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10 令嬢は元令嬢の元友人3

エルはヘレナの部屋から出て、なんとなく足元がおぼつかない気持ちで廊下を歩いた。


「(…絶縁されたと思っていたマリアが、実はそうじゃなかった…)」


子どものように泣きじゃくるマリアを思い出して、エルは胸が痛むと同時に、こんなにも自分のために泣いてくれる彼女に嬉しいような、そんな複雑な気持ちになる。


「あらエリィ」


声がして、振り向くとロゼがいた。エルは、お久しぶりです、とロゼに頭を下げた。ロゼはにやにやと笑うと、エルに近づいて人さし指で肩をつんつんとつついてきた。


「聞いたわよ、アラン殿下、今日はマリア・レッドとお茶会するらしいじゃない」

「お、お茶会、というか…」


エルは、あの二人の集いをなんと表現していいか困惑する。ロゼは、細かいことはいいじゃない、と楽しそうに微笑む。


「マリアって、あの優しそうな、おおらかそうな方でしょう?私好きだわあ」


ふふふふ、と楽しそうに笑う明るいロゼに、確かに彼女とは気が合いそう、とエルは思う。ロゼは笑顔のまま、晴れた青空を見上げた。


「このまま、うまいことお話が進めばいいんだけれど」


ロゼはそう、願うように言った。エルは、そうですね…、とどこか心あらずのまま返事をした。

すると、ロゼの前髪すれすれに、大きな蝶々が飛んでいった。ロゼは驚いて、きゃっ!という声を上げた。エルは慌ててロゼに近づき、だ、大丈夫ですか?と言いながら、近くを飛ぶ蝶々を追い払うように片手を振った。

ロゼは、ごめんなさい、と笑いながらエルに言った。


「急に出てきたから、驚いちゃって」

「虫、苦手ですか?」

「ああまあ、昔の話よ。今はほら、ずいぶん図太くなっちゃったし」


ロゼはそう言って、目を細めた。そして、くすくすと口元に手を当てて笑い始めた。エルはそんなロゼに首をかしげる。ロゼは、ごめんなさい、と笑いを含んだ声で言った。


「昔ね、私、お誕生日に花束を男性からプレゼントされたことがあるのよ」


ロゼはそう、大げさなほど得意げに言った。エルは、素敵ですね、と微笑む。ロゼは、くすくすと笑いながら、誰からだと思う?とエルにクイズを出した。エルは、ええと…、と考える。


「誰…?」

「正解は、エドワード殿下よ。六歳のとき」


ロゼはそう、目を細めたまま空を見上げてそう言った。エルは、予想外の相手に、えっ!という声が漏れた。エドワードが、六歳のときとは言え、女性に花束を渡すような人物に思えなかったからだ。

ロゼは、エルの反応が予想通りだったのか、ね、おかしいでしょう、と笑った。


「みんな殿下のこと、昔っから気難しくて堅物で…って言うけど、そんなことなかったのよ?昔は優しくて…」


ロゼはそう言うと少しだけ表情を暗くした。しかしすぐに微笑んでエルの目を見た。


「花束を贈ってくださったときね、そのお花に蝶々がいたの。もちろん殿下も知らなかったはずよ。私、気づかずにそれを受け取って、その瞬間蝶々が飛び出してきて私の鼻にとまったの。私、もう大泣きしちゃって。その時の殿下の顔ったら、焦ったのか顔を真っ青にして…」


くすくすと、ロゼはその時の幸せな思い出を思い出すように話す。エルは、そんな彼女の顔を見つめる。

ロゼはまた、寂しそうに目を細めた。


「…今の殿下を見てたらみんな信じないけど、昔はね、本当に優しい方だったのよ?時々、あの昔の殿下は幻だったのかしら、なんて思うくらいだけど、でも、私は覚えていたい。あの日花束を受け取った私は間違いなくとっても、幸福だったんだから」


ロゼはそう、優しく笑った。エルはそんなロゼを見つめる。


「(…あの日の自分は間違いなく、幸福だった)」


エルは、ロゼの言葉を繰り返す。

あの頃のエルは確かに、アランといることを幸せに思っていた。きらきらな笑顔で見つめ合う幼い2人が、今のエルには眩しい。

あの頃の2人は、本当に悪かったのだろうか。

エルはそんなことを疑問に思う。

その世界で生きていながらもその世界の決まりに従わなかったことが悪かったとしても、そもそも貴族の世界の決まりとは何なのか。それは本当に正しいものなのだろうか。


「(でも確かに、ネルのご家族のように、たくさんの命を奪う火事を引き起こしてしまった)」


エルは、正面から向き合うことができないほどの罪の重さにに身体が震える。きっとネルのように、エルとアランを悪だという人はたくさんいるだろう。自分のことをずっと被害者だと思っていたエルだけれど、彼らの立場になって、彼らの抱く苦しみや怒りを考えれば、今度は自分が加害者と言えるのだという事実に頭がくらくらとした。

