼女の肩に彼が腕を回して一緒に歩いていたのを見て、一樹が問い詰めに行ったのだ。
『ち、違うの、た、ただの昔の友達で……ちょ、ちょっと離してよ』
『何? お前、こいつの彼氏?』
一樹がそんな質問を肯定すると彼は鳥肌の立つような笑みをずっと浮かべていた。
それがずっと記憶に残っている。
その次の日に一樹は元カノに振られた。
どう考えても浮気なのは明白なのに、浮気じゃない可能性を信じて話し合うつもりでいたらあっさりと。
目の前にいる男はまるで変わっていなかった。
前に会った時と同じ、金髪のベリーショートで右耳だけピアスが五個くらい入っている。
そして、ロザリオのネックレスを首にかけて、小鈴に不気味な笑みを浮かべていた。
怒っているのに、笑っていたのだ。
「そういう行為は控えていただけませんか」
一樹は怒りを抑えながら、小鈴の腕を掴んでいる男の腕を掴み返す。
すると、男は笑みをやっと崩して、一樹を睨んだ。
負けじと一樹も睨み返すと、男は小鈴の腕から手を離す。
それを見た一樹も手を離すと、小鈴を部屋の外に出させた。
個室には一樹を除いた男性二人と女性二人。
男女で隣り合って座っている。
元カノはこの場にはおらず、男が今浮気しているのか、関係を断ったのかはわからない。
しかし一樹には過去の話なのでそんなことはどうでも良かった。
男も一樹のことを覚えていなさそうなので、別に因縁はない。
それでも目の前の男に一樹は腹が立っていた。
小鈴を傷つけたことに対して一樹は心の底から苛立ちが止まらなかったのだ。
「はあ、何? お前らが先にやってきたんだけど」
男は一樹を睨んだままそう言う。
理由はどうあれ、無理矢理なボディタッチは暴行に等しい。
警察を呼ぶか今すぐ追い出したかったが、一樹は大事にしないようにその気持ちを抑える。
他の客の楽しみを邪魔したくないのだ。
「……俺たちが何か粗相を犯したから彼女に手をあげたと?」
「はあ、粗相どころじゃねえんだけど? 落とし前、どうつけんの?」
「いや、これさ、俺ら殺す気だよな」
男はそう言って、取り皿に入っていた食べかけの唐揚げを指差す。
一樹が見てみると、唐揚げの中に半分に折れた爪楊枝が入っていた。
しかしすぐにありえないと思った。
半分に折られた爪楊枝が調理前の肉に入るわけがない。
後からわざと入れでもしないと混入することはまずないのである。
そう考えると、男が後から入れたのだろう。
「はあ? ありえねえだろ。お前らが後から……!」
苛立ちが最高潮に達した一樹は語気を強めて反抗しようとする。
そんな時に一瞬だけ男はニヤッと笑みを見せた。
すぐに表情を戻したが引っ掛かりを覚えた一樹はお陰で冷静になる。
そこで一樹は自身が置かれている状況に気づいた。
男の隣に座っている女性も向かい合って女性もスマホを一樹と男の方に向けている。
謝る以外に他ないらしい。
ありえないようなことで頭を下げたくない。
しかし騒ぎにしないためには頭を下げなければならない。
それに捏造されてSNSにでもあげられさえすれば店の評判にも関わる。
「何? 俺らが後から入れたって疑ってんの? まずお前謝れよ。あと代金無料にしろよ、普通に」
「……」
小鈴も後ろにいる。
一樹が謝って解決するならばそれがいいのだろう。
なぜこんな男に頭を下げなければいけないのか。
その答えを考えるからプライドがつくのであって、なら、何も考えなければいい。
何も考えずに、ただ頭を下げればいい。
いつもそうやって生きてきたから、別に慣れている。
そうして一樹が頭を下げようとした時だった。
「待てよ、お前ら。いい加減にしろ」
話を聞いていたのか、隣の部屋で飲んでいた常連客の一人が会話に割り込んでくる。
「はあ? 今度は誰だよ」
「……き、木村さん?」
「一樹くんが謝る必要は全くないからな」
「お、俺たちと彼らの問題なので、木村さんが関与する必要はありませんよ」
女性陣はまだカメラを一樹たちに向けている。
SNSに晒されでもしたら今度は店に対する被害だけに止まらない。
この店の大切な常連客にまで迷惑をかけるわけにはいかない。
「いや、私が個人的に許せないだけだから」
しかし常連客の男性はそう言ってなぜかスマホを取り出し始めた。
自身が撮られていることを理解しながらも意を介せずに堂々としている。
そうしてスマホを取り出すと、どういうわけかボイスメモを開く。
その中に入っていた音声ファイルの一つを流し始めた。
『え? やばくないー? 本当にするの?』
『だってこの店、料理出るのおっそいしさ。金払う意味なくね?』
『たしかに。それで無料になったらめっちゃウケる』
『無料にさせるわ。ここにこうやって爪楊枝入れてさ』
『ははは、ウケるんですけど。じゃあ私ら動画撮っとくからさ。店員呼んでよ』
音声ファイルの中身は小鈴を呼ぶ前の四人の会話だった。
周囲の雑音が飛び交いながらも、会話はしっかりとスマホのスピーカーから部屋に響き渡る。
女性二人は気まずそうにスマホをポケットにしまい、男性二人は一樹たちから不機嫌そうに顔を背ける。
「今すぐ店から出て行ってもらえますか? 代金も払って」
「……チッ、行こうぜ。クソみたいな店だな、本当」
四人組は片付けをそう言って帰る支度を始める。
最後の捨て台詞のような言葉に堪忍袋の尾が切れた常連客の男性を一樹はなだめながら、小鈴の心配もする。
「大丈夫か? 痛むか?」
小鈴は掴まれていた部分をもう片方の手で覆うようにしていた。
掴まれた跡も消えてはいるがまだ残っている。
「はい……まだ少しだけ……」
「後で見るからな」
四人組が身支度を終えると、元カノと浮気した男の方が現金の一万円札を強く机に叩きつけるように置いた。
「もう二度と来ねえよ。釣りもいらない」
「出禁にしとくからな。もう二度と来るな」
男は一樹の横を通ると、分かりやすく舌打ちをする。
ふと、一万円札を取ると同時に一樹は空になった部屋に置かれた伝票を確認してみる。
すると、会計の合計は一万円を超えていて、明らかに足りない。
「おい、お釣りがないどころかあと千円足りないんだけどー?」
一樹が煽るように男にそう言うと、千円札を二枚、不貞腐れたようにその場で床に落とした。




