1 孤立する令嬢と諦めない王子様2
エルは、アランとお茶をする約束のため、ダニエル男爵家領からはるばる王都へとやってきた。
馬車に揺られながら、エルは窓から外の景色を見る。エルの住んでいる町は田舎のため、賑やかなこの街がエルは苦手だ。もし本当に、このままアランと結婚することになったら、住み慣れたあの町からこんな馴染めなさそうなところに来なくてはいけないのかと思うと、エルはまたさらに憂鬱で胸が詰まる。
馬車を降りてエルがお城へ向かえば、エルとアランの約束を知る城の使用人に嫌そうな顔で、お約束の時間ではまだありませんが、と酷く冷たく返してきた。
「(…叔父様から、約束に遅れるなとひどく急かされたから焦って…)」
城の人間からの冷たい態度に傷つきながら、エルは、約束よりも早く着いたら着いたで、より長くアラン様と居られるだろうとエルを捲し立てて追い出した叔父に、この責任を心の中で負わせる。
家のことを考えれば、叔父の必死さも当然である。力のない今のダニエル家の起死回生の一手が、エルとアラン王子との結婚なのだから。
家のことをなんとかしなくてはと思うものの、エルは、どうしても叔父のことを好きになれなかった。実の娘ではないのたから、彼にとってエルが可愛いと思えないことは理解できる。それにしたって叔父はエルのことを王子と結婚させる道具としか扱っていなかったし、その扱い方も高圧的で雑だった。エルはいつも短気で情のない叔父の態度に怯えていた。
使用人に連れられてエルは、アランの部屋ではなく、城の中にある応接室まで行くことになった。エルは、あの、と使用人に話しかけた。
「あの、アラン様は、」
「アラン様はまだ、御学友とのお約束の時間でこざいますので」
エルを案内していた使用人は、そうぴしゃりとエルに言った。エルは彼女の冷たい言い方に口を固く閉じた。
城の中を歩いても、エルには冷たい視線が浴びせられる。
「(…誰にも歓迎されていない、誰にも…)」
わかりきっていることなのに、エルはまた思い知らされる。顔を俯けて、エルは重い足取りで使用人の後ろを歩く。
家にある精一杯きれいな服を必死に探して準備してきたけれど、その一張羅がこの場では無意味な、むしろもっと自分をみじめにしているような気すらエルはした。
ふと、使用人が足を止めて頭を下げた。エルも立ち止まり、彼女が頭を下げる先を見た。すると、何人かの使用人を従える、アランの兄であり、この国の第二王子であるエドワードがいた。エルも、使用人に倣って頭を下げる。
エドワードは特に気が付かずにエルの横を通り過ぎようとした。しかし、はたとエルに気がつくとエルに視線を移して立ち止まった。エルは恐る恐る顔を上げてエドワードの方を見た。
優しそうなアランとは違い、涼し気な目元をした端正な顔立ちをした男性で、人を遠ざけるような雰囲気をまとっている。エドワードは、綺麗な紺色の髪を少し揺らしたあと、エルにその眼鏡の奥の青い瞳で冷たい目線を送り、特に何も声をかけずに去っていった。
エルは、そんなエドワードの背中を見送って、この人も私が疎ましいのだと察する。歩きだした使用人から少し遅れて、エルはまた歩き出す。
応接室の前に到着して、使用人がドアを開けようとしたとき、あら、という女性の声がした。エルが顔を上げると、そこには第一王子であるラインハルトと、その妻であるヘレナがいた。エルは、ご無沙汰しております、ラインハルト様、ヘレナ様、と深々と頭を下げた。
ヘレナはエルを見ると、優しい笑顔で彼女に近づいた。
「今日がアラン様との約束の日だったのね。私もあなたに会いたかったわ、エル。遠くから大変だったでしょう」
ヘレナは、優しい瞳でエルを見つめる。柔らかい茶色の髪をした彼女は、隣国の第二王女で、こんな状況のエルにすら親切に接してくれるほぼ絶滅危惧種のような人物なのである。彼女の笑顔にエルは、ずっと張っていた気が少し緩むのを感じた。エルの少し緩んだ口元を見て、ヘレナはまた笑みを深める。
「…あら、今日はアラン様と応接室で会うお約束なのかしら?」
ヘレナがそう尋ねる。エルは、いえ、と頭を振る。
「私が早く着きすぎてしまったので、アラン様のご予定が終わるまで、こちらで待たせていただくことになりました」
「まあ、それならアラン様とのお約束の時間になるまで、私とお茶をいたしましょう」
そうしましょう、と両手を合わせて花が咲いたように笑うヘレナに、エルはつられて表情が緩む。すると、だめだっ!とヘレナの隣にいたラインハルトが、彼女の肩を抱いた。
「ヘレナは今から俺とランチの約束がある」
ぷんぷんと怒りながらラインハルトは言う。彼はアランやエドワードとはまたちがう雰囲気の男性である。鮮やかな赤髪に、青い瞳を持ち、そして、快活で豪胆な性格をしている。彼は妻であるヘレナを一途に溺愛している。ヘレナはラインハルトを見ると、まあ、と口元に手を当てて笑う。
「そんなことおっしゃらずに。遠方のエルとはなかなか会えないではありませんか。ラインハルト様も私たちの仲間に入れて差し上げますから」
