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4 元令嬢、王都へ4

エルは、自分の故郷からぎりぎり仕事が始まる朝には帰ってくることができた。部屋に戻ると、朝の仕事へ向かおうとするネルたちに出くわした。エルが、おはよう、と彼女たちにいつも通りに返すと、顔面蒼白の彼女たちの顔が見えた。エルはそんな彼女たちに驚いた。


「ど、どうしたの?」

「どうしたの、じゃないわよ!あなた王都から出たんですってね!!」


理由が理由のため、誰にもその話をしていなかったことをエルは思い出す。


「え、ええ…。でもなんでその話を?」

「牧場のおじさんが言ってたらしいよ。朝牛乳を届けた帰りに使用人を一人乗せて牧場近くまで連れてったって」


エルは、確かに自分がその荷馬車に乗ったことを思い出す。けれど、それと彼女たちの表情の理由とが結びつかずに、エルはさらにわけがわからなくなる。


「うん、乗ったけど…」

「無断で王都から出たってことを咎められてんだよ」


わけがわかっていないエルをみかねたネルがそう言った。エルは、えっ!と目を丸くした。


「きょっ…許可がいるの…?」

「当然じゃない!」

「メイド長がカンカンよ。早いところ謝りに行ったほうがいいわよ」


使用人たちにそう言われて、エルは大慌てでメイド長の部屋へ向かった。






メイド長の元へ行ったエルは、長時間こっぴどく叱咤された。懲罰のために窓のない部屋に半日押し込まれて、ただただ黙って座らされた。朝食も昼食も逃した時間になった後、ようやく外へ出してもらえたエルは、もう二度としないことを再三にわたって誓わさせられた後、大量の洗濯物を一人で処理することを言いつけられた。


エルは、無事自分の罪が償われたことに安堵しながら洗濯物を洗った。そして、やっとの思いで洗い終わった後、物干し場へ向かって洗濯物を干し始めた。


「(…はあ…気をつけないと…)」


三年以上平民として世間の波にもまれてきたとはいえ、まだまだ人生の半分以上は貴族の令嬢として生きてきたため、世間知らずなところが抜けない自分を、エルは恥じた。エルは暗い気持ちで洗濯物を干し続けた。もう日は落ち始めていて、急がないと乾く前に暗くなってしまう、とエルは慌てた。


「…アラン殿下?」


エルの背後から、そんな声がした。えっ、と声を漏らして、エルは後ろを振り向いた。すると、物干し場の奥にある廊下に立っていたアランと目が合った。エルは時間が止まったような感覚に陥る。静かな風が2人の間を通り抜ける。エルの黒髪と、アランの金髪が小さく揺れる。


エルは動揺からつい肩を揺らしてしまったけれど、アランは特に反応せずに、エルから視線をそらして歩き始めた。先ほどアランを呼んだのはマイクのようで、マイクが小走りでアランのそばに近づいた。マイクは、アランが立っていた場所に立ち止まると、どうされたんだろう?と不思議そうに首を傾げた。そして、マイクは辺りを見渡した。その時、洗濯物を干すエルに気がついたようで、目玉が飛び出そうなほど見開いた。エルはそんなマイクに、気まずそうに笑った。するとマイクは一瞬でエルのそばに飛んできた。


「えっ、えっ、えっ、エリィさん??!!」

「お、お久しぶりです…」

「こっ、ここここここで働いてるんですか?!」

「は、はい」

「いつから?!」

「す、数か月前から…」

「それならそうと早く言ってくださいよ……!」 


マイクは、はあ…!ため息をつくと、脱力したのかその場にへなへなと座り込んだ。エルはそんなマイクに内心、いや、会えなかったから言う暇もないし…、と思った。

マイクは一度深呼吸すると、ばっと勢いよく立ち上がった。


「今から、殿下にお茶を準備しようと思っていたんです!今から私と一緒に来てください!!」

「えっ?!」

 

