7 お姫様は王子様の夢を見る2
エルは、ミシェルの部屋の掃除を他の部屋担当の使用人とともにしていた。
ロゼはあの一件から心ここにあらずという様子で、ミシェルに自分の父親とのことを聞き出したい様子ではいたけれど、そんなことはできず、どこかじれったいような、そして、もしも本当に自分の父親と恋仲だったらと思うと気が気でないような様子でいた。
エルがミシェルの部屋のテーブルの上を片付けていると、なにかの間に挟まっていたらしい紙がひらりと床に落ちたのて、それを拾った。手に取るとどうやらそれは便箋のようだった。宛先には、アッシュ・クリスタルと書いてある。
「(アッシュ・クリスタル……)」
名前には聞き覚えがなかったが、ファミリーネームにはエルは聞き覚えがあった。エルはぱっとロゼの顔が浮かび、もしかしてロゼの父親に宛てたものでは…と察し、とっさに裏返してテーブルの上に置いた。
「……その手紙」
声がして、エルは飛び上がりそうになった。恐る恐る振り返ると、そこには、隣のスペースでお茶をしていたはずのミシェルがいた。エルは恐る恐る振り向いた。ミシェルは、手紙を見られたかもしれない焦りの表情を浮かべていた。エルは頭が真っ白になりながら頭を何度も横に振った。
「わ、私、何も見てません…」
「……それは、何かを見た人の台詞よ」
ミシェルがほんの少しだけ呆れたように言った。エルは動揺から目を泳がせた。ミシェルはエルがテーブルに置いた手紙を持つと、眉をひそめてエルを睨んだ。
「絶対に、誰にも言わないで」
ミシェルが凄む様子に、以前よぎった予感が本当のものになったのをエルは感じた。エルはミシェルの言葉に黙って頷いた。ミシェルはエルから視線をそらすと、先ほどいた場所へ戻っていった。エルは、とりあえず手紙の件は不問になったことに安心したあと、ロゼの心労を思ってため息をついた。
「…いや違うわ…そんなわけないわ……」
ロゼから手伝いを頼まれたエルは、彼女と一緒に廊下を歩いていたけれど、その間終始ロゼはぶつぶつと何かをつぶやいていた。エルは、ミシェルに口止めされたからということ以前に、こんな状態のロゼに、ミシェルがロゼの父親に手紙を宛てていたことなど話せるわけがなかった。
すると、前方からアランが歩いているのが見えた。エルとロゼは廊下の端に寄って彼に道を開けた。アランが二人の前を通り過ぎようか、というときに、ロゼの、あっ…!と言う声がした。何事かとエルが彼女の方を見た瞬間、ロゼがエルとアランの腕を引いてしゃがんだ。エルは、ロゼのした行為が信じられずに顔を青くする。ロゼはしゃがんだエルの隣で、そっと窓の外をのぞき見た。エルは自分の隣で素直にしゃがむアランを見て、ろ、ロゼ様…!と顔を青くしながら彼女に話しかけたけれど、ロゼは、しっ!と口元に人差し指を立てた。エルはぐっと口をつぐんだ。
エルはロゼが一体何を見ているのかと、そっと窓から外を確認した。この窓からは中庭の様子が見えた。そこには人影が二つだけあった。廊下にもエルたち以外には誰にもいなかった。中庭の人影に、エルは目を丸くした。そこには、ミシェルとロゼの父がいたのだ。
「いやあ姫、ご結婚が決まりそうで、何よりですな」
はっはっはっ、と快活にロゼの父であるクリスタル侯爵がミシェルに話していた。それを聞くと、先ほどまでの嬉しそうなミシェルの瞳から、光が消えた。そんなミシェルには気が付かずに、クリスタル侯爵は感慨深げに話を続けている。
「姫のことはほんに小さい頃から見守り申し上げてきましたから、こんなにご立派になられて、本当に嬉しく思います」
クリスタル侯爵は、そう慈愛に満ちた瞳でミシェルを見つめる。彼は昔、一時期だけ家庭教師をしていたとロゼが言っていたから、その分感慨深いのだろう。
クリスタル侯爵の様子から、エルは、彼にミシェルへ恋愛感情などないことを悟る。
一方ミシェルは、クリスタル侯爵の自分を子供扱いする様子にどんどん表情を暗くする。
クリスタル侯爵は、さて、そろそろ私は失礼いたします、とミシェルにお辞儀をした。すると、ミシェルはそんなクリスタル侯爵に抱きついた。
「!!!!」
その光景を見たミシェルは顔を青くして、その場に倒れそうになった。エルは慌てて彼女の肩を支えた。
