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7 お姫様は王子様の夢を見る3

ミシェルとロゼの父・クリスタル侯爵とのやりとりを見てからずっと、ロゼはさらに気の抜けた様子だった。いつもはてきぱきと仕事をこなしてしまうのに、彼女に似つかわしくない小さなミスが続いていた。


「(……ミシェル様の手紙のことを知ったらさらに動揺してしまうんだろうな……)」


ミシェルが勉強のために使う本をロゼと一緒に運びながら、エルはそんなことをふと思う。ミシェルとの約束であるから言うつもりはなかったけれど、ミシェルのことをよく心にかけている彼女に秘密をつくることは少しの罪悪感があった。


「(…そういえば、あれからミシェル様とクリスタル侯爵の噂話は流れてる様子もない。本当にネル、黙っていてくれたんだ…)」


エルは、そんなことを意外な気持ちになりながら思った。あのネルならば、こんなスキャンダル喜んで触れ回りそうなのに。エルの頼みを本当に聞いてくれている彼女に、エルは感謝する気持ちと、それと、これまで見てきた彼女とは重ならずに不思議な気持ちを抱く。


エルはロゼの後ろについて廊下を歩いていた。すると、廊下の曲がり角でロゼはなんと壁に体をぶつけて倒れかけた。既のところで通りがかった人物に腕を引かれて、体が倒れるのは防がれた。しかし、彼女が持っていた本は床に散らばってしまった。エルは慌てて本を拾って、自分の持っていた本の束の上に重ねた。


「最近、気が抜けているぞ」


ロゼの腕を引いた人物は、なんと第2王子のエドワードだった。彼はロゼの腕を引いて、彼女の体勢を戻しながらそう言い放った。ロゼは、バツが悪そうに目を伏せると、彼の手から腕を抜いて、大変失礼いたしました、とエドワードに頭を下げた。


「ミシェル様のご結婚のことで頭がいっぱいで……」


ミシェルはそう言って表情を暗くする。ミシェルと自分の父親との間にあった話は、口が裂けても他人には言えないだろう。あの出来事は、あの場にいた人間たちの中だけの秘密となるだろう。


「(…王家側の人間であるアラン様もあの場にいたけど、まあ、興味はないだろうし、わざわさ他言しないでしょう……)」


エルがそう考えていると、エドワードが表情を険しくした。


「頭がいっぱいも何も、侍女のお前にできることなどないだろ。ただミシェルの結婚まで、かわらずに世話をし続けるだけだ。ミシェルもいつまでもぐずぐず甘えたことを言って、恥ずかしくないのか?国の姫が国のために結婚するなんて至極当然のことだ。お前も侍女ならちゃんと教育しろ」


エドワードはそう冷たく言い放った。そんなエドワードを、ロゼはむっとした顔で睨む。


「エドワード殿下にはおわかりになられないでしょうね?お国のために好きでもない人の元へ嫁がなくてはいけない姫の気持ちなんて。殿下には国を憂うお気持ちがおありのようですから、ミシェル様にばかり背負わせないで、さっさとご結婚なされては?お国のために!」


ロゼは、エルの手から自分が持っていた本を取ると、失礼いたします、とエドワードに冷たく言い、さっさと歩き出した。エルはエドワードに頭を下げたあと、慌ててロゼを追いかけた。 







「ああもう、本当に、どうしてあんな奴になっちゃったのかしら。あっ、王子のことを奴なんて言っちゃったけど!でも言わせてほしいくらい!!」


ロゼは苛立ちながらそんな事を口走る。エルは、苛立つロゼに少し怯えていた。


「人の気持ちがわからないっていうか、物事を俯瞰で見て斜に構えてるっていうか…とにかく、むかつくのよ…!」


ロゼの言葉に、エルはかつて見てきたエドワードを思い出す。冷たい視線に縮み上がっていた自分を思い出せば、なんとなくロゼの言うことはわかった。ロゼは、昔はあんな風じゃなかったのに…、とぶつぶつつぶやく。


「…でも、陛下も王子たちには結婚相手選びをある程度自由にさせていらっしゃるのに、どうしてミシェル様には自由がないんでしょうか…」


ミシェルが昔、そんな事を言って泣いていたのを思い出してエルは呟く。そんなエルに、ロゼは少しだけ目を丸くした後、目を伏せた。


「それは…姫だから、でしょ?」

「ひ、姫だから…?」

「そうよ。この国の王子として生まれたなら、王家の存続のために、王家の血を継ぐ子供が必要でしょ?だから王子は多少本人の感情を優先してもらえる。でも、姫は関係ない。他国に嫁いで友好関係を築くことがお役目だから」


