14 騎士は誰にも振り向かない
足を捻ったエルは、マイクの口添えもあり、数日間仕事を休むことになった。杖をついてよろよろ歩くエルの姿に、使用人たちは皆、いったい何があったのかとエルに尋ねた。どうやらあの日、夜になっても使用人が帰ってこないということで、逃げただのなんだのとちょっとした騒ぎになっていたらしい。教会からの帰りに転んでしまって…、とエルが説明すると、皆エルの怪我に同情しながらも、同時に、エルの間抜けさに笑いをこらえていた。治るまでは安静にしなくてはいけないので、これ以上笑われないように、というのも兼ねてエルは部屋でじっとしていた。
そんな中、エルはマイクに呼び出された。エルが会議室へ、捻挫した足と杖でやっとの思いでたどり着くと、遅かったですね、というマイクから少し棘のある声を投げかけられた。エルは、申し訳ありません、と謝りながらも、この体の人間をこんなところまで呼び出しておいて…、という湧き上がる不満を抱えた。
「…それで、お話とは…」
エルが尋ねると、マイクは真剣な顔でこちらを見た。
「エリィさん、ここはひとつご結婚を考えられるのはいかがでしょうか?」
「は?」
突拍子もないマイクの提案に、エルは目を丸くした。マイクは眉をひそめて、私、不安に思っています、とため息をついた。エルは、不安?と首を傾げた。
「アラン殿下のことです」
「アラン殿下…ですか?」
「…戦争の前に、故郷に戻られたエリィさんを殿下が追いかけていったときから不安でしたが、先日、帰ってこないエリィさんを探しに行くと殿下がおっしゃったとき、私は不安が現実になったと思いました。戦争が終わってからアラン殿下は確かに変わりました。人と会ってくださるようになりました。婚約者候補の方々ともです。その方々と会話もされていますし、話が弾む瞬間だってありました。でも、婚約者を決めるまでには至らない。それはなぜかと私は考えたのです」
マイクはひどく深刻そうに言った。
「アラン殿下は、エル様に良く似た顔の女性がいるから、いまいち結婚に踏み切れないんじゃないかって、そう思うんです」
マイクはそう、大真面目に言った。エルは呆然とマイクを見つめる。
「(…つ、つまり、もう私は邪魔だと……結婚でもして早急に城を出ろと…)」
アランが人と交流できるようになった今、マイクにとって自分が邪魔な存在に変わってしまったことにエルは動揺する。マイクは、そういうわけですから、と続けた。
「ご結婚相手は私の方でご紹介します。これまでのお礼も兼ねて、それなりの家の方とのご結婚をお約束します。エリィさんもそろそろ結婚する時期ですし、丁度いいじゃないですか」
ね、とマイクは、そちらにも好都合だよ、と言いたげにエルに言う。
困惑するエルを置いて、マイクは、はっ!と何やら思いついたようで顔を青くした。
「も、もしも、エリィさんが他の方と結婚すると知った殿下が強硬手段に出たらどうしましょう…!」
マイクはそう言うと、あああ…、と頭を抱えた。
「そ、そんなことになったら、せっかく持ち直した殿下のイメージが…」
「あ、あの、さっきから何の話を…」
エルは不可解な気持ちでマイクに尋ねた。するとマイクはずいっとエルの前にやってきて、真剣な顔で見つめた。
「もしも万が一、殿下からのお手付きがあったら、エリィさん、あなたただじゃ済まされませんからね……!」
マイクはそう、エルを叱りつけるように、脅すように言った。エルは咄嗟に意味が飲み込めず、しばらくの間固まった。
「(…お手付き…ってつまり…)」
エルはだんだんマイクの言わんとすることを理解して、動揺すると同時に、しかしそんなわけ、と頭を振った。
「アラン殿下が、ですか?そんなことなさるような方とは…」
「過去にそういう方がいらしたんです!殿下が絶対にしないなんて言い切れません!」
マイクはエルを非難するような顔をやめずに彼女への話を続けた。
「王子と平民の使用人との間に子供ができようものなら大問題になりますから、堕胎薬を飲むことになりますよ!それを飲んで健康上の被害が出た人は山ほどいます!薬を飲むだけでは問題が終わらない可能性だって高いですよ!あなただけじゃない、あなたの家族にまで責任が問われます!」
マイクはそう、エルに怖い形相で解き続ける。エルは、困惑しながらマイクの目を見る。
「(…こ、こういう場合に仮になったとしても、私だけが悪い感じになるわけ…?)」
エルは、マイクの言う意味がいまいち飲み込めず、動揺し続けた。そういうことが起こったとして、なぜ自分ばかりに責があるような状況になるのか。
