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8 平民にはどうしたらいいのかわからない1

ミシェルが彼の国へ嫁いで行ってから初めての、月に一度の丸一日の休日がエルにやってきた。

その日に、エルはお城から一番近くにある、小さな教会に足を運んだ。王都にはいくつも教会があるけれど、この小さな教会には他に人はいなかった。エルは静かな教会の中で1人、静かに祈りを捧げた。遠い地に行ったミシェルの幸せを願って。

ミシェルと彼の国の王子の結婚式は、彼の国で盛大に執り行われたらしい。どんな表情でミシェルがそのときいたのか、そして今、どんな気持ちで彼女はいるのか、エルには知る由もない。だから祈るしかなかった。自分の無力さにあきれ返るけれど、それでも。






ミシェルがお城から去った後、エルは第1王子の妻であるヘレナの部屋担当になった。


ロゼの時と同じように、エルはマイクから、ヘレナ様は信用に値する人ですから!と力説され、なぜエルが部屋担当になるのかをヘレナに説明する流れに強引に持ち込まれてしまった。こんなことをしていたらどんどん噂は広まっていかないだろうかとエルは一瞬不安になったけれど、ヘレナに関しては自身も彼女が信頼できる人間だと理解していたので、そこまで抵抗はなかった。

ヘレナはマイクから事情を聴くと目を丸くした後、それはいい考えね、と同調した。ヘレナはエルを彼女の部屋担当にすることと、エルの事情は内密にすることを快諾してくれた。


ヘレナの侍女は2人いた。1人はリズ・ローレンスという女性で、エルが無計画にお城にやってきたときに顔を合わせたことがある人物である。栗色の髪をいつも高い位置に固く結んでいる。彼女はロゼと違い、平民である部屋担当の使用人とはほとんと言葉を交わしたがらず、仕事上やむを得ず話しかけるときもあったけれど、きっちり線を引いて接してきた。彼女が貴族の振る舞いとしては普通なのだろうけれど、ロゼとしばらく一緒にいたエルは一際彼女が冷たい人のように感じた。

更にリズは、ヘレナがエルへお城の仕事の斡旋を特別にしたことをずっと不快に思っていたようで、余計にエルへの当たりは強かった。


そしてもう1人は、メリーベル・カーンという女性である。綺麗な銀色の髪をショートボブほどの長さで整えた、物静かな人物だった。儚げな美しい容姿と何を考えているかわからないミステリアスな性格が相まって、いつか風にさらわれて消えてしまいそうだと、エルは思っていた。平民相手だからとかそういうわけではなく、ただだだ性格的に彼女が無口で、だからエルはほとんど彼女と会話をしたことがない。


エルと口を聞く気のない侍女たち(当然と言えばそう。ロゼが特殊なだけ)とうってかわって、ヘレナはエルにとてもフレンドリーだった。他の使用人に対してもねぎらいの言葉を惜しみなく贈る彼女で、その行動はエルがかねてから知る彼女の人柄そのもので、エルはなんだか安心した。そして彼女はもちろん、マイクから事情を聞いてからは一切、エルに対して死んだエル・ダニエルに似ている、などとは人の目がある場所で口にしなかった。

ただでさえエルを嫌っている上に、平民と軽々しくヘレナが口をきくことが気に食わないリズは、エルと接しようとするヘレナをいつも妨害した。ヘレナは持ち前の穏やかさで、まあいいじゃないの、とリズをたしなめたけれど、リズは頑なに譲らなかった。






「(…新しい職場に慣れる日は来るのだろうか……)」


お祈りを終えたエルは、教会の庭でそんな不安を心の中で吐露する。慣れない環境に身を置いていると、あの明るいロゼがエルはひどく恋しく思えた。


ロゼはというと、なんと国王の世話係に抜擢された。時折すれ違えば挨拶を交わしてくれるけれど、彼女と会うことはほとんどなくなった。


エルは庭のベンチに腰掛けたまま青い空を見上げた。そして小さく深呼吸をすると、よし、と意気込んで立ち上がった。

その時、前方からどこか見覚えのある女性が歩いてくるのが見えた。一つにまとめた灰色の髪の女性に、エルは、あっ、と声を漏らした。


「(あの日、私のお墓にお花を供えていた…)」


エルの声に、彼女は顔を上げた。エルを見る目はやはり以前の目と同じ目だった。迷ったエルだったが、直感的にこのまま何も言わずにはいられない気がして、彼女に近づいて軽く会釈をした。


