12 いつかがくるその前に、あなたに伝えたいことがある3
エメラルドが倒れてから久しぶりに開いた食堂は、大盛況だった。
開店まで準備がいつもよりまったくできていないため、出せる料理は限られていたが、それでも客たちはお酒をたくさん飲んで楽しそうにしていた。お城にいたら聞こえてこない、この煩雑な騒がしさがエルには心底懐かしかった。
「お待たせしました、魚介のスープです」
エルはそう言って、アランとフィリップスの座る席にそれぞれスープの入ったお皿を置いた。フィリップスはスープを見ると目を輝かせて、そうそうこれこれ、と笑った。エルはそんなフィリップスを見て微笑んだ。
「どうぞごゆっくり」
エルはアランとフィリップスをそれぞれ見て、頭を下げた。フィリップスは笑顔でありがとうと言ったが、アランはいつもの調子で何も言わずに食事を始めた。エルは2人を見て小さく微笑んだ。すると背後から酔っ払った漁師たちのテーブルの方で、おおいエリィ!と呼ぶ声がした。この絡んでくる感じが懐かしいと、エルは苦笑いを漏らしながら振り向いた。酔っぱらいたちは、大きな笑い声を上げながらエルを指さした。
「やっと王都なんかから帰ってきたか!」
「ケインと結婚しに戻ってきたんだろ?」
「都会の男なんかしょうもないぞ!薄情だし偉そうだし」
そうだそうだ!と口々に笑いながら言う漁師たち。エルは、ここに都会の王族と貴族がいるけれど、そんなことを言って大丈夫だろうかとひやひやしたが、彼らはそんなことを全く気づけていないようだった。
漁師たちは楽しそうに、ケインとエルの結婚式の話をし始めた。その話に、他の客たちも乗っかり出す。頼りになるエメラルドも今はいないし、収拾がつかないので、エルは話題そらしにお酒の追加注文でも取りに行こうかと考えて、漁師たちのテーブルに向かおうとした。
すると、店の扉が開いて慌てた様子のケインがやってきた。そして、エルをみつけると彼女のところに走った。これには店にいた客たちも大盛り上がりになった。ケインはエルの前にやってくると、ほんっとうにごめん!と両手を額の前に合わせて頭を下げた。
「俺、早とちりして…ほんとにごめん!!」
ケインがエルの様子を伺うように上目遣いでエルを見た。エルは苦笑いをしながら頭を降って、大丈夫ですよ、と言った。
「久しぶりに帰ってこられて、エメラルドさんやダンさんと会えたし…」
「だよな!」
エルが怒っていない事を察すると、すぐにケインは頭を上げて能天気に笑った。エルは、帰ってきたことに後悔はないけれど、ここに来るまでどれだけ大変だったと思っているんだと、自分から許したくせに急に呑気な彼を許せなくなった。
すると、ケインの漁師の親方が、ケインの肩を組んだ。
「夫婦喧嘩はやめとけやめとけ!夫が謝っときゃ丸く収まんだよお」
「はあ?何言ってんだ?」
ケインが怪訝そうな顔で親方を見たあと、あああの話か、と呆れたように言った。
「まだ言ってんのかよ」
「お前あの子に振られたんだろ?エリィが帰ってきてくれたんだから丁度いいじゃねえか。元サヤに収まれって」
「ふ、振られてねえから!うるせえなほっといてくれよ」
ケインは、この酔っ払いたちにはもう何を言っても駄目だ、という顔でエルを見た。エルは苦笑いをしながら、何か召し上がりますか、と尋ねた。するとケインは、金ねえからもう帰るわ、と言うと食堂から出ていった。客たちは、おいおい照れるなよ、と騒ぎ立てる。
エルは、しばらくしたら話題も変わるだろうと諦めて、そしてアランとフィリップスに頭を下げた。
「ごめんなさい、騒がしくって…」
この身分の2人は(フィリップスは何度かこの店に来たことがあるため、特にアラン)あまり味わったことのない騒がしさだろうとエルは心配する。
エルが2人に謝ったとき、厨房からダンがエルを呼んだ。エルは、失礼いたします、と2人に頭を下げるとダンのほうへ向かった。
エルが厨房に向かうと、ダンがいくつか重なった大きなゴミ袋を指さした。エルは、わかりました、というと、ゴミ袋を抱えた。
「ゆっくり行ってこい。そのうちあいつらも違う話しだすから」
ダンはそうぶっきらぼうに言う。エルはダンの気遣いだと察すると、ありがとうございます、とお礼を言うと、エルはゴミ捨て場へ運び始めた。
最後の一袋を抱えてゴミ捨て場へ歩き、エルは大きなゴミ袋を置いた。そして、額に少しだけにじんだ汗を拭った。もう冬になるけれど、こんなふうに動くと汗をかいてしまう。
「…エリィ」
急に背後から話しかけられた。振り向くと、ケインの想い人である女性が、顔色の悪い様子で立っていた。エルは、どうかしましたか、と彼女に近づいた。彼女はうつむくと、か細い声で、何か預かってないかしら、と尋ねた。エルは、え、と首をかしげる。
「何か…とは?」
「手紙とか…。騎士の方から…」
