10 令嬢は元令嬢の元友人4
マリアが来た数日後も、使用人たちの間ではアランとマリアの話で持ちきりだった。あのアランがわざわざ会ったということは、もう婚約者はマリアで決定なのでは?と騒ぐのは使用人たちだけではなく、どうやら貴族たちの間でもそういった噂が飛び交っているようだった。
その話を聞いているうちに、エルは、アランは自分に気を使ってマリアに会ったわけではなく、本当にマリアを気に入って会うことを了承したのか、と考えるようになった。考えるほどに、確かにいくら顔が似ているからといってそこまでする義理はないか、と思い直すと、自分の自意識過剰具合にエルは恥ずかしくなった。
そして、マリアならアランとうまくいくのではないか、と素直に思うようになった。彼女が自分と縁を切ったわけではない、と分かったからといえば現金な話だけれど、でも確かに、自分の知る彼女が本当に素敵な人で、そして、エル自身も大好きな人物だったからである。
エルは、次の掃除場所に向かうために廊下を歩いていた。すると、いつものあの場所、会議室の外の壁に座ってこっこり聞き耳を立てるネルの姿を見つけた。エルはネルを見て立ち止る。ネルもエルの方に気がつくと、ゆっくり立ち上がり、近づいてきた。そして、周りに人けがないことを確認すると、どうだったわけ?と尋ねた。
「レッド侯爵とご令嬢のこと、なにかわかった?」
ネルの質問に、エルは頭を振る。
「何もわからなかった」
「なんだ…」
ネルはがっかりした様子で頭をかいた。そして、非難するような目でエルを指さした。
「あんたさ、調査してる身だって自覚ある?もっとガツガツ行ってよね」
「…しょうがないのよ、マリア様が私の顔を見たらエルに似てるって、泣き始めてしまって…」
エルの答えに、え、とネルが声をもらした。
「なに、あんたら知り合いだったわけ?」
「…ええ、友達、だったのよ」
ネルの質問に答えながら、エルは少しずつ嬉しい気持ちになる。これからは堂々と、マリアは自分の友人だったと思えることがエルには嬉しかった。
「…とにかく、大変だったのよ。マリア様は泣きだすし、泣き止む前に殿下が来てしまうし…ばたばたしていて、それどころじゃなかったの」
「へえ、マリアって女も、穏やかそうに見えて存外狡猾だね」
ネルの感想に、エルはわけがわからずに、え?と声を漏らす。
「どういうこと?」
「そうやってしくしく泣いて純粋ぶって、アラン王子の気を引こうって魂胆でしょ?女の涙は武器だって言うしね。死人使ってなかなかやる女じゃん。まあこうでもしなきゃ、あの王子の心は動かないか」
ネルの言葉にエルは目がまん丸に開く。しかし、これまでのようにはエルは動揺しなかった。なぜならエルは、彼女がそんな人ではないという自信があったからだ。
エルはネルの目をじっと見た。ネルは、なにさ、とエルに尋ねる。エルは、い、いえなにも…、と口ごもる。
ネルは怪訝そうな顔をしたあと、そういえば、と思い出したように言った。
「マリアに言ったわけ?エルと顔が似てることは内密にって」
「え?」
エルは、そういえばそんな説明をする暇がなかったと呟く。ネルは、うーん、と怠そうに頭をかいた。
「レッド侯爵家が主犯で、マリアが事件の真相を知っていたらもうあんたアウトだろうね」
「えっ」
「だってそうだろ?エルに顔が瓜二つの使用人がいたとか聞いたら、犯人の方はエルの死体が見つかってないのはわかってるだろうし、実は生きてたのか?ってなるでしょ。そしたらあんたを殺すでしょ」
ネルの言葉に、エルは顔が青くなる。
「で、でも、マリアはそんな様子じゃなかったわ」
「どうだか。死人利用して泣く女だろ?」
「ちょっとまって、マリアはそんな人じゃ…」
「あっ、エリィ!!」
声の方をエルとネルは同時に振り向いた。するとそこには、笑顔のマリアがこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。エルは驚いて目を丸くする。
「ま、マリア様…」
