8 平民にはどうしたらいいのかわからない7
とうとう舞踏会の日がやってきた。
エルは当日、パーティーの準備に、そして食事の配膳などを担当することになった。テーブルに置かれた食事や飲み物がなくなれば補充する係である。
エルがこれまで見てきた中でも最大規模のパーティーだった。趣向を凝らした装飾に、豪華な食事は、王族側の気合が感じられた。
王宮で開かれたこのパーティーには、錚々たる面々が集結した。皆自分の娘を一目王子にあわせようと、彼らも気合を入れて参加していた。
エルは、会場の片隅で食事の補充が必要になるまでじっと待機していた。貴族たちは第一王子たちを交えて歓談を広げている。会場にはもちろんアラン王子の姿はない。
「ねえ、誰が選ばれると思う?」
同じく補充係で、エルの隣に立っていたネルがこそこそと話しかけた。エルは、そんなのわかるわけないわ、と投げやりに返した。
そんなエルにお構いなしに、ネルは会場を見渡しながら、でもさ、と続けた。
「ここに来た貴族たちみんな気合が入ってるけど、結局有力なのは3人のご令嬢よね」
「…ああ、そう…」
「伝統派、改革派、中立派、それぞれの派閥の長の家のご令嬢の誰かが本命だろうね。たとえば…」
ネルは、エルの頬を無理やり手で動かして、視線を動かした。
「エミリー・ハリソン。由緒正しき名門ハリソン公爵家のご令嬢。伝統派の推薦ね」
ネルが動かしたエルの視線の先に、ピンク色の長くきれいな髪に、ベリー色の可愛い瞳をした女性が映った。例えるならば人形のような、そんな愛らしく、そして美しい容姿の彼女に、エルは同性ながら息を呑んだ。
「飛び抜けて可愛いけど…性格が結構キツイらしいわよ?あんた、お部屋担当にでもさせられたらひどい目にあうかもよ?」
エルがここを追い出されることを知らないネルの言葉が胸に刺さり、エルは苦しい気持ちになる。
「…私には関係ないわ」
「わかんないじゃんそんなの。次はー」
ネルがまたエルの視線を動かした。視線に映る彼女に、エルは動揺した。青みがかった綺麗な髪と、優しそうな目元。エルは彼女に見覚えがあった。
「(あのお方は…マリア…)」
「彼女はマリア・レッド。レッド侯爵家のご令嬢ね。家格はエミリー嬢よりかなりさがるけど、性格が温厚らしいわ。下働きの私たちからしたら、彼女の方がありがたいわよね」
ねえ、とネルがエルに話しかけてきたけれど、エルは、え、ええ…と生返事しかできなかった。
マリア・レッドは、エルの友人だった。いや、友人だとエルが思っていただけ、という方が正しい。彼女も例に漏れず、エルが疎まれると波のように引いていっってしまったうちの一人だ。
「(…まあ、引いていったうちの最後の一人…だけれど…)」
エルはそんなことを考える。彼女だけは、エルの評判が落ちてきても変わらずに仲良くしてくれていた。だからエルは、彼女のことは信じていた。信じたかった。けれど彼女も最後には、エルと友達の縁を切った。もとから友達じゃなかった、という方が正しいけれど。
エルは、過去の古傷が疼いて苦しくなった。ネルの、彼女は中立派推薦だし、派閥の中で一番弱い派閥だから、まあ、3番手かもね、と言う声がエルの遠くで響く。
「派閥の強さで言ったら彼女よ、シェリー・パーク」
まだ動揺しているエルの視線を、ネルが無理やり動かす。エルの視線の先には、また覚えのある女性が映った。クリーム色の長くきれいな髪に、レモン色の瞳。おしとやかな雰囲気で、周りを自然と笑顔にする力を持つ女性だ。
「(…彼女は昔からアラン殿下のことがお好きそうだったしな……)」
エルは、昔の彼女の様子を思い出す。エルが隣にいても構わずにアランに話しかけに行き、彼女の親衛隊との連携プレーにより、エルとアランを離して2人で話に行ったりもしていた。とにかく積極的にアランにアピールをしていた印象のある女性である。
