第九話 恋愛相談
二度目の朝、一樹は欄干に止まっているであろう鳥の声に起こされる。
目を開けると、一樹はゆっくりと体を起こす。
手が届く範囲にあるカーテンを半分開けると、レースカーテン越しに日中の光が部屋に差し込んでくる。
時計を見てみれば時刻はすでに十時半。
シてすぐに二度寝したからなのか頭が妙に冴えている感覚がある。
それと同時に頭の中だけ宙に浮いたようなそんな感覚が一樹に不快感を与えていた。
寝起きの悪い朝である。
一樹はため息をつくと、ベッドから出る。
そしてスマホを手に取って、ラインを開くと三人組のグループラインにメールを送る。
『今日飲みに行かないか?』
酒に酔って、今は何も考えたくない。
弱ったら酒に逃げるのは悪い癖だと自分でも思い始めている。
けれど今更それを止めるつもりもなかった。
それで美月を悲しませたかもしれないのに、その事実を忘れるために一樹はまた酒に逃げる。
***
夜の居酒屋、その個室。
いつもの友人三人組で駄弁りながらビールを飲み進める。
会話の内容は薄っぺらく、他人が聞いたら呆れるような会話しかしていない。
「なあ、この女優やばいんやけど。胸めっちゃでかいし、声エロすぎるわ」
「いやー、でもちょっとその尻は微妙だな。刺さらない」
「じゃあ真斗は誰で抜いてるん?」
「最近はグラビアアイドルだなー。月乃っていう人がめっちゃエロくて……」
「もうその話、何回も聞いたし、見せられたわ。月乃ちゃん確かにエロいけど……うちはグラビアでは抜けへんなあ」
今はアダルト系の女優の話や、グラビアアイドルの話をしている。
本当にしょうもないのだが、何も考えなくて済むからいい。
一樹はビールを一口喉に流し込むと、会話に参加する。
「宇都、グラビアにちゃん付けは中々に引くぞ」
「いやー、癖やねん。女の子にちゃん付けするの」
「ヤリチンが口癖からわかる。最近ヤッたのはいつなんだ?」
「え、一昨日。飲み会でお持ち帰りしたんやけど、めっちゃエロかったわ」
宇都はヘラヘラと笑いながらそんなことを言う。
中性的な見た目と声からは想像できないほど腹黒である。
「……何の飲み会?」
「中学の同窓会みたいな。中三の時のクラスがめっちゃ仲よかったから、久々に集まったんよ」
「それで中学の同級生とそのまま……ってわけか」
「そうそう。当時、うちに告白してきてくれた子でな。初恋は宇都くんやったーとか言われて、酒飲みながら話してたら、ワンナイトしてた」
中学、初恋、ワンナイト。
そんな単語の羅列に一樹は美月を連想する。
それと同時に、宇都に対しての怒りが溜まっていった。
「おっぱいめっちゃでかなってたし、相性も良かったわ」
相手にとっては宇都が初恋なのに、それをワンナイトで終わらせたのだ。
酒と性欲に流されるままに相手の気持ちを踏み躙るようにヤッたのだ。
さらには宇都はそれをネタにして盛り上がろうとしている。
一樹は自分を許せていなかった。
だから、宇都に対しての苛立ちが隠せなかった。
机を拳で叩くと、酔った勢いと感情の衝動に任せて声を荒げる。
「宇都っ!」
「え、あ、何? ど、どうしたん?」
しまった、そう思った。
真斗と宇都の二人の視線が一樹に集まる。
一樹は一度呼吸を挟むと宇都に言う。
「……わ、悪い。け、けどそういうのはよくないだろ」
「何が悪いん?」
「相手にとっては、宇都が初恋なんだろ? それをワンナイトで終わらせるっていうのは……癪に触ったっていうか」
宇都は目を丸くした後、クスッと笑った。
馬鹿にされたような気がして反射的に言葉を返そうとすると、宇都が言う。
「あはは、一樹って意外に紳士なんやな」
「紳士っていうか……かわいそうだろ、そんなの」
「そう? 誘ってきたのあっちやもん。じゃあうちはどうすればよかったん」
「それは……体の関係するくらいならせめて相手を知ってから……」
「付き合うとか?」
「……おう、そういうのはお互いを知った後の方がいいだろ」
「付き合うって言っても、今はその子、海外で働いてるから無理。でも、相手はうちが初恋で、今もまだ好きって言ってくれて……とりあえずせめてシたかったんやって。別にうちから迫ったわけではないよ。断ったらそれこそ可哀想やない?」
宇都の言うことは何も間違っていなかった。
しかし自分の状況と重ねて、苛立ってしまった。
途端に申し訳なさに見舞われる。
「……ごめん。先走った。そういうのも……あるんだな」
「ううん、一樹は童貞やからしゃあないよ」
「そうだな……って、俺、今、煽られた?」
「あはは、ちょっとうちもイラってきたからお返し。これでおあいこやな」
宇都はニコッと笑う。
やはり恋愛的な面でも人間的な面でも敵わない友人だ。
一樹はポリポリと頭をかくと笑みを浮かべた。
「じゃあこれで仲直りな」
真斗は強制的に握手を二人にさせる。
一樹は羞恥を覚えながらも握手すると、場の空気は元に戻った。
普段では絶対に気にしないようなことで怒ってしまった。