「良い家のご令嬢が走るなよな」
ネルがそうぽつりとつぶやく。マリアは笑顔のままエルの前に来た。そして、心底嬉しそうな顔でエルを見つめた。
「先日はどうもありがとう。あなたのお陰で本当に助かりました。なんとお礼を言ったらいいのか…」
マリアの言葉に、とんでもありません、とエルは両手を振った。マリアはそんなエルを見つめて微笑む。
「今日は先日のお詫びに、お世話になった皆様にお会いしにきたの。先ほどヘレナ様とメリーベル嬢とお話させていただいて、今から帰るところだったのだけれど、もしかしたらあなたに会えないかしらって、探していたの」
マリアは、そうしたら会えてしまったの、と両手を合わせて微笑んだ。エルは、ふわふわした様子で喜ぶ彼女を見ていたらなんだか照れくさくて嬉しくて、少し頬が赤くなった。
「あの、とんでもないです、私のせいであなたを泣かせてしまったようなものですし…」
「ううん、私が勝手に泣いただけよ」
マリアはそう微笑むと、ゆっくりエルの手の指に、彼女の手の指を絡めた。エルは驚いて、あ、あの私、掃除をしていて、だから汚れていて…、と慌てふためいたが、ううん気にしないで、とマリアは言うと、さらにしっかりエルの手に指を絡めた。
「…それに私、あなたに会えて嬉しかったの。なんだかまたエルに会えたみたいで。あっ、あなたを代わりにしているわけではないわ。でも…また私、あなたに会いに来てもいいかしら…?」
マリアは、じっとその小動物のようなつぶらな瞳でエルの目を見つめる。エルは、マリアにまっすぐ見つめられて同性ながらどぎまぎとしてしまう。恥ずかしさから少しずつ頬を紅潮させながら、も、もちろん、とぎこちなく微笑むと、嬉しい!とマリアはエルの手を今度は両手で包んだ。エルはどきどきしながらも、彼女に笑いかけた。
「また、アラン殿下とお会いしたあと、お時間があれば私と会っていただけたら嬉しいです」
「ああ…、そのお話は、他の候補の方に頑張っていただこうかと思っているの」
マリアの返答に、エルとネルは二人揃って、えっ、と声をもらした。マリアは片手を自分の頬に手を当てた。
「もともとあんまり気乗りじゃなかったの。お父様や派閥の方々はやる気満々だったけれど。…だって、エルの元婚約者の方でしょう?普通に考えたら気が引けるわ」
ねえ、あなたもそう思うわよね、とマリアは普段のおっとりした様子でエルに同意を求めた。エルはマリアの言葉に固まる。すると、隣にいたネルが、どうなのさ、゛エリィ゛と態とらしい口調でエルを小突いた。するとマリアが、あら、とネルの方を見た。
「ごめんなさい私ったら、ご挨拶が遅れてしまったわ。はじめまして、マリア・レッドともうします」
マリアはそう言うと、ネルの方を見て微笑んだ。しかしネルはマリアから無愛想な様子でそっぽを向いた。
「挨拶は遠慮します。こちとらしがない使用人なんでね」
ネルはそう素っ気なく返す。エルは、前にネルが貴族は嫌いだというような話していたことを思い出し、慌てて、彼女はネルです、使用人仲間です、とマリアに紹介した。マリアは微笑むと、そう、ネルね、と言った。エルは、あ、あの、と話を戻そうとマリアの方を見た。
「エル…さんなら多分、お二人と結婚してほしいなって、そう思ってると思います…!」
「あら、それはエルに聞かなくてはわからないもの」
マリアはそう、少しだけ悲しそうに笑って返す。そんなマリアにエルは心が痛むが、ネルが必死に笑いをこらえているのが横目に見えて、つい腹が立った。マリアは少しだけ遠くを見た。
「だから私、自分で決めたの。エルの婚約者の方とは一緒になれないって」
マリアはそういった後、そもそも、と大真面目な顔で口を開いた。
「私の派閥は他の有力候補の方に比べて力もないし、それに、お二人とも私よりも全然お綺麗だもの。そもそも勝ち目がないから安心よ」
