6 令息はご機嫌斜め2
ヴェルドに会ってからしばらく、エルはマイクから呼ばれることがなかった。エルはミシェルの部屋の掃除をして、それが終われば城内の掃除や洗濯の仕事に戻った。
エルは、箒を持ってまだ掃除していないところはないかと探した。城内は果てしなく広く大きく、それはこの王家の強大な力を表しているのだけれど、掃除をする身分としては、きれいに保つにはあまりにも大変だ、と言う感想しかわかない。
エルは、ふと中庭に出た。このお城にはいくつも中庭があり、そのどれもが綺麗に整備されている。いつ見ても季節の花が咲いて、庭師に手入れされた木が植わっている。
ふと、中庭に四人の男性陣が集まっているのが見えた。そこにいたのはアラン、フィリップス、ハロルド、それにヴェルドだった。彼らを見つけたエルはとっさに身を隠してしまった。ヴェルド以外の人たちは、鍛錬終わりなのがわかる格好をしていた。ヴェルドは会議に出ていたらしく、片腕に大量の資料を持っていた。
「いよいよ始まるんだな」
ハロルドが、真剣な顔でそう言った。ヴェルドはちらりと会議の資料を見ると、小さく息をついた。
「確定ではない。だが、近い内に隣国がなにかしてくるのは確かだ」
「それは前から言ってたじゃないか」
「その確率が、以前よりも上がった」
ハロルドはヴェルドの言葉に、まあ、覚悟と準備はしておけってことね、とため息をついた。しかしすぐに、姿勢をただすと、アランの方を見て誇らしい瞳を向けた。
「殿下のご姿勢にはいつも感服しています。国のために王子の身分でありながら戦地に自ら赴き戦うそのお姿に、王国軍の兵士たちの闘志は上がります」
ハロルドの言葉に、アランの瞳がほんの少しだけ揺れた。アランは何も言わずに三人を置いて歩き出した。ハロルドは、アランに頭を下げた。ヴェルドは、歩き出したアランを、おい、と言いながら追いかけた。
「…でも、殿下は危なっかしいよな。あんなに戦に執心して。もしものことがあったらとお考えになられないのだろうか。ご自身ののお立場を分かっていらっしゃるんだろうか」
アランが去った後、そうハロルドが言った。なあ、とフィリップスに同意を求めて隣を見たら、当のフィリップスは、廊下を歩いていた侍女に黄色い声をあげられていたので、それに手をふって笑顔で応えていた。
ハロルドは、おいっ!とフィリップスの肩を叩いた。
「俺の話を聞いているのか?」
「でも、彼女たちを無視をするわけにはいかないだろ」
「…その気がないくせに愛想振りまくなよ、とんだ軟派野郎だな」
「…それはハロルドには言われたくないかな」
フィリップスはそう言ったあと、ゆっくり空を見上げた。
「もしものことになっても構わないって、お考えなのかもね」
「…は?」
「…気持ちはわからなくないよ。死ぬための理由がほしい気持ちが。……なんてね」
フィリップスは、冗談めかして笑った。ハロルドは、あきれた顔をして、めったなこと言うな、とフィリップスの肩を強く叩いた。フィリップスは小さく笑うと、冗談だよ、と返した。ハロルドは、変な冗談言うな、と言うと歩き出した。フィリップスはその背中を少し後から追いかけた。
三人の輪から外れたアランは、エル隠れている方に向かって歩いてきた。エルはさらに体を縮こまらせて身を隠した。ヴェルドはアランを追いかけて、おい!と呼びかける。しかし、アランは歩みを止めない。
「死に場所ばかり探すな!」
ヴェルドは、とうとうそう声を荒らげた。誰もいない廊下に、ヴェルドの悲痛な叫びがむなしく響く。アランはそれを気にもとめずに歩き続けて、とうとう姿を消してしまった。
ヴェルドは立ち止まると、悔しそうに唇をかみしめて地面を睨みつけた。そして、くそっ!と吐き捨てると、手に持った資料をシワが寄るほど握りしめた。
ヴェルドはしばらくの間の後、気持ちを落ち着けるように息を吐き出した。気持ちを整えようと顔を上げた時、ヴェルドは隠れていたエルの存在に気がついた。エルはヴェルドと目が合うと気まずそうに目を泳がせ、何も言わずに立ち去ろうとした。
「待て、そこの平民女」
ヴェルドはエルを呼び止めた。エルはびくりと体を震わせた後、恐る恐るヴェルドの方を振り向いた。
ヴェルドは冷たい目線でエルに近づいた。
「お前、まだここにいたのか。帰る旅費は渡したはずだぞ」
「いえ、あの…」
「足りないなら早く言え」
ヴェルドはそう言うと自分の胸ポケットに手をしのばせた。エルは慌てて、いえちがいます、と否定した。
「そうではなくって、その、あの…」
しどろもどろになるエルを、疎ましそうにヴェルドが見下ろした。エルは意を決するとヴェルドを見上げた。
「その…アラン殿下が、死に場所を探してるって……」
マイクがアランのことを、自傷行為をしているだけだと評していたときから、ずっとエルの心に引っかかっていた疑問だった。