ミシェルはクリスタル侯爵の胸に顔をうずめると、私、お嫁になんか行きたくありません、と声を絞り出した。クリスタル侯爵は、え?と少し目を丸くした。ミシェルは顔を上げると、懇願するようにクリスタル侯爵の目を見た。
「おじ様、わたし…わたし、お嫁になんか行きたくない。外国になんか行きたくない。この国に、おじ様のおそばに、…いたいんです……。おじ様のことが、私、わたし…好きなんです……」
ミシェルはそう、大きな瞳に涙をためながら言った。そしてまた、クリスタル侯爵の胸に顔を埋めた。震える華奢な肩に、クリスタル侯爵はそっと手を置いた。
ロゼは、あっ、あっ…、と泡を吹きそうなほど顔を白くしていく。エルは、ロゼの背中を擦り、し、しっかり…!お気を確かに…!とロゼを励ました。
クリスタル侯爵はミシェルの肩に手を置くと、優しく自分から彼女の体を離した。そして、優しい瞳でミシェルを見た。
「ミシェル様、貴女は昔から内気なお嬢様でした。姉と慕っていたエル嬢がいなくなってから、アラン殿下がお心を壊されてから、さらに輪をかけて自分だけの世界に引きこもってしまっていた。だから貴女はずっと、周りを知る機会を逃していました。外には貴女のまだ知らないたくさんの素敵なことがある。まぶしいほどの未来がそこにはある。老い先短い私では、貴女と一緒にそこへは行かれない」
クリスタル侯爵は、ミシェルと目を合わせると、優しく目を細めた。目尻には年を感じるしわが寄っている。ミシェルは、そんな彼を見つめながらまた大粒の涙をこぼす。
「ミシェル様のお相手はとっても素敵な方だとお伺いしております。そんな方ならきっと、貴女と素敵な未来を歩んでくださる。そのお方とたくさんの新しい、眩しいことを体験してください。こんなジジイのことなんか覚えている余裕なんてないくらいにね。離れてしまっても、ミシェル様はいつまでも私の可愛いもう一人の娘です。…なんて、とんでもなく厚かましいですな」
はっはっはっ、とクリスタル侯爵は快活に笑うと、ミシェルの肩から手を離して、彼女からさらに距離を取った。そして、深々と頭を下げた。
「どうかお幸せに。爺は遠くから姫の幸せを祈っておりますゆえ」
クリスタル侯爵の言葉を聞いて、ミシェルはぽたぽたと涙をこぼしたあと、何も言わずに彼に背中を向けて去っていった。ミシェルの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、クリスタル侯爵はこの場を後にした。
「(…ミシェル様がこの縁談に乗り気じゃなかったのは、ロゼ様のお父様に思いを寄せていらっしゃったから……)」
以前浮上した疑惑が確信に変わり、エルは動揺した。
事の一部始終を見終わったロゼは、へなへなとその場にお尻を床につけて座り込んだ。
「…父が、ここで受けるような人じゃなくてよかった…いえ、疑っていたわけではないけれど……」
ロゼは放心状態でそう呟いた。エルが、お、お水でも持ってきましょうか?と声をかけたけれど、結構よ…とうわ言のように呟くと、ふらふらとロゼはどこかへ行ってしまった。
「あ、あの、私に頼みたい用事って……」
ロゼの背中にエルは話しかけるけれど、今の彼女に聞こえるわけがなく、ロゼの背中は消えてしまった。
「…ミシェル様…」
エルは、思いを伝えたけれど通じなかったミシェルの涙に胸を痛める。妹のように大切に思ってきた彼女だからこそ、幸せになってほしい。けれど、彼女の思い人が父親と言ってもおかしくない年齢の男性というところに、エルはどうしても素直に応援ができない。
エルは、はあ、とため息をついた。その時にはっと、隣にまだしゃがみ続けるアランの存在を思い出した。
エルはしゃがんだまま、顔を青くしながら、た、大変失礼いたしました…とアランに頭を下げた。
「……ふっ」
すると、アランが噴き出した声が聞こえた。エルははっとして顔を上げたけれど、見えたのはいつもの無表情なアランの顔だった。しかしエルはアランが笑ってくれた事実が嬉しくて目を輝かせた。
昔はよく笑う人だった、とエルはアランのことを思い出す。彼の体が弱かった頃、エルは毎日のようにアランの部屋へ足を運んでは、自分の話したいことを好きなように話していた。アランはエルの話にいつも笑って聞いてくれていた。その笑顔がどこか寂しそうで、一度理由を聞いたことがあった。そうしたら、アランはこう答えた。
「見捨てられたらどうしよう、って思って」
