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6 令息はご機嫌斜め1

エルは、ミシェルの部屋の仕事を終えるとマイクに呼び出されて、アランの部屋にお茶の準備をしに向かうことになった。マイクの後ろを、エルはお茶の用意を持って追いかける。

マイクは、いつになく不安そうな顔をしている。エルは、少し迷ったあと、あの、とマイクに声をかけた。


「あの、どうかされました?」

「え?」

「なんだか、表情が硬いというか…」

「…」


マイクはゆっくり立ち止まると、何か言いかけて、しかしやめた。そして、歩くのを再開しながら口を開いた。


「まあ…色々ありまして。ご心配には及びません」

「そ、そうですか…」


エルは、特に深入りすることもなく(そんな権利が自分にあるとも思えず)、黙ってマイクの後ろを歩くことにした。


アランの部屋に到着しそうになったとき、アランの部屋から誰かが出てきた。マイクはその人物を確認すると、あっ、と声を漏らし、それからエルを隠すように前に立った。エルはマイクの体のすき間からこっそりその人物を確認して目を丸くした。そこにいたのは、アランの学友だったヴェルド・レグラスだったのだ。咄嗟にエルは顔を俯けて自分の存在を隠した。

ヴェルドは片手に分厚い資料を抱えて、苛立った様子で廊下を歩く。マイクの前を通り過ぎようかという時に、彼はマイクの存在に気がついたようで立ち止まった。


「ああ、マイクか…」

「ヴェルド様、随分長く殿下のお部屋にいらしたんですね」

「会議の内容が濃かったからな、説明に時間がかかった。…まあ、あいつは何も聞いてないが」


ヴェルドは苦虫を噛み潰したような顔をしたあと、彼の前髪をかき上げてため息をついた。


「会議にも一切出ないし、社交の場にも顔を出さない。国のことなんか、もうどうでもいいんだろうな、あいつにとっては」


ヴェルドはそう吐き捨てるように言う。マイクは、そ、そんなこと…、と慌てて口を開く。


「軍の方には熱心でいらっしゃいますよ。前に敵国から少し攻め入られることがあったときも、殿下はしっかり戦って国を守ってくださいました」

「…あいつのそれは、憂さ晴らしみたいなもんだろ」

「うっ……で、でも、心の底では国のために何かしたいというお心があるから…」

「お前、本当にそう思っているのなら、あいつの世話係を長い間務めてるくせに何もわかって……」


話し始めたヴェルドは、はたと、マイクの後ろにいる人物を見て固まった。エルは、背中に汗が流れるのを感じた。エルは、ヴェルドに顔を覚えられている自信があった。それはエル・ダニエルの生前、彼が酷くエルのことを嫌っていたからである。さらに、ヴェルドは頭の良い男である。少しのボロで全てがバレてしまうような気がしたのだ。エルは、しかし顔を見せなさすぎると怪しまれると思い、とぼけた顔でヴェルドを見上げた。ヴェルドはエルの顔を確認すると、目を丸くして息を呑んだ。


「…お前……なんで戻ってきた……」


ヴェルドは震える声で言った。エルは、ヴェルドの言葉が引っかかって少しだけ眉をひそめた。


「(……゛戻ってきた゛…?)」


ヴェルドの言葉に、なぜかエルは違和感を覚えた。

横にいたマイクが一瞬悩んだ顔を見せたあと、小さくため息をついた。


「違いますよヴェルド様、彼女はエリィといいます。よく似ていますが、エル様とは別人です。国境近くの港町で暮らしていた、平民の方です」


マイクは仕方なくそうヴェルドに話した。ヴェルドは眉をひそめて訝しそうな顔をした。


「…その平民の女が、なぜお前と一緒に茶の用意を持ってアランの部屋へ向かって歩いている?」

「えっ?い、いやあ、お手伝い願おうかと……」

「お前だけで手が足りそうな仕事だがな。そのエル・ダニエルにそっくりな女をアランの部屋に連れて行って、一体何を企んでいるんだ?」


ヴェルドの訴求に、とうとうマイクは言葉を詰まらせた。そして、申し訳なさそうにエルを見あげた後、観念してため息をついた。


「…以前までの殿下に戻っていただくにはどうしたらいいのか、ずっと考えていたんです。今の殿下は取りつく島もない状況ですから。でも、婚約者だったエル様にそっくりな方になら、お心を少しでも開いてもらえないかと、そう思って…」