「お久しぶりです。あの私、だいぶ前に…ダニエル家領の教会の墓地で…」


エルの言葉に一瞬困惑した表情を見せた彼女だったが、エルの顔をまじまじと見たあと、ああ、とでも言いたげな顔をした。エルは、以前よりも豊かな表情の彼女にすこし安心して笑顔を見せた。


「今日はお祈りですか?」


エルの質問に、女性は小さくうなずいた。彼女の返答はなく、二人の間に沈黙が流れる。その後も、いい天気ですね、とか、最近寒くなってきましたね、などと当たり障りのないことだけ話したけれど、彼女は黙って頷くだけだった。


「(…会話がしたくない、のだろうか…)」


見ず知らずの他人に話しかけられて疎ましく思う人ももちろんいるだろう。エルは、自分の考えの及ばなさを恥じながら、突然失礼いたしました、と頭を下げて、彼女の前から去ろうとした。

すると、彼女は何かを言いたげにエルの腕をつかんだ。エルは、ゆっくり彼女を見つめた。彼女は何か言いたげに目を泳がせるが、しかし、何も言葉は発しない。

なにかあったのだろうか、とエルが考えていたとき、教会の関係者が、ルーナ様、と彼女に近づいた。


「ダニエル卿がお迎えにいらっしゃいましたよ」


ルーナと呼ばれた女性は、その言葉にうなずいた。そして、エルを見て少しだけ残念そうな表情を浮かべた後、ようやくほんの少し微笑むと頭を下げた。彼女の笑顔にエルは安心した気持ちで、さようなら、と頭を下げて、そして彼女に微笑んだ。ルーナはやはり何も言葉を発さないまま、教会の関係者につれられて、教会の外へ向かっていった。


「(…ルーナさん、っていうんだ…)」


エルは、彼女の名前を復唱した。その後すぐに、ん?と何らかの違和感がして固まった。   


「(…今、ダニエル卿が迎えに、って、…)」


エルは、はっとして口元に手を当てる。


「(…まさか、叔父様の結婚相手…?!)」


そうなのだとしたらあの日、自分と自分の両親の墓参りをしていたことも合点がいく。ダニエル家の人間として、お墓の管理を彼女がまかされているということだろう。

エルは、自分とそう年の変わらないルーナを思い出して、政略結婚とはいえ、年が離れすぎている…、とぼやく。


「(好き同士ならいいけれど、貴族の結婚だから多分お互いの気持ちは関係ないものだろうし…いや、意外と好き同士、なのかもしれないけど…)」


エルは、なんとなく複雑な気持ちを抱きながら、しかし、家同士の結婚というものはそういうものか、と思い直した。

それと同時に、どんなに綺麗事を言っても、ミシェルの本当の恋の相手を本心から認めきれていなかった自分がいたことにエルは嫌気が差す。幸せになってほしい、とは口で言えても、この世界の物差しに毒されて、エルは結局、こんなに大切なミシェルのことすら色眼鏡で見てしまう。大切に思うからこそ、といえばそうかもしれないけれど。

もしも自分が生きていたら、叔母にあたる存在になっていただろうルーナに、エルは不思議な気持ちになりながらも、そろそろお城へ戻ろうと歩き始めた。








エルはこの日も城内の清掃に励んでいた。すると、前方から見覚えのある2人の男性が歩いているのが見えた。フィリップスとハロルドである。エルは、あっ、と声を漏らしながらも、自分が話しかけるような相手ではないと思い直すと、気が付かないふりをして掃除を始めた。ハロルドが神妙な顔つきでため息をついた。


「いよいよだな」

「上はまだ議論を続けているけどね。エドワード殿下なんかは特に、話し合いでかたをつけたいお考えでいらっしゃるから」

「長年攻め込んでくるあの隣国が、まともな話し合いに応じるわけがないのにな。パーク公爵とその周辺の貴族たちのお考えを、いつもは好戦的すぎると思ってたけど、今回はそちらに同意してしまうな」

「パーク家なんかはずっと、隣国へ攻めこみたがっていたから。先代の国王たちがずっと穏健派で続いてきたから、多少自分たちの話を聞く国王になってからはここぞとばかりに威勢がよくなった印象だよね」

「しかも、この数年は隣国から仕掛けてくる不安感もあるから、同調する周りも多くなってるしな。最大の防御は攻撃だって喧伝して、勢いは増すばかり、ってところだな。ったく、まず戦に出るのは俺達だってのにさ。なあ?」