「(…身分の差のせい…?アラン殿下に限ってそんなこと起こり得ない、得ないけど、なんだか腑に落ちない…!)」
「いいですか!これからは不用意に殿下と2人きりにならないように!私もあなたのことはこれまでのようにはお呼びいたしませんから!!」
マイクはそうぴしゃりとエルに言い放つと、それでは、と言って部屋から出ていってしまった。
夕食の時間になったけれど、エルは夕飯を食べる気にはなれなかった。エルは就寝時間になっても眠りにつけず、何度もまぶたを開けては重い息を吐いた。
「(…なんか、貴族だったときみたいだ)」
エルはそんなことを思う。生きていたときもそうだった。アランの体調が良くなるとエルは途端に周囲から邪魔者にされた。
エルは、思い出したくないことを思い出してしまったことに身震いがして、早く寝てしまいたいと固く目を閉じた。
無事、足が治ったエルは久しぶりに仕事に出た。ヘレナの部屋に顔を出すと、大げさなほどヘレナがエルの復帰を喜んでくれた。(さすがにリズも今日は大目に見てくれた。)リズが部屋から去ったのを見計らって、エルはメリーベルに、借りていた本を返して、感想はまた今度お時間がある時に、と伝えると、なら今日にしよう、と提案してくれた。
エルはお茶会の時間まで、いつもどおりの仕事をこなした。ここが終われば次はあそこ、その次は向こう、などを繰り返して、タスクを終わらせていく。
手を動かしていれば何も余計なことを考えなくてもいい。そう思ってエルはひたすら働いた。
すると、あらあなた、と後ろから声をかけられた。振り向くとエミリーがそこにいた。
「あっ、お、お久しぶりです、エミリー様…」
エルはエミリーに頭を下げた。エミリーは、ちょうど良かったわ、とエルに近づいて微笑んだ。
「お父様に言われてアラン殿下に会いに来たんだけれど、あんまりにも来客が多いから諦めてきちゃったの。でも、お父様はまだお仕事があるようだし、それまでどうしたらいいかと困っていたの」
やたら説明口調の彼女に、自分で自分に言い訳をしているのでは、とエルは勘ぐる。そこでよ、とエミリーがエルの目を真っ直ぐに見た。
「今からお散歩をするの。あなた付き合いなさい」
「あ…あの私…仕事が…」
「なにか?」
エミリーに鋭く睨まれて、エルは何も言い返せずに黙り込んだ。沈黙を了承とみなしたエミリーは、さっ、行きましょう、と言ってすたすたと歩き始めてしまった。
エミリーはエルの予想通り、鍛錬場の方へ足を進めた。もうすぐメリーベルと約束したお茶会の時間になりそうなこともあり、エルは内心焦っていた。エルは、あの…、とエミリーの背中に話しかけた。
「…あの、殿下はまだお怪我で療養中ですので、その、鍛錬場へ殿下を探しに来たという言い訳は通用しないかと…」
「迷ったことにしたらいいの!」
「…それ、前も同じ手を使ってなかったでしょうか…」
「なによ、なにか文句でも?」
エミリーは立ち止まり、むっとした顔でエルを振り向いた。エルは慌てて彼女から視線をそらし、いえなにも…、とごにょごにょと呟いた。エミリーが少し気を悪くした顔をしたその瞬間、はっと息を呑んで、エルの腕を強く引っ張ってしゃがみ込んだ。そして、木の陰に身を潜めた。
エルはエミリーの横顔を見つめながら、訳がわから様子でうろたえた。黙ってエミリーの視線の先を見ると、そこにはフィリップスと、そして、頬を赤く染めたひとりの令嬢がいた。
「(……これは……)」
エルは、二人が何をしているのかを察して気まずくなる。エミリーは固唾を飲んで二人を見つめる。
「(…にしても、直接殿方に打ち明けるなんて、なかなか積極的なご令嬢だな…)」
「……ごめんなさい。あなたとはそういう関係にはなれません」
フィリップスは悲しそうにそう告げた。エミリーは、その言葉に安堵のため息をついた。
断られてしまった令嬢は、両手で顔を覆い、なぜですか、と泣きながら聞いた。
「他に好きな方がいらっしゃるんですか?」
「そういうわけではありません」
「では、私が美しくないから?」
「そういうわけでもありません。…私は、どなたからそう言われても、気持ちを受け取ることはありません。生涯です」
フィリップスは、そう断言した。エミリーは、フィリップスの言葉に息を呑んだ。令嬢は涙があふれる瞳でフィリップスを見たあと、背中を見せて去っていった。フィリップスは彼女が見えなくなるまで立ち止まると、重いため息をついて髪をかき上げた。そして、苦しそうに眉をひそめたあと、その場から歩き出した。
「(…本当に、みんな断ってしまうんだ…)」
