16 元令嬢婚活開始2
待ちに待った、月に一度の休みが来た。エルは午前中は部屋でゆっくりして、午後にはいつもの教会へ向かおうと宿舎を出た。ミシェルへの祈りと、そしてルーナに会うためである。
お城の門へ向かおうとした道中で、馬車に乗り込もうとする男性3人が目に入った。その人物は、アランと、ヴェルドと、それと…
「(…あれは…マシュー…?)」
エルは、懐かしい顔に目を丸くする。すると、乗り込もうとしたヴェルドと目が合い、あからさまに嫌な顔をされた。そんな彼を見て、そういえば前に、色々なお祝いを兼ねて3人で出かけるという話を聞いていたことをエルは思い出す。
「ヴェルド、どうしたの?」
馬車に乗り込んでいたマシューが、なかなか乗らないヴェルドに、窓から話しかけた。ヴェルドが、なんでもない行くぞ、と早口で言うと階段をのぼり始めた。そんなヴェルドに不思議そうな顔をしたマシューが、ふとヴェルドの見ていた視線の先を見た。すると、そんなマシューとエルは目が合った。マシューは、ん?んんん??と目を凝らしてエルの方を見た。ヴェルドは、いいからほら、とマシューを窓から遠ざけようとするが、マシューは立ち上がり、馬車から降りてエルの前までやってきた。
「ん、んん、んんん?!」
エルをまじまじと見たあと、マシューは奇声を上げて、驚いたように後ずさった。
「ぎゃあっ!おばけだ!!!エルのおばけがいる!!!!」
マシューの騒ぎに、アランが馬車から降りてきた。ヴェルドは額に手を当ててため息をついたあと、嫌そうに降りてきた。マシューはヴェルドの背後に隠れて、恐る恐るエルを見た。
「ねえヴェルド、あれは僕にだけ見えているの?僕霊感とかないよ!おばけこわい!!」
「……この女はエリィ。港町から出稼ぎに城に来て働いている」
「えっ……他人の……空似……?別人ってこと?」
マシューは恐る恐るヴェルドの背後から出てくると、まじまじとエルの顔を見た。エルはそんな彼に苦笑いを浮かべる。マシューは口元に手を当てて、うーん、と声をもらした。
「言われてみたらエルとはちょっと顔が違うか。エルは髪も長かったしね」
「(…髪は…切っただけ…)」
エルは謎に納得したマシューに心の中で突っ込む。マシューはエルとまた目を合わせると、はじめまして、と微笑んだ。
「僕はマシュー・バルカム…って、あれ、なんで一介の使用人のことをヴェルドが知ってるの?」
「……まあ、いろいろあったんだよ。それより、もうすぐ劇の時間だぞ」
ほらいくぞ、とヴェルドがマシューの首根っこを引っ張る。マシューは、えー!気になるよう!と駄々をこねる。エルは苦笑いをうかべて、いってらっしゃいませ、と頭を下げた。
「…君はどこへ行くんだ」
アランがそう尋ねた。エルはアランを見上げて目が合うと、つい視線を泳がしてしまった。最後に会ったときの話が頭をよぎって、エルは胸騒ぎがするけれど、しかし気にしないふりをしないと、と自分に言い聞かせて改めてアランの目を見て、教会です、と言った。アランは、教会?と尋ねた。エルは、はい、と頷いた。
「今日はお休みなので、お祈りに行こうかと…」
「そうか…」
「えーなになに!」
マシューはヴェルドの手からするりと逃れてエルとアランの傍に来た。
「エル…じゃなかった、エリィ!名前も似てるね!君も出かけるの?教会?どうせ僕たちもその道通るから乗っておいきよ」
「はあっ?!」
ヴェルドが至極嫌そうに顔をしかめる。マシューは、ね、いいよねアラン?とアランを見上げる。アランは、構わない、と言う。ヴェルドはそんなアランに眉をひそめる。マシューは、きまりきまり!ほらおいで、とエルを手招きする。エルは笑顔のマシューと、不機嫌なヴェルドの顔を行ったり来たりする。マシューは、気にしないで、とフランクにエルに言った。
「ヴェルドはもとがああいう顔なんだよ。さあいこう」