突然の展開に、エルは目が回る。さっ早く、とマイクがエルを急かす。エルは、えっと、と慌てながら口を開く。


「あの、洗濯物を言いつけられていて…」

「そんなの、他の者にやらせてください!!」

「ちょ、懲罰でやらなくてはいけなくて…」

「ちょ、ちょちょちょ懲罰って何やらかしたんですか…」


マイクは呆れたようにエルを見る。エルは返す言葉もなく苦笑いを漏らす。


「本当に、あなたは見た目がおなじなだけで中身はエル様とは別人ですね」


マイクの言葉に、エルは、え?と首を傾げる。


「エル様が懲罰を受ける姿が浮かばないって話ですよ」

「(…う…あの頃の私には、メイド長の許可を取って領地外へ行く、なんて規律なかったんだもの…)」

「他人と波風を立てたがらない方でしたから。…まあ、その意思に反して立ちまくってましたけど」


彼女自身のせいではなかったですが、とマイクが付け足すが、エルはマイクの言葉がずさずさと胸に刺さった。マイクは、ほら急いで干してください!とエルをせかした。エルは、は、はい…、と満身創痍の中洗濯物を干す仕事を再開した。






仕事を終えたエルはマイクに連れられて、キッチンに向かった。さすが王家とでもいうのか、大勢のコックと厨房担当のメイドが忙しそうに厨房を行き来している。その片隅で、エルはマイクに言われるがままに、茶葉やお湯、ポットにカップをトレーにのせた。トレーにはお茶請けらしいおいしそうなクッキーやチョコレートも乗っていて、昨日の昼から何も食べていないエルは、それを見てついごくりと唾を飲んでしまった。マイクは、さあ行きましょう、と言うと歩き出した。エルは慌てて、トレーを持ってその後を追った。


「でも、どうしてここへ来てくださったんですか?あの時はあんなに嫌がっていたのに」


エルの前を歩きながら、マイクが尋ねた。エルは少し口淀んだあと、な、なんとなく…、とだけ返した。マイクは、そんなエルに、小さく笑った。


「まあ、どんな理由であれ、あなたにこうやって来ていただけたことはとても有難いことです」

「あの、…でも、私、一体何をしたらいいんでしょうか?」


エルはおずおずと尋ねた。マイクは立ち止まると、くるりとエルの方を振り向いた。


「殿下のお心を開いていただきたいんです」

「それは前にも聞きました。それはつまり…具体的にどういうことでしょうか?」

「…前のような快活な殿下に戻してほしいとまでは言いません。ただ、…人並みに会話や、感情を見せるようにまで治してほしいんです」


マイクは、はあ、と心底困った様子でため息をついて眉を下げた。


「陛下も酷く殿下のことを気にかけていらっしゃいます。…ご自分のお体のこともあるのに…」

「え?」

「ああ、いえ…、とにかく、殿下に人並みのコミュニケーションがとれるようにしてほしいんです。殿下にはこの国の王子として、適正な役割を担ってほしいのです。職務はもちろん、…まあ、軍の仕事も立派なお仕事ですが、今の殿下は、がむしゃらに鍛錬や戦に向かうことで自傷行為をしているようにしか見えないのです」


マイクの言葉に、エルは息を呑む。マイクはそんなエルを置いて、それと、と話を続ける。


「それと、結婚です!新しく婚約者を、殿下には決めていただかないといけません。新しく愛する人が現れたらきっと、殿下のお心も変わるはず。そのためにもエリィさん、あなたをきっかけに 他者とコミュニケーションをまたとれるようにしていただきたいのです!」


エルは、マイクから与えられた情報量が多すぎて目眩がした。そんなエルを置いて、マイクは、はあ、この方が打開策になればいいのに…などとぶつぶつ言いながら歩き始めてしまった。エルはまた慌ててマイクの背中を追いかける。


