6 令息はご機嫌斜め3
一日の仕事が終わり、エルは就寝の時間になる前に、部屋の外に出て夜空を見上げていた。エルは静かな夜風を体に当てながら、ただ地面に座って黙っていた。
すると、背後から背中を軽くたたかれた。顔を上げるとネルがいた。
「…ネル」
「やあ。まだ寝ないの?」
「うん…もう少し」
エルはそう言ってまた星を見上げた。ネルはそんなエルを少しの間見下ろしたあと、ゆっくり隣に座った。
「せっかく仕入れてきた不倫話、面白くなかった?流れが完璧だったでしょ?」
「え?」
「夕食の時、エルだけだったけど、笑ってなかったの」
「…私、あんまりああいう話は得意ではなくって…」
「ケッペキね、あんたって人生つまんなさそう」
ネルの指摘に、エルはなんとなく腹が立って黙り込む。そういう尾ひれがついた噂話に苦しめられる人がいることを、彼女はわからないのだろうか。苦しめられる人のことを、一時の退屈しのぎのための消耗品だとしか考えられないのだろうか。
エルは、しかしこの苛立ちをネルに説明できず、もどかしくて彼女からそっぽを向いた。ネルは、ガキみたいじゃん、とそっぽを向くエルを笑った。
「(…苦手…苦手苦手苦手……!)」
「で、なんかあった?」
ネルは、そう素っ気なくエルに尋ねた。エルは、なんでもないわ…、とそっぽを向いたまま返す。ネルは、嘘つくなって、と軽く笑う。
「悩み事は人に話したほうが楽になるよ?もしかしたら有用なアドバイスももらえるかも」
「…あなたに言ったら面白おかしく言いふらされるわ」
「エリィみたいな地味でつまらなさそうな奴の噂話なんて、誰が興味もつのさ」
ネルの正論に、エルは図星のために言葉を詰まらせる。そして、今一度ネルからそっぽを向いた。
「…放っておいてください。もう寝たら?明日も早いわよ」
「大丈夫、あんたが黙っててほしいなら黙ってるから。存外口、堅いんだから」
「…」
「ほら、どうせ他に言える人なんかいないんでしょ?」
ネルにそう言われてエルはさらに傷ついた。エルはしばらく考え込んだあと、はあ、とため息をついた。そして、詳しく話さなければ良いか、と思い直すと、ネルの方をちらりと見て、それからぽつりぽつりと話し始めた。
「…家に、帰ろうかと思って」
「え?そうなの」
ネルは大丈夫?と尋ねた。エルは、なにが?と聞き返す。
「帰るお金あるの?あんたの家ってここからかなり遠くなかった?」
「ああ…あるんだ」
「嘘。まだここにきて数カ月じゃん。ついこの前に遠出して使ったのに?」
「う、うん…」
「…怪しいお金の出処は聞かないといけないよ」
「ぬっ、盗んだりなんかしてないわ!」
「…まあ、あんたが盗みをするなんて思ってないけどさ。資金提供者が誰かいるのかって聞いてるの」
「し、資金提供者?」
「前に第三王子にお菓子もらってたから」
ネルに探られて、やはりあのことは怪しがられていたのか、とエルは思った。エルは、そんな人いないよ、と頭を振った。ネルは、ふうん、と言うと少し黙り、それからエルの背中を軽くさすった。エルは、ネルの方を驚いた瞳で見た。
「何かあった?」
ネルにそう聞かれて、エルは、いつになく優しい彼女の口調に目元が緩みそうになった。滲む視界に、エルはさっとネルから視線をそらした。こんなに苦手な人なのに、なぜ今、こんなに優しい声を出すんだと、エルは心の中で彼女を恨んだ。エルはしばらく自分の膝を眺めていたら、溜まった涙が一粒こぼれた。それと同時に、ほとんど無意識にネルに話し始めていた。
「私、ずっとね」
「うん」
「…私、…いなくなりたいって、思ってたんだ。自分なんか消えてなくなったらいいのに。そうしたら、周りの人は楽になって、世界は今よりもっとうまく回っていくようになるんだって。消えたら、そうしたら私の苦しいことも悲しいこともなくなるんだって」
「うん」
「ずっとそう思っていた時のことを、…急に、思い出したんだ」
「誰かに何か言われた?」
「…」
エルが何も言えなくなると、ネルはそれ以上何も聞かなかった。しばらく二人の間に沈黙が流れた。夜風が髪を揺らし、エルの濡れた目元にはひやりとした風が吹き付ける。