「私は光栄だよ。この国の為に命を賭すことができて」

「はいはいはい、皆が嫌々言わされてることを、わざわざ今言わなくてよろしい」


はあ、とまたため息をついたハロルド。フィリップスはそんな彼を見た後、ふと、掃除をするエルに気がついた。エルはフィリップスと目が合うと会釈をした。フィリップスはにこりと優しく目を細めると、エルのもとへやってきた。ハロルドは、フィリップス?と不思議そうに彼を呼んだあと、エルを見て、ああ…、と嫌そうな顔をした。

フィリップスはエルの前に来ると、忙しそうだね、と声をかけた。エルは、お久しぶりです、とフィリップスに頭を下げた。フィリップスは空を見上げると、まぶしそうに目を細めた。


「今日は天気がいいから気持ちいいね」

「え、ええ、そうですね」


エルは、フィリップスの隣で不機嫌そうな顔をするハロルドにどうしていいかわからず目を泳がせる。使用人にも親切な態度を取ってくれると他の使用人たちからも評判の彼だけれど、今のエルはどうかさっさと行ってくれないかと思ってしまう。


「フィリップス」


困惑するエルの後ろから、誰かがフィリップスに声をかけた。フィリップスは声の主を見ると、ああ、と微笑んだ。エルが声の方を振り返ると、そこにはヘレナの侍女であるメリーベルがいた。

メリーベルは手に持った手紙の束をフィリップスに差し出した。


「これ、いつもの」

「ああ、すまない」


フィリップスはそれを受け取ると、少しだけ悲しそうに眉をひそめた。ハロルドはフィリップスに無断でその手紙の束をペラペラとめくった。


「あーあーあー、またこんなに恋文を頂いて、この色男は…、あっ、フィオナ嬢まで…!」

「…ハロルド、随分品がないね」


フィリップスはハロルドの手を払いのけると、呆れたような目で彼を見た。ハロルドは腕を組むと、で、どうするんだ、とフィリップスに興味深そうに尋ねた。


「どのご令嬢とお付き合いするんだ?」

「私は誰ともそういう関係になる気はないよ。いつ戦場で命を落とすかわからない身だから」


フィリップスの言葉にハロルドは目を丸くした後、少しだけ嬉しそうに口元を緩ませたあと、はあ?と態とらしくあきれ返ったような声を上げた。


「そんなの、貴族の男なら誰だってそうだろ?そんなことを皆が言い出したら、国が滅ぶぜ」

「私は次男だから、家の存続は兄さんに任せている。…メリーベル、ありがとう。私も君宛ての手紙を預かっているから、また渡しに行くよ」


フィリップスはメリーベルに微笑む。メリーベルは、いらない、と淡々とした様子で頭を振った。そんな彼女に、フィリップスは苦笑いをする。


「…だと思った。一応聞いただけだから。いつものように、差出人たちへ返却しておくよ」

「フィリップスは律儀すぎる」


メリーベルはそう呟く。ハロルドは、はあ、とため息をついたあと、フィリップスとメリーベルを順番に見た。


「こんなに見目麗しい2人が、恋愛事にまったく無関心だなんてねえ。この美貌に心を乱される周りの身にもなってやれよ」

「僕の知ったことじゃない」


メリーベルはハロルドに冷たく返す。ハロルドは愛嬌のないメリーベルに、はいはい、と軽く返した。

フィリップスはエルを見ると、ああ、紹介が遅れたね、と言った。


「彼女はメリーベル。私の双子の…姉なんだ」

「えっ?」


エルは目を丸くした後、フィリップスとメリーベルを交互に見た。銀色の髪にはかなげな美しさをもつ2人に、確かに、きょうだいと言われれば似ている、とエルは思った。


「(…と、いうか、そうか、2人ともカーン家の方たちじゃない。気が付けなかった…。)」

「なんで姉って言う前、謎に溜めたんだよ」


ハロルドの質問に、うーん、とフィリップスは少し考え込んだ。


「双子に姉も弟もあるのかなって、いつも疑問でね」

「当然。僕がフィリップスよりも先に生まれたことは、変えようのない事実」


メリーベルがそう少しだけ得意げに言う。普段から無表情で無口な彼女の表情の変化に、エルは少しだけ驚く。フィリップスは苦笑いしながら、はいはい姉さん、と笑った。


「そして姉さん、彼女はエリィ」


フィリップスはそうメリーベルに紹介した。エルは、一応お互い知っている、はず…、と困惑しながら、こんにちは、と頭を下げた。メリーベルは、どうも、とクールに返した。フィリップスは、微妙な空気感の二人をみて、あれ、と首を傾げた。


