12 いつかがくるその前に、あなたに伝えたいことがある1
エルは宿舎を出て、夜の中必死に歩き続けた。息を切らし、喉が裂けそうなほど痛くなっても、足が動かせないほど痛くなっても、それでも足をとめなかった。頼りない月明かりを目印に、エルはただただエメラルドのいる町へ向かった。
数日かけて、エルはようやく港町にたどり着いた。到着したのは昼間で、人通りが賑やかな通りを最後の力を振り絞って走って、この町に1つだけの食堂に飛び込んだ。
「エメラルドさん…!」
エルが静かな店内に声を響かせた。すると、目を丸くしたダンが店の奥からでてきた。
「エリィ…」
ダンは眉をひそめて深いため息をついた。エルはダンに駆け寄る。
「エメラルドさんは…エメラルドさんは…?」
「間に合わなかったか…」
ダンの言葉に、エルは体が硬直した。そして、そのまま立っていられずに床に座り込んだ。するとダンが慌ててエルの肩をつかんで、違う違う、とエルに呼びかけた。エルはダンの言葉に、え…?と声を漏らす。
「ダーン!エリィ来ちゃった?!」
店の奥の居住スペースの方から、そんなエメラルドの声が聞こえた。エルは、えっ?と声を漏らす。ダンはエルの肩を支えながら彼女を立ち上がらせて、すまなかったな、と心底申し訳なさそうに謝った。
「エメラルド、ぎっくり腰になってな」
「ぎっ、くりごし…」
「店をしばらく休んでいたんだが、何を勘違いしたのかケインが、王都に行く商人を見つけてエリィに言伝を頼んでしまった」
エルは、まだ状況が読み込めずにまばたきを繰り返す。ダンは、こっちだ、と言ってエルを案内した。それについていくと、彼女の寝室でうつ伏せに寝転がるエメラルドがいた。エメラルドは、あーエリィ!と目を手で覆った。
「あーもうごめんなさい!ケインのバカが早とちりしちゃって…。すぐに他の商人に訂正の言伝を頼んだんだけど、間に合わなかったのね…」
遠かったでしょう…、とエメラルドが申し訳なさそうにエルに話しかける。エルは、腰以外は元気そうなエメラルドを見て、安心からまたその場に座り込んだ。
「よ、よかった…私…」
エルは、安心しながら呆然と、そうぽつりぽつり話しながら、目から大粒の涙をこぼした。
「私…エメラルドさんが…死んじゃうのかもって…私…わたし……」
エルは両手で顔を覆って、声を上げて子どものように泣き始めた。エメラルドが死ぬかもしれないという不安がとけて安心して、涙がどんどんあふれる。
ダンが狼狽えながら、そんなエルの背中を不器用に擦った。エメラルドはそんなエルをしばらく見つめたあと、エリィ、と呼んだ。
「こっちにおいで」
エメラルドの優しい声に、エルはしゃくりあげながら頷くと、ベッドに寝るエメラルドに近づき、目を合わせるように膝をついた。エメラルドは両手でエルの頬を包むと、大きな手でエルの涙をぬぐった。そして、エルの肩をつかむと、自分のそばに抱き寄せた。
「ごめんね。心配かけたね」
エメラルドはそう言うと、エルの頭を何度も撫でた。そして、優しい瞳でエルを見つめた。
「お腹すいたでしょう。ごはん、一緒に食べよう」
エメラルドは優しい声でそう言うと、エルの頬に自分の頬を寄せた。エルは、温かいエメラルドの温度に安心して、また声を上げて泣いた。
エルはお風呂に入って汚れた体を綺麗にしたあと、久しぶりにダンの美味しいご飯を食べて、それからそのままリビングで熟睡してしまった。
目を覚ますともう夕方だった。エルは数日間休まずに移動した疲れから体がどっと重いのを感じながら伸びをした。
「(…どうせ帰ってこられたならゆっくりしたい、けど、アラン殿下のこともあるし、なるべく早く帰らないと…)」
エルはそう焦るけれど、どのみちもうこの時間では移動手段が歩く以外なく、休まずにこの身体でまた数日間動くことは不可能な気がエルはした。明日の朝なら、商人の馬車などについでに乗せてもらえるかもしれない、と考えて、今夜はここで泊まらせてもらうことにした。
エメラルドが倒れてから、食堂は開けておらず、今日も休みらしい。エルはエメラルドの看病を手伝ったあと、久しぶりに町を歩いてきたら、と彼女に勧められたので、外に出ることにした。出かける前にエメラルドが、ケインに会ったらぶちのめしてきな、と、割と本気のトーンで言ってきたので、エルはつい笑ってしまった。
エルは、数カ月ぶりにこの港町を歩いた。海が夕焼けに染まっていて、エルはその美しさに目を奪われる。すれ違う町の人が、あらエリィ、帰ってきたの、と声をかけてくれた。エルは懐かしい気持ちで彼らに挨拶をした。
エメラルドが無事だったことに、エルはここに来るまで不安でしょうがなかった自分が救われたと安堵した。
安心しながらエルは、両親が死んだ時を思い出した。父と母が流行病で順番に亡くなって、エルは一人で泣き続けるしかなかった。誰かに傍にいてほしかったけれど、家族を失ったエルの周りにはもう誰も残っていなかった。アランはその時熱を出していて、彼に会えたのはエルがようやく泣きやめたときだった。
すると、海岸線で町の子どもたちが遊んでいる姿が見えた。子どもたちはエルに気がつくと、あっ!エリィ!と声を上げて近づいてきた。
「王都に行ったんじゃなかったのか?」
「都会の女だ!」
「でも全然変わってないな」
「王都のお話聞かせて」