誰にでも優しく、花が咲いたように笑う彼女に想いを寄せる令息はたくさんいたようで、アランに一途な彼女に想いを告げて撃沈した男性が数多いたこともエルは知っている。
「なんたって、今をときめく改革派の筆頭パーク侯爵のご令嬢だもの。まあ、特別アラン殿下に気に入る令嬢がいなければ、彼女で決まりだろうね?」
ネルの言葉に、エルは、確かに、アランのことをよく思っているシェリーならば一番良いのではないだろうか、と考える。
「(…まあ、当の本人は不参加なんですが…)」
エルは、会場に現れないアランのことを考えてため息をつく。こんなに周りがお膳立てしていても、本人がこうではもうどうしようもないという気がエルにはした。
参加者たちも、アランが来ないことも予想していたのか、もう諦めてコネクション作りにシフトチェンジしているように見える。
「…まじ…?」
そうネルが漏らした声が聞こえた。え、とエルがつぶやくと、参加者の貴族たちも驚きの声を上げるのが聞こえた。エルは、周りの視線の先を見た。するとなんと、パーティー用の正装をしたアランがそこにいた。
「(……嘘……)」
エルは、目の前の光景に驚きのあまり絶句した。アランは、周囲の視線を浴びなら、マイクと共に会場を颯爽と歩いた。輝きを放つアランに、エルは、かつてのアランを見た。
アランの登場に驚いて固まっていた貴族達だったが、恐る恐るアランに声をかけ始めた。アランは無表情ながらも、その挨拶にきちんと耳を傾けている。その様子に、貴族たちが次々に自身と、そして娘の紹介を始めた。
「(…アラン殿下が…)」
エルは、感動のあまり鼻の奥がツンとするのがわかった。なぜ彼が参加したのかはわからない。それでもこれが、彼が立ち直る一つのきっかけになったに違いないと、エルはそう信じた。
パーティーが終わり、エルは鼻歌を歌いながら洗濯物をしまっていた。
使用人たちのほとんどはパーティーの後片付けに駆り出されており、残った少数の使用人で普段の掃除や洗濯を分担していた。
「(…ああよかった…ほんとうに、ほんとうに……)」
「エリィさん…!エリィさんっ…!!」
小声でそう呼ばれて、振り向けばそこに上機嫌のマイクがいた。エルは、マイクさん!と笑顔をこぼしながら言った。マイクは、いやあ〜ととろけるような笑顔でエルに近づいた。
「アラン殿下がパーティーに参加してくださいました!お陰で私の面目もたちます…!」
「よかったです、ほんとうに、ほんとうによかったです…!」
「それもこれも全部、エリィさんのおかげです!」
マイクの言葉に、エルは、え、と首をかしげる。
「あの、…私は何も…」
「何をおっしゃいます!アラン殿下に、ここを辞めなくてはいけないとお話したんでしょう?」
マイクが嬉しそうにエルに聞いた。エルは、昨日のことを思い出して、ああ…、と呟く。
「でも、それが何か…」
「あのアラン殿下が急に私に、あの女は城をやめるのかって聞いていらして。私、アラン殿下に話しかけていただくのがずいぶん久しぶりで緊張して、でもこんな好機はないと思って、思い切ってお伝えしたんです。彼女、アラン殿下をパーティーに連れ出せないと、ヴェルド様に辞めさせられる契約なんです、と!」
そうしたら…、というわけです、とマイクが得意げに言った。エルは、マイクの言葉にきょとんとする。
「(…それは…私がやめさせられるのを気の毒がって…ということ…?)」
エルは、半信半疑でそんな答えを心の中で唱える。
「(いや、そんなわけ…)」
「おい平民女」
声だけで苛ついているのがわかるヴェルドが、背後からエルに話しかけてきた。エルは一瞬体を震わせた後、恐る恐る振り向いた。そこには、怒りで顔が燃えそうなヴェルドがいた。
「(…怒ってる…自分の思い通りにいかなくて怒ってる…)」
「…勝ったつもりか?」
