10 令嬢は元令嬢の元友人2
とうとうマリアがお城へやってくる日が来た。レッド侯爵も一緒に来るらしく、エルはマイクに頼まれて、2人を応接室へ連れて行き、給仕をする役目を担うことになった。
あの火事を起こした犯人かもしれないレッド侯爵と会うのはどうかとおもったけれど、そもそも使用人の顔など気にもとめないだろうという大前提の上に、エルに大した思い入れのなさそうなマリアが自分の顔を覚えているとは思えず、かつ、レッド侯爵だってもちろん覚えているわけがないと思ったエルは、マイクの頼みを了承した。
お城へやってきたレッド侯爵とマリアを連れて、エルは応接室へ向かった。歩きながらエルは、過去に彼女と友人関係にあったことを思い出して、なんとも苦しい気持ちになる。
「(…いえ、友人だと思っていたのは私だけか…)」
そんな事実に、エルはさらに落ち込む。彼女から縁を切りたいというような手紙を数年前に受け取ったけれど、あの時の気持ちは今も鮮明に思い出せる。
エルは2人を応接室に案内した。来賓用のソファーに2人を座らせて、エルはお茶の準備を始めた。
昔はアランに会いによくこの応接室へ通されたけれど、今は自分がアランに会いに来たご令嬢のお茶を準備する側になっていることが、エルにはなんだか不思議だった。
エルは、レッド侯爵とマリアにお茶を出した。レッド侯爵は終始落ち着きのない様子で部屋の中をきょろきょろとしている。一方マリアは落ち着いていて、お茶を出したエルに対して軽く会釈をした。
マリアは、最後に会った時よりもさらに美しくなっていた。青みがかった長いきれいな髪と、おおらかそうな印象を与える優しそうな雰囲気は昔と変わらない。会話をするととても明るくて、話していると本当に楽しい気持ちになれた。気の合ういい友人だと、そう思っていたのに。
「(…だめだ、考えるのをもうやめよう。今の私にはもう関係のないことなのだから…)」
エルは、久しぶりにマリアを見てどんどん気持ちが落ち込むのをストップさせるためにも、そう自分を律した。
すると、レッド侯爵が、おい、とマリアに話しかけた。
「わかってるな?千載一遇のチャンスだ」
レッド侯爵はそうマリアに話しかける。マリアは、はい、と静かに返事をした。
「幸運にも前の婚約者がいなくなってくれた。だからやっと回ってきた好機だ」
レッド侯爵は、少しの焦りすら感じる声でそういった。マリアは、父の言葉に少し目を丸くした。
「お、お父様、そんな言い方…」
「なんだお前のその格好は…」
レッド侯爵はじろじろと無遠慮にマリアのドレスを見た。エルからしたら美しい彼女の装いに対して、侯爵は非常に不満げである。
「派閥の後押しの力も、こっちは他の二人に比べてないんだ。お前の見た目だって劣っているのに。それなら他の二人に勝てるところをもっと強調するとか…、そう、体のラインがもっとわかる格好にしてこんか。もっと胸の開いた服があっただろ」
呆れたようにレッド侯爵は娘に言う。マリアは何も言えずに黙り込む。エルは、信じられない気持ちでレッド侯爵の話を聞く。
「(…でも、家のために必死になるのは仕方ない…ということで片付けたくない、この嫌悪感…)」
エルはもやもやした気持ちを押し殺すように、お腹の前で重ねた手で、自分の服を握りしめる。マリアは表情を暗くして視線を下げる。
終始落ち着きのないレッド侯爵は、はあ、とため息をつきながら髪をかいたあと、まだ殿下がみえるまで時間があるな、と呟いた。
「少し外に出る」
レッド侯爵はそう言い残すと部屋から出ていった。エルは部屋の隅に立ちながら、一人残されたマリアをちらりと見た。マリアは浮かない顔で窓の外を眺めては、何度もため息を繰り返していた。
その時何気なく、マリアがエルの方を見た。エルはマリアと目が合うと軽く会釈をした。マリアはエルを見ると、じわじわと目の色を変えた。しばらくの間の後、マリアは勢いよく立ち上がった。そして、エルの方へご令嬢とは思えないスピードで近寄ると、まじまじとエルの顔を見た。
エルは至近距離で見つめてくるマリアに、さすがに何度も遊んだから顔は覚えているか、と思いながら、マリアの視線に少しだけ冷や汗をかく。マリアは震える唇を動かして、エル…?と尋ねた。
「うそ、エル…?エルなの?エル…?」
「あ、あの…ほかの方にも聞かれることがあるですが、私はエリィと申します。港町で育って、最近こちらで働かせていただいています」
エルはそうもうこなれてしまった嘘をついてマリアに頭を下げた。マリアはエルの返事に、え…、と気の抜けた声をもらしたあと、そ、そうよね…、と小さく笑った。
「ご、ごめんなさい、私ったら…そうよね、そうよ、エルはもう…。やあねもう。お葬式にも出たし、お墓参りだって何回か…」