マシューはそう言ってもう一度エルを手招きしてから馬車に乗り込んだ。エルが、でも…、と戸惑っていると、アランがエルに手を差し出した。
「ほら」
アランの手に、エルは、階段をのぼる補助の手を差し出しているのだと察する。エルは、この手を取ってもいいのかで狼狽えた。すると、背後にいたヴェルドが、早くしろ、と脅した。
「後ろがつかえているんだよ」
「ご、ごめんなさい…」
「というか、お前普通に一人でのぼれるだろ!甘えるな!」
ヴェルドが後ろからエルにどんどん叱る。エルが、げんなりしていると、アランの方からエルの手を取った。エルは、はっとしてアランの方を見た。アランはエルの目を見ると、ほら、ともう一度言って、優しい目で乗るように促した。エルは、は、はい…、とどうしたらいいかわからない気持ちで頷く。アランのサポートで、エルは馬車に乗り込む。マシューは、どうぞ、とエルの方を見て自分の向かい側に座るように言った。アランもあとから乗り込み、エルの隣に座った。マシューは、入り口から不服そうにしているヴェルドを見ると、まだ怒ってるよ、と笑った後、おーい、と手を振った。
「君には僕が手を貸そうか?」
「…結構だ」
ヴェルドはそう言うと、運転手のサポートも断って一人で乗り込んだ。そして、空いたマシューの席に座った。
「さあ行こうか」
マシューがそう言うと、馬車は動き始めた。向かい側には笑顔のマシュー、隣には淡々としているアラン。そして斜向かいには不服顔のヴェルド、という謎の布陣に囲まれて、エルの肩身の狭い馬車の旅が始まった。
教会に着くと、エルは3人にお礼を言って降りた。すると、なぜかマシューもアランを連れて後から一緒に降りてきた。エルは、え、と首を傾げた。
「あ、あの…」
「僕、ここの教会久しぶりなんだ。ついでに見学してくよ。ねえいいでしょ、アラン?」
マシューが、ねね、とアランに尋ねると、アランは、勝手にしたらいい、と答えた。やった、と喜ぶマシューの首根っこを、追いかけてきたヴェルドがつかんだ。
「観劇はどうした観劇は!」
「大丈夫だよ。観劇の前にランチの予定でしょ?お昼を後回しにしたら良いだけだよ」
マシューは悪びれずにそう言う。ヴェルドは、そういう問題じゃなくて…、とわなわな震えながらマシューに言う。
エルは、早くこの3人から離れようと、では私はお祈りに行ってきます、と頭を下げるとそそくさと3人から離れた。
教会でのお祈りを終えて、エルは教会の中庭にやってきた。ルーナはいないかと周りを見渡すと、あっ、おーい!というマシューの明るい声がなぜか聞こえた。エルは、聞き間違いだろうかと思いながらも声の方を見ると、笑顔のマシューと無表情なアラン、そしてお怒りのヴェルドがいた。
「(…な、なぜまだいるの…?)」
「もう終わった?」
マシューがにこにことエルに尋ねた。エルは、は、はい…、と曖昧にうなずいた。
「あの…皆様ご予定があるんじゃ…」
「慈善活動慈善活動!貴族の役目だからさ!エドワード陛下もよくなんかやってるよね、あの性格で」
ね、アラン、とマシューが明るく振ると、そうだな、とアランが淡々と返した。エルは、へえ…、と相槌を打ちながら、自分に鋭い視線を送るヴェルドの方をなるべく見ないようにしていた。
「で、君はもう帰るの?」
マシューがつぶらな瞳でそう尋ねた。エルが、私は…、と言いかけると、ねえそうならさ、とマシューが続けた。
「今から僕たちと一緒に出かけない?これも何かの縁だから」
「はあ?」
ヴェルドがマシューに、駄目だ、と厳しく諌めた。そして、エルのみすぼらしい格好を一瞥すると鼻で笑った。
「こんな格好の奴が劇場に入れるわけ無いだろ」
「服なんか買えばいいじゃない。僕、結構センスいいんだよ、君に似合うのを選んであげる」
にこにこ笑顔のマシューが、ねー、とエルに話しかける。ヴェルドは、あのな、とマシューを睨んだ。
