1 孤立する令嬢と諦めない王子様6
もっと若い年齢でも結婚する貴族など山ほどいるが、なんとかこの結婚を白紙にしたい貴族たちから年齢がどうだのと言われて延期させられていたようなエルとアランの結婚だったが、アランの鶴の一声で、アランとエルの結婚の話が現実的に動き始めた。
貴族たちや、王宮内の役人たちは頭を抱えたけれど、国王が息子の決定を認めたために、もう誰もアランを止められる人など存在しなかった。
エルは、アランやその周りの大人達がトントン拍子で進めていく結婚の話に、心は蚊帳の外でいた。実際に結婚が決まれば、もうエルに聞こえるように陰口を言う人たちはやっと居なくなった。不気味なほど静かになる周りに、エル薄ら寒い気持ちで居た。
エルとアランの結婚が決まったことを聞いた叔父は、ひどい形相でエルの部屋に入ってきた。叔父は、驚くエルを見下ろして、頭を抱えながら苦しげなうめき声をあげたあと、重い息を一気に吐き出した。
「…俺は悪くない」
叔父は、そう小さな声でつぶやいた。エルは叔父の気持ちがわからずに戸惑うばかりだった。
「俺は悪くない。お前が悪い。お前が全部悪い、お前が…」
そうブツブツと繰り返す叔父に、エルはさらに戸惑う。
叔父はしばらくの間の後、すんとした顔でエルの方を見た。
「…そういえば、結婚の前に、ケイト子爵家へご挨拶に行かないといけないな」
叔父は突然、エルの母の生家のことを話し始めた。エルは、え、ええ…、と困惑したまま返す。エルの祖父母はすでに亡くなっており、その家にいるのはエルをさして可愛がってもいない叔父夫妻だけだ。
「かなりの長旅になる。来週あたりにするか。予定を組んでおく」
叔父はそう言うと、部屋から出ていった。
エルは、困惑しながらも、しかし、叔父のことを深く考える力もなく、ただただ目を伏せた。
馬車に揺られて、エルは城にたどり着いた。結婚を決めたあの日から、以前よりも頻繁に会いたいと、エルはアランから求められるようになった。
城に着けば、城のメイドがエルをアランの部屋まで案内した。エルを案内しているメイドや、すれ違うメイドたちは、今までと違って彼女を邪険にするような様子は見せなかった。来月にもこの城に、アランの妻として住むことが決まったエルに、本当に結婚するとは夢にも思っていなかったらしい彼女たちは、今更気を使っているようだった。
アランの部屋へ向かう途中で、中庭への入り口の前を通ろうとしたとき、中庭の中央に置かれた噴水のそばで、アランとヴェルド、そして2人の学友であるマシューの姿が見えた。
「考え直せ!」
ひどく憤慨したヴェルドが、アランにそう詰め寄った。アランは、どうしたんだ、とヴェルドの肩を宥めるように優しく叩いた。そんなアランに、さらに苛立ちを増したようなヴェルドが、言葉を続けた。
「君は国王になれるんだ!君は、周りが推薦する令嬢と結婚するべきなんだ。それなのに、あんな家の女と結婚したら、貴族たちは君に従わない。国王になど到底なれない!」
「やめてくれ、俺はそんな野心を抱いてなんかない。兄さんのもとで真摯に働くつもりだよ。それに俺は、エルと一緒になれるなら、それで良いんだ」
「…何故あの女に固執する…君は、」
「まあまあまあ、落ち着いてよ。せっかくのおめでたいことなのにさあ」
笑顔を見せるマシューが、2人の間に入った。クリーム色のくせっ毛が優しい印象を与える少年である。ヴェルドは2人から目を背けて、この悪夢のどこがめでたいんだ、と吐き捨てると、その場から早足で去った。すると、ヴェルドは立ち止まるエルと目が合った。ヴェルドはエルに憎しみすら感じる視線を向けたあと、彼女から視線を外してその場を去った。エルは、ただ立ち尽くすしかなかった。頭の中が、もはや何も動かなくなっていた。感情が鈍り、自分とその肉体が乖離してしまったような感覚に、エルは陥っていた。
「ヴェルド…」
アランがそう呟くと、マシューは、ぽんとアランの肩を叩いた。
「ヴェルドは君のことが好きだから、心配してるだけさ」
「…」
