9 元商人の娘の探し物3
リズの言いつけはその後も続き、部屋担当以外の自分の仕事にエルが行き着いたのはもう夕方だった。大急ぎで仕事を終えて、夕食を食べに向かうと、もう食堂はすっかり片付けられていた。
「(ま、間に合わなかった…)」
「あらエリィ、どこにいっていたの?」
食事の片付けを終えたらしい使用人たちがエルの方にやってきた。エルは、ま、まあ…、と濁した。
「もう、みんなとっても盛り上がってたんだから」
「盛り上がった?」
「昨日の舞踏会の話よ!」
ねー!と使用人たちは目を輝かせて楽しそうにはしゃぐ。エルは、え?と首を傾げた。
「あんなにキラキラと輝いている貴族の皆様を見て、別世界よねって」
「素敵な方もたくさんいたわよね」
「どの方がかっこよかったとか、もうみんな盛り上がっちゃって…!」
黄色い声を上げてはしゃぐ彼女たちに、エルは同調するように笑う。
「一番驚いたのはアラン殿下よね」
使用人の一人がそういうと、周りの使用人たちもうんうん、と同意した。
「あんっっなに素敵なお方だったなんて…」
「普通にしていらっしゃるところを初めて見たから、もう、今まで見てきた方と同一人物か信じられなかったわ!」
「本当に、物語に出てくる王子様みたいだった…」
ねえ、と使用人たちははしゃぐ。エルは、彼女たちの言葉に、なんだか自分までうれしくなる。
「(周りからそんなふうに見えているのなら、新しい結婚相手ができるのもきっと時間の問題…!)」
「…っと、そろそろ寝る準備をしに行かなくちゃ」
「明日も早いしね」
「エリィの気になった殿方の話は、また別の日に聞かせてね」
使用人たちはそう言うと、じゃあね、とエルに手を降って去っていった。エルは、うん、また明日、と彼女たちに手を振った。
何も食べられずに寝床についたエルだったけれど、お腹がすいて眠れなかった。エルは何度か寝返りを打ったけれど、他の使用人たちの迷惑かと思い、寝返りを打たずに固まった。しかし、そうしたら空腹が気になりすぎて余計に眠れそうになくなった。エルは静かに部屋から出ると、宿舎の外に出た。そして、夜空を見上げた。
「(…はあ…星が砂糖菓子に見える…)」
「おーい」
ぽん、と後ろから肩をたたかれた。振り向くと、同室のネルがいた。
「…ごめんなさい、起こしてしまった?」
「そ。誰かさんのせいでね」
ネルはそう言うと、エルの隣に座った。エルは、ごめんなさい、と彼女に謝った。すると、ネルはエルの前にナプキンに包まれたパンを差し出した。
「え?」
「食べ損ねたんでしょ?あんたのろいから」
ネルはそう言って、ほら、とエルにパンを勧めた。エルは、あ、ありがとう…、と言って、それを両手で受け取った。
「でも、あなたの分は?」
「なんとなく食欲なくてさ」
「えっ、体調悪いの?大丈夫?」
「違う違う。周りがみんな、舞踏会にいた誰がいいだの、どうだの、そんな話してて、私にも振られて、…興味ない話ばっかり溢れてて、なんとなく食欲失せちゃったわけ」
ネルはそう、怠そうに言った。エルは、彼女が前にそういう話に興味がないと言っていたことを思い出して、そう…、と言った。
「…もう今は食欲ある?あるのなら、あなたから頂いたものだけれど、半分こしましょう」
エルはそう言うと、小さなパンを半分にした。そして、ネルに差し出した。ネルはそんなエルに目を丸くする。エルはそんな彼女を見上げて小さく微笑む。
「体が資本よ、きちんと食べなくちゃ」
ね、とエルが言うと、ネルは少しだけ瞳を揺らした後、バツが悪そうにエルから視線を逸らした。
「…チーズと魚は食べたよ。何も腹に入れてないあんたこそ食べなよ」
ネルにそう淡々と返されて、エルは、食欲ない割にそこそこたべてる…、と心の中で呟く。
「(…いや、私のためにとっておいてくれたのかもしれない…)」
「早くしたら?食事もだけど、睡眠も大事だよ」
「え、ええ、そうね、ありがとう、本当に」
エルはそう言うと、頂きます、とネルに今一度言ってからパンを口に運んだ。ネルは、そんなエルを横目で見る。
「…聞いてもいい?」
「ええ、どうぞ」
「あんた、なんで火事の時に逃げられたの?」
ネルの質問に、エルはパンが喉に詰まった。ネルはそんなエルを気にせずに話を続けた。
「火事があることを知っていたはずのジャン・ダニエルと、宿屋の主人以外みんな逃げられなかったのに。なぜ?」
「……」
エルは返事に困った。しばらく考えたあと、助けてもらったの、と言った。ネルはそんなエルに目を丸くした。
「助けてもらった?誰に?」
「…それは、言えない」
「…なぜ?」
「…その人のことを安易に明かして、その人が犯人に命を狙われたら、そうしたら申し訳が立たないから。とにかく、その人が遣わした男性に、もう建物が燃え落ちる寸前に私は助けられたの」