「え、…え?」
「アランをパーティーに連れ出せて、満足か?どうなんだ?」
「…あの、前から思ってたんですけど、どうしてそんなに私に喧嘩腰なんですか…」
「俺の質問に答えろ平民女」
「勝ったつもりになんてなってないですし、満足…そっか、満足…は、わりとしています…かもしれない…です」
エルは、充足感に満ちた自分に気がついて、つい頬をほころばせながらそんな事を言った。ヴェルドは悔しそうにぎりぎりと歯を鳴らした。
マイクは場をとりなすように、まあまあ、とヴェルドに話しかけた。
「まあまあヴェルド様、それより、これでエリィさんの雇用継続ということでよろしいですよね?」
「…アランを最終的に説得したのはマイクだとも言える」
「えっ」
「つまり、この女が連れてきたとは言い難い可能性がある」
「ヴェルド様は、アラン殿下がパーティーに参加したら良いっておっしゃってましたって!」
「この女が連れてきたら、という話だったはずだ」
「ま、まあまあお二人とも…」
エルがたまらずに仲裁に入ると、あっ、とマイクが声を漏らした。その視線の先に、アランの姿があった。もうパーティー用の服装から、普段の服装に変わっていた。
マイクは、殿下!と呼ぶと、彼の傍に飛んでいった。
「お疲れでしょう、お茶を入れます。エリィさん、お手伝いをお願いします」
マイクが目を輝かせてエルに声をかけた。エルは、それを自分がしてもいいかわからずにうろたえる。アランは特に何も言う様子がないので、お茶を準備しても差し支えなさそうだ、と察すると、エルは恐る恐るマイクの傍に行こうとした。
「まて平民女、何を平然とそっちに行こうとしている」
ヴェルドがエルを止めた。エルは、えっ、と声を漏らす。
「あの…」
「お前は明日、約束通りここを出ていってもらうからな」
「えっ、そ、そうなんですか…!?」
「さっさと荷物をまとめてこい。朝は早いぞ」
ヴェルドはそうエルに言い放つ。エルは腑に落ちない気持ちでヴェルドを見る。マイクが慌てて、待ってくださいヴェルド様っ!とヴェルドに声をかけるが、ヴェルドは聞く気がない。
「…ヴェルド、そう彼女をいじめるな」
アランが、そうヴェルドに言った。マイクもヴェルドも、驚いた顔でアランを見た。
「…俺の名を…呼んでくれた…あのアランが…」
あのヴェルドが、動揺して狼狽えていた。エルはそんなヴェルドに驚いて、彼を見上げる。彼の口元がうずうずと嬉しそうに緩んでいる。エルはそんならしくない彼にぎょっとする。すると、急に目線を鋭く切り替えたヴェルドと目が合った。
「…今回は特別、だからな」
ヴェルドはそう言うと、ふんっ、と鼻を鳴らしてエルの横を通り過ぎて去っていった。
「(…意外と、可愛らしいところもあるんだな…)」
エルはそんな感想を抱きながら、ヴェルドの背中を見つめる。するとマイクが、あっ、と声を漏らした。
「しまった、今から会議があるんでした。エリィさん、後をお任せしてもよろしいですか?」
「えっ、え…?」
「大丈夫ですよ、今日はみんなばたばたしていますから、2人で歩いているところを見られても、イレギュラーなことだと流せばよいだけです」
会議の時間がかなりやばそうなマイクにそう押し切られて、エルはアランと2人でここに置き去り帰されてしまった。
「(…行くしかない…)あの、それではまいりましょうか」
エルはおずおずとアランに言った。アランは、黙って歩き始めた。エルは後を慌てて追いかける。
ふと、エルはアランの大きな背中を見上げる。昔から見つめてきたこの背中を今見つめて、胸の奥から不思議な感情がこみ上げる。
「(…遠くなったものだな…)」
エルは、今日のパーティーでたくさんの女性と会っていたアランを思い出す。当然だけれど、改めて、自分の手の届かない人になったのだと思い知らされる。