「…人が一人死んだくらいで、世界はなんにも変わってくれないよ」
ネルはそうゆっくりと話した。エルは、ネルの方を見た。
「家族が…死んだ時、そうだった。周りはいつもと変わらない日常を繰り広げてた。残酷なくらい正確に時計は回って、周りの人間は無情に思えるくらいに普通だった。私はたった一人残されて途方に暮れてたけど、その周りの流れに乗るしかなかった。人が死んでも世界は回るし、あんたが一人いなくなったって何にも変わらない」
ネルはそう言うとエルの方を見た。
「だから、マイナス方向に自意識過剰になんなって。自分なんか世界から見たら大したことないんだから。それに、そんな状況でいなくなったら、自分にとって敵みたいなやつに塩を送ることになるじゃん。私なら意地でも居座ってやるけどね」
ネルはそう意地悪そうな顔で言った。エルはそんなネルの顔を見て少し目を丸くしたあと、自然と口元が緩んだ。ふいに、エメラルドに言われた言葉をエルは思い出した。自分で自分を必要以上に悪者にしてはいけない。遠い地にいる彼女のことを思い出すと、エルは息を吸って、先ほどまでとは少し違う気持ちで空を見上げた。
すると急に、エルはヴェルドに対して怒りが湧き上がってきた。
「(……あの、森羅万象全て私に原因があるみたいな言い方……)」
エルは、腹の底から湧き上がる不満がふつふつと煮えてくるのを感じた。そもそもあの当時、自分はそこまで悪かっただろうか。エル自身が思考停止して、現状の改善のために試行錯誤することを怠っていたことは認める。けれど、原因はほかにもたくさんあるのではないだろうか。
「(…そう、アラン様。アラン様が私に執着しなければ済んだ話でもある)」
エルはアランの顔を思い出して苛立ちをぶつけたくなるけれど、しかし、自分のことを失ってあそこまで変貌してしまった彼の気持ちを思うと、なんとも責めにくい気持ちになる。
「…そう言えばさ、聞いた?もうすぐ城で舞踏会があるらしいよ。あの第三王子の婚約者探しが主目的の」
どうなるんだかね、と面白おかしそうにネルが話す。エルはネルの言葉に、ラインハルトが確かにそんなことを言っていたと思い出す。
「(…その婚約者探しのパーティーで結婚相手を見つけてもらって、早く私のことを断ち切ってもらえばいい。それを見届ける。私は、アラン様が立ち直るところを見届けるためにここまで、自分の意思で来た。誰かに言われてすごすごと帰りたくない)」
エルは、よしっ、というと立ち上がった。ネルは驚きながらまばたきをして、急に立ち上がったエルを見上げた。
「ありがとう、ネル、私ここで頑張ってみる!」
「お、おう…」
ネルはよく訳がわからない顔でエルを見つめた。エルは気合いを入れるために息を吐くと、今一度、よしっ!と声を出した。
「あなたのこと、私、もしかしたらそんなに苦手じゃないのかもしれない」
エルの言葉にネルはぽかんとして口を開けた。エルはネルにお礼を言うと、その場から去って自分の部屋に戻った。
エルはその翌日、城内をひたすら歩き回っていた。あとでメイド長に叱られることになるかもしれなくても、それでもしょうがなかったのだ。エルは血眼になってとある人物を探した。
すると、ようやくその人物を見つけることができた。ヴェルドである。彼はハロルドとフィリップスと一緒に何やら会話をしている。エルはその話が終わるのを、三人からすこし離れた場所で見ていた。すると、エルに気がついたらしいフィリップスが、やあ、と気さくな笑顔を見せた。
「君は、エリィじゃないか。どうしたの?どうしてここにいるの?」
彼に会うのは、村での演習以来だった。エルは、ここで働かせていただくことになったんです、と返した。フィリップスは、へえ、と目を丸くした。
「マイクの話、受けたんだ。そっか。ねえどう?ここでの生活は。慣れた?」
エルとの会話を続けるフィリップスを押しのけて、ハロルドが威圧的な態度でエルを見下ろした。
「下働きの女と気安く話すな。エリィだったか?今取り込み中だ。さっさとお前の仕事にもどれ」