エルは、フィリップスの意向を再確認して、気まずい気持ちになりながらエミリーを見上げた。その時、フィリップスがこちらに向かってくるのが見えた。あっ、と思った時にはもう、エルはフィリップスと目が合っていた。フィリップスはエルの目を見ると、困ったように眉を下げた。
「…恥ずかしいところを見られたね」
フィリップスはそう言って、しゃがんで隠れるエルに目線を合わせるように腰を曲げて苦笑いを漏らした。その時、フィリップスはエミリーに気がついたようで、あ、と声を漏らした。
「えっと、エミリー、こんにちは。ごめんなさい、こんなところを見せてしまって」
「……いえ」
エミリーは、不自然なほど自然にそう言って頭を振った。フィリップスは気まずそうに目をそらしたあと、今日も迷われていたんですか、と尋ねた。エミリーは、一瞬息を吸ったあと、フィリップスのほうを見上げた。
「…いえ、アラン殿下にお会い出来たらと思って」
エミリーの言葉に、エルは咄嗟に彼女の横顔を見た。フィリップスは微笑むと、そうですか、と返した。
「殿下と楽しくお話してきてください」
フィリップスはそういうと、それじゃあ、と二人に挨拶をして去っていった。
エミリーはしばらくの間呆然としたあと、ふらふらと立ち上がった。
「あっ、え、エミリー様…」
「……ひとりにして」
エミリーはそううわ言のように言うと、足元がおぼつかない様子で歩いていってしまった。エルは、狼狽えながら彼女の背中を見つめる。
彼女を今一人にしてはいけない。
そんなことを思ったエルは咄嗟にエミリーの腕をつかんだ。
「ま、まだお時間ありますか?」
「…え?」
「お茶会、しませんか?」
エミリーは、あなたと?と怪訝そうな顔をした。エルが、私だけではありません、と続けると、エミリーはさらに不可解そうな顔をした。
「とにかく、行きましょう、さあ」
エルは半ば強引にエミリーを連れて歩き始めた。
「……どういう会なの?」
メリーベルの部屋に連れてこられたエミリーは、すでに集まっていたメリーベルとネル、そしてエルを見回してそう言った。エミリーは怪訝そうにエルとネルを見た。
「なんで使用人のあなたたちが、メリーベルの部屋でお茶会をするの?給仕役?」
「彼女たちも正式な招待客だ」
メリーベルはそう言うとお茶の準備を始めた。エルはカップの用意をして、ネルがメリーベルの焼いたお菓子を並べる。エミリーは怪訝そうにその光景を見たあと、ねえ、とメリーベルに話しかけた。
「あなたは座っていらしたら?この二人がやればいいのよ」
「そういう会じゃない。きみも、次回からは手伝ってもらうからね」
「じ、次回?」
エミリーがよくわからない顔をする。準備を終えたメリーベルは、で、とエミリーの方を見た。
「僕に何か聞きたいことがあるの?」
メリーベルがそうエミリーに尋ねた。エルはじっとエミリーの動向をうかがった。エミリーはしばらくの間考え込んだあと、教えていただきたいんだけれど、と言った。
「あなたの弟…フィリップス様…誰の告白も受けるつもりはないって、そうなの?」
エミリーは素直にそう尋ねた。メリーベルは、少し目を丸くしたあと、ふーん、とエミリーの方を見た。
「きみはフィリップスが好きなわけだ」
「そっ、そういう話ではないわ!!たまたま、あなたの弟が告白されているのを見かけて、そう答えていたから興味本位で聞いているだけよ!!私は男なんかだいきらいよ!」
エミリーは顔を赤くしてそう言い放った。メリーベルは、カップに口をつけて一口紅茶を飲んだ後、メリーベルを見た。
「興味本位なら教えない」
メリーベルにそう言われて、エミリーは、う、と言葉を詰まらせる。メリーベルは、これ、今日のお茶請け、とエルとネルに焼き菓子を勧めた。エルは、お、おいしそう…、と言いながら、この微妙な空気に戸惑った。ネルは気にせずに、というかこういった話に興味がないのか、クッキーを次々と口に入れていた。
エミリーは膝のうえに置いた手に力を込めた後、…頭から離れないのよ、と吐露した。
「初めて会った日から、あのお方のことが、忘れられないの。ずっと考えてしまうの。…私、これまで男から嫌な思いばかりさせられてきて、それなのになぜか、わからないけれど私…私…」
エミリーは顔を赤くして、肩を震わせながらそう言葉を紡いだ。メリーベルはカップをソーサーに置くと、小さく息を吐いた。
「男嫌いのきみが、フィリップスを…ねえ」
メリーベルはそう言って目線を下に向けた。エルは、メリーベルの様子に首を傾げる。エミリーは、な、なによ…!と顔を赤くしてメリーベルを睨んだ。メリーベルは、いいや、と頭を振った。
