11 その美しい令嬢には棘があるのかもしれない3
エルにとって月に一度の1日休みの日がやって来た。
エルは恒例になっている教会へのお祈りへ向かったあと、近くのお店をのぞいた。特に何を買うわけでなくても、王都の賑やかな人通りを縫って、可愛い小物やおいしそうなパンやお菓子を眺めるだけでも気分転換になった。
以前ルーナに会ってから、エルは一度も彼女に会えていなかった。何度か半日休みの日に教会に向かったこともあったけれど、彼女の姿を見ることはできなかった。
エミリーが来たあの日、アランが応接室に来ることはなかった。不機嫌そうにしているハリソン公爵とは対照的に、エミリーはどこかほっとしたような顔で応接室を出ていった。
ハリソン公爵がくるまでの間、しばらくエルはエミリーと二人きりでいたのだけれど、彼女は終始フィリップスについて尋ねてきた。エルの話に目を輝かせてエミリーは聞き入っていた。
「(…あのご様子だと、エミリー様はフィリップス様のことを…)」
何度もフィリップスへの気持ちを、違う!と否定していたエミリーだったけれど、それが彼女の本心ではないことは明白だった。
「(…まあ、気持ちはわからなくもない…)」
エルは街を歩きながらエミリーの恋心に共感する。フィリップスのあの中性的で美しい顔立ち、すらりとした体型、柔和な性格、紳士的な態度。数多の女性を虜にしてきた男であるのだから、彼女が恋に落ちたとしてもなんら不思議ではない。
「(…にしても、エミリー様って男嫌いだそうなのに、そんな相手でさえ好きにさせてしまうなんて…)…あれ?」
エルは考えながら歩いていたことで、初めて来た道に入ってしまっていたことに気がつく。こんなところにもお店があったのか、などという新しい発見を繰り返しながら街を歩いていると、初めて見る教会にたどり着いた。普段エルが訪れるところよりもたくさんの人の出入りが多くあった。
「(…こんなところにも…)」
エルはほんの少しだけ教会を覗いた。どうやら、孤児院も併設しているところらしく、エルがいつもいく教会よりも数倍規模が大きいようだった。
「いつもありがとうございます、殿下」
そんな声がして、エルはとっさに身を隠した。物陰から声のしたほうを見ると、エドワードが付き人とともに教会関係者と話し込む姿が見えた。
「子どもたちも喜びます。いつもいつもお心配りを頂き、深く感謝しております」
そう教会関係者はエドワードに頭を下げる。子どもたち、ということは、孤児院の子どもたちのために彼が何か寄付でもしているということか。
「(…慈善活動の一環だろうか……)」
エルはそんな事を考えながらエドワードを見つめる。しかし、いつもの偏屈で堅物そうな彼が、子供に優しくする姿が想像できずにエルは混乱する。しかし、貴族はこういった活動をするのがステータスであるから、そういうものか、とも思う。
「(それにしても、わざわざ本人が出向くなんて…)」
「それでは殿下、参りましょうか」
エドワードはそう付き人に促され、歩き出した。その方向がエルのいる方向だったため、エルは慌ててその場から去った。
休日の翌日、エルはいつも通り掃除をしていた。すると、ネルに話しかけられた。
「やあ、いい休日をすごせた?」
「ええまあ、お陰様で」
「…で、ハリソン公爵はどうだったわけ」
ネルはそう静かにエルに尋ねた。エルは、わからない、と頭を振った。するとネルは、ふうん、とため息をついた。
「それじゃあ、噂の高圧令嬢はどうだったの?」
「高圧令嬢って…」
「あっ、そこのあなた!あなた!!」
聞き覚えのある声がして振り向くと、他の使用人に案内されているエミリーがいた。彼女は明らかにエルを手招きしている。エルはあわてて、はいただいま!と返す。ネルは、へー、と呟く。
「なにさあんた、マリア嬢に続きエミリー嬢にまで気に入られたわけ?なに、前世からの知り合い?」
「そういうわけじゃなくて…とにかく行くわね。あのお方すぐ怒るから…」
「もう遅い!はやく!!」
もうすでに怒り気味のエミリーにびくつきながらも、エルはネルに目配せをした後急いで彼女のもとへ向かった。先に案内していた使用人は、エミリーから、もういいわ、と言われると、その場から去っていった。
「お、遅くなりました…」
「もう、のろまさんね。まあいいわ、さあ、行きましょう」
エミリーはそう言うとすたすたと歩き始めた。エルは、え、とエミリーの背中に話しかける。
「応接室はあちらですが…」
「私、今日はアラン殿下に会いに来たわけじゃないの」
「えっ?…え、まさかフィリップス…」
「ちっ、ちちち違うわよ!!お父様がお城にお仕事だっておっしゃるから、ついてきただけ!それだけよ!!」