「あの、あのマイクさん、その、自傷行為、…って、」

「ああ、つきました、ここが殿下のお部屋です」


マイクが急に立ち止まったので、エルは驚いて足を止めた。トレーの上に乗ったものが少し傾いたけれど、とくに何もこぼれたりなどはしなかったので、エルはほっと安心した。


「とりあえず、あなたの紹介をして殿下の様子を見ます」

「は、はあ…」

「いやでも、…前にしつこくした侯爵が一生殿下に顔も合わせてもらえなくなっていたし…ああ、塩梅が難しそうだ…とりあえず今日は顔見せだけにしたほうがいいのだろうか…」


マイクは頭を抱えて考え出す。エルは一人会議を始めるマイクを、どうしたらいいのかわからない気持ちで見つめる。すると、よし、と何やら心に決めたらしいマイクが深呼吸をした。


「とりあえず、エリィさんは今日のところは何も話さないでみましょう。私も何も余計なことは言いません!」

「は、はあ…」

「さあ、参りましょう!」


マイクはそう言って再び大きな深呼吸をすると、ドアをノックした。そして、マイクです、お茶をお持ちしました、と扉に声をかけた。中から返事はなかったけれど、マイクは一拍の間あと、扉を開けた。


「失礼いたします」


マイクはそう言うと、エルに、さあ行きましょう、と視線だけで伝えた。エルも黙って頷くと、エルはトレーを持つ手に力を込めて、小さく深呼吸をしてから部屋に入った。







久しぶりに入るアランの部屋は、恐ろしいほど整然としたものになっていた。あるのは仕事用の机、休む用のソファーとローテーブル、ベッド、そして本棚くらいのものになっていた。本棚の中にはぎっしりと本が詰まっていて、全て戦や戦術などに関するものばかりのように見えた。

アランはソファーに座って何やら読書をしているようだった。無言の彼からは異様なほど重い空気が発されており、周りにいるこちらまで息が詰まりそうだとエルは思った。


「(…こんなオーラの人のお世話を毎日するマイクって、すごいな…)」


適度に鈍感だからだろうか、などとエルが思っていたら、マイクが、エルの方を見て小声で、お茶の準備を、と指示をした。エルは、はい、と小さく返すと、息を呑んだあと、意を決して、アランの使うテーブルのそばに近づいた。そして、そこにトレーを置いて、お茶の準備を始めた。茶葉の入ったポットにお湯を入れるエルの手が震えそうになる。


「(…そういえば私、アラン様に山でめちゃくちゃ偉そうな物言いをしてしまったんだった…)」


エルは、あの日思い切って吐き出してしまった大胆な自分を、よりにもよってこのタイミングで思い出して更に手が震えた。あの日の自分に対して、よくもこんな怖そうな人にあんなだいそれたことが言えたものだとあきれた。

エルは、顔面蒼白になりながらも特に粗相もなくティーカップとお茶菓子をテーブルにのせると、さささっとマイクの隣に戻った。エルはちらりとアランを見たけれど、本の方ばかり見ていて、エルのことなどちっとも気に留めていないようだった。

マイクは、エルに気が付かないアランにもどかしそうな顔をしながらも、あんまり踏み入りすぎるわけにもいかないその綱渡りから大胆に出られないようで、このタイミングでは諦めたのか、それでは失礼いたします、と少しがっかりしたのが分かる口調で言った。

扉の方へ向かうマイクに、とりあえずこの重い空気から逃れられることにエルはほっと安心した。エルはマイクに倣って、本の方しか見ないアランの方に、失礼いたしました、と頭を下げた。その頭を上げた時、ふと、先ほどまで運んでいたお茶菓子の中にあるクッキーに目がいった。とても美味しそうなクッキーだなあ、町のお店ではなかなか売ってないような華やかなものだな、王都のどこかには売っているのかな、そういえばエメラルドと食べたあのクッキー美味しかったな、なんて呑気なことを考えた瞬間、エルの空きっ腹から大きな大きなお腹の音が鳴り響いた。