「(…とにかく、今日このパーティーに出てもらえてよかった。あとは、少しでも早く私以外の人と結ばれて、幸せになってもらいたい…)…ぶっ」
考え込んでいたエルは、部屋の前で止まっていたアランに気が付かずに歩き続けて、アランの背中に顔をぶつけてしまった。エルは顔面蒼白になりながら、も、申し訳ありません…!と平謝りをした。
「か、考え事をしていて、ぼんやりと…」
「…ヴェルドの言ったことか?」
「えっ?あっ、いえ、そういうわけでは…」
エルは否定するが、するとアランは、ならなんだ、とでも言いたげな目でエルを見ていた。エルは答えに窮する。
「(パーティーに出てくれて嬉しいなんて素直に言ったら同じ轍を踏みそうだし、あっ、でも前みたいに…顔を潰せばいいのか?…いやもう、何を言えばいいのかわからない…!)」
エルは考えれば考えるほどわからなくなる。かといって、これ以上アランを待たせるわけにもいかない。
ええいままよ!となったエルは、アランを見上げて口を開いた。
「あの…パーティーの殿下、素敵だったなって」
「…?」
「輝いてました!」
エルは大真面目に、確かにそう思っていた本心を言った。かつてのアランをようやくあのときエルは見た気がして、素直に嬉しかったのだ。
アランは当然だけれど、わけがわからないというような顔をしている。エルは、トンチキな事を言ったと今更気がついて顔が赤くなり、も、申し訳ありません…、と汗を描きながら縮こまった。
「…君は、よくわからんな」
アランはそう言うと、目を少しだけ和らげた。エルは、そんなアランに目を奪われる。エルははっとして、と、扉を開けます、と言ってアランの部屋を開けた。胸の奥が鼓動を打っていて、エルは、お茶の準備をする手が緊張で震えた。
アランのお茶の準備を終えて、帰ってきたマイクと交代してエルはアランの部屋から出た。そして、途中だった洗濯物を取り込みに来た。
エルは、達成感に浸りながら、時折緩む頬を感じながら手を動かした。
「忙しそうだね」
背後から声をかけられた。振り向くと、そこにはうっすらと笑みを浮かべるネルがいた。
「ネル。あなただって、今日は忙しかったでしょう」
「いいや、あんたはここ数日ずいぶん忙しそうだった」
「どういうこと?」
「アラン殿下をパーティーに参加させたの、あんたなんでしょう?」
エルは、背筋が凍るのが分かった。いつかは誰かに漏れてしまうことは覚悟していたけれど、よりにもよって、彼女に漏れてしまうなんて。
エルは、彼女がどこから情報を仕入れたかは分からないけれど、彼女の収集能力から考えて、かなり確信を持ってエルに聞いてきていることを察した。エルは観念して、浅く息を吐いた。
「…知っていたの?」
「うすうすと、ね。前にあんた、アラン殿下からお菓子をもらってただろ?それから色々とあんたの周りを探るようになったのさ。毎日少しずつ情報を集めて、…とうとう今日、あんたが王子の部屋から出てきて、王子の側仕えの男と少し話してるとこがばっちり聞けたもんでね」
エルは、さっきの話か、と察して、自分の迂闊さに落胆する。今日は大きなことが成功して、それで気が大きくなって、油断してしまっていた。
エルは覚悟を決めて、あのね、とネルに口を開いた。
「この話、どうか誰にも言わないでほしい」
「あんたが王子のそばでお世話をしている話?」
「…ええ、そうよ」
「死んだエル・ダニエルに、あんたがそっくりだって話も?」
「そう、そうよ、そういった関係の話全部よ。…お願いできるかしら」
エルは背中に汗を伝わせながらネルに懇願した。ネルは、じっとエルを見据える秋の冷たい風がエルの頬に吹き付ける。
「私はもう確信してるよ」
ネルはそう、静かに言った。エルは、え?と首を傾げた。ネルはエルの目をまっすぐとらえた。
「あんたが、エル・ダニエル本人だってことをさ」




