9 元商人の娘の探し物2
その後、エルとネルは、2人で洗濯物を終えた。暗くなっていく空を眺めながら、洗濯物を取り込んだかごを置いて、2人は地面に腰を下ろした。周りはほかに誰もおらず、しんと静かだった。
「あらためてエリィ、よろしくたのむよ」
ネルはそう、エルの方を見て言った。彼女の特徴的な三白眼にエルが映る。エルは彼女の瞳を見つめながら黙ってうなずいた。ネルはエルのそんな姿を確認すると、両手を背中の後ろについて、夕焼け空を見上げた。
「…ねえネル、あなたはどこまでわかっているの?この事件のこと」
エルは、膝を抱えてネルに尋ねた。ネルは空を見上げたまま、たいしたことはわからない、と告げた。
「ジャン・ダニエルがこの事件の実行犯だとして、誰がこいつにそうさせるように仕掛けたのかがわからない。まさかこいつが姪の殺害を単独でやるわけもないし、メリットも考えられないからね。色々探ってみたけど、こいつはどこの貴族の派閥にも入ってないし、誰にでもゴマをすってへこへこしているから、一体誰を親玉にしてるのかもわからん」
ネルはため息をついた。エルは、以前お城で盗み聞きしたときの叔父の様子を思い出し、何とも言えない気持ちになった。
「でも、3大派閥の筆頭たちのうちの誰かが親玉だと私は目星をつけてる」
ネルはそう言うと、指を3本立ててエルに見せた。
3大派閥といえば、伝統派、改革派、中立派の3つの派閥で、アランの婚約者の有力候補3名も皆、この派閥の筆頭の家からでている。
「自分の娘を第三王子に嫁がせて、自身の権力を更に強くしたい、そんな願望からエル・ダニエル殺害の計画を練った。この線で私は調べてる」
ネルはそう自信ありげに話す。エルは、そんな話を聞きながら複雑な気持ちになる。
「(…アラン殿下に早く新しい婚約者を見つけて幸せになってもらいたい、と思っていた矢先に、その婚約者の有力候補の家の中に、私を殺そうとした犯人がいるかもしれない、なんて…)」
「でもほんと、どうかしてる。権力闘争のために人の命を、しかも複数奪う判断をするなんて。死んだのは火事で焼け死んだ人間だけじゃない。宿屋の火の不始末に仕立て上げられたせいで、結局、宿屋の人間もそのせいで自ら命を絶ってしまった」
「…でも調査の結果、火事は宿屋のせいだって、そうなっていたはずよ。宿屋の主人本人が自供したって。それはどうなっているの?」
「…でも私は、絶対にジャン・ダニエルが怪しいと思っている」
ネルのこの発言で、この事件の犯人の存在が、かなり曖昧なものになってきた、とエルは思った。
「…ねえ、あなたがこの火事の悲しい顛末を誰かのせいにしたいきもちが、変なふうに暴走している…とかはない?」
エルはおそるおそる尋ねる。しかしネルは、いや、ない、ときっぱりと言った。エルは、それ以上は言えず、そう…、とだけ返した。ネルは、エルの内心を察してか、ねえ、とエルに詰め寄った。
「これからあんたにも調査に加わってもらうからね。わかってる?」
「え、ええ、もちろん…」
ネルはじっとエルを見つめた後、さてと、と言うと立ち上がった。エルはまだ頭が切り替えられないままネルを見上げた。
「これからよろしく。私はこれまでどおり情報収集を続ける。周りに怪しまれないために貴族のスキャンダルを周りに言いふらしつつ、ね」
ネルの言葉に、これまでの彼女の噂好きだと思っていた性格は、あの事件の情報収集のためだとエルは気がつく。
「…ネルのその情報収集の癖は、本当は理由あってのことだったので。…ごめんなさい、私、あなたのことを誤解してた」
エルか言うと、ネルは少しの間のあと、少し口角を上げて、そうそう、と言った。
「私は本来、清廉潔白な人間なんだよ。純粋で、真面目で、人に対して思いやりがあってさ。でも事件の情報を集めるためにこういうふうに演じてんだよ」
「そうよね、本当よね。…本当にごめんなさい、あなたのことを少しも知らずに、勝手に苦手だなんて思ってしまって…」
エルの言葉に、ネルは目を丸くした。そしてそのあと、眉を困ったように曲げて、はあ、とため息をついた。