ロゼはそう、諦めたような目で言う。エルは口をつぐんだ後、目を伏せた。

ロゼは、小さく息をついた後、だから、と言った。


「だから私は、ミシェル様に、せめて笑顔で彼の国へ嫁いで行って頂きたい。それだけなのに……」


ロゼは瞬時に硬直した。


「それなのになんで、なんであのイケメンハイスペック王子との結婚に後ろ髪引かれる理由が私の父なの…?!なんでなの…!!?」


ロゼは、腕に抱える本に頭をぶつける。エルは慌てて、お、落ち着いてください…!とロゼを止める。


「ほんとにきつい…!あと地味に父親の恋愛みるのきつい…!」

「く、クリスタル侯爵は紳士に対応してらっしゃいましたよ!侯爵にそういう感情はなかったかと…。あのお話は、あれで終わりだと思います」

「…でも、…でも複雑よ!わかるでしょ?!」

「ま、まあ…」


はあ…と何度目かわからないため息をついて、ロゼはふらふらと歩き始めた。エルは、そんな彼女の後を追いかけた。










彼の国から、ミシェルの婚約者である王子がミシェルに会いにこの城にやってくる日が来た。

その日は王子を歓迎する食事会の準備のために、前日の早朝からエルたち使用人は忙しくしていた。

エルは掃除担当のため、いつも以上に念入りに掃除をさせられた。前日の早朝からしていた掃除を、当日の早朝もひたすらにさせられた。


食事会が無事終わった後の休憩時間に、配膳などを担当して食事会の会場に行った使用人たちは、うっとりとした様子で彼の国の王子のことを他の使用人たちに話し伝えていた。


「笑顔がとってもお優しそうで」

「背がうんと高くて、足が長くって」

「話し方も穏やかで、とても聡明そうだったわ」


彼の国の王子をこの目で見た使用人たちの話を、他の使用人たちが目を輝かせて聞いている。エルは楽しそうに話している彼女たちからは距離を取ったところで、本日初めての食事を取っていた。


「美男子の話になにをあんなに喜んでいるんだかね」


食事を持ってきたネルが、そういいながらエルの隣に座った。エルはそんな彼女を意外な気持ちで見上げた、

ネルの言葉に、あら、と彼の国の王子の話に花を咲かせていた使用人たちが彼女のほうを見た。


「ネル、あなたこそ噂話大好きじゃない」

「だれの顔が綺麗だとか、そんな話は興味ないね。そいつがどんな不倫をしただとかなら聞きたいけどね」


ネルはそう言ってくつくつと笑う。そんなネルに、いやあね、と彼女たちは笑う。


「彼の国の王子様、そんな様子ちっともなかったわよ?ミシェル様に一途だったみたいだもの」

「へえ、それは随分胡散臭いね」

「ええ?」

「なんでもかんでも、そういう出来過ぎてるのが一番胡散臭いんだよ。…というか、顔のいい男なら、この城の王子たちで見慣れてるだろ?」


ネルの言葉に、見慣れるほどお見かけすることはないけど…、と使用人たちは呟く。


「それは、お顔の美しさでいったら彼の国の王子にまったく負けていないけど…」

「…でも、ここの王子たちって、その…」

「癖があるというか…」

「爽やかさとは無縁というか…」


使用人たちは口々にそういった後、お互い顔を合わせて、ねえ、と苦笑いをしあった。その後、そういえばこんなことを仰ってたわ、と彼の国の王子の話を再開した。


「ああ、ミシェル様が羨ましいわ。だって、そんなお方と結婚できたら幸せになれるに違いないんだもの」


ねえ、と彼女たちは羨ましそうにそう言い合う。エルはそんな彼女たちの方は見ずに、黙々と食事を口に運んだ。


「だってさ、よかったね。お部屋担当としては一安心じゃない?あんた、謎にあの姫に入れ込んでたし」


ネルはそうエルに話しかける。しかしエルは、彼女の言葉には答えずにただ食べ続けた。ネルはエルを横目で見たあと、ふうん、と呟いた。


「幸せになれないって、あんたは思ってるわけ?」

「…」


エルはゆっくり食べ物を咀嚼したあと、静かに飲み込んだ。喉を流れていく食べ物が、変なふうに支えて少し苦しい。


「…私は祈るだけ。ミシェル様が幸せになりますように、って」

「…」


ネルはエルのほうを黙ってみた。しかし何も言わずに、ネルは食事を続けた。

すると、外から来た使用人がエルのもとへやってきた。そして、ロゼ様がミシェル姫のお部屋に来てほしいって、と話しかけた。エルは食事を中断すると慌ててミシェルの部屋へ向かった。