「…」

「あの、でも、この話はどうか内密に……」

「そんなの俺は反対だ」


ヴェルドはそうはっきり言い放った。マイクが驚いて、えっ、と声を漏らした。


「反対……とは?」

「もうエル・ダニエルは死んだ。生き返りなどしない。この女をあいつにあてがうなんて、いつまでもあの女の亡霊に取り憑かれているあいつを助長する行為だと思うがな」


ヴェルドは、冷笑的にそう言った。マイクは、うっ、と言葉を詰まらせた。


「あいつに必要なのは、あの女のいない未来を生きられる力だ。こんな女がいたら後ろ髪が引かれる。くだらないことはやめろ」


ヴェルドはそう言うと、エルの前に立ち、エルの持つお茶の準備を奪うと、マイクに丸ごと渡した。


「早く行け。お前は何年アランの世話係をしてるんだ。これくらい一人でやれ」


ヴェルドはそう言うと、早く行け、とマイクを促した。マイクはそんなヴェルドに、でもっ!と反論を始めた。


「ずっと、ずっと考えてきました!殿下のために何ができるのかって!そのどれも上手くいかなかった…。私にはもうどうしたらいいのか…」

「いくらでも新しい案はあるはずだ。こんな平民女に助けを求めるなんてどうかしてるぞ。ほら、とっとといけ」


ヴェルドにそうぴしゃりと言い放たれて、反論虚しくマイクは肩を落として一人でアランの部屋に入っていった。

それを見送ると、ヴェルドは冷たい視線をエルに投げつけた。エルは、過去に何度も浴びてきた彼のこの視線に、反射的に体が震えた。

ヴェルドは胸元のポケットに手をいれると、その中から数枚の金貨を出して、そしてエルに見せた。エルは意味が分からず金貨とヴェルドで視線を行き来して、それからヴェルドの目を見た。ヴェルドはエルと目が合うと、昔から彼女に向けてきたのと同じ冷たい目線を送った。


「これで田舎に帰れ。二度とここに来るな」


ヴェルドはそう言って、金貨をエルに差し出した。エルは頭がうまく分からずに、混乱したままヴェルドを見上げた。金貨を受け取らないエルに、ヴェルドはため息をつくと、エルの右手を無理やり引っ張ると、強引に金貨を握らせた。


「以上だ」


ヴェルドは今一度、エルに冷たい視線を浴びせて、そして踵を返した。エルは、ま、待ってください…、と彼を追いかけた。しかしヴェルドは立ち止まらずにどんどん歩いていってしまう。エルはとうとう追いつけずに、ヴェルドの姿を見失ってしまった。








エルは、どうしたらいいかわからない金貨をポケットに忍ばせて、肩を落として歩いていた。


「(…帰れ、と言われてしまった……)」


エルは、高圧的なヴェルドを思い出してまた背中に嫌な汗が伝う。過去に、邪魔だとはっきり言い放つ彼を思い出して、嫌な気持ちがぶわっと心に蘇って苦しくなる。


「……あれ…」


エルはふと、あの会議室の壁に張り付いて外から盗み聞きするネルの姿が見えた。ネルはエルに気がつくと、驚いた顔をして、それから口元で人差し指を立てた。エルは自分の口を手で覆い、声を出さないポーズを見せた。そんなエルを見ると、ネルはまた壁の中の会話に神経を集中させた。しかしすぐに、ネルは、よいしょ、と声を上げて立ち上がり、エルのそばへやってきた。どうやら、聞きたい話は終わったようだった。やってきたネルはエルの前で、ふう、と息をついた。そんなネルをみて、エルは苦笑いを浮かべた。


「どう?何か戦果はあった?」

「大したことないかな。小物の貴族同士の不倫話くらい。でもまあ、今日の夕飯の場は盛り上がるかもね」


ネルはそう言うと、うんと背伸びをした。エルはそんなネルを青空ごと見上げる。また下世話な笑い話が始まるのかと思うと陰鬱とした気持ちになるけれど、それと正反対の真っ青な空を背中にしたネルに、エルは目を細める。


