17 その王子、偏屈につき3
こうしてエルはなんと、第二王子エドワードの侍女代理を務めることになった。
新しい執事(または侍女)が決まるまでの繋ぎ的な役割であったこともあり、本来は使用人の立場にあるエルに課された仕事は、エドワードの着替えの手伝い、食事やお茶の給仕、そして、エドワードが不在の際に、訪れた貴族から手紙や書類等を預かる、くらいのものであった。
エドワードのことを、貴族だった頃からそこまで詳しくエルは知らなかった。婚約者の兄であり、いつも自分のことを疎ましそうな目で睨む怖い人、くらいのものであった。頭がよく、勉強ができることも知っていたため、会話を仮にしたとしても理詰めされそうだ、と勝手にエルは恐れていた。
それが何の因果か、平民として生まれ変わってエルは彼の身の回りの世話をすることになってしまった。
エルは正直、ロゼの頼みとは言えとても嫌だった。噂や実際に会ったときの記憶を照らし合わせても、彼が近寄りやすい人だとはお世辞にも思えなかったからだ。さらに、他者に対して寛容さは無さそうであり、なにか失態をおかせばただでは済まされない気がした。
だからエルは、ひどく緊張して彼の世話にあたった。着替えや食事の給仕等を、粗相のないように努めた。お部屋担当とは違い、エドワードのお世話係になると、掃除等使用人としての仕事は免除された。だから、体力的には前のほうが疲れたけれど、精神的には比べものにならないほど今のほうが疲れた。
エドワードは、とにかく細かかった。
彼の決めた時間に彼の求めるものがないとひどく不機嫌になった。この時間に着替えができない、朝食が来ていない、会議の資料が来ない、担当の者が説明に来ない、お茶がない、など、とにかく自分の決めたスケジュールに周りが少しでもずれると眉をぴくぴくと動かして不機嫌そうに腕を組み、時には声を荒げて叱咤した。
気をつけてはいたけれど、エルは何度も彼に声を荒げられた。王子から叱られることはひどく怖くはあったけれど、しかし、エメラルドからの雷を何度もくらってきたエルにはそういうことに多少の耐性があった(エメラルドは愛あっての雷のため、かなり怒鳴りの種類が違ったけれど)。
いちいち細かいことで怒るエドワードを見ながら、確かにこれに温室育ちのご令嬢たちが耐えることなど不可能だろう、とエルは思った。
エドワードの就寝を見届けて、エルはやっと部屋に帰ることができた。ここのところ、夕飯の時間に間に合ったためしがなく、最近は使用人仲間と接することもほとんどなくなっていた。
使用人がお世話係をすることなどこのお城では未だかつてなかったため、主人が眠りについてからやっと休めるエルの勤務体系に、食堂が合わせてくれることはなく、エルが休める頃には食事は全て片付けられていた。
それに気がついてくれたネルが、頼む前からエルの分の夕飯もとっておいてくれるようになり、エルが仕事から戻ると、ネルがベッドから起き上がり、そのまま2人で宿舎の外へ出て、そこでエルがネルと一緒に夕飯をとる、という流れができあがったのだ。
「(…あのネルが、こんなことをしてくれるなんて……)」
エルは、今日の夕飯に出たらしいリンゴを齧りながらそんなことを考える。ネルは夜空を見上げていたけれど、視線を感じたのかエルの方をみて、なにさ、と
怪訝そうに言った。エルは慌てて、何でもないわ、と頭を振った。
「ただ…感謝してるのよ。本当にありがとう、って」
「はいはい、聞き飽きたからもう言わなくていい。後もう少しで犯人の尻尾がつかめそうなところ、唯一の協力者に倒れられたらことだろ」
これ以上言われると怠い、とネルはけだるそうに寝転がった。エルは、そんなネルを見つめて小さく微笑んだ。
「にしてもさ、あんた、ロゼにまで良いように使われるなんてね。あの問題児三男のお世話が終わったと思ったら、今度はあの問題児次男のお世話か」