子どもたちは口々にそれぞれの聞きたいことを聞いてきた。エルは苦笑いをしながら彼らを順番に見た。
「何をしていたの?」
「鬼ごっこ」
「エリィも仲間にはいる?」
そう誘われて、エルは、私足が速くなくて…、と言い訳をしたけれど、そんな話は聞かれずに、よーいどん!と言う合図とともに、子どもたちはほうぼうに走り出した。エルは驚いて彼らを目で追う。
「えっ、え?」
「エリィが鬼!」
そう子どもたちに言われて、エルは慌てて子どもたちを追いかける。子どもたちは、大人が混じって嬉しいのか、きゃっきゃっと声を上げて逃げ回る。エルは完全に足の速さで負けながらも、彼らを懸命に追う。隣で広がる海は夕焼けに染まり、綺麗に輝いている。
「あっ、王子様!」
逃げていた女の子が、エルの後ろを指さして声を上げた。エルは、え?と声をもらしたあと、その指の先を見た。エルは、そこにいた人物に目を丸くして固まった。
「あ…アラン殿下に、フィリップス様…?」
エルは半信半疑でそこに立っていた二人の名前を呟いた。アランとフィリップスも、驚いた顔でエルの方を見ていた。
逃げ回っていた子どもたちはさっとエルの背後に集まって、隠れながら彼らの様子をうかがった。
「ねえエリィ、知り合い?」
「王子様が2人もいる〜」
「本当に王子様なの?」
「わかんないけど、かっこいいね〜」
ねー、と子どもたちが無邪気に笑う。どうやら彼らは、2人のことを見た目が格好いいから王子だと思っているらしく、彼らの本当の素性を当然だけれど知らないようだった。王子がこんなところにいるとわかったら町が大慌てになるような気がして、エルは彼らのことを詳しくは子どもたちに明かさずに、お城の人たちだよ、とだけふわっと説明した。
そしてエルは、二人の方を見た。
「あの…どうして…?」
エルはそう尋ねながら、まさかもう戦争が始まるのか、と息を呑んだけれど、2人以外にそれらしい人がいないことと、2人が兵士の格好をしていないことから、それは違うか、と自己完結した。
「(…ならなぜ、この2人がここに…?)」
「エリィ、その…ご家族の方が危篤だって…」
フィリップスがそう確かめるようにエルに尋ねた。エルは、なぜそのことをフィリップスが知っているのかわからなかったけれど、あ…、と気まずそうに返した。家族の危篤のために休暇をもらったはずの使用人がこどもと走り回っている光景は、あまりにも不可解だろう。
「その…誤報だったらしくって…」
エルはそう苦笑いを漏らした。フィリップスは、ご、誤報…?と目を丸くした。アランも驚いた顔をしている。エルは、2人の顔を順番に見た。
「あの…おふたりはなぜここに…?」
エルは恐る恐る二人に尋ねた。フィリップスは、えっと…、と髪をかき上げたあと、口を開いた。
「…とりあえず私は、今日泊まるところを探すよ。ねえ君たち、宿屋まで案内してもらえないかな?」
フィリップスはエルの後ろに隠れる子どもたちを呼んだ。子どもたちはお互い顔を見合わせたあと、優しい雰囲気のフィリップスを確認して、いいよ!と元気よく答えると、フィリップスのそばに寄った。フィリップスは、ありがとう、と微笑んだ。子どもたちはフィリップスの腕を引いたり、背中を押したりして彼を案内し始めた。
「でも、この町に宿屋なんかないよ」
子どもの言葉にフィリップスは目を丸くする。
「あれ、そうだったっけ」
「泊まらせてくれるとこないか、探してあげる」
フィリップスは子どもたちに連れられて、去っていってしまった。エルは、その背中を見つめながら、泊まるところがないならうちで…、と言いかけて、声が届かないところまで行ってしまったのを見て諦めた。
エルは、恐る恐るアランの方を見た。海の方から冷たい風が吹いて、エルの髪とアランの髪が揺れる。
「…あの、…なぜここに…」
エルの質問に、アランは目を伏せた。少しの間、エルはアランのことを見つめた。伏せられたアランの青い瞳が、またエルの方を見た。
「…君の家族が危篤だと、そう聞いたからだ」
「私の…?」
「…昔、両親を失ったエルを、俺の体が弱いせいで一人にしたことがあった。それを思い出したんだ。そうしたらここに来ていた」
アランの言葉に、エルは息を呑んだ。アランは海の方に視線を移した。
「…君にとっては迷惑な話だな。マイクに担がれたんだろう。俺のせいで慣れ親しんだ町から王都に連れてこられて、勝手に他人と重ねられて」
アランはそう、遠くを見つめながら言った。エルはそんなアランの横顔に、何も返せずにいた。エルは目を伏せて黙り込んだ。波の音だけが2人の間に響く。
「(…迷惑なわけじゃない)」
エルはそう、心の中で思う。迷惑なわけではない。でも、早く自分を諦めてほしい。早く自分を忘れて、新しい人と幸せになってほしい。エルはもう、アランの傍にいることができないのだから。
エルは服の裾を握りしめる。唇を噛み締めて、何度も何かを言おうとして、そして、言えずにやめた。
その時、遠くから子どもたちとフィリップスがやってきた。
「エメラルドのとこが泊まってもいいって!!」
子どもたちはフィリップスをつれて走ってやってくると、そう楽しそうにエルとアランに告げた。フィリップスは2人の空気を察して困ったような顔を一瞬したあと、それでは行きましょうか、とアランに話しかけた。