それでも、そうだとしても、あの頃の2人の記憶を自分だけは優しく抱きしめたいと、エルは思う。周りに何を言われても、それでも、あの眩い日々のなかで無邪気に笑っていた幼い自分とアランを傷つけたくない、と、エルはそう願った。


「あらどうしたの?私の言葉が滲みた顔して」


ロゼはそう、冗談めかして言った。エルは、はい、と大真面目に返した。


「滲みました、とっても」

「へ?」


ロゼは、予想外のエルの返事に、少し恥ずかしそうに顔を赤くした。そして、そ、そう?と照れたように笑った。







夕暮れ時、エルは物干し場で洗濯物を取り込んでいた。マリアはあのあとアランと会えたかどうか、それがエルには気がかりだった。

腕いっぱいに抱えた洗濯物を持って、エルは準備してあったかごにつめた。そして、そのかごを両手で抱えて、洗濯物の仕分けをしに向かおうと歩き始めた。すると、廊下を歩くアランの姿が見えた。


「あ…」


エルはぽつりと呟いた。すると、エルに気がついたらしいアランが足を止めた。エルは洗濯籠を抱えたまま深く頭を下げた。


「(…マリアと会えたのか知りたい…)」


エルは悶々とそんな事を考えるが、下手なことを話してアランの機嫌を損ねる気がして、恐ろしくてできない。


「(…舞踏会の件から、恐怖が植え付けられている…)」


エルは、心の中ではあとため息をつく。何も聞けるわけがないエルは頭を上げて、アランが去ってから洗濯物を片付けに行こうかと考えた。


「…レッド家の娘と会った」

「え?」


アランからの突然の報告に、エルは目を丸くした。アランの方を見つめながら、エルは胸の奥がじわじわとくすぐったいような温かいような気持ちになる。


「ほ、ほんとうですか…?」


エルは、嬉しさで震える唇でそう呟いた。


「(よ、よよよ、よかった…!)」


エルは、心の中で強くガッツポーズをした。これでアランの立ち直りを見届ける道が一歩進んだ、とエルは嬉しさで飛び跳ねたくなる。しかし、そんな行動はもちろん控えた。しかし抑えきれずにゆっくりと口元が緩まった。それを見たアランが、ほんの少しだけ表情を緩める。


「…これで、しばらくヴェルドも何も言わないだろ」


アランの言葉に、エルは、え?と声を漏らす。アランの言う意味が分からず、エルは戸惑う。


「(…ヴェルド…?なんでヴェルド?)」


意味が分かっていないエルに、アランが少しだけ目を丸くした。


「…ヴェルドに言われたんじゃないのか?」

「えっと…なにを?」

「……」


アラン自身もなにやら困惑した様子でいる。エルは頭を高速回転させたあと、舞踏会の日のことを思い出す。


「(…もしかして、あの日みたいに、私がアラン様とマリアを会わせないとヴェルドに辞めさせられる契約になっていると思って?でもなんでそういう誤解をされたの…?)」

「…違うならいい」


アランがぽつりとそう呟く。エルはさらに頭を高速回転させる。その時、先日、中庭で顔を合わせたエルがアランを避けるような形になっていたことを思い出した。


「(…つまり、あの日の私の様子から、おそらくヴェルドに脅されているだろうと察して…ということか…)」


エルはようやくアランの言わんとすることを察した。エルは、あの…、と声を漏らしながら言葉を探す。


「私事で落ち込んでいて…。お心遣いありがとうございます、もったいないことです」


エルはそう言ってアランに深々と頭を下げた。その体勢のまま、エルは、アランの自分に対する態度が、ほかの人達に対して異常なほど柔らかいことに改めて気がついた。


「(今さらだけど、やっぱりまだ、エル・ダニエルに未練があるのだろうか…)」


エルはそんなことをふと考える。未練がなければこんなふうに昔と変わったりはしないとはわかっている。けれど、顔が同じ他人設定のエルにまで特別扱いのようなことをアランがするとは。


「(なんとか未練を断ち切って、新しい方と幸せになってもらえないだろうか…)」


エルは悶々とそんな事を考える。今日のマリアとのお茶会の結果はどうだったのだろうか。エルの知るマリアはとても素敵な女性だし、彼女とならうまくいきそうな気もする。


「(…というか、私の何がそんなにいいんだ…)」


エルはそんな初歩的な疑問に頭を悩ませる。その時、頭の中のネルが、卵から生まれた雛に一番最初に見られたみたいにピヨピヨピヨピヨ、と繰り返す。エルは、繰り返す頭のなかのネルを追い払いたくて頭を振る。