「…あんたさ、ここは、んなわけないって反論して、そんで笑うところでしょ?空気の読み方知らないの?友達と変な雰囲気になったことない?って、あんた友達いないんだっけね」
「………」
「私、あんたのそういうとこ苦手だわ〜」
ネルはそう言いながら、片手を仰ぐように横に振った。エルは、う、と言葉に詰まる。
「(…これは、友だちがいないために経験値が低い私が悪いの?それとも人の言葉を素直に受け取れないネルが悪いの…?)」
「ま、いがみ合わずに仲良くやろうよ、一蓮托生の仲なんだしさ」
「…そっちが雰囲気を悪くしている気がするんだけれど」
「なにさ、こっちが仲良くしようって頼んだ矢先に感じ悪いね」
ネルはそう、からかうようにエルに言う。エルは何とも言えない悔しさにもどかしくなるけれど、自分のせいで彼女の妹が家に帰れない以上、彼女の言うことを聞いて協力する他ない事実に何も言えない。
ネルは、口籠るエルを見て小さく微笑むと、まあよろしく、と言って手をひらひらとふって歩き始めた。エルは彼女の背中を見つめながら、自分が彼女と本当に一蓮托生となってもよかったのかわからずに、しばらくの間悶々とし続けた。
エルは、メリーベルからもらった本を抱えて、ヘレナの部屋に向かっていた。すると、ヘレナと一緒に歩いているメリーベルを見つけた。エルは慌ててメリーベルに駆け寄った。
「あら、エリィ」
ヘレナはエルに気がつくと笑顔で小さく手を振った。エルはヘレナに、おはようございます、と深々と頭を下げた。そのとき、メリーベルの隣にあのリズが不機嫌そうに自分を見て立っているのにきがついて、エルは緊張から背中に汗がだらだらと流れた。
「…もう出ていく日が決まったのか」
メリーベルがほんの少しだけ眉を下げてそうエルに尋ねた。メリーベルの言葉に、ヘレナが、ええっ!と声を上げた。
「エリィ、ここを出ていくの?なぜ??いつ??」
「あっ、あの、…実は、その話がとりあえず白紙になりまして……」
エルは申し訳なさにメリーベルの顔を見られず、本の表紙を見つめながらそう恐る恐る話した。ヘレナはわけがわからない顔で、え?え?と困惑している。
「だからその…これをお返ししようと……」
エルは頭を下げて、彼女からもらった本を差し出した。リズが、メリーベルが本を使用人にあげた事実に、不満そうに片方の眉をつり上げた。エルは、リズの前ではまずかっただろうか…などと今更気が付き、さらに背中に汗を垂らした。
「…返さなくていい」
メリーベルは、そう淡々と返した。エルは、えっ、と声を漏らして、顔を上げてメリーベルの方を見た。すると、唇を少しだけ突き出して、しかし頬をほんのり赤くしている彼女の顔が見えた。
「…それはもう、エリィにあげたもの。返さなくていい」
「でも…」
エルが、こんな高価なものは頂けないと思い食い下がろうとしたが、メリーベルはそんなエルを置いてさっと歩きだし、メリーベルの部屋の扉を開けに向かってしまった。
「…あら、珍しく嬉しそうにしちゃって」
「え?」
ヘレナがエルの隣に立つと、エルの方を見て、ふふ、と微笑んだ。
「なんだかよくわからないけど、エリィ、あなたこれからも私のお部屋担当なのね?」
「あっ、はい、そうです、どうぞお願いいたします」
「ふふ、こちらこそ」
ヘレナはそういってエルにまた笑顔を見せると歩き始めた。エルは、そういえば未だに、ここで働く口添えをしてもらったお礼を彼女に言えていないことに気が付き、もうこの際このまま言ってしまおうと、あの、と口を開いた。すると、お怒り気味のリズがエルの前に立ちふさがった。
「(ひっ…)」
「…何度注意したらわかるの?」
「もっ、もうしわけ…」
「…向こうの方に、ヘレナ様の新しい本が届いたの。それを持ってきて、本棚のものと入れ替えて。早く」
リズはそう早口でエルに仕事を言いつけると、ヘレナのあとに続いてヘレナの部屋に向かった。エルは、またしばらくリズからのエンドレス仕事申し付けが始まる、と察すると、肩をがっくりと落とした。