「待ってよハロルド。彼女、私たちの中の誰かに用があったんじゃない?」
「はあ?そんなわけないだろ。なんで下働きの女が俺たちに話すことがある?」
ハロルドがフィリップスの言葉を鼻で笑った。エルはそんなハロルドに何も言えないまま、視線だけヴェルドに移した。ヴェルドは、相変わらずの冷たい目でエルを見ていた。フィリップスは、視線が絡み合ったエルとヴェルドを見ると、あれ?と呟いた。
「ヴェルドに用があるの?」
「なわけないだろ」
ハロルドが呆れたようにため息をついた。
「レグラス家の嫡男だぞ?今後国の中枢で舵取りを任せられるようなお方だ。そんな方がこんな下働きの女に…」
「いいだろう。こっちに来い」
ヴェルドはそう言うと、話はあとだ、と二人に言い残し歩き始めた。ハロルドは、えっ?と素っ頓狂な声を上げて、ヴェルドとエルを何度も順番に見た。
エルは唇をかみしめて意を決した後、ヴェルドのあとに続いた。
人気の無い廊下に来ると、ヴェルドは立ち止まった。そんな彼を見て、エルも足を止めた。
ヴェルドはいつもの顔でエルを見下ろすと、なんだ、と口を開いた。冷たい声だった。
「俺は暇じゃないんだがな」
「……」
エルはポケットから小袋を取り出した。それをヴェルドに差し出した。ヴェルドはエルの目を見たあと、その小袋を受け取った。そして、中身を確認した。中に入っていたものを見て、ヴェルドは不機嫌そうに眉を上げた。
「…これは、お前が帰るための旅費だと言ったはずだが?」
「それをお返ししているんです」
エルは、まっすぐにヴェルドを見た。ヴェルドは、前回あれほどの言葉を投げかけた彼女が、こんなふうにまだ自分に立ち向かってきたことか信じられず、少しだけ動揺した。エルは、そんなヴェルドの動揺を察しながら、まっすぐに彼を見つめながら言葉を続けた。
「私は、どうせ死んだなら、幽霊みたいにこの世を這えるのなら、自分の意志を持って生きたいと思ったんです。自分の思うようにしたいって。私はあの頃、周りからの視線に萎縮して、自分の意志が持てなかった。でも今は違う。私はここに、自分の意志で来たんです。だから自分の帰りたい時に、自分の力で帰ります。私は、アラン殿下が立ち直る時を見届けるためにここへ来たし、私にできることはなんでもするつもりです。あなたに何を言われても関係ありません」
エルは、言った……、と心の中で呟き、緊張していたのが急に力が抜けそうな気持ちになった。
ヴェルドは、また目を丸くしたあと、眉を吊り上げてエルを睨んだ。
「…平民生活で、舐めた口の聞き方を覚えたみたいだな」
「な、舐めた口って…」
「そもそも、お前の正体が広まったら、今度こそ殺されるかもしれないぞ」
「私の葬儀はもう済んだと聞きました。お墓ももう作っていただいている。私が私である証拠なんてない。実は私が貴族の地位を捨てて平民として生きていたなんて、誰も思わないでしょう」
「…」
「それに、…本来ならあの時死んでいた命です。そう思えば、怖くない…ような、怖いような……」
急に、エルは語気が尻すぼみした。ヴェルドはそんなエルに、少しあきれたような顔をした。
「命が惜しいくせに、なぜここにいることを選ぶ?」
「……」
エルはヴェルドを見上げた。ヴェルドの赤い瞳が、今は少しだけ冷たくないような気がした。エルは目を伏せて、それは…と言葉を探しながら、エルは、自分の本当の気持ちも探した。ずっと、自分の気持ちを覆い隠して生きてきた彼女だったから、胸の奥深くに眠っている感情を呼び起こすような、そんな感覚だった。
エルはゆっくり呼吸をすると、ヴェルドを見上げた。
「…あの日、逃げたことを負い目に感じている…からだと思います」
「…」
「私はあの時、自分の家に戻ることだってできた。でも、しなかった。あなたは信じないかもしれませんけど私、逃げた先で本当に幸せに暮らしていたんです。優しい人と…、大切に思える人と出会えたから。だからこそ、久しぶりに会ったあの人を見て、罪悪感がした。あの人は確かに私のことを思ってくださっていたのに、私はそんな人を置いて、自分だけ幸せになろうとしていることに、…耐えきれなかったんです。もし私にできることがあるのなら、…何もできなかったとしても、それでも、何もせずにはいられなかったんです」