「まあフィリップスは…、そういう奴だ」
メリーベルの答えに、エミリーは腑に落ちない顔をする。
「…どういうこと?」
「そのままの意味だよ」
「……他に好きな人はいない、って言っていたけど、それは本当なの?」
「僕の知ったことではない」
「なっ、なら、実はひそかに思い続けている方がいらっしゃるかもしれないってこと…?!」
「フィリップスがいないと言うならそうなんだろ。そんな嘘をつく奴じゃない」
メリーベルの言葉に、エミリーは少しだけ安心した顔をするが、しかし腑に落ちないようで、唇を尖らせた。メリーベルは、とにかく、とエミリーの方を見た。
「フィリップスと結婚したいとか、そう思っているのならやめたほうがいい」
「そ、そんな曖昧な答えじゃ納得できないわよ…!なんでなのよ!」
「…というかきみ、アラン殿下の婚約者候補なんだろ?そんな浮ついてていいのか?」
「わっ、私はアラン王子と結婚する気なんかもともとありませんから…!レッド家の方とか、パーク家の方がなんとかするでしょっ」
エミリーはそうはっきりと言った。エルは、軽くずっこけそうになる。クッキーを頬張るネルが、あーあ、と呟く。
「有力候補3人のうち2人がほぼ辞退してんじゃん」
ポリポリとクッキーを齧りながらネルが笑う。エルも、アランの婚約者探しに暗雲が立ち込めてきており、先行きが不安になる。
「(…まあ、シェリー様はアラン殿下のことをお好きだろうし…いやでも、私を殺そうとした家の人の可能性が……なら他の家の方を…でも有力候補が推されるだろうし…ああもう…っ!)」
エルはとうとう頭痛がしてきて頭を抱えたくなった。エミリーが何も知らない様子だから忘れそうになるけれど、ハリソン公爵もまだ完全にシロと決まったわけではない。そのこともエルは頭が痛くなる。彼女を放っておけなくてつい連れてきてしまったけれど、自分を殺した犯人の家の娘かもしれない彼女と親しくしてもいいのだろうか。ましてや、フィリップスとのことを後押ししてもいいのだろうか。何も知らない彼女と犯人を分けたい気持ちにもなるけれど、家同士のものである結婚については、応援するのはこの疑わしい状況の中では間違いなのかもしれないとエルは考え込む。
エミリーは、何かを言いたげに唇をかみしめた後、諦めたように目線を下ろした。エルは、意気消沈してしまったエミリーを見て、前に鍛錬場でみた輝く瞳をしていた彼女を思い出して胸が痛む。
メリーベルはエミリーを見て、まあ、と口を開いた。
「友達として、フィリップスとは接してやってくれ。あいつはきみの気持ちには応えられないから」
メリーベルはそう、エミリーにとどめを刺した。エミリーは、唇をぎゅっと噛みしめる。エルは、そんなエミリーを見て、罪悪感が湧き上がった。
「(…落ち込んでいらしたからつい連れてきてしまったけれど、もしかして、お連れしないほうが良かったのかもしれない……)」
「……わからない」
エミリーはそう呟いた。エルは、え、と声を漏らした。エミリーは、強い意志を持った瞳で周りを見た。
「ぜんっぜん、わからないっ!」
エミリーはそう言うと、メリーベルの焼き菓子をもぐもぐと食べ始めた。そして、えっ、なにこれ美味しい…、と呟いた。メリーベルは、困ったように少し眉をひそめた。
「…僕は忠告したからな」
「どうもありがとう。有り難くそのご忠告いただきましたから!」
エミリーは紅茶を飲むと、ふう、と息をついた。そして、深呼吸をした。
「とにかく、まずはお近づきにならないと!私、諦めませんから!」
エミリーはそう宣言すると、お誘いありがとうございました、と頭を下げると部屋から出ていった。エルは呆然と彼女の背中を見つめた。メリーベルは、小さくため息をつく。エルも、困惑しながらメリーベルを見た。すると、またすぐに扉が開いた。なぜかまたエミリーがいた。
「お伝えし忘れていたことがあったわ」
エミリーはそう言うと、メリーベルの前に来て、じっと彼女を見つめた。
「…あなた本当に綺麗ね。お化粧も素敵。そこ、どうやってしているの?教えてくださる?」
エミリーはそう大真面目にメリーベルに尋ねた。ネルが、さっきとの温度差どうなってんだよ、と呟く。メリーベルは、もちろん、と言うと、化粧台に向かった。エミリーも真剣な様子でメリーベルについていく。
「…良い家のご令嬢ってのは、よくわからんな」
ネルはそう呆れたように言いながら、こんどはケーキをつまみだした。エルは、そんなネルに苦笑いを漏らした後、真剣に化粧談義を繰り返す2人を見つめて、小さく微笑んだ。