「(…そんな言い方はないわよネル…!私だって不思議よ、不思議だけれども…!)」

「…俺に何か言いたいことがあるのか?」

「えっ、えっ??」


エルははっとして、前方にいるアランを二度見した。アランはじっとエルの方を見つめる。エルは困惑しながら、何か言いかけて口を開いては閉じて、を数回繰り返す。


「(…言いたいこと…あるよありますよたくさんありますよ…!はやくエルを諦めて新しい人と幸せになってください!とか、マリアは本当にいい子です!とか、いつまでもエルの死に引きずられずに、また前みたいに戻ってほしい!とか…)」


エルはそんな言葉が瞬時に浮かぶが、何も言えずに口を噤む。エルは小さく小さく息を吐いたあと、張り付けたような笑顔でアランを見た。


「アラン殿下の良いように、事が進むことを願っております」


エルはそう当たり障りのないことだけ言うと、頭を深々と下げた。そして、アランが去るのを待った。しかし、アランはなかなか去らない。エルは、不思議に思いながら頭を上げようとした。

すると、あれ、メリーベル?というフィリップスの声がした。声の方を見ると、少し遠くにメリーベルとフィリップスの姿があった。フィリップスはメリーベルに近づいた。


「何をしているの?」

「エリィを探している。ここにいるらしいことは聞いたんだが、姿が見えない」


メリーベルは辺りを見渡す。エルは、じきにメリーベルに見つかるだろうことと、アランと2人でいるところを見られるということに焦る。


「(…いやもう、メリーベル様には知られてしまったんだっけ?どうなってるんだ…?)」

「…早く行ってやれ」


アランはエルにそう言うと、エルに背中を向けて歩き始めた。エルは、あ、ありがとうこざいます、と頭を下げると、メリーベルとフィリップスの元へ急いで向かった。


エルはメリーベルとフィリップスの前に洗濯籠を抱えたままとびだした。2人は同時に、あ、と声をもらした。


「エリィ、見つけた」


メリーベルはエルの方に近寄った。彼女の手には何やら本が抱えられていた。


「今日のこと、報告しておこうと思って」

「報告…マリア様のことですか?」

「うん。無事アラン殿下と会えた」


メリーベルは、彼女にしては驚いているのが伝わる様子でそう言った。エルは、そうなんですか、よかったです、と微笑んだ。フィリップスは、ああ、噂になっていた件か、と呟いた。


「アラン殿下がようやく重い腰を上げたって、周りがすごく騒いでいるよ」

「舞踏会に参加したことも奇跡だったのに、婚約者候補の令嬢と日を改めて会おうとするなんて、みんな驚いてる」


メリーベルがそう言って、どういう心境の変化か、と口元に手を当てて考え込んだ。エルは、周りの人も感じる変化がアランにあったことにうれしい気持ちになる。がしかし、彼のその行動原理が、エル・ダニエルに顔が似た人への気遣い、というのがエルにはひっかかる。


「(…本来なら自分から新しく婚約者を探すことを主目的にしてもらいたいのに…)」

「殿下はつまり、マリア嬢がお気に入り、ってことかな?」


フィリップスの背後から現れたハロルドが、そう面白そうににやにやしながら言った。


「まあ、マリア嬢のあのおっとりした性格には惹かれる気持ちはよくわかるね。エミリー嬢は飛び抜けて美しいけれど、かなり気が強いと言うし。シェリー嬢もよく笑う穏やかで明るい女性ではあるけれど、マリア嬢はそれに加えて、豊かなスタイルだからね」


殿下も男だなあ、とハロルドがにやにや笑う。メリーベルは軽蔑したような目をハロルドに向けたあと、完全に彼を無視して、エルの方を向いた。


「エリィを探していたのは、今日の報告と、それと、これを読んでほしくて」


メリーベルはそう言うと彼女の手にあった本をエルに渡した。エルは、その本の表紙を見た。そして、エルは目を輝かせた。


「こ、これ…!」


メリーベルから渡されたのは、エルがずっと好きな作家の新作小説だった。エルの反応を見て、メリーベルは嬉しそうに少しだけ頬を染めて、しかし嬉しい気持ちを押し殺すために唇を少しだけ前につきだした。