仲良くしてたのにね、とネルは意地悪そうに言った。エルは、ちがうわよ、と頭を振った。
「ロゼ様も、仕方なくって感じよ。頼める人が他にいなかったみたいなの。……エドワード殿下の圧に耐えられる人が他にいないんでしょ。お城のお仕事をやめられる前に、ロゼ様、随分気がかりに思われたみたいだから」
「ああ、ロゼ、お城で働くのはもう明日が最後なんだっけ?」
「ええ。明日、お別れのお茶会するって話よ。忘れてないわよね?…私は行けないけれど」
今までならまだしも、エドワードにお茶会をするから仕事を抜けたいなどとはとても言えそうにない。がっくりと肩を落とすエルだが、まあ、とにかく、と咳払いをした。
「ロゼ様にそんな、私を良いように使うなんて悪意はないし、それに私、万が一そうだとしても、ロゼ様がお困りなら喜んで働かせていただくわ」
エルの言葉に、ネルは少し目を丸くしたあと、少しだけ不機嫌そうに、ふうん、と目を伏せた。
「…あんたのそれは、色んな人に適用されるわけね」
「…?どういうこと?」
「あーはいはい。ま、あんたはあの時のアラン王子と対峙してたわけだからね」
そりゃああんたは適任だ、とネルは意地悪くほくそ笑んだ。エルは、私が対峙できてたのは私が忍耐力があるからでは…、と呟く。
ネルはしばらく黙って夜空を見上げた。そして、少しの間の後、よく噂で聞くよ、とネルが呟いた。
「アラン殿下、もう人と普通に関われるようになったらしいじゃん。会議にも出るし、軍のこと以外の仕事もするし。使用人仲間が騒いでたよ、笑顔が素敵でどうのこうの〜って。前は散々怖いだのなんだの言ってたのにさ」
「…そうみたいね」
エルはそう呟く。マイクから声がかかることもなくなったうえに、偶然アランとどこかで会うことも最近はなくなった。ましてや今はエドワードの世話係をしているため、いつものあの中庭に行くこともなくなったのだ。
ネルは、少し黙ったあと、だからさ、と言った。
「あんたがここにきた目的は、もう果たせたわけだ」
ネルの言葉に、エルは、えっ、と声をもらした。ネルの方を見ると、ネルは空を見上げていた。エルは少し動揺しながら、ま、まだよ…、と言った。
「だってまだ、殿下は新しい婚約者を見つけていらっしゃらないもの」
「もう結婚しない宣言してんだろ?そんな日一生来ないよ。立ち直るところをみるのがあんたの目的なら、もうそれは果たしているとも言える。結婚することが人生の至福なわけじゃないんだから」
「それは…そうだけれど」
エルは目を伏せて、あの日のアランを思い出す。自分との過去を一生悔やみ続けると言った彼は、果たして立ち直ったと言えるのだろうか。表面上は少しずつ周りと関われるように戻ってきたのだとしても、それでも、彼は彼の内側で一生過去に苦しめられ続けるのなら、それはエルの求めた彼の姿だろうか。
「よかったね、そんなに王子に想われてさ。あんたが忘れられなくて、そんなこと宣言したんだろ?」
ネルが、鼻で笑いながら言った。エルはネルの方を見て、そんなの駄目!とはっきり言った。
「私は、私のことなんかさっさと忘れて、新しく生きてほしいのよ!」
エルはもどかしくて唇をかみしめる。あの火事への悔いはどうにもならないとしても、自分のことについてはなんとかならないものだろうか、とエルは考えるが、なにも浮かばない。
ネルは、そうだなあ、と怠そうにあくびをしながら言った。
「あんたが幽霊のふりをして夢枕に立つんだ。そんで、私のことは早く忘れてください、って諭せばいい」
「…なるほど、それはいい案かもしれない」
「馬鹿かよ。冗談に決まってんだろ」
ネルはエルを馬鹿にしたようにけらけらと笑った。エルはからかわれたことに微妙な気持ちになりながらネルを見た。
