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2 令嬢、新天地にて生まれ変わる2

エルが身支度を整えて戻ったら、エルの帰りを待ち切れないエメラルドがもう朝食のスープを作り終えていた。慌てたエルは謝りながら食器の準備をした。あとから来たエメラルドの弟ダン(彼もエメラルドと一緒で体格がいい、しかしエメラルドと真逆で無口だ)も食事の配膳を手伝い、そして、3人の朝食が始まった。


朝食が終わると、昼営業のための仕込みが始まる。それが終わると短い昼休憩を挟んで開店する。

店にはたくさんの客がやってくる。もともと田舎なので、店が数えるほどしかないということもあるけれど、ダンの作る料理は間違いなく絶品なのである。

昼の営業が終われば少し長い休憩がある。それが終われば夜の営業である。夜はお酒もでるため、この町には少ない若い女性であるエルに嫌な絡みをする客が後を絶たないため、この時間がどうにもエルは苦手だった。しかしそんな輩が現れれば必ずエメラルドが怒鳴って追い払ってくれるため、なんとか安心して働くことができた。


「…また戦争かね」


エルが食事を持っていったテーブルでは、男性数人がため息をつきながらそう呟く。国境近くのこの町は、隣国の動きや国の軍の動きが繊細に感じ取れてしまうのだろう。

エルはここにきて詳しく知った話なのだが、この国は隣国と長らく不仲で、事あるごとに隣国から攻め込まれるような戦が起こり、何度も追い返しているようである。追い返せばしばらくは隣国もおとなしいが、最近また怪しい動きをしているのだという。そして、それを察知した国が、この町近辺に軍を送っているらしいのだ。


「嫌だねえ…」

「仕事ができなくなるってんだよ」

「こっちは今日食うのも一苦労なのによ」

「領主様は税の取り立ても厳しいし…」


暗い話を聞かないふりをして、エルは配膳していく。エルに気がついた客の男たちは、おお、エリィ、と微笑む。エルは、にこりと笑顔を返す。


「景気の悪い話ばっかだしよ、なにか、景気のいい話でもしてくれ」

「け、景気のいい話…?」


客に会話を頼まれると、エルは未だに戸惑う。エルが真面目に考えていると、そんな様子が面白いらしく、客たちは笑う。


「そうだ、エリィはもういくつだ?」

「ええと…19歳…?くらいです」

「そりゃいけねえ!結婚しねえと!」


バンと机をたたくと、誰かアテはあるかねえ、と頭を抱える。エルは苦笑いをしながら、私はまだ…、と返す。そんなエルに、そんなんじゃだめだ!と客が食らいつく。


「女の旬は早いんだ。そんなんじゃ嫁に行き遅れちまう」

「そうだそうだ!オレのかあちゃんを見てみろ!若い頃は…」

「ハイハイ!追加注文の酒!!」


ドン!と音を立てて、エメラルドがジョッキを置いた。そして、エルに絡み続ける客たちを睨みつけた。


「この子は仕事中なの。そろそろ解放してくれない?」

「この子の大事な将来の話じゃねえか、なあ?」


一人の客の言葉に周りの客たちもうんうんと、ただただインスタントな娯楽を求めた笑いを浮かべて頷く。エメラルドは、はあ、とため息をつく。


「ちゃんちゃらおかしな、余計なお節介よ。他人のアンタたちが勝手にこの子の旬を決めてんじゃないわよ」

「男のお前に女の何がわかんだよ」

「あら、エリィのことは少なくともアンタたちよりはよく知っているわ。ほらエリィ、皿洗っといで」


エメラルドはエルに向かって手を払う。エルは軽く頭を下げて、その場から去った。




エルは、エメラルドに言われたとおり厨房にさがったけれど、お皿が溜まった様子はなかった。エルはさっきの客たちを楽しそうに笑わせているエメラルドを見て、ありがとうごさいます、と微笑んだ。

すると、ひっきりなしに調理を続けるダンがエルを何か言いたげに見ていた。エルが首を傾げると、ダンが、ん、と言って溜まったゴミ箱を顎で差した。エルは、はい、と返事をするとゴミを持って裏口から外へ出た。