「僕はもう読んだ。エリィの感想が聞きたい」

「あっ…ありがとうございます!うれしい…」


エルは嬉しくて本の表紙をまじまじと見つめる。そんなエルを、同じように嬉しそうにメリーベルが見つめる。フィリップスは、そんな二人を見て目を細めた。

すると、エルの手から本が奪われた。本の行方を追うと、ハロルドが本をぱらぱらとめくって読んでいた。

メリーベルは冷たい視線を彼に向けると、返せ、とだけ言った。ハロルドは軽く本を読んだあと、恋愛小説ねえ、と鼻で笑った。


「このいかにも女が考えそうなセリフに展開。女はこういうのほんと好きだよな。俺には理解ができん」


ハロルドは、馬鹿にしたような顔でエルを見た。すると、そんなハロルドの手からフィリップスが本を取り返しすと、エルに返した。そして、呆れたようにハロルドの方を見た。


「ハロルド、こんなことやめるんだ」

「つまらない本を読んで時間を浪費しているみたいだから、忠告してやってるんだよ」


ハロルドはそう悪びれずに言う。メリーベルは、ハロルドから軽率な言葉をかけられて、気分が悪そうに眉をひそめる。

エルは、胸の奥がざわついた。メリーベルから借りた本を胸のところで抱きしめたあと、一度つばを飲んだ、それから、ハロルドの方を見上げた。


「あなたにとっては時間の浪費かもしれませんが、私にとっては掛け替えのない時間です。この本を読んで楽しむ時間も、メリーベル様と本の感想を言い合う時間も」


エルの言い返しに、メリーベルとフィリップスは少し驚いたように彼女の方を見た。ハロルドは、はいはい、とただの使用人の言い返しなどどうでもいいもののように鼻で笑って返した。エルはそんなハロルドをじっと見上げた。


「それに、あなたの言ういかにも女が考えそうなセリフや展開の話を書いたのは男性です」

「え」


ハロルドはエルの言葉に慌ててエルの持つ本の表紙を確認した。メリーベルとフィリップスは、2人同時に噴き出した。ハロルドは悔しそうにエルの方を見ると、ギリギリと歯ぎしりをしたあと、それは失礼した、と苦々しい口調で言った。そして、笑い続けるフィリップスを、やめろ笑うな、と制した。フィリップスは笑いながら、今のは恥ずかしいね、とストレートに返し、それにさらに悔しそうにハロルドは歯を噛みしめた。


「この田舎娘、うまいこと言ったと得意げになんか……」


ハロルドは言葉の途中ではっとして視線を遠くに移した。フィリップスはそんなハロルドに、どうかした?と尋ねた。ハロルドは遠くを確認しながら、いや…、と声をもらした。


「今、アラン殿下がいたような気がして…」

「アラン殿下?」


フィリップスはハロルドの視線の先を追う。そして、みえないけれど、と呟いた。

メリーベルは、じとっとハロルドの方を見上げた。


「お前さっき、殿下のことをむっつりかのような言い方をしていたが、聞かれていないといいな」

「はっ?えっ?」


ハロルドはメリーベルの言葉にかなり動揺した。額から汗を流しながら、い、いや、俺の気のせいだったから!と言い返す。メリーベルは、だといいな、と意地悪く言った。エルは、さらに慌てるハロルドに、耐えきれず吹き出してしまった。そんなエルを見て、笑うな!とハロルドがエルに怒った。


「そういえばエリィ、ここでまた働けるようになったんだってね」


フィリップスがそうエルに話しかけた。エルは、はい、と頷いた。


「ごめんなさい、なんだかお騒がせしてしまって」 

「いいや、またエリィと会えて嬉しいよ」


フィリップスはそう柔らかく笑う。エルはそんなフィリップスに微笑み返す。そんな2人を見たハロルドは不機嫌そうに、ほらもう行くぞ、とフィリップスの腕を引いて歩き始めた。フィリップスは怪訝そうにハロルドを見た。


「まだ彼女と話しているじゃないか」

「俺たちはもうすぐ戦争だぞ?使用人なんかと立ち話している場合か」

「戦争だからこそ、親しい人と会話しておかなくちゃ」

「親しい人?!この田舎娘がか?!」 


ハロルドがそう怒る。フィリップスは呆れたようにため息をついたあと、エルとメリーベルに、それじゃあね、と手を振った。エルはそんなフィリップスに頭を下げた。ハロルドは、ほら早く、とフィリップスを急かした。わかったよ、とフィリップスがハロルドに返すと、2人は背中を向けて歩き始めた。


「相変わらず、うっとおしい男だな」


メリーベルがそう辛辣に吐き捨てる。エルは小さく笑った後、あの、とメリーベルに向き直った、


「この本を貸していただいて、ありがとうございます。じっくり読ませていただきます」


エルはそう言って、嬉しそうに笑った。そんなエルに少しだけ口を緩めたメリーベルは、寝不足には気をつけて、急がせてはないから、と言うと、エルに背中を向けて歩き始めた。エルはそんなメリーベルの背中に微笑んだ後、嬉しそうに本の表紙を眺めた。

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