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8 平民にはどうしたらいいのかわからない3

ヴェルドとマイクからの命を受けたエルは、日課になりつつあるアランへのお茶出しの度に機を伺った。後ろで控えるマイクから期待の視線を痛いほど浴びながらも、しかしエルは、息苦しいほど重いオーラを放ち続けるアランに話を切り出すことがどうしてもできなかった。



「(…だいたい、話しかけること自体出来ないのに、どうやってパーティーに出てください、なんて話ができるのか……)」


アランの使った食器を厨房へ運びながら、エルはもんもんと考える。


「(…と、いうか、ヴェルドは犯人を知っているはずよね?彼が三代派閥との結婚を勧めるということは、その中には犯人がいない、ということ…?…わからない…)」


エルは頭が痛くなるほど考えを巡らせるがわからずに諦める。エルは厨房の使用人に食器を返して、掃除の仕事へ戻ろうかと考えていたら、ふと、厨房のにいる人物に見覚えがあった。


「(あれは…メリーベル様?)」


コックに紛れて、メリーベルが何やら料理をしていた。エルはこそこそと彼女に近づき、彼女の手元を覗いた。どうやら、マドレーヌを作っているようだった。慣れた手つきで作業をする彼女に、エルは釘付けになる。エルも趣味でお菓子作りをしていたけれど、メリーベルの腕が自分より数段上だろうことはすぐに分かった。


「……なに」


エルの視線に気がついたメリーベルが、冷たくエルに尋ねた。エルは無表情な彼女におびえる。


「(…じろじろ見ないでって、ことかな…)」


エルはそう察すると、ご、ごめんなさい…と頭を下げて、すぐにその場から去った。嫌な心臓の鼓動を感じながら、親しくもない人をじろじろ見てしまった自分の浅はかさを呪った。エルはため息をついて、自分の持ち場へと戻っていった。






エルは、昼休憩をとりに使用人の宿舎へ向かった。パンとチーズ、それに紅茶を受け取ると、空いている席に腰掛けて食べ始めた。すると、隣にネルが座ってきた。エルは、他にも空いている席があるのにわざわざここを選ぶネルに訝しい気持ちでいた。ネルはそんなエルの心中を察してか、察していないのか、笑顔でお疲れ様、と声をかけてきた。エルは、お疲れ様です、と素直に返した。


「どう?新しい職場は」

「ああ…ヘレナ様のお部屋担当のこと?」

「そ」

「まあ…やることはミシェル様の時と変わらないから」


エルはぬるい紅茶が入ったコップに口をつけてゆっくり飲んだ。ネルは、へえ、と相槌を打つ。


「他の部屋担当の人ともうまくやってけそう?」

「まあ…そうね、親切にしていただいているわ」


エルがそう返すと、ネルは、よかったじゃない、と言った。


「そういえば、ヘレナ様の侍女って誰だっけ」

「リズ様と、メリーベル様よ」

「メリーベル…ああ、王国軍にいるフィリップスとかいう色男の妹だっけ?」

「一応お姉様みたいよ。双子だそうだけど」

「双子?へえ、男女の双子だなんて珍しいね」

「まあ…確かに?」

「それと…リズ…ああ、ローレンス伯爵のご令嬢か…」

「ネル、彼女を知っているの?」

「ご令嬢のことはそんなに。ローレンス伯爵がパーク公爵の腰巾着してるところをよく見てただけ」


ネルは、また城内のどこからか取り入れた話をエルにする。へえ…と軽く流しながらもふと、この噂好きの彼女にいつか、エルが任された仕事のことが知られたらどうしよう、という危機感がした。


「(…迂闊なことを言うと危ないな…あんまり彼女に話さないようにしよう)」

「なにをそんなに急いで食べることがあるのさ」


この場を離れたくて慌ててパンを食べるエルに、ネルがそう突く。エルは、ヘレナ様のお部屋担当の仕事が残ってて、ととってつけた嘘を返すと、へえ忙しいね、とネルは納得したように返した。エルはさっさと昼食をすますと、それじゃあね、とネルに言うと逃げるように去っていった。





