5 令嬢は気苦労が多め2
マイクとそんな話をした翌日には、エルはメイド長に命令されて、ミシェルの部屋担当に変更されることになった。以前の失態のこともあったので、メイド長はエルを部屋担当にすることを、侍女からの申し出のために嫌々承認したような顔を丸出しでいた。
朝食を終えたエルは早速ミシェルの部屋へ向った。エルはお城の中を歩きながら、ミシェルのことを思い出していた。
ミシェルは、エルよりも2つほど年が下で、エルのことをお姉様と慕っていた。引っ込み思案で、自分の口で気持ちを説明することが苦手なミシェルを心配した国王が、療養中のアランのいる別荘に彼女も住まわせたことで、エルとミシェルは出会ったのである。ウェーブがかった金髪と青い瞳をもつ美しい少女で、彼女に興味を持つ男性はたくさんいたけれど、その視線のすべてにミシェルは怯えて、隠れていた。
エルは、少し何かあっただけですぐに泣いてしまう心許なくて繊細な少女を思い出す。幼い頃に長く一緒に暮らしていたからかアランによく懐いていて、彼の婚約者であるエルにもとても親しく接してきた。
「(…ミシェル様とこんな形で再会するなんて…)」
そんな事を思って、エルはひどく不思議な気持ちになった。
彼女ならば、エリィと名乗る使用人がエル・ダニエルと同じ顔だと気がつくだろうか。そうなったらしらを切るしかない。
そう意気込みながら部屋の前へ到着すると、エルを待っていたいたらしいロゼの姿が見えた。ロゼはエルに気がつくと、どうも、と笑顔を見せた。エルはロゼのそばへ駆け寄ると、よろしくお願いいたします、と頭を下げた。ロゼはエルと目を合わせると笑みを深くした。
「今日からどうぞよろしくね。ええと…」
「あっ、エリィと申します」
「そうそう失礼、エリィ、今日はミシェル様のお部屋の掃除を他の使用人の子たちとしてもらったあとは、例の件でマイクがここへあなたを迎えに来るらしいから」
ロゼにそう言われて、エルは、はい、と頷いた。エルは、じっとエルを見つめたあと、そっとエルに近づいて、内緒話をするようにひそひそと話しかけた。
「…ちなみにミシェル様だけと、アラン殿下やエドワード殿下よりは親しみやすい、って程度だから」
「え?」
「とにかく人が苦手でいらっしゃるのよ。私の父がミシェル様の家庭教師をしていたことがあったものだから、幼い頃のミシェル様も知ってるけど、昔からそういう性格みたいなの。物語にでてくる社交的で明るいお姫様…と思ってミシェル様を見るとびっくりするかもしれないわ。特に最近は、もうすぐ婚約した相手の元へ嫁がれるご予定ということもあって、それがどうもお気に召されないみたいで一段と沈んでいらっしゃるのよ」
ロゼは、心配そうに、はあ、とため息をついた。エルは、火事が起こる少し前に、ミシェルが婚約者が決まりそうだという話を聞いたことを思い出す。もしかして、その相手との縁談がまとまったのだろうか。あんなに小さかった少女が結婚するのだと思うと、エルはなんだか不思議な気持ちになる。
「…まあ、お話のお相手は私の仕事だし、あなたは黙々とお掃除してくれればいいから」
「は、はい、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ロゼはそれじゃあ行きましょう、と言ってエルをミシェルの部屋へ促した。エルは深呼吸をしたあと、ミシェルの部屋に入った。
ミシェルの部屋には、もうすでに三人ほどの使用人が掃除をするために入っていた。ミシェルはソファーに腰掛けてぼんやりと窓の外を眺めていた。
エルは、最後に会った時よりも大人びたミシェルの横顔の美しさにはっとした。エルは、しかし自分の仕事を思い出して、さっと手を動かし始めた。ロゼはミシェルに近づくと、良い天気ですね、等と話しながら髪をとかし始めた。ミシェルは、そうね、と気のない返事をした。ロゼは、少し言葉に詰まったあと、ミシェル様、と意を決したように話しかけた。