店の裏にはゴミを一時的にためる場所がある。そこへエルはゴミを運ぶ。最初は運ぶのに一苦労な重さだったけれど、3年も経てば慣れるもので、我ながら逞しくなったと誇らしいエルであった。


ゴミを片付けて店に戻ろうとしたら、裏口にしゃがむ人物の姿が見えた。よく見ると、ケインという男性だった。さっきエルに絡んできた客の1人に漁師として弟子入している少年で、エルと歳が近いので、店に来た時にたまに会話をしているのである。

この村にはエルと歳近い男女は何人かいるけれど、エルはその誰とも打ち解けられずにいる。ここにきてもう3年も経つというのに、である。この村の歳近い人たちは、エルに対して笑顔で話しかけてくれる。それに対してエルは笑顔で返すことができる。けれどどうしても、エルは彼らと友人になることは出来なかった。


「(…私なんかと仲良くしてもらえるわけない)」


エルは、かつて仲良くしていた友人たち全員から離れられたことを思い出して胸の奥が薄暗くなる。あの頃からずっと、自分でも誰かと親しい友人となれるということを、未だに信じられずにいる。

エルは忘れたい過去を思い出したくなくて頭を振る。その後、エルは接客用の笑顔を貼り付けた後、ゴミを片付けながら、こんばんは、とケインに声をかけた。ケインは顔を上げると、エリィか、と呟いた。エルはケインの目を見て、小さく微笑む。


「親方待ちですか?」

「そ。親方、酒飲むと長いんだよなあ…」

「先に帰らないんですか?」

「先帰ると不機嫌になるんだよ」

「なら、お店の中で待ってたらどうですか?」

「金ねえんだよ。冷やかしになるだろ」


はーあ、とため息をつくケイン。その後すぐ、彼の大きなお腹の音が聞こえた。エルはそんなケインにくすくすと笑った。ケインはそんなエルに、恥ずかしそうに口を曲げた。

エルは、この町に来て昔よりも自然に笑えるようになったとしみじみ思う。あの頃は、貴族としてあの家で生きていた頃は、毎日が苦しかった。ここの生活だってもちろん大変だけれど、こんなふうに笑うことができる。それだけで、生まれ変わってよかったと、そうエルは思えるのだ。

エルは、すこし待っててください、と言った後、裏口から店に戻った。そして、すぐにケインのもとに戻った。彼女の手にはパンがあった。


「どうぞ。私のまかないです」

「いいの?!でも、お前の分は?」

「大丈夫ですよ」

「そういうわけにはいかねえ」


ケインはそう言うと、パンを半分に割ってエルに手渡した。そして、有り難くいただく、と言うと、パンにかぶりついた。エルはそんなケインを見てまた笑った後、それでは、と言って店に戻ろうとした。そうしたら、おっ?という男の声がした。エルとケインが振り返ると、顔を赤くして完全に出来上がっている漁師の男たちがいた。その中にいたケインの親方が、お酒で真っ赤になった顔でケタケタと楽しそうに笑ったあと、ケインの肩を乱暴に抱いた。