マリアはそういいながら、ふふふ、と笑った。エルはマリアを見つめながら、どう反応していいかわからず困惑しながらも、笑う彼女に合わせて少しだけ微笑んだ。するとマリアは笑っていた顔を固めた。そして、どんどん彼女の瞳に涙をため始めた。エルは彼女の突然の涙に動揺した。マリアはボロボロと大粒の涙をどんどん頬に伝わせた。
「やだ、ごめんなさい、私…。だってあなた、嘘みたいにエルにそっくりで…だから…」
マリアはそう震えた声で必死に話しながら、どんどん涙をこぼす。目は赤く腫れて、綺麗にしてきた化粧も溶けていく。
エルはマリアの涙の理由が分からずに困惑する。
すると、扉の外から先ほどとは打って変わって社交的な声色のレッド侯爵の、ああ殿下、という声が聞こえた。
「(ど、どうしよう、もうアラン殿下が来てしまう…!)」
エルは、泣いているためそんなことに気が付きもしないマリアを見ながら慌てふためく。マリアがこんな状況では、とてもいまからアランと会って会話をすることなど不可能だろう。
「(…いや、マリアが通常でも、アラン殿下に会話ができるか…いや、あの舞踏会の時の様子や最近の感じなら…いえ、以前よりはマシと言うだけで…って、そんな場合じゃない今は…!)」
ただただ慌てている間に、扉が開く音がした。エルは咄嗟にマリアの手を握った。そして、お顔を伏せてください、とマリアにだけ聞こえる声で言った。
部屋には笑顔のマイクとレッド侯爵、そして、相変わらずの仏頂面のアランが入ってきた。エルはマリアの手を引いてマイクに近づいた。マイクは不思議そうな顔で、エリィさん?と口を開いた。
「どうしたんですか?」
「…あのその…マリア様がその…目にゴミが入ってしまったようで、涙が止まらず、とても今は殿下とお話になれないかと…。あの、すぐ戻りますので、どうかお時間を…」
エルはマイクにひそひそととんでもない早口で説明した。マイクは、ええっ?と驚きながらも、顔をうつむけて肩を震わせるマリアを見ると、ええ…、と困ったような顔をした。
「…仕方ありません、とりあえずレッド侯爵とお話をします。けれど、殿下がここへ来てくださることが奇跡なんですよ?待っている間に帰られてもおかしくありませんから、なるべくできる限り超速でお願いいたします…!」
マイクの圧に、エルは、は、はい…、と返事をする。そしてエルは、アランのほうを見上げた。アランもエルの方を見ていた。
「必ず戻ります!」
エルはそうアランに言い残すと、マリアの手を引いて応接室から急いで逃げ出した。
エルはマリアの手を引いて、頭をフル回転させながら城内を歩いた。
「(ええとええと、とりあえず彼女を落ち着けて…かつ、お化粧も直さないと…どこかいいところいいところ…)」
エルは考えるが思いつかない。そもそも自分は化粧品など持っていない。そして、時間もない。路頭に迷いかけたエルは、前方を歩くヘレナとメリーベルの姿を見つけると、リズの怒りを見ないふりして必死に2人を追いかけた。
「あっ、あの、ヘレナ様、メリーベル様…!」
エルが声をかけると、二人はエルの方を振り返った。ヘレナはエルと、そしてエルが手を引く泣いている女性を見ると目を丸くした。
「あら、あら、ど、どういうこと?」
「く、詳しくは後で説明させてください。どこか彼女を落ち着かせる場所と、あと、できればお化粧も直して差し上げたくて…」
「と、とりあえず、私の部屋へいらっしゃいな」
ヘレナは、マリアの肩を優しく支えると、落ち着きなさって、と背中を撫でた。メリーベルは、こっち、とエルを手招きした。エルは、はい、と言うと、マリアをつれてヘレナの部屋へ急いだ。
「も、申し訳ありません、ヘレナ様にまでご迷惑をおかけして…私…私…」
ヘレナの部屋に通されて、ソファーに座ったマリアは、まだしゃくり上げながらそう謝罪した。ヘレナはマリアの向かい側に座ると、あらあなた、マリア嬢じゃない、と驚いた顔をした。
「今日はアラン殿下とお会いになるって聞いていたけれど…」
「アラン殿下に泣かされた?」
メリーベルがそう淡々と尋ねた。それを聞いたヘレナは、アラン殿下のあの雰囲気、恐ろしいものね、しょうがないわ、と同情しながら言った。マリアはしかし、違うんです、と頭を振った。
「応接室で給仕をしてくださっていたこの方が、あんまりエルにそっくりだったから…」
マリアの言葉に、そう…、とヘレナが呟いた。メリーベルは、エル?と首を傾げた。
「エル…って、アラン殿下の婚約者だった、エル・ダニエルのこと?」
メリーベルが尋ねると、マリアはこくりと頷いた。エルは、3人の話をそばで聞きながら、ああメリーベルにもバレてしまった…という気持ちでいた。
「私、エルと生前よく仲良くしていたんです」
マリアはそう、ぽつりぽつりと話し始めた。彼女の言葉に、エルは体を硬くした。どんな事を言われるか、怖かったからである。