ネルから逃げるために宿舎から出てきたエルだけれど、さてどうしたものか、と悩むことになった。このまま掃除の仕事に戻ってネルに見つかったら嘘をついた理由を詰められそうでエルは困った。

すると、天の助けのようにリズがエルを呼び止めてくれて、ヘレナの部屋に洗濯物を持っていくように言いつけてくれた。

エルは、ああ助かったと思いながらヘレナの部屋へ向かった。ノックのあと、ヘレナの部屋へ入ると、丁度お茶を飲んでいたヘレナの姿が見えた。どうやらメリーベルと一緒に向かい合って座り、お茶を楽しんでいたようだった。

エルは二人の邪魔をしないように洗濯物を片付けて、その場から去ろうとした。しかしヘレナが、エリィ、と呼び止めた。エルは、はい、と返事をしてヘレナの方へ向かった。


「お茶のおかわりを持ってきてくださる?」

「かしこまりました」


エルは厨房へ向かおうとした。その時、テーブルに美味しそうなマーマレードが乗っているのが見えた。


「(…もしかして、あの時メリーベル様が作っていらしたものだろうか…)」


エルの甘いもの好きの性分のため、少しだけマーマレードを凝視してしまった。エルは、はっとすると、慌てて改めて厨房へ向かおうとした。すると、ヘレナがふふ、と笑った。


「マーマレードがお好きなの?よろしかったら召し上がる?」

「いっ、いえそんな、失礼いたしました…!」

「美味しそうでしょう?メリーベルが作ってくれたのよ」


ヘレナはそう言ってメリーベルに微笑む。エルは、やっぱり…、と声を漏らした。そんなエルに、え?とヘレナが首を傾げた。


「やっぱり?」

「あっ……メリーベル様が作っていらっしゃるところを、その、偶然見かけまして…」

「あらそうだったの」


ヘレナは微笑むと、この子本当にお菓子作りが上手なのよ、とメリーベルを見ながら言った。


「お菓子だけじゃないわ、お料理も得意だし、裁縫も上手だし…」


ヘレナは指折り数えながらメリーベルの得意なことを挙げる。エルは、す、すごい…と感嘆の声を漏らす。


「(花嫁修業をちゃんとしてきた方なんだな…)」

「私、メリーベルから色々習いたいくらいだわ」

「ヘレナ様がそういった仕事をすることはないのでは」


メリーベルが淡々と返す。そんなメリーベルに、あら、とヘレナは頬に手を当てる。


「そういう良妻の技術を会得したいの。ただでさえ私は…」


ヘレナはそう言うと少し固まった。そして、自身のお腹に手を当てて、そしてぎゅっと着ている服の布部分を握った。そんなヘレナに、メリーベルは表情を硬くする。エルは急に重くなった空気に動揺する。

しかしヘレナは、ぱっといつもの明るい笑顔を見せた。


「ただでさえ私、お料理もお裁縫もからっきしだから」


ふふ、とヘレナは穏やかに笑う。エルはそんなヘレナに少し安心したような、しかし先ほどの不穏な空気が気になるような、そんな不思議な気持ちになった。


「あなた、仕事は終わったの?」


背後から声がして、振り向くと眉をひそめたリズがそこにいた。エルは彼女の怒った様子に体を硬くする。恐らく、使用人がヘレナやメリーベルと雑談しているのが許せないのだろう。


「あの…」

「お二人の話に入ることが厚かましいって、あなたわからないの?」


リズはそう、軽蔑したような目でエルを睨む。エルは返す言葉がなく縮こまるしかなかった。

すると、メリーベルが小さく息をつく音が聞こえた。


「今、用事を申し付けていたところ。早くお茶を持ってきて」


メリーベルの助け舟に心底安心しながら、エルは、はいただいま…!と返すと慌てて部屋から出ていった。


厨房まで急ぎながら、ふと、さきほどのメリーベルのことをエルは思い返した。恐らくリズの叱責からエルを庇ってくれたのだろう。前にハロルドから侮辱されたときも彼女はエルを庇ってくれた。しかし同時に彼女の、普段からの無表情な様子や、前の厨房での冷たい態度を思い出す。


