4 元令嬢、王都へ3
エルは、一ヶ月ぶりの一日休みの夜明け前には城を出た。同じ部屋の三人を起こさないように静かに部屋を出て、エルは道の途中で出会った荷馬車を乗り継いで、途中でなけなしのお金で花を買い、自分の故郷に足を踏み入れた。
久しぶりに訪れた、生まれ育った町は、あいも変わらずに美しかった。エルは、胸の底から湧き上がる感情に、目が涙でにじんだ。エルは生家を最後の一度でいいから見たくてダニエル男爵家の前まで行こうか悩んだが、しかし、さすがに叔父やその恋人に見られたら話が大きくなるかもしれないと恐れて、やめた。
「(…そうだ、お墓…)」
エルは一番の目的を思い出すと、この町の丘の上にある教会まで向かった。
エルは、久しぶりに訪れる教会の、その裏にある墓地へ向かった。お墓が並ぶなか、一番奥のところに、他のお墓と比べて大きなお墓が並んでいた。そこには確かに、両親の名前の他に、エル・ダニエルの名前があった。お墓にはそれぞれ綺麗な花が供えられている。エルはそれを見て目を丸くした。
「(…誰かがこのお墓に来てくれている…。…叔父が墓参りを誰かにさせている…のかしら。領主の家族の墓を粗末に扱ったら見聞が悪いし…そうね、そう考えるのが普通ね)」
エルは少し長い間深呼吸を繰り返した後、新しい花の隣に、自分が持ってきた花を供えた。そして、手を合わせて目を閉じた。
「(…どなたかはわからないけれど、ここに連れてこられてしまったあなたに)」
エルは、ここに眠っている顔もわからない、あの日の宿泊客の誰かであろう人物に祈りを捧げた。本来であれば、間違えてここへ連れてこられてしまったこの方を元の家へ、家族の元へ返してあげたい。けれど、今のエルにはどうすることもできなかった。いや、自分が名乗り出れば、自分が本物のエルだと認められればその道が開けるかもしれない。けれど、名乗り出れば今度こそ本当に殺されるかもしれないし、お葬式も済んだ人間が実は生きていたと名乗り出たところでそれを周りに信じてもらうことは極めて難しいことは推測できる。そんな険しい道を歩く勇気は、今のエルにはなかった。
「(自分の本来眠るべき場所に帰りたいでしょうに……)」
エルは顔もわからない誰かに胸を痛める。目を閉じてしばらく手を合わせた後、ゆっくりと瞳を開いた。
「(……もう帰ろう。ここにもきっと、もう来てはいけない)」
欲を言えば最後に自分が育った家を見たかった。優しい父と母と暮らした幸せな日々が残るその家を。エルは、しかし、逃げ出した自分にはできないことだと言い聞かせて、そして、歩き出そうとした。
すると、誰かが近くに来た音がした。音の方を見ると、見覚えのない、自分と同い年くらいの女性が立っているのが見えた。長い灰色の髪を一つにまとめている、線の細い儚く美しい女性だった。
「(……どなただろう……)」
エルは彼女に全く覚えがなかった。彼女の手には花があり、どうやらエルの墓に献花しに来たようであった。エルはそれを察すると、慌てて墓前からどいた。
「あの、ごめんなさい……」
「……」
女性は無言で墓の前に来た。そして、エルのことなど特に何も気にせずに、静かに花をささげた。どうやら彼女はエルのことを知らないようだった。エルは、見知らぬこの女性がなぜ自分の墓に花を供えてくれるのか、皆目見当がつかなかった。
「あの……」
エルはつい女性に話しかけてしまった。女性は静かにエルの方を見た。どこか虚ろな、すべてのものを失った人のような瞳に、エルは、アランを思い出して息を呑んだ。
「…ごめんなさい、なんでもありません…」
エルは怯んでしまい、彼女に話しかけるのをやめた。エルは目を伏せると、失礼いたします、と頭を下げてその場を去った。
「(…もう帰ろう。明日の仕事に間に合わなくなる)」
エルはそう考えると、小さく息を吐いて、丘の上にある教会から生まれ育った町を見下ろした。記憶と変わらない、懐かしく愛おしい景色に少し涙ぐんだ。