マリアは、ゆっくりと深呼吸をした。
「私、他の貴族のご令嬢たちみたいに、おしとやかじゃなかったから…大きな声で笑うし、だから、他の方たちから少し敬遠されてて…でもエルは、そんな私とでも仲良くしてくれていたんです。元々は父から、王子の将来の結婚相手の令嬢と仲良くしろ、っていう言いつけでエルとは仲良くしていました、でも、どんどん私はエルが好きになっていきました。…なのに、ある時から父が、エルがいなければお前も王子の婚約者になれたはずなのに、なんて言い始めて。…父をかばうつもりはないけれど、それは他の家も思っていたことみたいで、どんどんエルから彼女と仲良くしてたはずのご令嬢が離れていって…。私はそんなの絶対に嫌だった。それなのに父が一方的に絶縁の手紙をエルに送ってしまったんです。エルの誤解を解こうと思っても、父に会いに行くことも手紙を出すことも許してもらえなくて…。私は父の言いつけを守るしかなくて、エルの誤解を解けなかった。でも、エルとアラン殿下がご結婚された後なら、父も諦めがつくだろうし、必ずまたエルと会える日が来る。その日もきっとすぐ来る。だから、それからエルに謝りに行こうって、そう思っていたんです」
マリアはそこまで話すと、一度また深呼吸をした。
「…そう、思っていたある日、あの火事が起きました」
ヘレナが小さく息を呑んだ。メリーベルもじっとマリアを見つめて彼女の話を聞いていた。
「…私、ずっと後悔しているんです。どうして私は、父を恐れてエルに会いに行かなかったんだろうって。本当は大好きなんだって、どうして伝えに行かなかったのかって。あの日からずっと…ずっと…」
マリアはそういいながらまた涙をこぼした。両手で顔を覆って、うう…うう…、と嗚咽をもらしながら肩を震わせた。ヘレナはソファーから立ち上がると、マリアの肩を抱いた。
「…お辛かったわね」
ヘレナはそういいながら、優しくマリアの背中を擦った。マリアは鼻水をすすりながら、泣き続けている。
「エルはきっと私を恨んでいるわ」
しゃくりあげながらマリアがいう。そんなマリアを、そんなことないわ、とヘレナは優しくなだめた。
「エルは優しい子だもの。あなたにそういう事情があったなら、きっとわかってくれる。大丈夫よ」
「でも、でも私、言いたかった…エルに、エルに言いたかった…言えたのに、言わなかった…」
マリアはまた嗚咽を漏らした。ヘレナが、マリアの泣き声を聞きながら、うんうん、と優しい相槌を打っている。
エルは、泣いているマリアを呆然と見つめる。胸の奥がざわついて、苦しくなる。
「(…マリアは、私を友達だと思ってくれていた…)」
エルは、そう思うと息が詰まるほど胸が苦しくなった。気がつくと一粒、涙が頬を伝っていた。
「…こんな時に言うのは間違ってるってわかってるけど、今アラン王子を待たせてるんだよね?そろそろ行かないと、帰っちゃいそうだけど」
メリーベルの冷静な突っ込みに、マリアは、う、と固まる。ヘレナは困った顔をして、確かに、と呟く。
「アラン殿下が帰ってしまえば、レッド侯爵もお怒りになられるのでは?」
ヘレナの言葉に、マリアは顔を青くする。メリーベルは、ほらこっち、とヘレナの化粧台にマリアを呼んだ。
「お直しは僕に任せて。ほら、涙を引かせて」
「え、は、はい」
マリアは慌てて自分の両手を仰いで涙を乾かそうとした。すると、鏡越しにマリアとエルの目が合った。マリアはエルの頬に一粒涙が伝うのを見ると、あっ…、と震える声をもらした。
「エルが…エルが、泣いてる…」
マリアはそう言うとまたぽろぽろと涙をこぼした。そんなマリアに、化粧の準備をしていたメリーベルが、あーもう、と声をもらした。
「落ち着いて。あれはエリィ。顔の似た他人」
「でも…でも…」
マリアがまたしゃくりあげる。ヘレナは、はいはいはい、と慌ててエルの方へ向かった。
「マリアがあんまり泣くものだからつられちゃうわよね?でもほら、緊急事態だから!笑って笑って!!」
ヘレナはそう言うと、エルの肩をぽんぽんぽんと勢いよく叩いた。エルは、は、はい…、と返したあと、無理矢理笑顔を作った。しかしマリアは、そんなエルを見るとまた新たに涙をこぼし始めた。
「エルが…笑ってくれてる…」
「エリィ、部屋から出て」
メリーベルがハンカチでマリアの涙を拭きながら、そうエルに言い放った。ヘレナも、そうした方がいいわね、と慌ててエルの背中を押した。
「僕がマリアを応接室まで連れて行く。事情は説明するから」
メリーベルの言葉に、事情とはつまりエルに似た使用人がいたとレッド侯爵に説明されてしまうのか、とエルは慌てた。しかしそれを察したヘレナが、私が説明するわ、と言うと、部屋からエルを押し出した。エルは外からヘレナの部屋の扉を見つめたあと、深い深い息を吐いた。