「(…メリーベル様って、…よくわからない)」


エルはそんなことを考えながら、厨房へ足を急がせた。





あの時はリズの叱責から逃げられたものの、その日からしばらく、明らかにエルは、リズから大量の雑用を申し付けられるようになった。ある時には彼女本人から、そしてある時には同じ部屋担当の使用人づてで、ありとあらゆる雑用をさせられた。


彼女なりの、身の程をわきまえない使用人へのペナルティだったのだろう、そうエルは理解した。

そしてもちろん、部屋担当としての仕事が増えたからといって、普段の城内の掃除の仕事が減ることはなかった。エルは他の使用人たちが仕事を切り上げるなか、残ってひたすら掃除を続ける、そんな日々がしばらくのあいだ続いた。



時間が経てばリズの怒りも収まったのか、ようやく彼女からのエンドレス雑用申し付けが終わった。

エルはようやく解放された安心感にひたりながら城内の掃除をしていた。




今日は天気が良く、ぽかぽかと暖かかった。人通りの少ない中庭の掃除をしながら、エルは、目がうつらうつらとしてくるのを感じた。眠りそうな自分に、慌ててエルは両頬を何度も叩いた。じんと痛む頬に眠気が飛んだけれど、それは一瞬のことですぐにまたうつらうつらとしてきた。エルは何度も頬をはたき、時には爪を立てたりしたが、眠気は彼女を襲い続けた。

エルは噴水の近くにある植木をちらりと見た。ただでさえほとんど人が通らない中庭である。その植木のそばなら誰にも見つからない。


「(…ほんの一瞬、目を閉じるだけ……)」


エルはふらふらと植木のそばへ行き、すとんとしゃがみこんだ。そして、自身のひざにあごを乗せて、目を閉じた。


「(…まぶたを閉じるだけでだいぶ楽だな……)」


エルはそんなことを、朦朧とする意識の中で思った。あと少しだけ、もう少しだけ、を何度か繰り返すうちに、エルはいつの間にか自分の意識を手放していた。






エルは鈍い意識の中で重いまぶたをゆっくりゆっくり瞬きさせた。すると突然はっと正気に戻り、体を起こした。どうやら、まぶたを閉じるだけの予定がすっかり寝てしまっていたようである。


「(どっ、どどど、どれだけ寝てしまったんだろう……)」


背中がさーっと冷たくなるのを感じる。自分の愚かさに打ちひしがれていた時、ふと、自分が噴水の縁で寝ていたことに気がつく。さらに、自分に誰かの上着が掛けられていることにも。


「…あれ、どうして…」


エルは不可解な謎に戸惑いながら、自分にかけられていた上着を手に取った。それは紳士物の上着で、上等そうな物である。


「いったい誰が…」


そう呟いて辺りを見回そうと後ろを振り向いたとき、エルのすぐ隣で噴水の縁に座って読書をするアランの姿があった。エルは予想外の人物に、驚きのあまり呼吸が止まった。ふとエルは、アランの格好がシャツとズボンのみであることに気がついた。エルは自分の手にある上着とアランの姿を何度か視線で往復した。エルは、まさか、が、もしかして、に変わった瞬間、ものすごい速さで立ち上がった。そして、深々と頭を下げて、アランに上着を差し出した。