悩み混んで、考え込んで、ストレスが溜まっていたのかもしれない。
「……ごめんな」
「別にそんなに気にせんでええのに……どうしたん? 何かあったん? 顔に書いてあるで」
「え、俺、そんな顔してたか?」
「うん、急に飲もうって言ってきたのも何かあったからやろ?」
「たしかに、ちょっと今日の一樹暗いよな」
よほど顔に出ていたのだろう。
二人に心配の目を向けられている。
悩みの種が複数あって、それが板挟みになって今は辛い。
解決になるかはわからないが二人になら相談してもいいかもしれない。
当然、初体験のことは全部は到底言えない。
自分がしたことはわかっているから。
けれど少しは誰かに吐き出したかった。
「なら、ちょっといいか?」
「おう、俺らで良ければ」
「……最近さ、バイト先の後輩に多分、好意を寄せられてるんだよな。俺が元カノと別れて辛かった時にも相談とか乗ってくれた子で、いい子で、結構可愛い」
「おお、いいやん。付き合うん?」
「今、それで悩んでる……その子の好意とどう向き合うべきなのかって」
美月のことがずっと引っかかっている。
それは心の中のモヤモヤとなって、大きくなって、今の一樹を悩ませている。
初恋の幼馴染をただのワンナイトの関係で終わらせたくなかった。
けれど一回ヤッたあとはそれっきりで会っていない。
また美月と会いたい。
会って、話したい。
美月のことを知ったらもう一度、あの快感を……。
そんな想像をしてすぐに自分が今、性欲に支配されていることに気づく。
酒と性欲に溺れたから美月のことを知れなかった。
それで泣かせて、目の前から消えたという事実はいつまで経っても消えないというのに。
一樹は自己嫌悪に陥りながら、俯く。
「一樹はその子のことが好きなのか?」
「どうだろうな。わからない。ただ、可愛いとは思うし、たまにドキッとする」
「じゃあ付き合う一択だろ」
「……そうだな、そうなんだろうけどな」
美月のことが忘れられない。
あの日の夜が忘れられない。
何も考えたくない。
ただ美月に会いたい。
『会って思ったけど、一樹はだいぶ男らしくなってるよ?』
男らしい。
美月がそう言ってくれたから、EDはすぐに治った。
『かっこいいよ、一樹は』
一樹が弱音を吐いている時、美月は何回もそんなことを言ってくれた。
『ねえ……一樹、好きって言い合わない? 嘘でも……いいから』
行為中にそんな言葉を求められた。
実際に付き合ってなくても、たとえ嘘でも、お互いに好きを言い合ってみた。
ただただ幸せで、快感で、また、体はそれを求めている。
心は美月を求めている。
美月との初体験のことが嫌でも忘れられずに心体に刻まれている。
***
二十二時ごろ、三人は会計を済ませて居酒屋の外に出る。
もう冬のような寒さを纏った風が吹きかけるが酒が体に回っているのでむしろ心地よい。
「どうするん? もう帰る?」
「ああ、俺はそうする」
「俺も今日は疲れたー。帰って速攻寝るわ」
今日の飲み会はここで解散するらしい。
一樹は電車の時間だけ調べて、スマホをポケットにしまう。
そして二人にお礼を言う。
「……ありがとうな。相談乗ってくれて」
飲み会の後半はほぼずっと一樹の恋愛相談だった。
美月のことは言っていない。
しかし後輩との関係をどうするか、振るとしても傷つけないようにするにはどうしたらいいか。
そんな悩みにいくつかアドバイスをくれた。
役立つかはわからない。
しかし確実に言えるのは心は多少は楽になった。
いい友人を持ったと思う。
「気にすんな、友達のためだしな」
「またうちらいつでも相談乗るから。またなんかあったら言ってや」
「おう……ありがとう」
そんな会話を交わして、飲み会は終わった。
一樹は二人に別れを告げると、最寄り駅の方向へと歩き出す。
その間、一樹の考え事は止まらなかった。
何も考えないつもりが、考え事が増えてしまっている。
そろそろ小鈴の好意に向き合うべきなのかもしれない。
冷静に考えれば美月のことを忘れて、好意を伝えてくれる人へその好意を返すべきだ。
ただ、歩くごとに次第にそんな思いは消えていき、残ったのは煩悩だけだった。
『女の子がいっぱい! 一時間八千円!』
やがてホテル街に来たのか、そんな立て看を多く見かける。
それを見て、あの日の夜の行為を想像して、一人勝手に性欲を暴走させる。
酒が回っているからか、収まらない。
帰ったらヤッて、寝よう。
性欲の衝動に身を任せてそう決める。
そうしてホテル街を歩いていた時だった。
どこからか声が聞こえてきた。
「あの、そういうのじゃなくてっ!」
「はあ? とりあえず行こうぜ。ホテル代も出すから」
面倒ごとに首は突っ込みたくない。
一応、声のする方を見てみれば、壁際で一人の女性が男性に腕を掴まれていた。
そしてその女性と目が合う。
目があって、理解した。
その女性は一樹がずっと探していた相手で、初恋で初体験の相手。
「美月っ!」
一樹はその名前を叫んだ。