「今から仕立てる気か?間に合うわけないだろ」
「もうできてるやつだってあるでしょ?なんとでもなるよ」
マシューの言葉に、ヴェルドは一瞬言葉に詰まったあと、それに、と続けた。
「劇場に入るにしても席がない。人気の演目だから満員だと聞いているぞ」
「そんなの、劇場の支配人にアランの顔見せたら席の一つや二つすぐ空くから大丈夫大丈夫」
さあ決まり、とマシューがエルを手招きする。ヴェルドが頭から角が出てきそうな顔でエルを睨みつける。エルは、あ、あの…、と両手を横に振った。
「お誘いありがとうございます。…でも私、今から人と会う約束があって…」
エルの言葉に、えっ!とマシューが目を輝かせた。ヴェルドも、意外そうな顔でエルの方を見た。
「なになに、だれだれ?ボーイフレンド?今から来る?どんな人か、顔見てから行けるかな、僕たち」
楽しそうなマシューに、野次馬しようとするな、とヴェルドが叱る。エルは、苦笑いを浮かべた。
「ど、どうでしょう…。今日来るかも不確かで…」
エルの言葉に、ヴェルドが、なんだそれ、と怪訝そうな顔をする。
「一体どんな奴…」
ヴェルドがそう言いかけた瞬間、エルは背後から誰かに抱き着かれた。エルが振り向くと、エルの背中に顔を埋めていたルーナが、明るい笑顔でエルを見上げた。エルは、ルーナ様!と顔をほころばせた。ルーナはエルを見て嬉しそうに口元を緩めるけれど、他に3人の男性がいたことに驚いたのか、体をびくりと震わせて、さっとエルの後ろに隠れてしまった。マシューは、恥ずかしがり屋さんなのかな、と笑った。ルーナは、恐る恐るエルの背後から三人を確認した。エルは微笑んで、大丈夫ですよ、と言った。
「私がお城でお世話になっている方々です。…あっ…」
エルはポケットから紙とペン、そしてインクを取り出して、紙で今言ったことを書いた。2人の様子を見たアランが、耳が聞こえないのか、と呟いた。エルは、あ、そうじゃなくて…、と言いながらルーナの様子を見た。すると、ルーナはこくこくと頷いた。エルは、彼女に頷き返すと3人の方を見た。
「彼女は、病気の関係で言葉が話せなくて…。だから、コミュニケーションをとるために、文字をお教えしているんです。これは、勉強の一環で、話したことを書いてお見せしているんです」
「へえ〜」
マシューはエルのことを感心したようなため息をついた。
「すごいねえ、君って田舎の庶民の家の出の女の子でしょ?文字なんて知ってるんだね!」
マシューの指摘に、あ、ま、まあ…、とエルは濁す。ヴェルドがそんなエルを睨見つけており、もっと上手く誤魔化せんのか、と言いたそうなのが伝わってきた。
すると、ルーナがエルの服の裾を引いた。エルが彼女のほうを見ると、ルーナはたどたどしく文字を書いた。エルは、その文字を見て、えっ、と声を漏らす。
「゛かっこいい゛…?」
エルがその文字を読むと、ルーナはこくこくと頷いて、ヴェルドを指さした。エルは数回その指の先を確認して、えっ、と声をもらした。
「(も、もしかして、ひ、一目惚れ…?)」
ルーナはヴェルドをエルの後ろから見たあと、すぐに顔を引っ込めた。エルはルーナのほうを振り返り、あのっ、と真剣に彼女の目を見た。
「たしかにヴェルド様は、お顔立ちは美しいです。でも、すっごく性格に難があります。気性も荒いです」
エルは文字を書きながらそう言うと、ヴェルドが、おい、と声を上げた。
「失礼なことまで文字に書き起こすな」
「いやでも…勉強ですから」
「この平民女、俺をおちょくっているのか…!」
喧嘩腰の2人をみて、マシューが、あれえ、とにやにや笑う。
「どうしたのさヴェルド、あんなにエルが嫌いだったのに、顔が似てるこの子は好きなんだ?」
「勘弁してくれ、こんな口の悪い平民女なんか、俺が相手にするわけないだろ」