「ごめんなさいね、ドレスの片付けがなかなか終わらなくって」


ロゼはドレスで散らかった部屋を片付ける手を止めずにエルに言った。エルは、さまざまなドレスで埋もれる部屋に少し驚く。


「…す、すごいことになってますね……」

「今日ミシェル様が着るドレスはずっと前から決めてたのに、今日招待された貴族の御婦人達が突然、やっぱりこっちのほうが…とか言い始めて収拾がつかなくなっちゃって…」


ロゼは苦々しそうにそう言ったあと、ミシェル様も早くお休みになりたいだろうし、急いでもらってもいいかしら、とエルに言った。エルは、寝室のソファで、疲れたのか座ったまま寝ているミシェルをちらりとみたあと、はい、と頷いた。


「私、今日のことで色々と報告しに行かなくちゃいけないから、少し部屋を出るわね」


ロゼはそう言うと忙しそうに部屋から出ていった。エルはロゼに言われた通り、急いで散らかったドレスを片付けていく。


大量のドレスをほとんど片付け終えた後、エルは、ミシェルのそばにも装飾品が落ちていたのに気が付き、それを拾いに行った。その時、ゆっくりとミシェルのまぶたが開いた。


「…エル…お姉様…?」


ぼんやりとした瞳で、ミシェルがエルを見た。エルはしゃがんだ体勢のままミシェルを見あげて、い、いえ…と頭を振った。


「私は、エリィです、使用人の…」


エルの言葉を聞いて、ミシェルははっと息を呑んだ。


「…なんだ…、夢かと思った…」

「…夢?」

「…時折見るのよ、エルお姉様の夢を」


ミシェルのその言葉に、エルは胸が詰まる。前にクリスタル侯爵が、エルが死んでからさらに彼女が塞ぎ込んでしまったという話を思い出して、息をするのも難しいほどになる。

ミシェルは部屋を見渡すと、もう片付いたの、とエルに尋ねた。エルは、はい、あの、もう少しです、と返した。ミシェルは疲れた顔のまま、暗い表情で、そう、と返した。


「なるべく早くして頂戴ね」

「は、はい、かしこまりました」


エルはそう言うと、落ちていた装飾品を拾って立ち上がった。そして、残った片付けを再開しようとミシェルに背中を向けた。


「ねえ」


ミシェルはエルに話しかけた。エルは少し肩を震わせたあと、ミシェルの方に体を向けた。ミシェルはじっとエルの方を見あげていた。


「あなたも私が幸福だと、そう思う?」

「…え?」

「みんな私を幸福だという。大きな国の素敵な王子様に見初められたって。物語みたいな素敵なお話だって」


ミシェルはそう言うと、ソファからゆっくり立ち上がった。そして、自身の本棚にある本の背を指でなぞった。ぼんやりと背表紙を見つめながら、ミシェルは本と本の間に指を滑らせた。そして、そこから一通の手紙を取り出した。それを見てエルは、あのときの手紙だとすぐに察した。


「みんなが思う幸せが私にとってもそうだなんて、どうしてみんな決めつけてしまうの」


ミシェルは、手に持った手紙をグシャリと両手で握りつぶした。そして、しわのついたその紙を細かく指で割いた。破られた手紙の残骸が、ミシェルの足元に散らばる。エルは黙って彼女を見つめる。


「私、幸せになんかならないから、絶対に」


ミシェルは、彼女の純粋な思いを書きためた塊の最後のひとかけらを床に落とした後、そう低い声で宣言した。

ミシェルはソファーに再び腰掛けて、クッションに顔を埋めた。



エルはじっとミシェルを見た。幼い頃からずっと、彼女は自分の思いを言えなかった。いや、正しく言えば、言うことができなかった。周りは彼女をたった一人の姫として可愛がったけれど、それと並行して、彼女に正しい姫の姿を要求し続けた。彼女らしさが周りの思う姫の姿から逸すれば厳しく正された。彼女はいつしか、自分自身を外に出せなくなった。


「(…そんな彼女があんなことをするのに、どれだけ勇気がいったことだろう)」


エルは、あの日クリスタル侯爵に胸の内を明かした彼女を思い出す。きっとあれが彼女にとって最初で最後の告白であろう。それすらも払い除けられた。クリスタル侯爵からしたら、それが彼女のためになることだと思ってのことだ。しかし残酷にもそれは、正しい姫の型から出ようとした彼女をまた正しい型に押し戻す行為にほかならない。