「なんだよお前ら、そういう関係だったのか?」

「はあ?何言ってんだ親方?」

「付き合ってんだろ?」 


親方の言葉にケインはわけがわからずにきょとんとする。周りの漁師たちは、ヒューと囃し立てる。エルは頭がついていかずに固まる。

ケインは呆れたようにため息をつく。 


「俺とエリィ?なんともないよ」

「照れんなって!決まり!!結婚!!ケインとエリィが結婚!!」


ケインの親方のそんな上機嫌な宣言の後、周りの男たちが笑いながら囃し立てた。エルは盛り上がる周囲の中でぼんやりと立ち尽くす。


「(結婚…)」


そんな言葉に、エルは固まる。ここ数年、ずいぶん自分からは遠い言葉だったからである。

黙り込むエリィをちらりと見て、周囲に違うって!と釈明していたケインが、おい、と呆れたように話しかけた。


「おい、何黙ってんだよ。お前も何とか言えよ!」

「あっ、ご、ごめんなさい…」

「おいおい、夫婦喧嘩は犬も食わねえぞ?」


酔っ払いたちが楽しそうに野次を飛ばす。そんな周りに、なんとか否定したいケインがもどかしそうに、ああもう…と髪をかく。

エルもエルで困惑しながらも、ふと、一人の男性のことを思い出した。かつて自分と結婚するはずだったあの男性のことを。


すると、騒ぎを聞きつけてやって来たエメラルドが、ケインの頭を軽くはたいた。ケインは、いでっ!と声をもらした。エメラルドは、ふんっ、と鼻を鳴らした。


「こんな半人前の見習い風情の男にうちのエリィを嫁がせるわけないだろ?バカ言ってんじゃないわよ」

「そっちの小娘だって、まだまだ見習いじゃねえか。半人前同士丁度いい。いい年していつまでも嫁入り前じゃ、お前んとこも困るだろ」


周りにいた客がそう言うと、楽しそうに周りの客たちが笑う。エルは、エメラルドが困るかもしれないという言葉に胸がどきりとした。すると今度は強くエメラルドが咳払いをした。


「うちのエリィも、一人前になってから結婚相手は探しますので、どうぞお気遣いなく。ほら、あんたたち明日も早いんだろ?ションベンして寝な!!」


エメラルドはそう言って男たちを追い払うと、エルを店へ誘導した。ただの冗談で騒いでいただけの男たちは、ゲラゲラと上機嫌に笑いながら店から去っていった。エルは店に入ったあと、エメラルドを見上げだ。


「あの…ありがとうございました」


頭を下げるエルにエメラルドは、アンタねえ!と怒鳴った。


「この店で働いてんのに、あれくらいの酔っ払いを軽くいなせなくてどうすんのさ!!」

「はっ、はい…!」

「ったく…」


ぶつぶつ言いながら、エメラルドは厨房へ歩いていく。もうすぐ閉店前とあって、店の中に客はほとんど残っていない。エルはエメラルドの後を追って厨房へ向かった。

その時エルはふと、ケインと結婚する自分を想像した。気さくで自分でも話しやすいケインのことは好きだ。でも、もちろん恋愛感情ではない。そして向こうももちろんエルにそんな感情を抱いてはいない。けれど、エメラルドとダンに迷惑をかけるくらいなら、好きではない相手とでも結婚できたほうが嫁に行きそびれそうな今よりもずっとましなようにエルは感じてしまう。エルが考え込んでいると、エメラルドが急に立ち止まった。エルは止まりきれずにエメラルドの背中に鼻をぶつけてしまった。エメラルドは立ち止まったまま、アンタね、と言った。


「アンタまさか、あの酔っ払いたちの言ったこと本気にしてる?」

「えっ?」

「さっきの話、結婚の話、まさか本気にしてないわよね?」

「え?ええ…っと、あの…、皆さんの言う通り、年頃の女性が結婚せずにいるわけにはいきませんし…、その…」

「はあ?アンタ、アイツが好きなわけ?愛してるわけ?」

「いえ、ケインと、という話ではなくて。彼もそんなつもりないでしょうし。その…迷惑をかけるよりは、誰かと結婚してしまわないとって…」


誰かとの結婚を前向きに考え始めたエルとは反対に、エメラルドは、はあ、と心底呆れたような溜息を吐いた。


「あのねぇアンタ、アンタが好きでもない男と結婚してアタシとダンが本当に喜ぶと思ってんの?」

「でも、嫁にいきそびれるよりは…。年ごろになれば結婚するというのが、この町での普通でもありますし…」


エルは、じわじわと怒った顔に変えていくエメラルドに驚いて言葉を止めた。エメラルドは静かにゆっくりと話し始めた。


「…あんたが結婚したい理由が、普通だからってことなら、結婚なんかしなくていい。アンタが本当に好きな人と結婚してくれるのなら喜ぶしお祝いもする。そうじゃないのならアタシは絶対に認めない。周りの言う゛普通゛になんか無理してならなくていい。考えてもみて、アンタを預かってるアタシがこんなにこの町の言う普通じゃないのよ?」

「…エメラルドさん…」

「ほら、しょうもない話は終わり!さっさと皿を洗いな」


エメラルドはそうエルに促した。エルはそんなエメラルドに少し目が潤むのを感じる。これまでずっと、エル本人の意思など全く無視されてきたものだから、こんなにも自分のことを考えてくれる人がいるということに胸が優しく締め付けられた。エルはなんとか、はい、と返すと洗い場に溜まった皿を洗い始めた。







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