そう言ったヴェルドを指して、エルはひそひそとルーナに、ほら、こういうお方ですよ、と再度釘を差した。ヴェルドは、おい!とエルに吠えた。
すると、ルーナがまた文字を書いた。エルは、それを読む。
「゛この人 見た 墓゛」
エルがそう読むと、ルーナはこくこくと頷いた。エルは、墓?と首を傾げた。
「えっと…、お墓でこの方をお見かけしたことがある…ということですか?」
エルの質問に、ルーナは頷いた。ヴェルドはその言葉に少しだけ息を呑んだ。マシューが、うん?と首を傾げた。
「ヴェルドがお墓参りしてるところで会ったことがある、ってこと?ヴェルドの家の領地の子ってこと?」
「…そいつは一体どこのだれだ」
ヴェルドはそうエルに尋ねた。エルは、え、えっと…、と少しだけ気まずい気持ちで目を泳がせた。
「……ダニエル男爵の、ご夫人です……」
「……なんでお前とそんな方がお知り合いなんだ?」
ヴェルドの、お前は底なしの馬鹿だな、という視線がエルに突き刺さる。エルは目を泳がせながら、教会でたまたま意気投合して…、と返した。
マシューが、ええ?と目を丸くする。
「ダニエル男爵って結婚してたんだ。知らなかった」
式はもう挙げたんですか?、とマシューがルーナに尋ねる。ルーナは目を伏せるとまたエルの後ろに隠れてしまった。マシューは首を傾げる。
「…そもそも、どちらのご令嬢なのかな?お会いしたことがないみたい…あっ、申し遅れました、僕はマシュー・バルカム。あなたのお名前は?」
ルーナは表情を暗くするとジェスチャーもやめてしまった。エルは、そういえば彼女の出自は聞いたことがなかったと思い出しながらも、言いたくなさそうなルーナに、あの、とマシューに話しかけた。
「そろそろ劇のお時間では?」
「ああ…。なら、ダニエル夫人と君も一緒においでよ」
マシューがそう誘うと、ヴェルドが、既婚者を誘えるわけないだろ、と言ってマシューの首根っこをつかんで、教会の外へ歩き出した。
「…それじゃあ」
アランはそうエルに言った。エルはアランを見あげながら、また胸が苦しくなる。
「(…駄目だ、あの日の話は、エリィには無関係なこと…)」
エルはそう自分に言い聞かせて、何でもない笑顔で、お気をつけて行ってらっしゃいませ、と頭を下げる。アランはそんなエルに、ああ、と言うと先に行った2人の後を追いかけた。その背中を見つめながら、エルは、息が詰まって苦しい胸を押さえた。
エルは、ルーナに文字を教えながら、いつものように他愛のないことを彼女と話していた。
そんな時間はやっぱり楽しくて、でもふとしたときに、あの日のアランを思い出してエルは胸がつかえる。
゛どうしたの゛
ルーナが文字を書いた。エルははっとしてルーナの目を見た。ルーナは心配そうに彼女の目を見た。エルは笑顔を作ると、紙の上でペンを走らせた。
「ごめんなさい、昨日ちゃんと眠れなくて」
゛嘘゛
「……」
エルは困惑して目を泳がせた。
「…結婚を、することになりそうです」
エルの言葉にルーナは目を丸くする。
゛悲しい゛
ルーナの文字に、今度はエルが目を丸くした。
「悲しい…なぜ?」
ルーナはエルの瞳をまっすぐ見たあと、ペンを持つ手を動かした。
゛エリィ 悲しい 顔 見る わかる゛
「…私の顔、悲しそうですか?」
エルの質問にルーナはこくこくと頷いた。
゛私 ダニエル 結婚 悲しい 嫌だ゛
ルーナは文字を書いた。エルは彼女の書く文字を見た。
゛私 一人 家 出る 駄目 墓 教会 良い゛
ルーナの書いた文字に、エルは、えっと…、と考え込む。ルーナの身振り手振りや、追加の文字から、彼女がダニエル男爵から勝手に家を出ることを許可されておらず、外に出られるのは今日のような、彼の仕事が終わるまでの教会にいる時間か、ダニエル家のお墓参りの時間だけらしい。
「(…話が流れたけど、そういえばなぜ、ヴェルドはダニエル家領地のお墓のお参りをしていたんだろう)」