「(…もしも彼女が姫じゃなかったら、もしかしたら叶うかもしれない恋だったのだろうか)」


エルはふとそんな事を思う。周りの目がなければ、世界が2人に何も言わなければ、そうしたら。


「…」


エルはミシェルの破いた手紙を一つ一つ集めた。そして、自分の手に集まったミシェルの手紙を見つめる。

こんな時でさえ、エルはミシェルに掛ける言葉が見つからなかった。亡霊として生きながらえているだけの自分に、一体何が言えるのだというのだろうか。昔、まだエル・ダニエルという人間が生きていた頃、エルはよくミシェルを抱きしめていた。そんなことを、今なぜかエルは思い出してしまった。

その時、エルは集めた手紙をぎゅっと手のひらに収めると、咄嗟にソファーに座るミシェルを抱きしめた。

ミシェルは突然のことに驚くと、何をするの、と動揺した様子でエルの腕から逃れるようにもがいた。しかしすぐに、彼女は動きを止めた。誰も何も言葉を発しない、静かな時間が2人の間に流れる。


「…」


ミシェルは短い呼吸を繰り返して、華奢な肩を揺らした。エルは彼女を自分の胸の中に包み込む。あの頃、貴族だった自分がミシェルにそうしていたように。

ミシェルは静かな嗚咽を漏らした。エルは優しく彼女の背中を擦った。ミシェルはエルの腕の中で肩を震わせて泣いていた。エルは彼女が泣き止むまで、ただただ彼女を優しく抱きしめていた。それが自分のできる精一杯だったからだ。










とうとう、ミシェルが彼の国へ嫁ぐ日がやってきた。エルはロゼとともにミシェルが必要とする私物を引っ越しの荷物に入れ忘れていないかの確認をしていた。ミシェルはというと、ソファーに座ってぼんやりと窓の外を見ていた。外は皮肉にも、雲一つない青空だった。


「…うん、大丈夫そうね」


ロゼは何度も何度も確認した後、そう呟いた。そして、ミシェルの方へ向かった。ロゼはソファーに座るミシェルを見て、一瞬だけ何とも言えず寂しそうに眉を歪めた後、すぐにいつもの笑顔を見せた。


「それではミシェル様、馬車も待たせておりますし、ゆきましょう」


ロゼの言葉に、ええ、と言ってミシェルは立ち上がった。そして、ロゼの方を見た。


「ロゼ、…長い間お世話になりました。あなたが私のことを一番に考えてくれていました。…本当にありがとうございました」


ミシェルはそう言ってロゼの手を取って、自身の両手で包んだ。ロゼはミシェルの言葉にとうとう口元をゆがめた。そして、こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、ミシェル様…と呟いた。


「…どうか彼の国へ行かれてもお幸せに。遠く離れた地から、ロゼはミシェル様の幸せを願っておりますから」

「…ロゼ…」


ミシェルはロゼに小さく微笑むと、彼女に別れの抱擁をした。ロゼはミシェルに頬を寄せると、とうとう涙を頬にこぼした。エルは、そんな2人の姿を見て目の奥がじんと痛むのを感じた。

ミシェルはロゼからゆっくり離れると、次はエルの方を見た。エルはミシェルに頭を下げた。ミシェルはエルの方にゆっくりと近づいた。


「…ねえ、エリィ…だったかしら」

「は、はい」

「…もう一度、私を抱きしめていただけるかしら」


ミシェルはそう、少し恥ずかしそうに言った。エルは予想外の彼女のお願いに目を丸くした。


「私が…ですか?」

「ええ。あなたとっても、…私が大好きだった方に似ていらっしゃるから」


ミシェルはそう言うと、寂しそうに少しだけ微笑んだ。エルは胸が締め付けられる思いで、唇を緩く噛んだ後、もちろんです、とミシェルに笑顔を見せた。そして、エルはミシェルを抱きしめた。ミシェルはエルの首に腕を回すと、エルの頬に自身の頬を寄せた。エルは、国の為に生まれた地から遠く離れたところへ行かなくてはならない彼女を思った。自分には何もできないけれど、それでも彼女には絶対に幸せになってほしいというもどかしい気持ちに胸が苦しくなる。


「(……どうか、どうかお健やかに…ミシェル様……)」


エルは、そう心のなかで祈った。ミシェルはエルの体から顔を上げると、エルの手からゆっくり離れていった。ミシェルはエルと目を合わせると、穏やかに微笑んだ。そして、ロゼと一緒に部屋から出て行った。扉の閉まる音と同時に、もう主のいないこの部屋でたった一人にされて、エルはとうとう涙を一粒こぼした。


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