「……」

「……」


マイクの、こいつまじか、という呆れ顔を横目に、エルはただただ恥ずかしさと焦りで顔を真っ赤にして、額から汗を大量にかいた。

この音にはさすがのアランも反応したようで、本からはじめて顔を上げた。そして、硬直するエルの存在にようやく気がついたようだった。


「(…は、はやくこの場を去りたい…逃げ出したい…)」


というか、こんな下品な音を立てて、心を開くなんて役目はもうできないんじゃないか、とすらエルは察した。マイクも同じように感じていたらしく、ああ終わった…、という顔をしている。

永遠にすら感じるほど重く苦しい沈黙がしばらく続いた。エルが息苦しさと恥ずかしさに爆発しそうになった既のところで、意外な人物によって沈黙は破られた。


「…これ、もう下げてくれ。俺はいらない」


アランはそう言うとお茶菓子の乗ったお皿を軽く持ち上げた。エルは、え、と呟いて、困惑しながらマイクの方を見て指示を待った。マイクは、目を丸くしたあと、慌ててエルの背中を押して、ほら早く、とせかした。エルは言われるがままアランの方へ向かい、ソファーに座るアランの前にしゃがんで、そのお皿を受け取った。


「(…もしかして、私にこれをくれる、ってことだろうか…)」


エルは受け取ったお皿をトレーに乗せながらそんなことを思った。心をなくしたと周りに噂される彼の気遣いに、エルはやはり、本当に彼が心を失ったとは信じきれなかった。


「(…そういえば前に、クッキーを届けていただいたお礼…)」


ふとそんなことを思い出すが、マイクに余計なことはするなと釘をさされていたので、エルはお皿をトレーに乗せると、失礼しました、と言って、マイクの後ろに戻った。マイクは少しだけ迷った態度を見せたあと、それでは失礼いたします、と言うとエルを連れて部屋から出た。







エルとマイクは、縦一列になってしばらく黙って歩いた。人通りのない廊下にくると、マイクが急に立ち止まった。そして、エルの方を振り向いた。エルは、マイクに何を言われるだろうと身構えた。すると、マイクの瞳はエルの予想に反して期待に光り輝いていた。


「…私、あんな殿下をみたのは本当に本当に久しぶりです…!!」


マイクは、心底嬉しそうに小躍りしながらそう言った。エルは、そ、そうですか…?と半信半疑でマイクを見た。


「(…終始ほぼ無言だったし、圧はあった気がしたけど…)」

「さすがエル様の外見!最上級の外見!!」


マイクはそうエルを囃し立てる。エルは、褒められているのかなんなのかわからずに苦笑いを返すしかなかった。


「ぜひこの調子で次もお願いします!!」


マイクは、トレーを戻したらお仕事に戻ってください、というと、ほとんどスキップをしながら廊下を歩いていった。するとおもむろに振り返り、お菓子はお好きにしてください!と歌うようにいうとまたスキップを再開した。

エルはしばらくその背中を見つめたあと、とりあえず失敗ではなかったのだと安心して、そしたらどっと身体に疲れを感じた。


「(…落とし物を届けてもらったお礼を言えなかった)」


エルにそんな後悔がよぎるけれど、あの場面で言えるわけがないので仕方ない、と自分で自分を納得させた。


「(…それじゃあ、お礼を普通に伝えられた時は?)」


ふとそんなことを思いつく。あの頃、アランはエルのために会いに来てくれたり、贈り物をしてくれたり、していた。その彼の厚意に、エルは誠心誠意向き合えていただろうか。感謝の気持を伝えられていただろうか。

思い返せばエルは、周りの目を気にしてばかりで、アランに対して心からの感謝をできていなかったように思う。うわべではお礼を言えても、こんなことをされても困るや、早く自分のことなんて忘れてほしいとか、そんなことばかり内心考えていた。そんなアランに対して不誠実な自分を、今になって失礼なことをしていたとも、でもあの時は自分が心を保つために精一杯だったからとも、エルは思う。


「(…まともに感謝すら伝えられなくなってからこんなことを考えるなんて)」


エルは息が詰まるような気持ちになったあと、頭を左右に振って、考えても仕方がない、と無理やりあきらめると、トレーを返すために歩き始めた。

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