彼女の様子から、まだあの演習の時に出会った騎士を待ち続けているのだと悟る。エルは言いにくい気持ちで、ええと、と目を泳がせた。
「私は何も…。私は掃除担当なもので、騎士の方たちとはあまり接点がなくって…」
「そう…」
彼女が、また表情を暗くした。エルは、もうそんな男は忘れたほうがいいのでは、という言葉を飲み込む。どうしたらいいかわからずに黙っていると、真剣な顔をしたフィリップスが、失礼、と言って2人のところへやってきた。
「私は騎士団に所属しているものです。あなたが手紙を待つ男の名前を教えていただけますか?」
「…アッシュ…」
女性はすがるような目でフィリップスを見た。フィリップスは眉をひそめると、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「アッシュ・オーサーには、幼い頃から将来を約束した婚約者がいます。もうすぐ結婚するはずです。彼とはほとんど毎日顔を合わせますが、あなたの話を聞いたことは一度もありません」
フィリップスは残酷な真実を淡々と告げた。彼女は口元を手で覆い隠すと、息を呑んで絶句した。エルはどうしたらいいかわからずに、二人を交互に見た。
彼女は、足元がおぼつかないまま、逃げるようにこの場を去った。エルは、彼女にかける言葉を見つけられないまま、黙って彼女を見送るしかなかった。
「…そういう奴は彼だけじゃないよ。騎士団には何人もそういう輩がいる」
フィリップスはそう、眉間を険しくしてそう言った。エルは、そうですか…、と呟いた。見えなくなった彼女の姿に、エルは胸が痛む。
少しの間の後、エルは、そういえば、とフィリップスの方を見た。
「フィリップス様はどうかされましたか?」
「ああ…殿下の機嫌が悪くて、逃げてきたんだ」
フィリップスはそう言って苦笑いを漏らした。
「殿下が急にここに行くとおっしゃるから、たまたま通りかかった私が付き添うことになったんだけど、殿下と二人きりでいることがなくて、正直戸惑ってる…。普段からああいう方なのはわかってはいたけれど、今は特に不機嫌で…」
エルは、ああ…、とあの騒々しい場所にいるアランを思い出して心配そうに眉をひそめる。
「…そろそろお部屋に戻りますか?騒がしいところは不慣れでしょうし…」
「ああいや、殿下のあれはそういうのじゃないと思う…」
「…?」
フィリップスはなにやら言いだしにくそうに髪をかきあげたあと、あのさ、とエルの方を見た。
「下世話な質問で申し訳ないんだけど、いや、答えたくなかったらいいんだけど…」
「え?は、はい…」
「ケイン…というのは?」
「え?」
「エリィのその…恋人、とか?」
フィリップスの質問に、エルは違います、と苦笑いをした。
「若い独り身の男女を、ああやって適当にくっつけて面白がってるだけです。冗談で言ってるだけですよ」
エルの回答に、フィリップスは安心したように表情を緩ませる。
「そう…」
「…?」
エルは、フィリップスの考えることが分からず首をかしげる。フィリップスは、いや、と笑った。
「それじゃあ、私はもう戻るよ」
「あっ、お部屋に帰るのならご案内します」
「ああ、ありがとう。殿下のご様子を確認してからにするよ」
エルはフィリップスとともに食堂に戻った。すると、もうすぐで食べ終えそうなアランがいた。フィリップスは、殿下、と声をかけた。
「召し上がったら部屋に戻りましょうか」
「ああ」
アランは最後のパンを食べ終え、ナプキンで口を拭き終わるのを待つと、エルは、それではお部屋にご案内します、と告げた。フィリップスはちらりとアランを見たあと、軽く咳払いをした。
「あー、エリィ、つかぬことを聞くんだけれど」
「え?はい…」
エルはまだ何かあったのだろうかとフィリップスの方を見た。
「さっきの…ケインとかいう男は、君の恋人なのかな?」
「え?」
「恋人、なのかな?」
なぜ同じ質問を、と不思議に思ったけれど、フィリップスは大真面目に聞いてくるので、エルはまた、いいえ、と頭を振った。
「その…町の人が面白がってるだけです…。特にそういう関係では…」
「ああそうなんだ。てっきり2人はそういう関係なんだとばっかり」
フィリップスはそう少し大げさなほどリアクションをした。エルは、らしくない彼を怪訝な気持ちで見つめる。
「全然違いますよ、ケインとは何にもありません。ただ、私が唯一仲良くしていた異性の方だったので、周りが面白がってるだけです」
エルがそう言うと、フィリップスは笑顔をやめて、えっ、という顔で見た。彼の表情に焦りが見える。
「いや、それは事前に聞いてなかった情報だけれど…」
「え?」
「…もう行く」
アランはそう言うと立ち上がった。エルは、ご案内します、と言うと、2人が泊まる部屋へ案内した。背後にいたフィリップスから、重い重いため息が聞こえて、何か変なことを言っただろうかと、エルは自分の言った言葉について思い出しては考え込んだ。