ふふ、とマリアは微笑む。そんな彼女に、先日実の父に彼女が言われていた言葉を思い出して、エルは唇をかみしめる。エルが何かを言いかけたとき、あら、とマリアは遠くの方を見た。視線の先には、こちらへ歩いてくるレッド侯爵の姿があった。マリアはエルから手をゆっくり離すと父の方へ歩いていった。するとネルが、ひそひそとエルに話しかけた。
「あのご令嬢はシロだとして、あの父親が主犯だった場合のことを考えて、あんたのことを念のために口止めしておいたほうがよかったんじゃない?」
「…もう間に合わないわよ。マリアが何も言わずにこの場が終わることを願うわ」
エルが、そう重いため息をついた瞬間、マリアが、そうそう、と微笑んで両手を合わせた。
「こちらが前にお話した、エルにそっくりな使用人さんです」
マリアは笑顔でレッド侯爵にそう紹介した。エルとネルは硬直する。レッド侯爵は、ああ…、と言いながらエルの方を見た。
「(…そういえばこの方、前に応接室で見た時は挙動不審で怪しかった…)」
エルは、終始落ち着かない様子だったレッド侯爵を思い出して、緊張から背中から汗が流れた。
レッド侯爵は、エルの方を一瞥したあと、はあ、とため息をついた。
「…マリア、前にも話したが、お前にはエル・ダニエルと無理矢理縁を切らせたりしたから、…お前の言い分もわかる、でもな」
レッド侯爵はそう、困ったように言った。マリアは、はい、と頷く。
「でも頼むから、殿下がお前を選んでくださった場合は、本当に頼むから結婚してくれ…!そうじゃなきゃ派閥の長として面目がたたない…!」
「そんなこと言われましても、先日お話いたしましたけれど、私、エルの友人として絶対に嫌、です!」
マリアはそうはっきりとレッド侯爵に言った。エルは、前にあった彼女があの父親にこんなことが言えるなんて信じられずにまばたきを繰り返す。レッド侯爵は、う…、と自分の胃のあたりを押さえる。
「はあ…アラン殿下とお会いしてから急にはっきり物を言うようになって…頼むから俺の言うことを聞いてくれ…」
「私、もうこれ以上エルとの思い出を汚したくありませんから!前にここへ来て、そう決めました!」
「うっ…」
レッド侯爵は譲らないマリアに、更に胃が痛そうな表情をする。エルはそんなレッド侯爵をきょとんとしながら見つめた。レッド侯爵は、とにかく、とマリアに顔色が悪いまま話しかけた。
「この話はまた後だ。俺はもう少し用事が残っているから、中庭で休んでいてくれ」
「…むう…、かしこまりました」
マリアはそう言って少し不服そうに頷いた。レッド侯爵は、はあ…、と暗い顔でため息をついた後、エルの横を通り過ぎようとした。しかし、エルの前で立ち止まった。
「…こんな方だっただろうか…」
レッド侯爵はそうつぶやく。エルは侯爵に頭を下げた。
「…娘が世話になったようだな」
レッド侯爵はそうエルに話しかけた。エルは、とんでもございません、と頭を下げたまま言った。レッド侯爵は、少しの間黙ってエルを見ていた。
「…あの手紙を送った俺は間違ってなかった。周りだって同じように彼女にしていた」
レッド侯爵はそうぽつりとつぶやく。エルはゆっくり顔を上げて彼を見た。レッド侯爵はエルから視線をそらす。
「間違ってなかった…のだろうか…本当に…?」
レッド侯爵はそう自信なさげに小さくつぶやいたあと、エルの前を通り過ぎた。マリアは彼を見送るために少しだけ彼を追いかけた。エルは、小さくなっていくレッド侯爵の背中を見つめる。
「(…前に落ち着きがなかったのは、この人自身が本当は気が弱い人で、だからずっとそわそわしていたのか…)」
「…なんか、あいつが主犯ではなさそうだね」
ネルが、そうこっそりエルに話しかけた。エルは、え?とネルの方を見た。
「本当にあんたを顔の似た他人だと思ってる感じだった。…中立派の方はシロかな…」
ネルはそうエルに言った。エルも彼女の意見に同意だった。
すると、マリアがまたエルとネルの方へ戻ってきた。エルが少し驚いた顔でマリアを見ていると、マリアは、どうかしました?と首を傾げた。エルは、い、いえ…、と手を降ったあと、あ、あの…、と口を開いた。