エルは、記憶の中のアランの言葉にはっとする。その話を聞いた当時のエルは、特に深く考えず、そんなわけありません!と否定した。そんなエルをみて、アランは嬉しそうに笑っていた。
あの頃よりも大人になった今、エルがいつ彼の部屋へ行っても、ミシェル以外の他の誰かが、母親ですら彼のもとを訪れる姿をみたことがなかったことを、改めて思い出す。
「(…病弱だった彼に、周りは何の期待もしていなかった。誰にでも明るくて優しいアラン様だったけれど、心の何処かで誰にも見向きもされなかったことに苦しんでいたのだろうか)」
エルは、ふとそんなことを考える。もしも彼がずっと、あの日の能天気にも思えるエル・ダニエルのことを心のよりどころにしていたのだとしたら。
婚約破棄のための手紙を送ったあと会いに来てくれたあの日のアランが、捨てないでとエルに懇願してきた本意を、エルは少しずつ理解しては胸が痛む。
「(……それなのに、私は逃げた…)」
エルは胸の奥が苦しいほど痛んで、目を伏せた。
「…なんだ」
アランが、そうエルに尋ねた。エルはアランの方を見た。表情のないアランに、エルはまた胸が痛む。
アランの笑顔が見られて嬉しかった。
そんな本音が浮かぶけれど、しかしエルは、いえ、と頭を振って頭を深々と下げた。
「大変申し訳ありませんでした、ロゼ様も、お父上のことがあまりにも衝撃的で、だから動揺のあまりこんなことをしてしまったのだと思います。どうか、お許しを…」
本音など今のアランにエルが言えるはずもなく、だたただロゼの無礼を代わりに謝罪した。
アランは何も言わずに立ち上がる。エルはその後に続いて気まずい気持ちで立ち上がった。
すると、何をしている、という声がした。エルが声の方を向くと、ラインハルトとエドワードがいた。エルは慌てて立ち上がって頭を下げた。エドワードはそんなエルには見向きもせずにアランの方へ向かった。
「おい、会議にも出ないでなにをやってるんだ」
エドワードはそう咎めるようにアランに言った。するとラインハルトが、まあまあ、とエドワードをなだめた。
「アラン、虫でもいたのか?バッタか?蝶々か?どれ虫かごを持ってこさせよう」
「…子供扱いしすぎだろ。というか、アラン小さい頃からは虫はとくに好きじゃないだろ」
「ん?そうだったか?虫好きはエドワードか」
「俺は大嫌いだ!」
ラインハルトとエドワードの言い争いを横目に、アランは無言でこの場から去った。エドワードはその背中に、何かを言いかけたあと、はあ、とため息をついた。
「…ったく…ああもう、ミシェルの結婚も問題ばかりだというのに、あいつはいつまでもいつまでも…まったく…」
エドワードがぶつぶつと独りごちた。ラインハルトは、まあまあ、と笑いながらエドワードの背中を叩いた。
「彼の国の王子をみたか?めっちゃハンサムだったぞ!俺ほどじゃないがな。それに頭もいいらしい。俺ほどじゃないが。ミシェルは幸せになるぞ!間違いない!」
「…本人は幸せじゃなさそうだがな。周りの貴族たちに押し切られて、兄上にも押し切られて」
「あいつはいつもああいう顔じゃないか。それに押し切るとは何だ。兄としてミシェルにとっていい話を進めているだけだ。それに彼の国はこの国よりかなり大きいんだ、そんな城での生活、楽しそうじゃないか」
「……ミシェルもこの兄上みたいに少しは楽観的にすれば多少は生きやすいだろうに…」
「そうだぞエドワード、お前もだぞ」
「……」
エドワードは呆れた顔で歩きだした。すると、ラインハルトがようやくエルに気がついて、あれ、と首を傾げた。
「そういえばお前、さっきアランと何かを話していたな?」
「えっ」
「何を話していたんだ?…というかお前、前も会ったな?ん?誰かに似ていると前も思ったな?んん??」
ラインハルトにまじまじと見られて、エルは背中に冷や汗を伝わせた。エドワードは、呆れたため息をついたあと、なぜアランがこの使用人と会話することがある、と言った。ラインハルトは、え?と顔を上げた。
「でも、なんか話してたぞ」
「見間違いだろ。そんなことあるわけがない」
「そうか?…まあ、そうか」
ラインハルトは少し納得がいかなそうな顔のまま、エルのそばを離れた。エドワードもラインハルトに続いて歩き出した。エルは、それ以上は追求されなかったことにとりあえずほっと胸を撫で下ろした。




