1 孤立する令嬢と諦めない王子様3
ミシェルと別れて応接室に戻ろうとしたエルは、アランの友人であるヴェルドと出くわした。エルは、彼の登場に身構えた。ヴェルドはエルと目が合うと、もともとクールな表情を更に冷たくした。
彼は、ヴェルド・レグラス。レグラス公爵家の嫡男で、アランとは今通っている学校で出会ったようだ。黒髪に赤い瞳をもつ、整った顔立ちの少年で、エドワードとはまた違う冷たい威圧感を出す人物である。あまり人を寄せ付けない性格で、実際親しい人物は少ないようだが、アランとは仲良くしているらしい。
彼の家は古くから王家に仕えてきた名家であり、それ故か、貴族の中で力の弱い家の出でありながらアランの婚約者となっているエルのことを、彼はよく思っていない。
エルはヴェルドの相変わらずの冷めた態度に恐れおののく。ヴェルドはそんなエルを煩わしそうな顔をして見たあと、ため息をついた。
「…お前が約束の時間に応接室にいないから、アランが慌てて探しに行ったぞ。お前が攫われたのなんだのと、城の中はちょっとした騒ぎになっている」
「えっ…」
エルは血の気が引くのがわかった。そう言われてみれば、なにやら向こうの方の廊下が使用人たちの足音でばたばたと忙しそうだ。
エルの背中にだらだらと冷や汗が伝う。顔を青くするエルを見てヴェルドはため息をつくと、慌てている使用人を1人見つけて、おい、と声をかけた。使用人はヴェルドに呼ばれてこちらに来ると、エルに気がついて、あっ!と声を上げた。
「こんなところに…!」
エルを見て、使用人がひどく迷惑そうな顔をする。エルは、そんな彼女に縮こまるしかない。ヴェルドは、おい、とまた使用人に声を掛ける。
「早くアランを呼んでこい」
「は、はい、ただいま…」
ヴェルドにそう言われて、使用人は慌ててこの場から去った。エルは、これでまた余計にこの城の人達から嫌われたと察して、更に憂鬱になる。
「…いつまで無理にしがみつくんだ」
ヴェルドは、エルの方を見ずにそう言った。エルは、えっ、と声を漏らしてヴェルドを見上げた。すると、ヴェルドの冷めきった赤い瞳がエルを捕らえた。
「邪魔なんだよ、お前」
ヴェルドが去った後も立ち尽くしていたエルは、あとから来た使用人に連れられて、アランの部屋まで案内された。
「(…しがみついている…つもりはなかったんだけどな…)」
なんとか足を動かしながら、エルの頭の中は先ほどのヴェルドの言葉が繰り返されていた。あんなふうに直接言われるのはさすがに初めてだったエルは、これまでにない自分の心の傷つき方に動揺していた。
使用人に連れてこられたエルは、頭がうまく回らないまま、アランの部屋に入った。部屋に入るなり、待ち構えていたようなアランが、エル!と叫ぶと彼女に抱きついた。
「ああよかった、本当によかった…君に何かあったらと思ったら…」
アランに息が詰まるほどの強さで抱きしめられて、エルは苦しくなる。エルは、ご迷惑をおかけいたしました…、となんとか言葉を紡いだ。
部屋にいたマイクの、呆れたような溜息が聞こえた。
「殿下が勝手に大ごとにしただけじゃないですか」
「いえ、勝手に部屋を出ていた私が悪いので…」
「エルが無事だったんだから、もう何でもいいんだ」
アランは、エルから体を離すと、そう言ってエルに、微笑んだ。エルはそんなアランに、そう思っているのはアランだけだと心の中で呟く。むしろ、このままいなくなったほうが大勢から喜ばれたのではないかとすらエルは思う。
「邪魔なんだよ、お前」
ヴェルドの言葉を思い出して、エルは頭が真っ白になる。固まるエルを見たアランが、エル?と声を掛けた。
「どうかした?」
「ヴェルド…」
「え?」
頭が真っ白のまま口走ってしまったことにエルは動揺したが、出してしまった言葉を引っ込めることもできず、ヴェルド様が、と続けた。
「えっと、いらしてたんですね、またお二人でお勉強ですか?」
「ああ、うん。課題があってね」
「そうでしたか、お忙しいですね」
「そんなことないよ。それに、努力することが楽しいんだ」
「楽しい…」
「俺、もっと努力して、国の要職につきたい」
兄さんたちとも仲良くできているし、うまくやっていける気がするんだよね、とアランは笑う。
アランの言うことが、自分からは想像もつかないスケールの話で、エルは気が遠くなる。しかし確かに、アランは彼の望む未来に相応しい人物になっている。周りも期待しているし、それを望んでいる。エルだけがその未来に不釣り合いだ。
「エルの家だって、その方が助かるじゃないか」
アランはそう続ける。エルは、叔父に再三言われてきた言葉を思い出す。アラン王子を射止めろ、逃すな、必ず結婚しろ、家のためだ、家の再興のため。
「(…そこに、エル・ダニエルという人間の心はあるのだろうか…)」
エルはぼんやりそんな事を考える。貴族の家に生まれた以上、結婚は家のためにするもの。それはわかっている。でも、この結婚はアランのためにはならないし、他の貴族達だって望まない。その不協和音がエルを苦しめる。
「もし、本当にそんな未来が来たとして、私はそんなあなたの隣にいてもいいのでしょうか」
長年抱え込んできた思いを、とうとうエルは吐いてしまった。そんな自分にエルは動揺する。言ってしまった以上取り消せないことに目を泳がせるエルを、アランは優しく抱きしめた。
「良いに決まってる」
アランは、エルの頬に自分の頬を寄せる。
「俺には君がいなければ駄目だ」
エルは冷めた心の底で、本当にそうでしょうか、と呟く。
「俺は昔、体が弱くて、周りから要らない存在だった。でもエルがいたから、自分で自分を捨てずに済んだ」
「(でも、もう今は周りから必要とされている。私なんか要らない)」
「それに俺は、もうエルのことしか愛せないんだ」
「(そんなわけがない。素敵な女性ならたくさんいるし、これまても見てきた。私じゃなくてもいい)」
「君を世界中の誰よりも愛しているんだ」
「(そもそも国の中枢で働きたい人が、私なんかを愛している場合じゃない)」
アランにそう愛を囁かれて、エルの頭の中の叔父が、愛していますと返せと怒鳴りつける。けれど、戸惑う心が上辺だけの言葉を発せさせない。
「殿下、いつまで抱きついているんですか。婚前は清らかな関係が鉄則ですよ」
マイクが呆れたように、アランをたしなめる。アランは、不服そうにマイクを見つめる。
「どう見たって清らかだったじゃないか」
「年頃の男女が抱き合う光景のどこがですかっ!」
「婚約者なんだから構わないだろ」
「抱き合う時間が長すぎます」
マイクにそう言われて、渋々アランはエルから少しだけ離れた。エルは、アランを見上げる。明るい未来を見据える彼がまぶしいと、エルは素直に思う。そして、そんな彼と一緒にまぶしい未来を歩く資格が自分にはないとも。