ヴェルドは、はあ、とため息をつくと、お前には関係ないだろ、と吐き捨てた。エルは、しかし食い下がってヴェルドの方を見つめ続けた。
「で、でも…あの…アラン殿下が自分の命を…」
「いいからお前はさっさと帰れ。命が惜しいならな」
ヴェルドの言葉は、帰らないならエルの身にヴェルドが危害を及ぼすような意味に普通はとらえるだろう。しかし、エルはその言葉に引っかかった。ヴェルドの発したその言葉は、違う意味に聞こえたからだ。エルの命をかつて狙っていた連中に、自身の存在が知られたら、今度はただでは済まないという忠告に聞こえたからだ。
エルの直感が、なぜか彼女には正しいように感じた。先ほど発した言葉に対して少し、しまった、という表情を滲ませるヴェルドに、エルは直感が確信に変わった。
「あの…、前から気になっていたんです。前にお会いしたときに私のこと、なんで戻ってきたって、そう言いましたよね。生きていたのか、とかじゃなく、戻ってきた、って」
「……」
「もしかして、あの日、あの火事の日に…」
エルは、周りに誰もいないことを確認してヴェルドに近づいた。
「あの日私を助けてくれたのって……」
そう話しながらエルは、急に自信が持てなくなった。あの火事の日にエルを助けてくれたあの男性を送ってくれたのがこの目の前の男?そんなことがあるだろうか。こんなにもエルのことを忌み嫌うこの男が。
エルは、自分がとんでもない失言をしてしまった気がして顔が青くなった。しかしヴェルドは、少しの間の後、諦めたようにため息をついた。
「……だったらなんだ」
ヴェルドは開き直ったようにそう言った。エルは、はっと息を呑んだ。
「ど、どうして……」
エルはずっと、助けてくれた人にお礼が言いたいと思っていた。しかしいざ助けてくれた人を目の前にして、こんな言葉がでた。それくらいに信じられなかったからだ。
「知ってどうする」
ヴェルドはふてぶてしい態度でそう返した。エルは、そんなヴェルドに言葉を詰まらせる。
「……あの、その私、あなたにお礼を…」
「お礼?」
エルの言葉を、ヴェルドは鼻で笑った。
「王家に嫁入りする立場から一転して貧乏な平民に落とされたくせに、いっそあの時に死んでおけばよかったとすら思ってるんじゃないか?」
「おっ、思ってません!私は本当に感謝して…ってそんなふうに言うのにどうして私を助けたんですか…?」
「…知ったところでどうなる」
ヴェルドは不機嫌そうに返すだけだった。エルはこれ以上、彼から自分を助けてくれた理由を聞くのをやめた。
「…それじゃあ、誰が私を殺そうとしたんですか?」
エルの質問に、ヴェルドは表情を硬くした後、知ってどうする、と低い声で言った。そんなヴェルドにエルはひるむ。
「いや…えっと」
「その犯人に復讐するためにお前はこんなところまできたのか?エリィなんて偽名を使って、顔が同じだけの他人を装ってまでか?」
「ち、違います!私は、アラン様の話を聞いて、それで、放っておけなくて…」
「はあ?」
ヴェルドは、心底憎そうにエルを睨みつけた。その視線にエルは縮こまる。嫌な汗が背中一面に伝う。
「放っておけない?お前に一体何ができる?昔から何もできない役立たずのくせに」
ヴェルドはエルに詰め寄った。エルは恐怖から震えた足で後ずさる。しかし、ヴェルドはそれに構わずにエルにずいずいと近づく。
「俺は昔からお前が大嫌いなんだ。たまたまアランの婚約者に選ばれただけのくせに。たいした能力もないくせに。ただただヘラヘラ周りに話を合わせて愛想笑いをして、周りのご機嫌取りをすることしかできない能無しのお前が、お前なんかが、アランの王への道を奪った!あいつにはその力があった!それなのに、お前なんかが婚約者の座に居座ったから、だから道が断たれたんだ!」
ヴェルドはそうエルに吐き捨てた。エルは、どんどん頭が真っ白になる感覚を覚える。
思えば昔から、暗に周りからそう言われていたような気がエルはした。周りの陰口や嘲笑に傷ついていたけれど、そんなことをしていた彼らのストレートな本音はこれだったのだろう。この本音を直接言わないだけで、彼らはなんて優しかったのだろう、なんて錯覚にエルは陥る。
ヴェルドは怒りで肩で息をしながら、憎しみを込めた視線をエルに投げつける。震える唇を、ヴェルドは噛みしめた。
「……お前がいなくなって、ようやくその道が拓けるはずだった。でも、今のままでは無理だ。あいつはもう、国のことに、すべてのことに無関心になった。昔みたいに笑いもしない」
ヴェルドは、重い息を吐いた。そして、今一度エルを睨みつけた。
「死んでなおアランの心に居座ろうとするな。邪魔なんだよお前、昔っからずっと」
ヴェルドはそう言うと、エルの横を通り過ぎた。
エルはヴェルドが去った後、足の力が抜けて、だらしなくへなへなとその場に座り込んでしまった。魂が抜かれてしまったかのように、しばらくの間エルはそこで呆然としていた。




