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12 いつかがくるその前に、あなたに伝えたいことがある4

最後の客を見送ったあと、エルはダンと一緒に店の片付けをしていた。静かになった店内で、エルは黙々と作業をしながら、懐かしく楽しい気持ちに浸っていた。


「もういい。早く寝ろ」


ダンは食器を洗いながらエルに言った。エルは後片付けを続けながら、いえ、と頭を振った。


「あと少しですから」

「明日は早いんだろう」

「でも…、嬉しくて。久しぶりにここで、ダンさんと一緒に働くことができて」


エルはダンを見上げて微笑む。ダンは少し目を丸くしたあと、不器用ながらも少しだけ嬉しそうな顔をした。


「でもだめだ。早く休め」


普段の無表情に戻ったダンはそう、さっきよりもはっきりとした口調で言った。エルは、…わかりました、と苦笑いをすると、手に持っていたものだけ片づけて、厨房から出ようとした。


「エリィ」


ダンが、部屋へ戻ろうとするエルを呼び止めた。エルはダンの方を見た。ダンはじっとエルの目を見つめている。エルは、どうかしましたか、と尋ねた。ダンは少しの間の後、いや、と頭を振った。


「俺達に会いに来てくれてありがとう。…またエリィに会えて良かった。…おやすみ」


ダンはそう言うとまた作業に取り掛かった。エルは少しだけ彼に違和感を覚えながらも、おやすみなさい、とだけ返して部屋に向かった。






エルは、自身の寝る準備を済ませた後、エメラルドの寝室に向かった。エメラルドは相変わらずの体勢でベッドに寝転んでいた。エルは、エメラルドの傍に向かった。そして、枕にあごを乗せるエメラルドと目線を合わせるように両ひざをついた。エメラルドはエルの目を見ると微笑んだ。


「ああエリィ、店のこと無理させたみたいで悪かったね」


申し訳なさそうなエメラルドに、エルは頭を横にふる。いつもより覇気のない彼女に、怪我をして寝ているしかないせいで弱気になっているのだろうと察する。エルは頭を振って、微笑んだ。


「久しぶりにお店に出られて楽しかったです。なんだか、気持ちがすっきりしました」

「おや、なんかあったのかい?」


エメラルドはエルの目を見て優しく尋ねた。エルは、ええと…、と、返答に困る。エメラルドはそんなエルに深く追求はせずに、まあ、生きてたら色々あるさ、と呟いた。


「いいかい、自分を悪者にしすぎちゃいけない。正しいものなんてのは、その時代の気分で簡単に変わるんだ。自分の信じたいものを信じて、背筋をしゃんとしな」


エメラルドは、そうエルに真剣な顔で言う。エルは彼女の言葉が胸に染みて少しだけ痛んだ。エルは唇を緩く噛んだ後、…はい、と頷いた。エメラルドは、エルの目を見て微笑んだ後、で、どうなのさ、と尋ねた。


「仕事には慣れた?」

「はい、なんとか」

「そう、それはよかった」


優しい目でエルの話を聞いてくれるエメラルドに、エルは自然とお城での話を始めた。毎日広い広いお城を掃除していること、今は第一王子の妻の部屋担当をしていること、本を貸してくれる友達のような存在ができたこと、そして、少し口が悪くて、でも時々慰めてくれる同僚がいること。

エメラルドは笑ったり、真剣な顔をしたりして、エルの話をじっくりと聞いてくれた。そんな彼女にエルは、それで、それから、とどんどん話を続ける。そんなエルを、エメラルドは優しい眼差しで見つめる。


「楽しくやってるみたいで安心したよ」


エルの話が一通り終わると、エメラルドはそう言った。エルはそんなエメラルドに、楽しく、やってるのかな…、と疑問を浮かべる。エメラルドは、楽しそうだよ、と笑いながら言う。


「表情が豊かで、たくさんの経験をしたんだって、よーく伝わる。王都に行ってよかったじゃないか」


エメラルドにそう言われて、エルは目を丸くする。

貴族だった頃、エルはいつのまにか張り付けたような笑顔しかできなくなっていた。それなのに、あの日逃げ出してからエルは、素直に笑えるようになった。怒る顔も、困る顔もできるようになった。それは全部、自分を受け入れてくれたエメラルドとダンのおかげだった。


「…全部全部、エメラルドさんとダンさんのおかげです」


エルはそう、静かに、エメラルドの目を見つめていった。エメラルドは、エルの瞳を見つめ返した。


「おふたりが私を受け入れてくださったから。毎日の生活のなかに私を入れてくださったから、だから私、こうやって笑ったり泣いたりできるようになったんです。本当に、ありがとうございます」


エルの言葉に、エメラルドは目を丸くした。そして、ばっと目を伏せると、少し息を吐いたあと口を開いた。


「…このまま、この町のことは忘れて、ずっと王都で暮らすのがアンタにとってはいいことなんだろうね」

「…え?」


エルは突然のことでよくわからずに、まばたきを繰り返した。エメラルドはエルの方は見ないまま、真剣な声で話し始めた。


「もうすぐ戦争が起こる。隣国に戦力で押されれば、この町もタダではすまない。アタシは何かあればフライパンと包丁を持ってるからそれで戦うつもりだけど、それが敵うかはわからない。ここが、アンタの知っている町ではなくなるかもしれない。だから、今のうちに忘れてしまうのも手だ」

