13 戦の後3
エルは、掃除の持ち場へ向かっていた。いつものあの、人けのない中庭である。アランと何度かそこで会話をしたことがあるが、今アランは動けない状態だろうし、いるわけがないとエルは思ってそこへ向かった。辺りは相変わらず人がおらず、しんと静まり返っている。さあ掃除をしようと歩みを進めたとき、噴水の縁に腰掛けるアランの姿が見えて、エルは咄嗟に植木の陰にしゃがみ込んで隠れてしまった。
「(…な、なぜ…)」
エルは、どきどきと脈打つ心臓を抱きながらそんなことを思った。長期間の部屋の引きこもり生活にとうとう飽き飽きしたのだろうか。そんなことを考えていたら、アランの元へ近寄る足音が聞こえた。アランはゆっくりと読んでいた本から視線を上げて、その足音の主を見上げた。
「…お前か」
アランはそう言うと、また本に視線を落とした。アランの前に立った人物、フィリップスは、そんなアランを見て小さく笑った。
「誰か、他の人を待っていましたか?」
「…」
アランは黙って本を読んでいた。フィリップスはそんなアランに、いいんですか、と尋ねた。
「勝手に部屋から出て。怪我もまだ治っていないでしょうに。マイクが探していますよ、きっと」
「…さすがにあの訪問客の多さにはもう疲れた。しばらく一人にしてくれ」
フィリップスは、そう言ったアランをしばらくの間見つめたあと、一つだけ伺ってもいいですか、と言った。
「どうして、この戦争に勝ったんですか」
フィリップスは、アランの返事を待たずにそう聞いた。アランは彼には気にもとめずに本のページを捲る。フィリップスは真っ直ぐにアランを見つめる。
「…あの軍事演習に、あなたがついていくと言った時から不思議だった。あなたは綿密に、この戦争に負けるための計画を練っていた。あの戦までにたくさんの戦果をあげて、国王や貴族たちの軍事についての信頼を勝ち得て、指揮を一任されることも狙っていた。…私はあなたが、戦争が始まってすぐに、隣国の軍に自分の首を差し出しに行くものだと思っていました」
エルは、フィリップスの言う話の意味が分からずにただただ混乱した。アランはただ黙って、本から視線を上げなかった。フィリップスはそんなアランを見つめて話を続ける。
「この国の王子かつ指揮官が突然敵軍に首を差し出せば、自軍は混乱して、まともに戦えなくなるでしょう。そのまま隣国に攻め入られてこの国は…、というシナリオを立てていたんじゃないですか」
「…」
「…間違えているのなら、私の首を差し出す覚悟です。でも、私はずっと、この国に仕える騎士として、殿下の思惑を感じて、国の危機を憂いておりました。…あなたは…婚約者を失ってからずっと、この国を恨む目をしていたから」
フィリップスはそう、まっすぐな目でアランを見つめた。アランはゆっくりとフィリップスの方を見た。
「それは、お前の勘違いだ」
アランはそう冷たく言い放った。フィリップスはそんなアランには怯まずに見つめ続ける。
「俺はエルが生きていた頃からずっと、この世の全てを恨み続けている」
アランはそう言うと、フィリップスを見据えた。フィリップスはそんな彼に息を呑む。
「俺は生まれた時からずっと、身勝手なこの世界の奴らから、尊厳を、肉親の愛を、全てを奪われ続けてきた。それでも、これまで奴らから受けた報いを全部飲み込んで、良い王子を演じて、上手くやっていこうと誓っていた。…エルがいたからだ。この世界で彼女と一緒に生きていくために、俺は泥水をも啜る決意でいた。それなのに奴らは、彼女すらも俺から奪った」
アランの言葉に、フィリップスは、あなたはあの火事のことを…、と呟く。アランはフィリップスから目を逸らして、唇を噛み締めたあと、ゆっくりと口を開いた。
「あの日から俺はこの世界を、自分の命と引き換えに壊してやる日を虎視眈々と狙っていた。…でも、しなかった」
「…なぜ」
フィリップスが静かに尋ねると、アランはゆっくり息を吐いた。
「…あの町で見た海が、あんまりにも美しかったから。もう少し見ていたいと、そう願ってしまったから」
フィリップスは、アランの言葉に息を呑んだ。アランはゆっくりと立ち上がると、フィリップスの方を見た。
「お前もずっと、お国のためと口で言いながら、死に場所を探しているじゃないか」
アランはそう言うとフィリップスを伏せた目で見ながら、少しだけ口角を上げた。フィリップスは目を丸くしたあと、いえ、私は…、と口ごもる。
アランはそんなフィリップスの横を通り過ぎてゆっくり歩き始めた。フィリップスはアランの背中の方を向いて、殿下、と言った。
「あの火事が不審だとお思いなら、お調べになられたら如何ですか」
フィリップスの言葉にアランは立ち止まる。そして振り向かないまま、どうでもいい、と吐き捨てた。フィリップスは、どうでもいい…?と声をもらした。
「もうエルは死んだ。その事実が変わらないのならば、何の意味もない」
アランはそう言い捨てると、フィリップスを置いて去っていった。フィリップスはその背中を見送ると、目元に手を当てて重いため息をついた。
しばらくの間のあと、フィリップスもこの場を去ろうと歩き始めた。彼が植木の陰に隠れるエルの方に歩いてきたので、エルはとても慌てた。しかし、逃げる間もなく、歩いてきたフィリップスと目が合ってしまった。
「えっ…エリィ…」
「お…お久しぶりです…」
エルは気まずい気持ちの中、フィリップスに深々と頭を下げた。フィリップスは、エルに先ほどの話を聞かれていたことを悟ると、腰と目元に手を当てて、深く深くため息をついた。
「…どうか、この話は…」
フィリップスはエルの方を恐る恐る見た。エルは勢いよく両手を振り、何も言いません!と返した。フィリップスはエルの勢いに少し驚きながらも、すまない、 変な話を聞かせて、と申し訳なさそうに言った。エルは、いえ、と頭を振ったあと、ゆっくり立ち上がった。
「…フィリップス様、ご無事で戻ってこられたこと、本当におめでとうございます」
エルは、先ほどのアランとフィリップスとの会話を踏まえると何と声かけしていいかわからずにそうぎこちなく伝えた。するとフィリップスは、いつもの優しい笑顔を見せて、ありがとう、と返してくれた。エルは安心しながら、彼につられるように笑った。
「メリーベル様からお伺いしました。深い傷をおわれたって。お加減はいかがですか?」
フィリップスはエルの言葉に、少しだけ眉をひそめて、重い空気をまとった。
「私は命が助かった。傷の深さだってアラン殿下に比べたら軽いものさ。…勝ちはしたけれど、仲間をたくさん失った。アンドリューもアッシュも…皆、長い間共に過ごした奴らばかりだ」
フィリップスの言葉に、エルは返す言葉を失う。暗い表情になるエルに気がついて、フィリップスはまたいつもの笑顔に戻した。
「アラン殿下は部屋から抜け出していたし、だいぶ快方に向かわれているのかな?」
フィリップスはそう、エルに尋ねた。エルは、さ、さあ…、と苦笑いを浮かべた。そんなエルに、え?とフィリップスは意外そうな顔をした。
「エルが殿下のお世話をしているんじゃないの?」
「いえ…私はお呼びがかからなくって」
エルはそう、困ったように笑って返す。フィリップスは、そうなんだ…、とだけ返すと、それ以上は何も言わず、それでは私はもう行くよ、と言うと去っていった。