「来週、彼の国の王子がまたこちらへいらっしゃるそうですよ。ミシェル様にお会いしたいっておっしゃっているそうで」
ラインハルト殿下がお会いする場を調整してくださるそうですよ、楽しみですねえ、と、ひどくぎこちなくロゼは続ける。ロゼの言葉に、ミシェルは表情を曇らせる。彼の国、といえば、この国の同盟国であり、そして、強大な力を持つ大きな国である。いい縁談、といえぱそうなのだろう、もちろんこの国にとって。
「…お願い、一人にして」
ミシェルはか細い声でそうロゼに懇願した。ロゼは、困惑の表情を浮かべた。周りで作業していた使用人たちは、またか、という顔を浮かべる。ロゼが目で合図をすると、使用人たちは部屋から出た。エルも彼女たちにならって、掃除の途中で部屋から出た。後から出てきたロゼがエルたちを見て、と、いうわけなので、各自また別の持ち場へ行ってください、とため息をつきながら告げた。使用人たちは、はあい、と返事をすると廊下を歩き出した。エルはロゼの方を見た。
「あの、私は…」
「ああ、マイクと約束してたのよね…。ごめんなさいね、ミシェル様、婚約が決まってから以前にもましてナイーブになっちゃったの。もうしょっちゅうあんなふうに人を払っておひとりになりたがって…」
「あっ、エリィさん!」
タイミングよく、マイクがこちらへやってきた。マイクはエルの方を見て残念そうな顔をした。
「実は、殿下が一人でどこかへ行ってしまって…」
「また?」
ロゼが、そう呆れたように言った。マイクが、う、と言葉を詰まらせる。
「し、仕方ないじゃないですか…。最近急に城内を散歩するのが趣味になって…。まあ前までのように部屋に引きこもっていばかりいるより健康的でいいことかと思って…て、そちらこそ、ミシェル様のお部屋の前でなにをなさっているんですか?」
「うっ…、ひ、一人になりたいからって追い出されたのよ」
「またですか?」
してやったりの顔をするマイクに、ブーメランを食らって気まずそうにするロゼ。エルは二人を交互に見ながら、どうしていいかわからない顔をした。
「…とにかく、殿下が見つかるかわからないので、今日のエリィさんへのお仕事の依頼はなしにします。持ち場へ戻ってください」
マイクにそう言われて、エルは、わかりました、と頷くと、廊下を歩いて持ち場へ向かった。
エルは、中庭を歩いて自分の仕事場へ向かった。
すると、木の葉に隠れてしゃがんで壁に耳を当てるネルの姿を見かけた。エルは不思議そうな顔をしてネルに近づいた。すると、エルに気がついたネルが、口元に立てた人差し指を当てた。エルは自分の口元を両手で覆ったあと、静かにネルの隣に座った。ネルが耳を当てている壁は、他のところと違いレンガが剥がれて薄くなり、一部小さな穴が空いていた。そこから小さく中で話す男たちの声が聞こえてきた。
「…ローレンス伯爵、以前お伺いしていたお話ですが…」
愛想笑い混じりのひどくへりくだった声が聞こえた。エルは、その声に聞き覚えがあった。自身の叔父、ジャン・ダニエルの声だった。
「(…叔父様…)」
エルは、久しぶりに聞く叔父の声にひどく動揺した。どうやら中には、叔父とローレンス伯爵という人物の二人がいるらしい。ローレンス伯爵は、落ち着いた声で小さく笑った。
「いささか気が早いですな、ダニエル男爵」
「しかし、あんまりにもあれから音沙汰がないもので…」
「男爵」
威圧的な声が響いた。その声に完全におびえたらしい叔父は、口をつぐんだ。
「物事には時期というものがある。またお声がけいたしますゆえ」
ローレンス伯爵はそういうと、それでは、言って部屋から出て行った。叔父は大きなため息をついたあと、伯爵が出てしばらくしてからようやく部屋を出た。
「(…叔父様も色々と家のために努力されてるのね…)」
あの、エルに対して常に威圧的だった叔父の、へこへことへりくだる姿に、家のために彼も頑張っているのだとエルは察する。エルにとっては愛情もわかないような相手だったけれど(そしてそれはお互い様である)、家の再興のためにこうやって陰ながら努力を惜しまない人であったのだ。そんな叔父の一面を目の当たりして、エルは何とも言えない気持ちになる。