「も、申し訳ありませんでした…!」


エルは背中に冷や汗をかきながら頭を下げた。アランは本から顔を上げると、本を持たない方の手でその上着を受け取った。エルは恐る恐る顔を上げた。


「(…地面で寝ていた私を縁まで上げて、上着まで掛けてくださった…?)」


考えれば考えるほど、もしかしてが、まさか、に戻っていった。あのアランが、そんなことをするだろうか。エルにはにわかに信じられない。

エルが戸惑っていると、アランがエルを見上げた。そして、自分で自分の頬を指さした。


「顔」

「え?」

「傷があるぞ」


アランはそう言うと指を下ろした。エルは、え…、とつぶやきながら自分で自分の頬を触った。手のひらで頬をまさぐりながら、ああ…、と寝落ちする前のことを思い出した。


「私、眠くて、その、寝ないようにこう…」


エルはそういいながら手のひらで勢いよく自分の頬を叩いた。さすがのアランも突然のエルの奇行に目を丸くした。


「だからその…そういうことです」


結局寝てしまいましたが…とつぶやきながらエルはまた赤くはらした頬をアランに見せた。

アランは少しの間エルを見上げて、呆然としたあと、ふっ、と小さくふき出した。口元をほんの少しだけ緩めて、目元も普段からは考えられないほど柔らかかった。そんなアランを見て、エルは時が止まったかのような錯覚を起こす。


「(…アラン様の笑った顔、久しぶりに見たな…)」


エリィとしてここへ来てからは、彼の吹き出す声しか聞いてなかったから、ようやく彼の笑顔を見ることが出来た。

昔はあんなによく笑ってくれたあの人が久しぶりに見せた笑顔に、エルは泣きそうになった。しかし、泣いてはいけないと必死にエルは涙をこらえる。

そんなエルに、アランは訝しそうに少しだけ眉をひそめた。


「…叩きすぎたんじゃないか?」

「え?」

「痛いんだろ」


エルはアランの言葉に頭の上に疑問符を浮かべる。しかしすぐに、エルの目ににじむ涙が、頬が痛いせいだとアランが理解したらしいことを察して、エルは堪えきれずに小さく吹き出し、堪えていた涙があふれるほど笑った。エルは頬に伝う涙を指でぬぐいながら、くすくすと笑い続けた。アランはそんなエルを不思議そうな顔で見ていた。エルはごめんなさい、とまだ笑いがひかないまま謝った。


「ごめんなさい、私…」


エルは途中で言葉が止まった。しかしエルは、口元を緩めると、アランの方を見た。


「私、嬉しくて、殿下が笑ってくださったから」


エルは勢いに任せて本音を言った。アランの笑顔を見られて、エルは涙が出るほどうれしかったのだ。それは紛れもない彼女の本心だった。アランはそんなエルに少しだけ目を丸くした。

エルは、本心を言ったもののその後どうしたらいいか考えておらず、無計画が故の焦りが出てきた。エルは、し、失礼致しました、と頭を下げた。


「…こんなところで、もう寝るんじゃない」


アランはエルにそう言った。エルは恐る恐る顔を上げて、そ、そうですよね、申し訳ありませんでした、と恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。すると、そんなエルにつられてか、アランも少しだけ口元を緩めた。

エルは、明らかに普段より雰囲気の柔らかいアランに、今しかないのでは、と頭の中によぎった。

婚約者選びのパーティーに出てもらうように頼めるのは、今しかないのでは。こんなにアランの機嫌が良く雰囲気が柔らかい(当社比)ことなんて、もうパーティーを開く日までないのではないか。

エルは、ここ最近ずっと狙い続けた好機を逃してはならないと、あの、と意気込んでアランに話しかけた。


「マイクさんから伺いました、もうすぐアラン殿下の婚約者候補の方々をお呼びするパーティーを開く予定だと」


エルは、そう言ってアランに半歩近づいた。アランの青い瞳はエルの目をまっすぐに見つめ続けている。


「ぜひ、参加されるべきだと思います。きっとアラン殿下にとって素敵な方が見つかると、私、そう思います」


エルは必死の思いでアランに告げた。やっとこの好機に言えた。こんな良い機会に切り出して、それでもダメならもう無理だと、そう思えるくらいのタイミングに。

エルは期待を込めてアランの瞳を見つめ返した。すると、彼の綺麗な青い瞳がみるみる曇るのを感じて、エルは血の気が引く思いがした。


「…言うな」


アランはどんどん表情を硬くして、普段よりもさらに重い圧を発する。アランは、町で見たあの色のつかない瞳でエルを見据えた。


「エルと同じ顔で、残酷なことを言うな」


アランはそう言うと本を閉じて立ち上がり、エルを置いて去っていった。

エルはしばらくのあいだ噴水のそばで固まった。ようやく深呼吸ができたとき、ああ終わったと、そう理解した。



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