エルにふとそんな疑問が湧く。友人か知り合いが眠っているのだろうか。
ルーナは、考え込むエルに自身が書いた文字を見せた。
「゛帰りたい 私の家゛」
ルーナは、エルが文字を読むのを聞くと、はっとした顔で、書いた文字を消した。そして、また文字を書いたあと、笑顔をエルに見せた。
「゛忘れる お願い゛」
ルーナはそうエルに訴える。エルは、悲しそうなルーナの瞳に、わかりました、忘れます、と頷く。ルーナは少し安心したように微笑む。
「(…彼女にもたくさん抱えるものがある)」
エルは、ルーナの横顔を見つめてそんなことを思う。自分と同い年くらいにみえるけれど、自分の親くらいの年齢の男性と望まない結婚をして、そして、日々の自由を奪われている。貴族たちの結婚は家のためにするものだ。そこに心は不要で、結婚することでお互いが幸せにしているかどうかはきっとどうでもいいのだ。いや、心を求めることが間違いなのだ。
「(…間違い、なんだろうか?それは誰が決めたんだろう)」
エルはそんなことを、ぼんやり考える。ルーナが、エルの目の前で手を上下に振る。エルははっとしてルーナの目を見て、そしてごまかすように笑った。
ヴェルドの言う相手とお見合いをする前日の夜、エルは何度も寝返りを打ち、眠れずに、結局部屋から出て、宿舎の外で空を見上げた。月明かりに照らされた辺りはしんと静かで、自分の胸騒ぎが余計に大きく心に響いた。
「(…最近、もうなんだかわからない。こころがぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのかわからない)」
エルは胸の前で折りたたんだ両足の膝にあごを乗せて、重いためいきをつく。
アランの胸中を初めて聞いたあの日から、エルは自分がどうしたらいいのかわからなくなった。彼を自分という呪縛から解き放ちたい。そのためには、ヴェルドやマイクに言われるがままお見合いをして、このお城から去るほうがいいのだろうか。彼らの言う通り、エル・ダニエルと瓜二つの女性が彼の前に居座るから、だから彼が未来のために踏み出す足を留めてしまうのだろうか。
本当はアランが立ち直る姿をこの目で見たかったけれど、自分がいることでそれが阻害されるのなら去るべきだと、そうエルは思える。
「(…でも、私はまだ、ネルとの約束があるからお城からは去れない。そもそも本当に、私が別の人と結婚するのが殿下にとって正解なのだろうか。しかも、好きでもない人同士、無理やり結婚して…)」
エルはそこまで考えて、また胸がつかえる。自分の意思ではなく、周りの意向で結婚させられる。自分の意思ではなく周りの意向でお城から出される。ここ数日の流れにエルの気持ちが全く反映されないことに、まるで自分が意思を持たない物になったような気持ちになる。
「(ヴェルドやマイクたち貴族からしたら、平民の私の意思なんか気に留めるべきことじゃないのか…)」
エルは、そんなことを考えてまた息が詰まる。エメラルドとダンが教えたくれた心があるせいで、今エルはこんなにも苦しめられている。心さえなければ、前までのように笑ってだけさえいれば、そうしたらこんな状況になっても何とも思わずに済んだ。でもエルは、あの頃には絶対に戻りたくなんかないとも思う。
「何やってんのさ」
はっとして声の方を見上げると、ネルがそこにいた。エルは何かを言いかけるけれど、彼女はこういう恋だ愛だという話が好きではないことを思い出して、エルは言葉が詰まる。
「また悩み事?あんたは忙しいね」
ネルはそう言うとエルの隣に腰掛けた。エルは、何も言えずに彼女の瞳を見つめて、そして目を泳がせた。
「…」
「…」
ネルは黙るエルを横目で見ると、はーあ、と気だるそうなため息をついたあと、そのまま腕を頭の後ろに組んで寝転がった。