エルはまた、言えた…と思った。本心はこんなにも熱く、そして、自分を自分たらしめてくれるものだと、エルは思う。
ヴェルドは、動きを完全に停止した。これまで彼が見てきたエル・ダニエルという人間とは全く違う女性がそこにいたからである。自分の考えを述べず、波風を立てないように周りに合わせていた少女はもう、そこにはいなかった。
ヴェルドは、先ほどエルが言ったことを少しずつ咀嚼すると、怒りに震える肩で、ずんずんとエルに近づいて睨みつけた。
「お前、平民の分際で何を言ってるのかわかってるのか?それともなんだ?今更戻ってきて、自分の正体を明かしてアランと結ばれようとしているのか?あ?そんな減らず口を叩く女をアランが気に入るとは思えないがな!!」
「ちっ、違いますよ、そんなこと考えてません!話が飛躍しすぎてます!私はただ、あの人のあの姿を見ていられなくて、だから、自分にできることをしたくて、」
「お前にできることなんてないと思うがな」
「…」
エルは、う、と言葉に詰まる。ヴェルドはそんなエルを一瞥したあと、わかった、と言った。
「お前のできること、とやらをしたらいい。ただし、効果がないと判断したら即帰ってもらう」
「えっ、え…」
「わかったな」
「で、でも、私は自分の意志で…」
「その意志とやらを持って、お前が今生きてここに戻れているのは誰のおかげだ?」
ヴェルドにそう言われると、エルは言い返すことができなかった。ヴェルドは、エルの反論を失わせたことに満足したのか、ふん、と鼻を鳴らした。
「それに、何の成果もあげられないままずるずるここにいたって、また殺される可能性をあげるだけだぞ。死にたくないからお前は平民になってでも逃げたんだろ?」
「……う…」
「俺は確信してるぞ。その憎らしいお前の顔を、来月には見なくて済むようになっていることをな」
ふんっ、と嫌味な態度で鼻を鳴らすと、ヴェルドは踵を返した。エルは、そんなに嫌いならどうして助けてくれたんですか…、と声を漏らす。するとヴェルドは足を止めて、咳払いをした。
「言っておくが、お前のためじゃないぞ」
「…?どういうことですか?」
エルが余計に分からなくなっていると、ヴェルドは気まずそうにまた咳払いをした。
「平民女のくせに俺に気安く話しかけるな」
ヴェルドはそう吐き捨てると、さっさと言葉から去ってしまった。エルは誰もいない静かな廊下に置いてけぼりにされて、しばらく立ち尽くしてしまった。
その翌日、エルはいつものようにミシェルの部屋へ向かっていた。すると、同じくミシェルの部屋へ向かっていたロゼと出くわした。ロゼは相変わらずの気さくな様子でエルに微笑むと、一緒に向かいましょうか、という提案をしてくれた。エルは少し驚きながら、はい、と頷いた。
「どう?ミシェル様のお部屋担当のお仕事は慣れた?」
「はい。同じ担当の方には優しくしていただいてますし、それになにより、ロゼ様に親切にしていただいてますから」
「あら、褒めても何も出ないわよ」
くすくす、とロゼは笑う。貴族の人のほとんどから冷たい態度をとられてきたエルは(それは当然ではある)、ロゼの心優しい態度に感動してしまう。
「(…こんな平民の私にこんなふうに接してくれるなんて…)」
「あっ…」
ロゼはそう小声を漏らすと、エルの腕を引いて廊下の端に寄った。エルが何事かと前を見ると、そこにはアランとヴェルドがいた。エルは、頭を下げるロゼに倣って同じように頭を下げた。
アランの隣を歩いていたヴェルドは、エルに気がつくと眉をひそめ、エルの前に来ると立ち止まった。アランはそんなヴェルドは気にせずに歩き続ける。
「まだいたのか?自分からここを去ったほうが傷つかないぞ」
ヴェルドはそう言うと意地悪そうに口元を緩めて歩き始めた。エルはヴェルドの方は見ずに黙ってただ頭を下げ続けた。そんなエルに、お、おい、と少し拍子抜けたようなヴェルドが、わざわざ戻ってきて声をかけた。