「…ねえ、ネルはどうしてここへ来たの?」


エルはふと、そんな疑問を彼女にぶつけた。突然の質問に、ネルは、え?と間抜けな声を出した。


「なにさ、急に」

「いつもあなたから質問されてばかりで、私、あなたのことあんまり知らないって、そう思ったから」

「…」


ネルはそばかすのついた頬を軽く指で引っ掻いたあと、普通に食い扶持のため、と答えた。エルは、なるほど、と相槌を打つ。


「ご両親は何をしている方なの?」

「ああ…死んだよ。妹も。家族は私以外皆死んだ」


ネルの言葉に、エルは言葉を詰まらせた。それから気まずそうにエルは目を伏せた。


「…ごめんなさい、辛いことを聞いてしまったわ」

「気にしないで。エルも親は二人とも亡くなってるんだったよね?」

「ええ、二人とも私が小さい頃に病気で。…って、また私があなたに質問されている。今は私があなたに質問する番よ」

「はいはい。でもどうしたの、急に。私のことが嫌いなくせに興味津々でさ」


ネルから発せられたあっけらかんとした口調の言葉に、エルは動揺した。


「あ、あの、わたし別にあなたのこと…」

「おべっかは良いわよ」


ネルは特に気にもとめない様子でそう言った。エルは、自分自身が直接関わったことのない周りにすら嫌われていた過去を思い出して、ま、まって、と口を挟んだ。


「嫌いではないわ、苦手なだけよ」

「まあ、意味はほとんど一緒よね」

「うっ…、でも私は、あなた自身が嫌いなわけじゃなくって、そもそも嫌うほど私はあなたのことを知らなくって、私が苦手なのはあなたのその…人の噂を…」

「あーはいはい、そういうのめんどいから良い良い」


ネルは怠そうにそう話を切り上げた。エルは、ネルのその様子に口をつぐむ。ネルは口元を緩めると、自身の三白眼でネルを見つめた。


「でも残念だよ、私はあんたに会えて良かったって思ってるのに」

「えっ?」


そんなことを言う割には淡々としているネルに、エルは頭が混乱する。そんなエルを面白がってか、ネルはくつくつと笑った。そんなネルに、エルはからかわれているのだと悟る。ネルの本心を図りあぐねながら、エルはじっと、少しだけ恨めしげに彼女を見た。そのとき、彼女の手についた小花モチーフのブレスレットに目が行った。


「…それ、そのブレスレット」

「これ?」

「ええ、素敵よね。いつも思ってたの」


エルはそう言って小さく笑った。ネルは、目を丸くしたあと、自身のブレスレットを静かに見つめた。


「…褒めたお返しに褒めかえしてんの?」

「えっ?いえ、素直にそう思って…」

「だとしたら、話題転換下手くそすぎだから。いや、そうでなくても下手すぎ。あんた人と会話したことある?あんたの友だちあんたについていけてる?てか、あんた友だちいる?」


ネルの正論パンチに、エルは抉られるしかなかった。彼女の言う通り、エルは他者と友人関係を築くチャンスを失い続けてきた。


エルは、過去を思い出す。昔から彼女はそこまで社交的ではななかったけれど、幼い頃は祖父に言われてずっとアランのいる療養所にいたから、他の同年代の人と接する機会がほとんどなかったのだ。機会がゼロだったわけではない。王子と結婚する予定のエルとのコネクションを作ろうと、自身の令嬢を擦り寄らせる貴族もいたからである。でもその頃は、アランが長く生きられるとは思われていなかったから、まあ一応…という雰囲気ではあったけれど。


「(そのご令嬢たちも、アラン様の体がよくなって、私が貴族たちから嫌われだしたらさっと波のように引いて行ってしまったけれど……)」


エルはそんな辛い過去を思い出して胸が痛くなる。幼い頃は本気で彼女たちが自分と仲良くしてくれるのだと思い込んでいたから、あっさり撤収されてしまったときはかなり傷ついた。やはり自分自身に価値などないのだと、そう思い知らされたからだ。


「(…でも一人だけ、私が嫌われだしてからもしばらくは仲良くしてくれていた人がいた。…最終的には友達の縁を切られてしまったけれど……)」


どんどん周りから嫌われていく中、ずっと仲良くしてくれていた令嬢を、エルは思い出す。同い年の女の子とは思えない美貌をしていて、貴族の中でも良い家のご令嬢だったけれど、威張らずおおらかで、そしてあっさりとした性格の彼女といることはとても楽しかったことを思い出す。ご令嬢とは思えないほど元気に笑う笑顔もエルは好きだった。そして、どんどん嫌われだしていた頃は、もしかしたらこの人だけは、本当に私と友達になってくれる気でいるのかも、などと信じていたことも。

仲のいいと思っていた友人たちが皆、実はアランの婚約者であるエルと仲良くしていたことを知ってから、彼女たちが波が引くようにエルから去って行ってから、どうにもエルは自分が他人と友人になるためにどうしたらいいのかがわからなくなっていた。


「(…まあ、あんな大きな家のご令嬢が私なんかと仲良くしていたということは、やっぱり家の意向で彼女は私と仲良くさせられていただけよね。…もう忘れよう…)」

「ねえ、そんなに傷つかないでよ。冗談だから」


硬直するエルにひとつまみほどの罪悪感を覚えたらしいネルが、エルの背中を軽く叩く。エルは、え、ええ、と少し動揺してネルを見上げる。

エルを慰めることが面倒くさくなったらしいネルは、おっと、と声を漏らした。


「そろそろ仕事に戻らないと、メイド長にどやされる。誰かさんの二の舞にはなりたくないしね」


ネルはそう意地悪くエルに言うと、さっさとその場から去ってしまった。エルはその背中を見つめながら、やっぱり彼女が苦手だと改めて思った。

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