エミリーは顔を真っ赤にして否定した。エルは訝しげに彼女を見つめる。エミリーは、軽く咳払いをすると、お父様のお仕事が終わるまで私時間があるの、と言った。エルは、は、はあ…、とよくわからないまま返事をした。エミリーは、エルの顔を見て物わかりが悪いわね、と責めた。エルは彼女が怒る理由がわからずに固まる。
「も、申し訳ありません、えっと、えっと…」
「だから!あなた、私のお散歩に付き合いなさい」
「えっ、え?わ、私が、ですか?」
「なあに?あなたまさか、私にお城の中を一人で歩けというの?」
「い、いえそういうわけでは…」
「なら決まりね。ほら行くわよ」
エミリーはそう、桃色の髪を揺らしていたずらっ子のように目元を細めると、エルの前を歩き始めた。エルは、自分の仕事が日が沈むまでに終わらないことを悟りながら、彼女の後を追いかけた。
エミリーの時間潰しの散歩に付き合い、彼女の後についてお城を歩いたエルがたどり着いたのは、王国軍の兵士たちが鍛錬をする鍛錬場だった。以前は応接室もわからなかった彼女が、どうやら父親かまたは他の誰か城の中に詳しい者から教えてもらって、ここへの行き方を事前に覚えてきたようである。
エルは、場所こそ知っていたものの初めてくる場所にきょろきょろとあたりを見回す。
エルは、エミリーがフィリップスに会うために来たのだという魂胆を知りつつも、あの…、と恐る恐るエミリーに話しかけた。
「ここにエミリー様のようなご令嬢が来られるのは、ど、どうなんでしょう…」
「あら、迷い込んたことにすればいいのよ」
エミリーはそう悪気なく言う。エルは、遠くで鍛錬に励む兵士たちを見ながら、ここにエミリーがいてもいいのかわからずに困惑する。
「あれ…エミリー嬢?」
そんな声がして振り向けば、兵士たちとは違うところで鍛錬をしてきたらしい騎士たちが複数人こちらへやってきた。エミリーは騎士たちの顔を確認して、どうやら目当ての人物がいなかったようで、少しがっかりした顔をした。
エミリーの名前を呼んだ騎士に、他の騎士が、知り合い?と尋ねる。すると、知らないのかよ、と他の騎士が呆れた顔をする。
「ハリソン公爵家のご令嬢だよ」
「あっ、殿下の婚約者になる予定とかいう…」
「候補な、候補」
そう訂正した騎士が、社交的な笑顔でエミリーに近づく。エミリーはそんな彼を一瞥すると、不機嫌そうに眉をひそめる。しかし、そんなエミリーには気にもとめずに、ほかの騎士たちもエミリーの方に親しみやすい笑顔で近づく。
「はじめまして、私はアンドリュー・スミスと申します。お目にかかれて光栄です」
「俺は…」
騎士たちがこぞってエミリーとお近づきになろうと挨拶を始める。エルはエミリーに熱い視線を送る彼らと、どんどん不機嫌そうに眉をひそめるエミリーを交互に見る。エミリーは、失礼、と凛とした声を響かせた。
「私、アラン殿下のお姿を拝見したくて参りましたの。殿下はこちらにいらっしゃいますでしょうか?」
アラン、という名前に、彼女が第三王子の婚約者候補であることを思い出したらしい彼らは同時に口を噤んだ。エミリーは、こちらにはいらっしゃらないようね、と言うと、行くわよ、とエルに声をかけて歩き出した。エルは、は、はい…、と言うとエミリーの後を追いかけた。
エミリーは何も言わずに、鍛錬場をぐるりとまわった。エルはそれに付き合った。結局、フィリップスの姿は見つからず、エミリーはがっかりした顔でため息をついた。エルはそんな彼女を見ながら、やっぱりフィリップス様に会いに来たんだ、と心の中で呟いた。
「…あっ…」
エミリーはそう声を漏らすと、彼女の視線の先へ歩き出した。エルは慌ててエミリーを追いかけた。
彼女の向かった先には、ハロルドと歩くフィリップスがいたのだ。エミリーはただただまっすぐにフィリップスのほうへ向かう。
「なあ、びっくりしたな!まさかエミリー嬢を見られるなんて!」
そんな声が、フィリップスのそばでかたまる輪から聞こえると、エミリーは立ち止まり、とっさに物陰に隠れた。エルも慌てて彼女と一緒に隠れた。
「いやあ、噂に違わず…いや、それ以上の美人だったな」
「息が止まるくらい美人なのに、まだあどけない可愛らしさもあって…あー、あんなご令嬢を妻にできる殿下が羨ましい…」
「まだ候補だって」
「候補から外れたとしても、お前が相手にされるわけないだろ?ハリソン公爵家のご令嬢だぞ?」
騎士たちのそんな笑い声が聞こえる。そんな声に水を差すように、そうかあ?という半笑いの声が聞こえた。
「そこまで言うほどか?俺はああいうご令嬢は痩せすぎて嫌だね」