「遣わした…つまり、それなりに権力のある人間ってこと…」
ネルの読みに、余計なことを言ってしまったとエルは後悔する。エルは少し黙った後、言ってしまった言葉は取り消せないので、諦めて続きを話した。
「…その人に誰がこんな事をしたのか聞いたけれど、教えてもらえなかった」
「…」
ネルは、自身の立てた仮説、誰かがこの火事を仕組んだというものの自信をさらに強くしたような顔をした。
エルはそんなネルを見つめながら、あの日、彼女が他家族を失ったことを思い出して胸が痛くなる。そんな中生き延びてしまった自分。そして、彼女のもとへ妹が帰れなくなった原因を作った自分。
「(…自分を、悪者にしすぎちゃいけない…)」
エルは、エメラルドの言葉を思い出して気持ちを落ち着けようとする。しかし、胸の奥がざわつくのがやまない。
「もう一つ聞いてもいい?」
ネルはエルに尋ねた。エルは、ええ、と言ってネルの方を見た。
「あんた、なんで逃げたの?」
「だから、人に助けてもらって…」
「どうやってじゃなくて、どうしての方」
ネルにそう尋ねられて、エルは言葉に詰まる。エルは目を伏せた後、ゆっくりと口を開いた。
「…このまま戻っても殺されるだけと、助けてくれた人に言われたから…」
「でもあんた、王子の婚約者だったんでしょ?式の準備もすすめてたらしいじゃん。なのになんで、逃げる選択をしたの?貴族のご令嬢が、ましてや王子と結婚する直前の人間が、いくら殺されるかもって言われたとしても、何もかも投げ出して平民として暮らすことを選ぶ?しかも、虚言かもしれない見ず知らずの男に言われた話を信じてさ」
エルは、ネルの瞳を見た。ネルの三白眼をしばらく見つめて、エルは小さく息をついた。
「本当はずっと、逃げたかったのかもしれない」
エルはそう、ぽつりと呟いた。ネルはそんなエルを黙って見つめた。
「アラン殿下の婚約者という立場で、そのことで周りから散々嫌われる人生から、逃げたかった。ううん、そもそも消えたかった、ずっと。私なんかいなくなってしまえばどれだけ良いかって、ずっと考えていた。…本当に悲惨な毎日だった」
「ならなんで、ここに戻ってきたの?やっぱり犯人にやり返したくなったから?」
「ち、違うわよ」
エルは小さく息をついたあと、夜空の星をまた見上げた。
「…逃げ込んだ町で静かに暮らしてたら、そうしたらある日突然、アラン殿下がやってきた。そこで私は知ったの。私が死んでからあの人は、すっかり人が変わってしまったようになってしまったんだって」
エルは、あの日見たアランの涙を思い出して、胸の奥が裂けそうなほど痛む。
「あの人の婚約者でいたときは、すぐにでも私のことを手放してほしいって、そればかり考えていた。でも今思えばあの人は確かに、私のことを思ってくれていた。私が死んだことであんなふうに変わってしまうほどに。それなのに私はあの人を捨てて逃げた。あの人を捨ててあの町で一人だけ幸せに生きている自分が、許せなかった。自分にもしもなにかできることがあるのなら、したいと思った。だからここへきたの」
ネルは、ふうん、と声をもらしたあとエルをじっと見つめた。そして、不思議だよね、と呟いた。
「なんでアラン殿下は、あんたに執着してたんだろうね。周りの反対を押し切ってまで結婚しようとするなんて、王子のくせになんか異様だよ」
ネルの言葉に、エルは一瞬、言葉を詰まらせた。
「…それは私もわからない」
「わからない?」
「…ただ、昔体の弱かったアラン殿下を不憫に思った先代の国王が、友人だった私の祖父に言って、私をアラン殿下の婚約者にしただけ。それがずっと続いて…」
エルはそこまで言って、もう戻れない幸せな過去を思って少しだけ目を細めた。
「…あの頃は楽しかったな」
エルはそう、か細い声をもらした。
思い出されるのは、過去のことだった。昔、アランはとても体が弱くて、いつも彼は彼の部屋のベッドに一人で寝ていた。
幼かったエルは日課のようにアランの部屋に通っていた。好きな本の話や、作ったお菓子の話、他愛のない話を毎日毎日アランにしに行った。アランはエルの話を、いつも楽しそうに聞いてくれた。だからエルは、アランのところへ行くことが大好きだった。
アランの住む家は王都にあるお城からは離れた別荘だった。そこにはアランの母と妹も一緒に暮らしていたけれど、エルはアランの母を見たことは一度もなかった。それだけではなく、アランを訪ねる客はエル以外に誰もいなかった。
「アラン様!」
エルはノックをするやいなや、アランの返事を待たずに部屋に入った。いつものようにベッドに寝るアランは、エルの顔を見るとゆっくり微笑んだ。熱があるのか、少しだけ頬が赤かった。
「お加減がよろしくないのですか?」
「昨夜熱が上がって…でももう大丈夫。ずいぶん下がったんだ」