ネルは、ふう、相変わらず節操のない風見鶏ね、と息をつくとエルを見た。
「エリィにばれちゃったわね。私がここで貴族のうわさ話を収集してたの」
「ああ、いつもの情報はここで得ていたのね」
「まあ、収集場所の一つよ」
ネルは、立ち上がると体についた草や葉っぱをはらった。エルもその後に続いて立ち上がってスカートのほこりを払った。
「ここ、会議室としても使われてるのよ。穴があいてるのに誰も気づいてないみたい、おかげで色々聞けるけどさ」
ネルはそうおどけていった。エルはそんなネルに嫌な気持ちになりながらも、表面上の笑顔を見せる。ネルはそんなエルを一瞥したあと口を開いた。
「そういえば、今日からミシェル様のお部屋担当なんだってね」
「ええ」
「前はアラン様からお菓子をもらって、次はミシェル様のお部屋担当、ね。これは偶然なの?」
またネルが探るようにエルを見た。エルはなるべく動揺しないように、私の知らないところで決まったことよ、と笑って返した。ネルは、まあそうよね、とだけ返すと、それ以上は詮索せずに終わった。
大量の洗濯物を持って、エルは一人で物干し場へやってきた。洗い終わった洗濯物を干しながら、エルは浮かない気持ちで息を吐く。
「(…ああ…ネルの追求を誤魔化し続けるのも一苦労ね……)」
エルは、はあ、と何度目かのため息をついて洗濯物を干し続ける。
ふと、エルは視線を感じて振り向いた。するとそこにはなんと、アランの姿があった。アランは少し遠くの方から、エルの方を見て黙って立っている。
「あ…」
エルは持った洗濯物を胸の前で抱えて、慌ててアランにお辞儀をした。アランはただ黙っている。エルは、どうかしたのかと考えを巡らせながら黙って固まる。アランの方も何も話さない。
「(…何だろう、何か用があるの?何?一体何?)」
エルは困惑しながら硬直する。アランの考えていることが分からずに、エルは頭をフル回転させる。
「…気にせず続けろ」
静寂の中、ようやくアランが声を発した。エルは、は、はい!と返すと、慌てて作業を再開した。しばらく続けたあとちらりと後ろを盗み見ると、まだアランがいた。エルは、非常に居づらい気持ちになる。
「(…何か話すべきなんだろうか、いやでも、余計なことを言ったら怖いし……)」
使用人たちの噂からも、マイクからも、アランが非常に接しにくい人物だと聞いているため、コミュニケーションが大してうまくない自分が、うまく彼と接することができるとは到底思えず、エルは長考した結果、黙って手を動かすことにした。
「(…良い天気だな…)」
エルは、ふと空を見上げる。青い空は澄み渡っていて、さわやかな風が頬を撫でると心地良い。ずっと下ばかり見てきた貴族の時代を抜け出して、こんなふうに綺麗な空を見上げられる今を、エルは幸せに感じる。
すると一瞬、大きな風が吹いた。エルは一瞬目を閉じる。その瞬間に、干していたシーツが飛んでいってしまった。エルは慌ててそのシーツを追う。すると、中に舞うシーツはアランの前に落ちた。エルはしゃがみ込んでシーツを拾った。そして、砂ぼこりがついてしまったシーツを広げて確認すると、ああ…、と項垂れた。
「(…また洗い直し…)」
エルはがっかりとして眉を下げた。そして、落ち込みを隠せないまま立ち上がろうとした。
「……ふっ…」
そんな、噴き出したような小さな声が聞こえた。エルは目を丸くして、声の方を見上げた。アランは、そんなエルに気がつくと、エルに背中を向けて黙って去っていってしまった。
「…笑った?」
エルは、そんなことをふと思って、しかしすぐに、気のせいか、と思い直すと、汚れたシーツを持って物干し場へ戻った。
「(…そういえば、マイクさんが探してたって、伝えたほうがよかったかな)」
エルはそんなことをふと思う。しかしすぐに、いや、余計なことは言わないほうがいいか、と思い直すと、また洗濯物を干す作業を再開した。