ネルは笑いをとめると、少しだけ息を吐いて、それからゆっくり口を開いた。
「…まあ、本人がそうしていくと決めたことだろ。あんたがこれ以上できることなんかきっとなんもないさ」
「…でも、」
「前みたいに生きてるか死んでるかわかんない状態からかなりマシになっただろ。もう十分あんたはやったよ。…あの火事のことだって、犯人も目星がついた」
ネルはそう言うと、ゆっくり起き上がった。そして、エルとは目を合わせずに、あんたはさ、と言った。
「いっそもう、その見合い相手と結婚して幸せになればいいんじゃないの?」
「…え?」
エルは、ネルの言葉に呆然とした。ネルは、だってさ、と遠くを見ながら言った。
「相手、でかい商家の人間なんだろ?田舎の貧乏人が一生縁のない相手だ。こんなとこで下働きしてるより、商家に嫁入りしたほうがずっと幸せだろ」
「……なんだか意外。ネルって、そういうこと言うのね」
「そういうこと?」
「結婚して幸せになれば、とか。あなた絶対に言わなさそうよ。結婚に夢なんて持ってなさそうだし」
「馬鹿言うな。あんたが夢みてるようなお気楽な幸せの話をして勧めてるんじゃないよ。金だよ金。現実的な話」
当たり前だろ、とネルが呆れたように言った。エルはそんなネルに少し目を丸くしたあと、頭を振った。
「私、もう裕福なだけの生活には戻りたくない。お金がいくらあっても、大好きな人のいない生活の中では生きていけない」
エルはそう、ネルをまっすぐに見つめて言う。そんな
エルを見て、ネルは力なく鼻で笑った。
「…よく言うよ。本物の貧乏を知らないだけだ」
「…そう言われたら、そう、かもしれない。でも私、今の生活からまだ離れたくない。あなたや、メリーベル様や、ヘレナ様、ロゼ様、マリア様、エミリー様…こんなにたくさんの方とお話ができる毎日を、まだ手放したくない。ここを去ることになったら、私はまたあの港町で大好きな人たちと暮らしたい。難しいかもしれないけれど時々は予定を合わせてみんなと会って話したり、そんな日々を過ごしたい」
「……」
「それに第一、まだあなたとの約束を果たしてないわ。あなたのもとへ妹さんを帰すことよ。犯人は目星がついたけど、その証拠がない。それをこれから探さなくっちゃ!」
エルは気合を入れる。ネルは少しだけぽかんとしたあと、馬鹿だな、とため息をついた。
「証拠なんて出っこない。そこまでできるなんてはなから思ってない。犯人がパークだっていうもう一押しの確証さえ得られればそれでいい。それさえわかれば…あとはまあ…私が何とかするよ。だからあんたはとっとと嫁に、」
「何を言ってるのよ!確証だけじゃ事件の解決にはならないわ。妹さんは戻ってこないじゃない!」
エルはネルの目をまっすぐに見た。ネルはまた驚いたように目を丸くした。エルはネルの手を取ると自分の両手で包んだ。
「必ず、あなたのもとへ妹さんを帰すわ。信じて」
エルはネルの目をまっすぐに見つめて伝えた。ネルはしばらくエルの目をぼんやりと見た後、…当然だろ、と言うとエルの手を払った。
「あんたのせいなんだから。しっかりやってくれ」
「…ええ、そう、そうよ、だから私、必死にやるわ」
「あんたが城から追い出される前に頼むぜ」
ネルはそう言うと立ち上がり、自分の体についた砂埃を払った。エルは星空を背中にしたネルを見上げて、…ねえ、と口を開いた。
「…しばらくは、まだあなたと、みんなと話したり、お茶会をしたりできる、わよね」
「ロゼは明日でいなくなるけどな」
「ええそうね。…お祝いしなくちゃいけないのに、なんだかさみしいわねね」
「……」
エルは、黙るネルを見上げた。ネルは、べつに、と
軽く言うと立ち上がり、そして、じゃ、と短く言うと宿舎の方へ戻っていった。エルはネルの背中を見つめながら、あなたも少しはさみしいんじゃない、と小さく微笑んだ。