「昨日の威勢はどうした、なぜ黙る?」
「…」
エルは困惑してヴェルドを見上げる。ヴェルドはそんなエルに、むっとした顔をする。
「おい、お前、黙って被害者ぶるな!か弱い女のふりか?あんな減らず口が叩けるくせに、アランがいるからってかわいこぶりやがって、姑息なアピールをするなっ…!」
「アピール?いや…昨日ヴェルド様が私に、平民が気安く話しかけるなっておっしゃったんじゃないですか…」
「だ、黙れ!屁理屈を言うな!」
「だ、黙れと言ったり喋れと言ったり……」
エルは呆れながらヴェルドを見た。
「(…この人は一体何がしたいんだ?)」
「もっとこう…本性を見せろ!」
「いや…え?どういうことですか?」
「だから…」
「ま、まあまあまあ、その辺にしましょうよ」
見かねたロゼが困り笑顔でエルとヴェルドの間に割って入った。ヴェルドが、止めるなロゼ!とロゼに返した。
「俺は今、この女の本性を暴いてるんだっ!」
「だから、どういうことですか?具体的に何がしたいのか言ってくださいよ!」
エルが呆れを通り越して半分怒りながらヴェルドにそう言った。ヴェルドは、そんなエルを見て、それだ!となぜか嬉しそうに言った。
「それだ、それ!もう一声だ!」
「だからどういうこと…」
「……ふっ」
ふき出した声がして、エルもヴェルドもロゼも一時停止した。三人は同時に声の方を見た。すると、少し遠くの方でこちらを見ていたアランがいた。アランは口元に片手を当てており、表情は見えないが、彼のくつくつと笑う声が聞こえた。
「あ、アラン、お前…」
ヴェルドは今見ている光景が信じられないようで、半信半疑の様子でそう言った。アランは、いや、とまだ少し笑いを含んだ声で言った。
「エルの顔をして、エルがしなさそうな表情をするから」
そう言ってから、ふっ、と今一度ふきだすと、アランはまた三人に背中を向けて歩き始めた。
エルたち三人は、しばらく呆然とその背中を眺めた。
「…殿下、今、わっ…笑ってた…わよね……?み、見間違いじゃない…わよね?」
ロゼは、さっき自分が見たものが本当に確かだったかを確認するためにエルに尋ねた。エルは、は、はい…と驚きを隠せないまま頷いた。するとロゼは目を輝かせて、すごい!とエルの手を取った。
「あの殿下が笑うなんて!やっぱり、あなたのおかげね!」
「い、いえ、私は…」
エルはそう言いかけて、何やら視線を感じてヴェルドの方を見た。ヴェルドは心底悔しそうに顔をゆがめてエルを睨んだ。エルはそんな彼に怯む。
「…勝ったつもりか?」
「え、えっ?」
「あのアランの笑顔を引き出して、俺に勝ったつもりなのかと問うている」
ぎりぎりと歯ぎしりをしながらヴェルドはエルに詰め寄る。エルは頭を左右に振って、そんなわけありません、と否定する。しかしヴェルドは、そんな彼女の言葉などハナから聞く気もなく、いいや違う、とぴしゃりと言い放った。
「お前は、ぽっと出の自分が、この城にいる誰にもなし得なかったことを簡単にこなしてしまい、悦に浸っているんだ…っ!」
「そそっ、そんなことありませんよ!考えもしていません!」
「お前の本性をアランに見せつけてやるつもりが、まさか塩を送ることになるなんて…」
ヴェルドは眉間に指を当てる。どうやら先ほどの意味不明なやりとりは、エリィという女は顔が同じなだけで、エル・ダニエルのような大人しい女ではないぞとアランに彼なりに伝えたい意図があったらしい。エルは、彼の行動の意味はわかったものの、そんなことをする理由がよくわからずにさらに困惑する。
「(し、庶民とどうこうなるんじゃないぞという釘刺しのつもり、なんだろうか…)」
エルは不可解な気持ちでヴェルドを見た。すると、悔しそうに眉をひそめたヴェルドが、ぎりっとエルを睨みつけた。
「俺は、お前が、だいっっっきらいだ!」
ヴェルドはそうエルに言い放つと、荒い歩調でずんずんとアランの後を追って歩き始めた。エルは、余計にヴェルドがわからずに困惑する。そんなエルやヴェルドなど気にもとめずに、ロゼは、大きな一歩ね!マイクもきっと喜ぶわ!と一人で感動していた。