「…エメラルドさん、なら明日、私と一緒にここから逃げましょう。王都での生活はきっと、なんとかなります。戦争が終わってからここに戻ってきたらいい。だから、」

「それはしない。アタシはこの町に骨を埋める気だよ。ダンだってそうさ。それに、戦況次第では、王都だってどうなるかわからない」


エメラルドはそう意志を持って言った。エルは、そんなエメラルドを見つめる。


「アタシはこの町が好きさ。こんなアタシを受け入れてくれた。これまで散々、住もうとしたところでアタシは弾かれてきたからさ。感謝してる」


エメラルドはそう言うと小さく息を吸った。そして、それに、まだアンタに言えていないことがある、と呟いた。エルは、え、と声を漏らす。エメラルドはゆっくりと口を開いた。


「…アタシはね、もともとものすごく厳しい家の出身だった。男は男らしく、女は女らしくっていうのがその家の教育の要だった。アタシも例に習って男らしい生き方を求められた。でもアタシは、きれいなお洋服や、お化粧、…そんな、あの家の言う女らしい物に心を惹かれていた。親戚のお姉さんたちがしてるお洒落が羨ましくて、アタシは伸ばした髪を内緒で綺麗に結い上げたりしてた。…それがある日、父親にバレてね。ものすごい剣幕で怒鳴られて、それで、綺麗に伸ばしていた髪をバッサリと切られちゃった。…アタシはその時に心がポッキリ折れちゃってね。そのまま黙って家を出た。色んな町を転々として、ここへ流れ着いた。その過程で出会ったのがダンだった」


エメラルドの言葉に、エルは、え、と声を漏らす。エメラルドは目を伏せながら、アタシとダンは兄弟なんかじゃない、と言った。


「アタシとダンは夫婦のようにこの町で暮らしていた。もちろんそれは町の皆にも内緒にしてた。そんなところまで受け入れてもらえるとは思っていなかったから。隠し事をしながらも、細々と暮らしていた。…そうしたら、エリィ、アンタに出会った」


エルは真剣にエメラルドの瞳を見た。エメラルドはエルの顔を優しい目で見つめた。


「アンタと一緒に暮らし始めてから、一緒に時間を過ごす度にアンタが自分の娘のように思えてきた。でも、ダンとのことをアンタに秘密にしていることが後ろめたくて、でもアンタと一緒にいたくて、…ずっと苦しかった。だからアンタが王都へ行くと言ったとき、これでこの苦しい気持ちと無理やりでも離れられると思った」


エメラルドは、また小さく息をついた。


「だからもう、今日でここを帰る家と思うのはやめな。アンタにはもっといい場所がある」


エメラルドはそう、はっきりと言った。エルはしばらくエメラルドの目を見つめた。そして、嫌です、と頭を振った。エメラルドは、え、と声をもらした。


「…嫌です…?アンタ今、嫌ですって言った?」

「はい、言いました。嫌です」

「あ、あのねえアンタ…」

「第一、どうしてエメラルドさんとダンさんの娘だと思われることを私が嫌がっているような前提で話すんですか?私、とっても嬉しいです。大好きな2人にそんなふうに思ってもらえてたなんて、本当に本当に嬉しいです」


エルは、ぐいっとエメラルドに近づいた。エメラルドは驚きからまばたきを繰り返す。


「エメラルドさんが、言いたくないことを言わなくても、今知ってる私が本当ならそれでいいって、そうおっしゃってくれたんじゃないですか。私も同じ気持ちです。エメラルドさんが怒ると怖くて、でも本当は愛情深くて優しい人だって、それがわかってたら、私にとってあなたを大好きであり続けるには十分なんです」


エルはそう言うと、エメラルドに抱きついた。


「私をおふたりの娘にしてください」


エルはエメラルドに頬を寄せた。エメラルドは深く呼吸をしたあと、エルを抱きしめ返した。エメラルドはしばらくの間のあと、ちいさなちいさな声で、ありがとう、と言った。










「私が髪を切ったとき、エメラルドさんが怒ったのは、自分が髪を勝手に切られたことがあったからなんですね」


エメラルドの飲む水の替えを持ってきたエルが言うと、エメラルドは、まあ、ね、と苦笑いをした。


「にしてもエリィ、ほんとによくこんなに切ったわよね」


あんなに綺麗に伸ばしてたのに、とエメラルドは呟く。エルは、自分の肩につかない程度の長さになった髪の毛先を指で触った。


「…昔、母が生前私によく言っていました。髪を長くきれいに伸ばしていたら、素敵な人が迎えに来てくれるわよ、って」


エルの言葉に、親戚の姉さんたちもそんなようなこと言ってたわ、とエメラルドが笑った。エルは、ほんとですか、と驚いたあと笑った。


「…でも私、切った時にすっきりしたんです。ああ私、これで素敵な人とやらをずっと待ってなくても良いんだって。別に求めてないのに待たされて、その上来なかったら、なんだか悲しいですから」


エルの言葉に、エメラルドは目を丸くしたあと、声を上げて笑った。エルは、そんなエメラルドにつられてくすくすと笑った。

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