「前にお会いしたときはその…お父様に何も言えない様子でしたから、その、今日ははっきりと自分の思うことを言われてて…なんだか驚いて…」
エルの言葉に、マリアは少し目を丸くしたあと微笑み、あなたに会ったからよ、と言った。エルは、え?と首をかしげる。
「あなたに会ってエルを思い出して…、ずっと後悔していた気持ちをまた深く思い出したの。私、もうこれ以上後悔したくなかった。だからお父様に思い切って言ってしまったの。私、エルの元婚約者の方と結婚なんてできませんって!そうしたらお父様、案外すぐに態度が弱くなってしまって」
普段従順にしてたぶん、驚かれたみたい、とマリアははふふふ、と笑う。そして、マリアは少しだけ寂しそうに空を見上げた。
「…こんなことなら、もっと早くこうしていたらよかった。そうしたら…」
マリアはまた大きな瞳に涙をにじませた。エルは慌てて、だ、大丈夫ですか?とマリアを気遣った。マリアはハンカチを取り出すと涙をぬぐって、ええ大丈夫、ごめんなさい、と涙をためた目で微笑んだ。しかし、彼女の涙はとどまる様子がなく、ほろほろと大粒の涙が頬に流れ落ちていく。ネルはぽつりと、何も大丈夫じゃなさそうだけど、も呟く。
「あれ、エリィ」
声がして、振り向くと焼き菓子を載せたトレーを持ったメリーベルがいた。エルは、メリーベル様…、とつぶやいた。メリーベルはマリアを見ると、あ、とつぶやいた。
「また泣いてるのか」
「ご、ごめんなさい…」
「こんなとこで婚約者候補が泣いてたら目立つ。とりあえず僕の部屋に来たら」
お茶菓子もあるし、とメリーベルはトレーを見せた。エルは、お、美味しそう…と声を漏らす。するとメリーベルは、当然、僕が焼いた、と言った。
「エリィもおいで。これでお茶会しよう」
「えっ、い、いいんですか?でもこれ、ヘレナ様のために焼いたんじゃ…」
「そうだったけど、ラインハルト殿下がやってきてなしになった。ちょうど持て余してたから」
メリーベルは、ラインハルトの名前を出しながら少し不機嫌そうに言った。マリアは涙を拭い、まあ嬉しい、と微笑むと、エルの腕に自分の腕を絡ませた。エルは、えっ、と声を漏らす。
「いやあの…でも私、まだ仕事が…」
「誰かに何か言われたら、僕が仕事を頼んでたって、言っといてあげるよ」
「あのでも…」
エルが困惑している隙に、何も言わずに言葉を去ろうとするネルの背中が見えた。エルは、彼女もこの輪に呼ぼうとして、やめた。自分に貴族を嫌う彼女を呼びとめる権利はないと思ったからだ。
すると、そんなエルを見ていたメリーベルが、おいきみ、とネルを呼び止めた。ネルは迷惑そうに振りむいた
「なんですか?私は忙しいんでね」
「作りすぎたお菓子があるんだ。食べる人が多ければ多いほどありがたい」
メリーベルはそう、自分の手元にある焼き菓子を見ながら言った。ネルは、頭を掻きながら、目線をエルたちからそらした。
「…私、甘いものは食べられなくてね」
ネルの返事に、エルは内心、前は嬉しそうにチョコレートを食べていたのに、と思う。
すると、普段から無表情なメリーベルが、そうか、と少し声のトーンを落としてつぶやいた。
「僕の作ったものが美味しそうに見えないんだな」
そう、どこか傷ついたように言うメリーベル。エルは慌てて、そんなことありませんよ、と言った。ネルは、あーあ、と怠そうため息をついたあと、わかったよ、と諦めた顔で言った。
「ご馳走になりますよ、ありがたくね」
「そう言うと思った」
メリーベルはケロッと普段の無表情に戻った。そんなメリーベルに、ネルは、え、と声を漏らす。
「…さっきの落ち込んだのはなんだよ。芝居か?」
「僕は、僕のお菓子が誰が作ったものよりもおいしい自負があるから。甘いものが駄目な人でもおいしいと言うに決まってる」
メリーベルはさも当然のようにそう言う。そんな彼女に、ネルは少し面食らった顔をしたあと、はいはい、と面倒くさそうに返事をした。エルは、二人のやりとりを見て微笑んだ後、じゃあ行くよ、と言ったメリーベルについて歩き始めた。