「まあ、もう少し肉付きがいいほうが有難いよな」
「顔ももう少し大人っぽいほうが好みだな」
「それは成長したら変わるかもだろ?待てばいいんだよ」
「アッシュお前、婚約者がいるくせによく言うよ」
男たちの下品な品評会に、エミリーはどんどん目がの色を失っていく。心を殺して、この会話が早く終わることをただ耐えているように見える彼女の横顔を見つめながら、前に彼女が言っていたことの意味をエルはようやく理解した。思えば前にマリアも似たようなことをハロルドから言われていたことも思い出す。
「なあ、色男たちの意見は?」
輪の中の一人が、輪の外にいたフィリップスとハロルドに話しかけた。ハロルドは、顎の下を指で触りながら、そうだなあ、と考える。ハロルドの返事を楽しそうに待つ男たちと、フィリップスもどうだよ、と彼に返事を急かす男たちが盛り上がる。エミリーははっとした顔をして、震える手で自分の耳をふさいだ。そして、怯えるように固く目を閉じた。
「やめてくれないか」
フィリップスが呆れた声でそう言い放った。騎士たちの笑いがぴたりと止んだ。
「私はそういう話が嫌いなんだ。他でやってくれ」
フィリップスはそう言うと、鍛錬用の武具を持ってその場から去った。そんな彼の背中に、つまんねー、と男たちが冷めた口調で言い放つ。フィリップスはそんな声を相手にせず歩いた。
エルは、フィリップスの言葉に救われた顔をするエミリーの横顔を眺めた。少しずつ頬を赤くして、瞳が潤んでいく彼女を見つめながら、本格的に恋に落ちてしまったのでは…、とエルは悟る。
フィリップスの向かう方向は、エルとエミリーが身を隠すところだった。なんとか彼から隠れようと2人は焦ったけれど、間に合わず、歩いているフィリップスは、あれ、と2人を見て声をもらした。
「エリィ…と、ハリソン公爵家の…?」
フィリップスにみつけられて、エルは苦笑いを漏らす。エミリーもバツが悪そうに隠れたところから姿を現した。すると、まだエミリーの話をしていた騎士たちが話を止めた。そして、全員の顔一様にがさーっと青くなっていく。
フィリップスは目を丸くして2人を見た後、困った顔を浮かべながら前髪をかきあげた。エミリーは目を伏せて、おなかの前で組んだ手をもぞもぞと動かしている。
「その、…気を悪くしないで…いや、しますよね、うん…」
フィリップスは、騎士たちの下世話な話を聞いていたであろうエミリーに掛ける言葉を見つけられずにいた。エミリーは、いえ…、と頭を振った。
「ああいうのは、慣れていますから」
エミリーはそういうと、気にしていないことを伝えるために微笑んでフィリップスを見上げた。そんなエミリーを見て、フィリップスは悲しそうに眉をひそめる。
「……そうだ、アラン殿下を探しに来たんですか?」
フィリップスは、話題を変えるためにそうエミリーに尋ねた。エミリーは、い、いえ!とまた頭を振った。
「私は、あの、その…」
エミリーは少しずつ頬を赤くして、両手をもぞもぞとさせた。エミリーはつばを飲み込んだ後、深呼吸をした。
「…ま、迷い込んでしまって…」
エミリーはそう、か細い声で言った。フィリップスは、そうなんですか、と返したあと、あれ、とエルの方を見た。
「エリィが一緒だったんじゃ…」
「あっ、わ、私もこのあたりは詳しくなくって…!」
エルは慌てて嘘をついた。フィリップスは、そうなんだ、と声をもらしたあと、特に追求せずに、それなら、と言った。
「今からエリィが知っているところまで送ります」
フィリップスはそう言って2人に微笑む。エミリーはそんなフィリップスを見つめて目を輝かせる。エルは、恋する乙女の美しさと眩しさに心が打たれる。
「(…いや、いやいや、このお方はアラン殿下の…)」
「アラン殿下がいらっしゃったぞ!!」
そんな声がすると、その場にいた騎士たちが、鍛錬場にやってきたアランの方を見た。練習用の剣を持ったアランが歩いて騎士たちのところへ向かっていく姿が見えた。フィリップスが、参ったな…、と呟いた。
「今から剣の稽古があるんだ。殿下が来てからという話だったんだけど、予想より早かったな…」
フィリップスは、どうしようか、と腕を組んだ。するとエミリーが、待っています!とフィリップスに言った。フィリップスは、え?とエミリーの方を見た。
「でも、こんなところ早く出たいでしょう」
「い、いいです、だ、大丈夫です…!わ、私、フィリップス様が終わるのを待ってます…!」
エミリーはそう力説した。フィリップスは、本当にいいのか信じきれないまま、わかった、と返すと、騎士たちのもとへ急いで向かった。その背中を、エミリーはずっと見つめ続けていた。