「…僕は君とエルの結婚をとってもお祝いしてるけどさ、でも、…アラン、君、なにか焦ってない?」
マシューは、アランを見上げた。アランは、一瞬の間のあと、綺麗な笑顔でマシューの方を見た。
「いいや、何も。俺も16歳になるから。それだけさ」
「…ふうん。3つ上の君の兄上はまだ独身だけど?」
「あはは。エドワード兄さんは、恥ずかしがり屋だから」
「恥ずかしがり屋?」
マシューがええ?と目を丸くする。そんなマシューにアランは小さく笑った後、あれ、と呟いた。
「そろそろエルが来る時間だ。もう行くよ」
「へー、仲良しだね」
マシューの言葉に、アランは笑顔のまま何も返さない。マシューはそんなアランを少しみつめた後、それじゃあまたね、と笑顔で手を振った。アランはそれに手を振り返し、廊下を歩きだした。すると、廊下にいるエルを見つけた。そして、エル、と嬉しそうに声を漏らして彼女に駆け寄った。
立ち尽くしていたエルは、なんとか作り笑いをアランに見せた。
「あれ、エルいたんだ」
エルに気がついたマシューが二人の傍にやってきた。エルは、お久しぶりです、とマシューに挨拶をした。マシューはそんなエルに微笑む。
「この度は本当におめでとうございます。…って、もしかして、ヴェルドの話、聞いてた?」
「え…」
マシューは心配そうな顔をした後、気にしちゃだめだよ、と笑った。
「ヴェルドはああいうやつだから。アランのことを心配しすぎて、思ってもないことを言ってしまうんだ」
「は、はい…」
「だから気にしないで」
マシューの気遣いに、これまでのヴェルドからの嫌われようを思い出して、思ってもないこと、のわけがないけれど、と心の中でエルは呟く。
マシューは、それじゃあね、と手を振ると、二人の前から去った。
「…疲れただろう。部屋まで案内するよ」
「は、はい」
アランは、エルを案内していたメイドをこの場から離れさせると、エルを連れて歩き始めた。
エルとアランが部屋に着くと、後からやってきたマイクがお茶の準備を始めた。
エルとアランはいつものように向かい合って椅子に座る。
「式は来月ですか。楽しみですね」
紅茶のはいったポットにお湯を注ぎながら、マイクがそう笑顔で話す。そんなマイクの様子に、結婚というものは、本当はおめでたいことなのか、と今更ながらエルは考える。エルは、なんとか笑顔を作って返す。
「準備がどんどん忙しくなりますね、殿下」
「でも、こういう忙しさは好きだよ」
アランはそう嬉しそうに笑う。エルは感情のない笑顔を顔に貼り付ける。
「そうだ、来週は俺がエルのところへ行くよ」
アランの申し出に、エルは叔父の言葉を思い出す。
「あっ…来週は予定が…」
「予定?」
エルの言葉に、一瞬で不機嫌そうにアランの雰囲気が凍った。そんなアランにエルは少しおびえつつも、あ、あの…、とどもりながら言葉を続けた。
「その…母方の生家へ結婚前に挨拶へ、…あの…叔父と行くことになっていて…」
「…それは、ケイト子爵を城に呼べばいいじゃないか。それに、家同士の挨拶は別日に時間をとることになっているはずだよ」
「そう、ですよね…。でも、叔父が行くと言うので…」
「俺がそうダニエル男爵に話すよ」
アランは、これでエルのケイト子爵邸への訪問はなくなった、というような顔でそう言った。アランのらしくない様子に、エルは困惑しながら目を泳がせる。
すると、紅茶の注がれたカップを置きながら、マイクが、殿下、と宥めるように声をかけた。
「エル様は、殿下とご結婚されたらそうやすやすとお城からは出られなくなります。親戚の家に行ける最後のチャンスかもしれないんですよ?それに、お城に来る時はオフィシャルの場です。そういう場ではなく、リラックスして語らいたいこともあるでしょう」
「…」
マイクにそう言われて、返す言葉がなくなるアラン。そんなアランを見て、普段さんざん振り回してくる相手を珍しく言いくるめられたことに満足そうな顔をするマイク。エルは、語らいたいことなどないけれど、という言葉を飲み込む。アランはあきらめたようにため息をついた。
「…わかった。帰ってくる日はいつになる?その次の日に会いに行くよ」