「だめだ!俺とヘレナの2人の時間だって大事だ!それにどうせ、エルのことはすぐまたアランが呼び出すだろ!」
「あ、あの、どうかお二人でお過ごしください。ヘレナ様のお誘い、お気持ちだけ頂きますので…」
ラインハルトが恨めしげにエルを見出したので、エルはたまらずにそうヘレナに告げた。ヘレナは残念そうに、そう…、と呟くと、それではまたね、とエルに微笑んだ。エルはまた頭を下げると、2人の背中を見送った。
応接室に通されたエルは、使用人が出ていき一人になった部屋で、応接室の窓をぼんやりとみた。
アランは学校の友人との約束があるのだと言っていた。アランは学校に通っており、優秀な成績をおさめているのだという。剣の腕も立つのだとも聞いた。性格も温厚で優しく、人当たりが良く、彼を慕う人はたくさんいるのだという。3男といえど、3人の王子の中で彼が一番次期国王に相応しい能力を持っているのだという声もよく聞こえてくる。
「(…考えれば考えるほど、頭が痛くなる…)」
彼が優秀であればあるほど、エルの立場は狭くなる。そんな王子の結婚相手なんて、エルでは話にならないことは誰が見ても明白だった。
先代の軽い約束、叔父の出世欲、そして、アレンの執着だけが二人の関係を繋ぎ止めている。エルにはとても、この婚約が正しいものとは思えなかった。
「…あら?」
エルは、窓から見える中庭に人影を見つけた。窓のそばに近づくと、その人影が木のそばでうずくまるアランの妹、ミシェルだということに気がついた。
エルは応接室から出て、ミシェルのいる中庭に向かった。木の下で、すこしウェーブがかった綺麗な金髪を垂らしてうなだれるミシェルのそばに、エルはそっと近づく。
彼女は、エルよりも二つほど幼い。たった一人の姫ということで、周りからは大変可愛がられてきたけれど、本人は内気で恥ずかしがり屋で、上手く自分の思うことを口に出せない性格をしているため、よく1人で抱え込んでうずくまってしまうのである。ミシェルは、その内気すぎる性格を心配されてか、城から離れて幼い頃病弱だったアランと一緒に療養所である別荘で暮らしていた。そんなこともあって、エルは彼女とも親しくしていた。彼女もエルと同じく幼い頃に母を亡くしており、エルにとってどこか放っておけない存在だった。
「…ミシェル様」
エルはミシェルの隣にしゃがみ込み、彼女の肩を撫でた。ミシェルははっと顔を上げると、エルを見上げた。青色の大きな瞳にうっすらと涙が溜まっている。
「…あっ…エルお姉様…」
「お久しぶりです、ミシェル様。お元気にされていましたか?」
「…」
ミシェルは、指で涙を軽く拭くと、目を伏せた。
「…私を外国の王子と結婚させるっていうお話を、聞いてしまったんです」
「まあ…」
エルは少し目を丸くして、幼かった彼女も、もう結婚相手を考える年になったのかと驚く。
不安そうに表情を暗くするミシェルに、エルは掛ける言葉が見つからず、ただ彼女の背中を優しく撫でるしか無かった。
ミシェルは、隣に座るエルの肩に頭を預けて、すんと小さく鼻をすすった。少し赤くなっている彼女の鼻の先に、彼女がもっと幼い頃もよく、こうやって彼女に寄り添っていたことをエルは思い出す。励ます言葉の一つもエルは思い浮かばないものだから、いつもこうやってそばにいることしかできなかったけれど、ミシェルからしたらそれで十分なように見えた。
しかし今回は、結婚というなかなかに重い問題であったために、寄り添うだけで済む話ではないことはエルにもわかっていた。自分になにができるというのか、という無力感にエルが苛まれていたとき、ミシェルが小さく息を吐いた。
「お父様は、お兄様たちには好きな人と結婚しなさいと仰るくせに、女の私の気持ちなんかどうでもいいんだわ」
エルは、そう言ったミシェルの方を見た。エルは、どう返していいかわからずに困惑したまま、そんなこと…、とだけ返した。ミシェルは、もう一度小さく鼻をすすった。
「私は、愛する方が私との子どもを優しく抱き上げる横顔を見たいのに、この国の姫に生まれた以上、そんなささやかな夢も叶わないのかしら」
「こどっ…、ミシェル様、何と言いますか、お年よりもかなり大人びた夢をお持ちなんですね…」
「…ふふ、エルお姉様に教えていただいた恋愛小説をたくさん読んだからかしら」
ミシェルはそう言うとようやく笑ってくれた。エルはそんなミシェルを見て少しだけ安心した。
「…そうだエルお姉様、アランお兄様とお約束があったのでは?」
ミシェルにそう尋ねられて、エルは、あっ、と声を漏らした。そういえば、そろそろ約束の時間かもしれない、とエルは心の中で呟く。ミシェルは、どうぞ行ってらして、とエルに告げる。エルは、こんな状況のミシェルを置いていくことに気が引けて、困ったような顔をする。そんなエルをみて、ミシェルはまた笑った。
「お兄様、エルお姉様のことになると途端に面倒くさいんですもの」
そんなミシェルの言葉と笑顔を見たエルは、それではまた、と告げるとその場から去った。