「だるいんだけど、その聞いてほしいオーラ」
「……」
エルは胸の前で折りたたんでいた両ひざにあごを乗せて、面倒くさいと思われたことに内心傷つきながら、べつになにも…、と小さな声で言った。するとネルは、余計だっる!と鼻で笑った。エルは唇を少しとがらせたあと、あなたの嫌いな話よ、と言った。するとネルは、え?と不思議そうな顔をした。
「嫌いな話?」
「……私、明日お見合いするの」
「はあ?なんだそれ」
ネルは目を丸くして体を起こし、エルの方を見た。エルはネルからそっぽを向いて、ほら、あなたの嫌いな話でしょ、と言った。しかしネルは、ううん、と頭を振った、
「面白そう。何それ聞かせてよ」
「…あなた散々、こういう誰が好きかとかそういう恋愛話は嫌いだって言ってたじゃない」
「これは恋愛話には分類されない。されたとしても、あんたの話なら興味がある」
笑う気満々のネルに、エルはかなり話したくなくなったけれど、今このまま一人で抱えていたら本当に眠れなさそうだったので、小さく息を吐いたあと、あのね、と話し始めた。
「マイク…アラン殿下の側仕えの人がね」
「ああ、知ってるよ」
「縁談は持ってくるから、私に、結婚したらどうだって」
「なんでまたそんな話に?」
「…アラン殿下が婚約者候補の方たちとコミュニケーションを取れるようになってきたのに、新しい婚約者を決めないのは、エル・ダニエルに似た顔の女がいるからだって、そう言い始めて…。たぶん私にさっさと結婚してお城から、…アラン殿下から離れてほしいんだと思う。でも私、まだあなたとの約束が済んでいないからここから去れないし、どうしたらいいのか…」
エルはそこまで言って、ネルなら、ほら言った通り、またあんた良いように使われちゃってさ、と嘲笑する気しかしなくて身構えた。しかしネルは、じっと真面目にエルの話を聞いていた。エルは、予想外の彼女に、えっと…、と声を漏らした。すると、どうしたの、とネルが言った。
「続けなよ。それで全部じゃないでしょ?」
「……」
エルは、ネルの真剣な目を見ていたら、ふと目の奥に涙がにじむのを感じて咄嗟に彼女から視線をそらした。
「(…なんで、あなたはこういうとき真面目なんだ…)」
エルは、前に話を聞いてくれた時のネルを思い出して心が揺らされる。エルは、わたしね、と話を続けた。
「馬鹿みたいに単純に、アラン様がまた昔みたいに笑うところが見たいって、そう思っていたけれど、でも世界はもっと複雑で。…私はアラン様という一人の人間のために何かをしたかったけれど、アラン様の周りの人たちは私を、この国の王子を守るための一つの駒にしてただけなんだなって。だから、もう用済みになった私は物みたいにお城から捨てられて、物みたいに他の人に渡されてしまうんだって、…そう思ったら…」
そこまで話して、エルはそれ以上何も言えずに黙り込んでしまった。マイクやヴェルドに会ってから抱え続けた不安をこぼせば楽になれるかと思ったけれど、不安だったことを再確認して、さらに怖くなってきた。
「(…アラン殿下と万が一のことがあったときの話だってそうだ。私のことなんてどうでもよくて、王子のこと、王家のこと、そればかりで……)」
ひとりの人間なんかよりも、マイクにとってはそちらのほうが大事なのはわかりきっていた。マイクだけじゃない、貴族たちみんなにとってそうだろう。彼らの守るべきものの前では、取るに足らないものにされる命がある。だからエルはあの日燃やされたのだ。エルの命なんかよりも、あの日泊まっていた宿泊客たちなんかよりも、優先されるものがあったからだ。当たり前だ。貴族たちは明日も明後日も、もっと先の未来も、この国を存続させるために働いているのだから。大きいものを守るために無下にせざるを得ないものは、あって然るべきなのだ。
でも、それを当たり前だということは、本当に当たり前なのだろうか?