「…殿下、ご結婚されたら毎日会えるじゃないですか」
「え、ええと、叔父に確認します…」
まだ不服そうなアランに、エルは苦笑いでそう返した。
母方の生家へエルと叔父が向かう日がやってきた。ケイト子爵邸はダニエル男爵邸からとても遠いため、途中、宿で休むという予定になっていた。
エルと叔父は、2人で屋敷を後にした。
長い長い馬車の旅が続き、やっと今日の宿にたどり着いた。
エルと叔父は宿の主人に、それぞれの部屋に案内してもらった。
部屋に通されたエルは、少しだけ休んだ後、叔父と夕飯を済ませた。
宿にある食堂には他の客が数組食事をしていた。エルが叔父の後ろについて歩いていると、誰かに肩をぶつけてしまった。はっとしてエルが顔を上げると、頬にあるそばかすが特徴的な優しげな紳士がいた。彼は妻と娘の3人で歩いていた。エルが彼に慌てて謝罪すると、紳士はこちらこそ申し訳ないと穏やかに返した。エルはまた謝罪した後、自分の心がここにあらずであったことに今更ながら気がついた。
部屋に戻り、エルはシャワーを浴びて寝間着に着替えたら、すぐに眠気が襲ってきたため、ベッドに体を横たえた。短い時間微睡んで、すぐにエルは深い眠りについた。
「…きろ…起きろ!!!」
重い瞼の中、男性のそんな声がした。エルは、なかなか開かない瞼に困惑しながら、重い体を起こした。霞む視界の中、ゆっくりとその声の主を確認した。そこにいたのは見覚えのない初老の男性で、エルは悲鳴を上げた。
「だ、だれ、どうして…」
「早く逃げるぞ!」
「逃げる?」
エルは、目の前の見知らぬ男性に恐怖心を抱いたままそう尋ねる。そのとき、部屋の扉から黒い煙が入り込むのが見えた。そして、部屋の中が異様に暑いことに、エルはようやく気がついた。
「これは、一体…」
「ついてこい!」
男性はエルの手を握ると、部屋の扉の方へ向かった。そして、口元を強く押さえるようにエルに言うと、扉を開けた。そこに広がるのは、燃え盛る宿の廊下だった。エルは、何が起こっているのかわからないまま、男性に連れられて階段を下りた。体が熱く、苦しく、しかし足を止めたら終わりだということが分かっていたので、エルは男性について死に物狂いで走った。
男性は迷わずに進むと、宿の裏口から外に出た。
命からがら逃げ出せたとわかったエルは、むせながらその場に倒れ込んだ。少し遠くになった宿の炎が暗闇の中燃え盛り、どんどん勢いを増すのをみて、あとほんの少しでもこの男性が来るのが遅れていたら自分はあの中で死んでいたであろうことに、エルは恐怖心を覚える。エルはまだ手足ががくがくと震えるのを感じながら、助けてくれた男性を見上げた。
「あの…、なんとお礼を申し上げたらいいか……そうだ、叔父様…叔父様がまだ中に…」
「そいつはもうとっくに逃げ出してる。それに礼はいらない。いいか、オレの話をよく聞け」
男は真剣な顔で言った。エルは混乱したまま男性を見上げる。
「この火事は、お前を殺すために仕組まれたものだ」
男の言葉に、エルは呼吸が止まる。
「このまま生きて帰っても、いつか別の方法で命を狙われるだけだ。死にたくないのなら、走って逃げろ。家には戻るな。このまま北へ走れば、そのうち民家も見えてくる」
「…、あなたは…」
「オレは人に頼まれただけだ。どうするんだ、行くのか?帰るのか?」
「……」
エルは、暗闇の中男の目を見た。遠くでは炎によって音を立てて崩れる宿が見える。
戻っても、いつか殺されるだけ。
仮に生き残ったとして、誰も望まない結婚をするだけ。
あの場所に戻ったって、自分は幸せなのだろうか。周りから散々嫌われ、のけ者にされて、それでもそこに居場所はあるのだろうか。
アランの無謀とも思える執着に付き合う必要があるのだろうか。アランだって、自分がいなくなればそれで諦めがついて、周りの望む正当な幸せを手に入れられるのではないだろうか。
エルは、気がついたら北へ走っていた。裸足を汚して、錫まみれのスカートを揺らして、エルはただただこの闇の中を一心不乱に逃げ出した。