アランはエルと話すために、よろよろと体を起き上がらせようとした。エルはそんなアランを慌てて止めて、どうか寝ていてください、と言った。アランは枕に頭を埋めたあと、困ったように笑った。
「…情けないな、俺は、エルと起き上がって話すこともできないなんて」
アランはそう呟いたあと、激しく咳き込んだ。エルは、アランの背中を優しく撫でた。彼の背中は熱く、昨夜よりは下がったとは言え、まだまだ高い熱があるのをエルはそこで察した。
「アラン様、今日は私、もう御暇します。どうかゆっくりお休みください」
「行かないで」
アランは、エルの手を掴んだ。
「行かないで、…どこにも」
エルは少し驚いたあと、反対の手をアランの手の上に重ねた。
「では、アラン様が眠るまで、こうやっておそばにおります」
エルはそう言うと、アランの手を握ったまま、ベッドのそばの椅子に腰掛けた。アランは、彼の綺麗な青い瞳でエルを映した。エルはアランの瞳を見つめて微笑む。アランは不安そうにエルの手を握る力を強くする。
「…昨日、医者が…俺を診て…」
アランはそこまで言うと、口を噤んだ。そして、なんでもない、と微笑んで小さく頭を振った。幼いエルは、彼が何を言いかけたのかわからずに首を傾げた。
「…エルが居てくれるなら、よく眠れそうだ」
「それは良かったです」
「…そうか、起きていればエルはずっとここにいてくれるのか」
「もう!早く寝てください!」
エルはアランの冗談に本気で返す。そんなエルを、愛しくてたまらないという瞳でアランが見つめる。エルはからかわれているのがわかると、アランの方を見て、ゆっくりと微笑んだ。
2人しかいない部屋は静かで、窓から差し込むあたたかい光が2人を照らす。このときは、2人のことを誰も何も言わなかった。だからエルは、アランの瞳をまっすぐと見つめて、そして彼に、明日も明後日も会いに来たいと、そう屈託のない笑顔で言えた。
「昔はね、私、アラン殿下の婚約者でも嫌われてなかったのよ?でも、アラン殿下の体調がよくなってきてから周りの態度が変わって…。だからそれまでは本当に、楽しかった、幸せだった…」
エルは過去を思い出して、悲しい気持ちで笑う。ネルはそんなエルを見つめる。
「楽しかった、って思えるってことは、一応昔は王子のことを好きだったんだ?」
「昔はね、そうだった…うん、そうだった」
幸せな過去を思い出して、エルはつい目に涙がにじむ。
しかし、そんなエルを見てネルが失笑した。エルは、予想外の冷笑的な態度に少し驚きながら彼女の方を見た。ネルは、馬鹿にしたような顔でエルを見ていた。
「あんたって、お気楽よね」
「え?」
「あんたはつまり、誰とも結婚せずに死んでいく孫が可哀想だって思った先代の国王に、都合よく王子への供え物にされただけじゃん」
「そっ、そんな言い方…」
「私にはそうとしかとれないね。ジジイ2人に勝手に死にかけの王子の供え物にされたかと思ったら、卵から生まれた雛に一番最初に見られたみたいにピヨピヨピヨピヨついてこられて、挙句の果てにそれを気に入らない周りに恨まれて燃やされそうになるなんてね」
「…」
エルはネルの言葉にどんどん血の気が引く。ネルはそんなエルを見て、ねえ、と気味が悪いほどの猫なで声を出しながらエルの背中をさすった。
「王子がいなければ、あんたもっと楽しく生きられてたろうにね」
エルは、そう話しかけるネルを黙って見上げた。
心の底でずっと、エルはそう思っていた。アランの執着さえなければ、自分はもっと周りから嫌われずに生きられたのに、と。心の置ける友人と仲良く話したり、誰にも文句を言われない相手と幸せに結婚できる未来だってあったかもしれない、と。
しかし、実際に第三者からそう言われると、エルはとてつもなく動揺した。
ネルは、何も言えないエルの肩に腕を回すと、なあ、と耳元で囁いた。
「あの火事だって、王子とあんたがいなきゃ起きなかった」
ネルの言葉に、エルは絶句した。嫌な脈を打つ心臓をなんとか抑えて、エルはネルを見つめた。
「…あの火事は、火をつけた犯人によって引き起こされたものよ…」
「その通りさ。あの火事は火をつけたやつが絶対的に悪い。でもあんたらは貴族の世界に生きてるんだろ?権力のためなら平民の命を何とも思わないクソみたいな貴族たちが作ったクソみたいな基準がある世界にさ。それに反する生き方を王子は間違いなくしてた。だからイカれた犯人が火をつけた。原因の一端は王子にあると言っても過言じゃないし、無謀な結婚だと知って断れなかったあんたにも非がある」
ネルの言葉に、エルは頭の中が動揺から渦巻いていくのを感じる。ネルはそんなエルを、ふん、と鼻で笑った。
「ま、こんなしけた話はやめて、早く寝ようよ。体は大事な資本なんだからさ」
ネルはそう言うと、ぽんとエルの背中を軽く叩いて、そして宿舎へ戻っていった。エルはしばらくそこから動けずにいた。