「えっと…もしかして、もうお互い知っているの?」

「彼女、ヘレナ様の部屋担当の使用人だから」


メリーベルはそう淡々と答えた。フィリップスは、えっ?と驚いた顔をした。


「そうだったの?メリーベル、どうして教えてくれなかったのさ」

「なぜ使用人の話をいちいちあなたにすることがある」


メリーベルの冷静な返しに、確かに、とエルは思う。ハロルドは、そうだぞ、とフィリップスを小突く。


「使用人の女なんかにまで馴れ馴れしくして、笑顔を振りまいて、そんなだから恋文を大量にもらうんだ。どうせ断るのなら、最初から愛想を振りまくな」

「別に、私は告白してほしくて優しくしているわけじゃないんだけれど…」

「お前にそういう気がなくても、相手の女がそう受け取るんだから仕方がないだろ!女は夢見がちで勘違いしやすいんだ!これからは控えるように!!」

「僕は何もしてないのに勝手に男から手紙を寄越されるけど。男は随分夢見がちで勘違いしやすいんだな」


メリーベルは淡々とそう答える。ハロルドは気まずそうに言葉を飲み込む。エルはそんなハロルドに必死に笑いをこらえる。すると、ハロルドが苛立った顔で得るを指さした。


「それにお前!」


声を張り上げたハロルドに、エルは驚いて肩を揺らした。眉をひそめたハロルドと目が合った。


「フィリップスに優しくされたからってつけあがるなよ?使用人が思い上がるんじゃない」


ハロルドに釘を差されたエルだが、自分はそんなつもりなんてないのに、と内心不貞腐れた。するとフィリップスが、それは困ったな、と眉をひそめた。


「私がエリィと仲良くなりたいのに、それを禁じられるのは嫌だな」


そう、フィリップスはエルの目を見て言った。エルが目を丸くしてフィリップスの目を見ると、彼は優しく目を細めた。風がタイミングよく吹き、彼の綺麗な銀髪が静かに揺らされる。エルは魚のように口をパクパクとした。


「そっ…そういうのはよくないと思います……!」


エルは慌ててフィリップスにそう指摘した。


「(これは良くない…!恋文を書いてしまう女性たちの気持ちが痛いほどわかる……!)」


不意を突かれて頬を赤くするエルに、ハロルドが不機嫌そうに、ああ?!とエルを威嚇した。


「お前、忠告したそばから勘違いするなよ?!」

「しっ、してません…!」


エルが慌てて否定すると、ハロルドはエルの頭から爪先までをなめるように見たあと、見下すように失笑した。


「はあ、これだから女は。身分の問題だけじゃないぞ、こんなちんちくりんな体型で、顔も大したことないくせに、女ってのは少し優しくされただけで簡単に勘違いして、」

「黙れ」


メリーベルが、冷たい声でそう言い放った。彼女は、ハロルドを厳しい眼光で睨みつけている。彼女の様子に、ハロルドは口をつぐむ。


「そういうの、僕本当に嫌い」


メリーベルは、ねえ、そろそろヘレナ様の部屋へ行く時間だから、と言ってエルを呼つけると、すたすたと歩いていってしまった。エルは突然のことに困惑しながらも、フィリップスとハロルドに頭を下げてから慌ててメリーベルの後を追いかけた





エルはメリーベルの後について歩いていた。メリーベルはいつも通り一言も話さない。エルは、先ほどのことを思い返す。


「(…私がハロルドに侮辱されたのを見て、代わりに怒ってくれたのかな…)」


エルは、そんなことを考えながら、あ、あの…、とメリーベルに話しかけた。メリーベルは振り返らず、なに、と返した。


「さっき、あの、ありがとうございました、その、かばっていてだいて…」

「別に」


メリーベルはそう無感情に返しただけだった。エルは、これ以上話が広がらないことを察すると、それ以上は何も言わなかった。あいも変わらず無愛想で無感情な彼女の背中を、エルはぼんやりと見つめる。


「(…でも、思っていたよりもずっと、優しい人なのかな)」


エルはそんなことを考えながら、これまで抱いていた彼女への印象が少し変わったことを感じた。





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