「他の奴らが必要じゃなくても、私はあんたを必要としてるから」
ネルはそう何でもないように、さも当然のように言った。エルは目を丸くして、ネルの方を見た。
「あの火事の真相解明には、あんたが必要不可欠だ。私にはあんたが必要。でもマイクにはもう不要。それだけの話。あんた、この世の全員に必要とされたいわけ?そんなんだから、周りからいいように使われて終わるんだよ」
ネルはそう言うと、また仰向けに寝転がり、まあ、私に必要とされて嬉しいかはさておき、と言った。エルはネルの方を見た。
「自分のことを駄々草に扱う奴にはな、ツバでも吐いとけ」
ネルはそう言って、いたずらっ子のように目を細めてエルを見た。エルはしばらくの間呆然としたあと、目に力を込めて、溢れそうになる涙を必死にこらえた。
「…嬉しい、私嬉しい。ネルに必要だって言ってもらえて」
エルがそう、大真面目に言うと、ネルは鼻で笑った。
「あんたさ、ほんとお気楽。私にだって、この件が終われば用済みにされるかもよ?…ま、そんときはツバでも吐いといてくれよ」
ネルは、そうエルを馬鹿にしたように笑った。エルは、そんなネルを真っ直ぐにみて、不思議よ、と呟く。
「…私、ネルにならそうされてもいいって思うの」
「…はあ?」
「あなたの役に立ったのならそれで良いって。…良いように使われただけで腹が断つ人と、そうでない人がいるなんて、なんだか不思議ね」
エルが大真面目に言うと、あーあ、馬鹿がいるよ、とネルは寝返りを打ってエルに背中を向けた。エルは、そんなネルを見つめて、ゆっくり微笑む。
「…ありがとう、ネル」
「…ありがとう、では終われないじゃん」
ネルはそう言うと起き上がった。そして、エルの方を見た。
「あんた、お見合いして結婚したら城から出なきゃじゃん。それはマズくない?」
「そう、そうよね、ど、どうしましょう…」
エルは、アランのためにすべきことと、ネルのためにすべきことのベクトルが真逆を向いているような気がして混乱する。ネルは、うーん、と腕を組む。
「縁談を断ったところで、城の使用人を解雇されてほっぽり出されるだけだろうしな」
「そ、そうよね…」
「今のところ詰みだな。…とりあえず、縁談を長引かせて調査を急ぐしかないな」
「え、縁談を長引かせる…?」
「この人はちょっと…とかいって、相手をどんどん変えて探させるんだよ。向こうも数回くらいならその要求のむだろ」
「ええ…、そんなの悪いわよ…。私が断ったときに相手に謝ったりするのも大変だろうし…」
「大馬鹿かよ!良いように使おうとしてくる奴なんかな、こっちも良いように使っとくんだよ!」
ネルはそう言ってエルの背中を叩いた。エルは、えっ、と目を丸くしたあと、少し黙った。そして、そうよね…、と呟いた。
「…そうよ、その通りよ!あなたの言うとおりよ!」
「…」
エルは大真面目にネルの言葉に納得した。ネルは呆れたような顔をしたあと、小さく鼻で笑った。
「私、あんたのそういう馬鹿なとこ、わりと好きだよ」
「えっ」
エルは目を丸くしてネルの方を見た。ネルは、しまった、という顔をしたあと、バツが悪そうに目を泳がせると立ち上がった。
「寒い。帰る」
ネルはそう言うと歩き始めた。エルは、立ち上がってネルの背中に、私はね、と言った。
「私は……好きよ、あなたが」
エルは、そう震える唇で言った。言い終えてすぐに、あんな事があったのに、被害者の彼女に自分がこんな事を言える権利があるのかと自問自答した。けれど、出会ってから今日までで、彼女と一緒にいて口をあけて笑うほど楽しい瞬間が、彼女に助けられる瞬間が何度もあった。しかしやはり、自分が彼女に言えたことではなかった、とエルは酷く自省した。
ネルは、今深夜なんだから静かにしてくれる、と怠そうに言うと、振り返らずに宿舎へ戻っていった。エルは、ネルの背中を見送った後、ありがとう、と、小さくつぶやいた。




