4 元令嬢、王都へ2
無事にエルがお城の下働きとして働くことになって、数カ月が経った。
お城の下働き、とは、エルにとってエメラルドとダンのもとで働くのとは段違いに辛く厳しい仕事だったけれど、時間が経つにつれて少しずつ慣れていくことができた。
エルのお城での朝は早い。このお城には使用人用の宿舎が用意されてはいるが、狭い部屋に四人から五人ほどで雑魚寝をするという環境で、同じ部屋の使用人同士起こしあって、日の出とともにベッドから起き上がる(侍女などのお城に仕えている貴族階級の者には別の建物に個室が用意されている)。他人と共同の部屋ということにエルが慣れるのは少し時間がかかったけれど、年の近い女性たちと話すことの楽しさを知ってからは、この雑魚寝も悪くないと思えるようになった。
冷たい水で顔を洗うと、まずはお城中の掃除から始まる。広い屋敷の廊下や部屋を掃除することは大変な重労働だった。割り当てられた場所を掃除しながら、ここへ来たての頃のエルは、昔何度か来ていたところのはずなのに、知らない部屋や施設がたくさんあると驚いていた。
掃除が終われば、エルは粗末な朝ごはんを食べた。休憩時間とも呼べないような短い時間で食事を済ますと、つぎは洗濯だった。大量の洗濯物を大勢で必死に洗い、それが終われば物干し場へ向かった。
それが終われば朝と似たようなメニューの昼食をとり、そして夕方の掃除、洗濯物の片付けを終えてその日の仕事は終わりだった。メイド長や周りの使用人たちに言われて違う仕事をすることはたびたびあったけれど、主なエルの仕事の一日の流れはこんな感じだった。
給料は村にいた時より多いとは言え、仕事内容の辛さと比べたら町にいた時より損をしたような気持ちにエルはなった。けれど、年の近い同性の使用人たちと過酷な仕事の中励ましあって働くことはエルにやりがいを与えた。思えば、エルには久しく友達というものがいなかった。相手と話していても、自分が嫌われているだろうという予感がして、親しくなることが出来なかった。しかし、あまりにも過酷な環境のため、いつの間にか使用人たちの間に団結力が生まれて、親しいとまではいえなくても、町にいたときよりも深く相手と話すことがエルにもできるようになった。それがエルにとっては新鮮でうれしかった。
エルは、自分の近況を伝える手紙とともに初めてここでもらった給料の一部を仕送りとしてエメラルドとダンに送ったら、そっくりそのまま返却されてしまった。手紙には、近況のみでよろしい、手紙はむやみによこさず郵便代は貯金しなさい、という文だけが書いてあり、エメラルドの怒りを感じ取ってエルはその手紙にごめんなさい、と声に出して謝った。それと同時に、遠くに住む変わらないエメラルドを思い出して恋しくなった。
「あれエリィ、まだ朝ごはん食べてないんじゃない?」
エルが掃除をしていると声をかけられた。顔を上げると、同じ部屋で生活をしているネルがそこにいた。
ネルはエルとおなじ19歳である。癖のある灰色のショートカットヘアと両頬にあるそばかすが特徴的な、痩せていて背の高い女性だ。髪はいつも無造作で、おしゃれというものに全く興味はなさそうだけれど、小花のモチーフが散りばめられた素敵なブレスレットを毎日身につけている。気だるそうな雰囲気をまとっているため、最初エルは近寄りがたく思っていたけれど、ネルのほうから積極的にエルに話しかけてきた。なんでここ来たの、とか、どこに住んでたの、とかを彼女から根掘り葉掘り聞かれてエルは戸惑った。こんなふうに詮索するのは彼女の癖らしく、他の人に対してもそうだった。そして、彼女はお城の内情等にも詳しく、噂話を取り入れては、食事の時間などの休憩時間にエルを加えた他の使用人たちに面白おかしく貴族たちの醜聞を広めていた。噂には散々苦しめられてきたエルだったため、彼女のする下世話な噂話を聞くのは苦痛だった。彼女は同じ部屋で生活する使用人の一人であったけれど、そういうわけもあって、エルは特別彼女が苦手だった。
エルは、ここが終わったら行くね、とネルに返した。するとネルは、えー?と怪訝そうな顔をした。
「早くしないと、また食べ損ねるよ?あんたただでさえトロいのにさ。ちょっとくらいわかんないよ、早く行こう」
「えっ、う、うん」
ネルにそう言われて、掃除途中のエルは悪いことをした気持ちになりながら、ネルを追いかけて小走りになった。ネルは、エルが隣に来たのを確認すると歩き始める。
「そういえばエリィ、明日休みじゃなかった?」
ネルは思い出したようにエルに言った。忙しい毎日だけれど、2週間に一度半日の休みがあり、一ヶ月に一度丸一日の休みがある。エルは、休みを把握しているネルに少しだけ不気味さを感じながらも、休みは素直に嬉しかったので、うん、と頷いた。ネルはそんなエルを見て小さく微笑む。
「何するの?またクッキーでも買いに行くの?」
「どうしようかな。せっかくの一日休みだから悩んじゃう」
「早く予定たてなきゃ」
「うん」
エルはうーん、と悩みながらも、ネルに詳細は話したくなくて(すぐに周りに噂を流されそうで)、誤魔化してこの話を終わろうとした。
「(…って、ここに来た目的は何も果たせてないけど……)」
エルはふと、そんな不甲斐ない事実を思い出して気持ちが沈む。エルはここへ来て、アランの立ち直りを見届けるどころか、アランの姿すら見かけていない。マイクだけでも見つけられればいいのだけれど会うことはできず、どうにもしようがないまま来る日も来る日も掃除を続けていた。
ただ、この城の内情はネルから貴族のスキャンダルに混じってよく聞かされていた。
この国の第三王子であるアランは、婚約者が事故により死亡してから人が変わったようになってしまった。しかしそれには厭わず、次のアランの婚約者の座を、大きく分けて3つの派閥が争っているのだという。一つは、王家の伝統を重んじる伝統派、もう一つは伝統を守りつつも革新を取り入れたい改革派、そして、どちらにもつかない中立派である。それぞれがそれぞれに有利になるように結婚相手をアランに勧めているけれど、当のアラン自身はそれに対して特にどうしたいという意思を持たないため、本人の決定を重んじたい国王が相手を決めかねている、という状況のようである。
その話を聞いて、エルは、とりあえずアランの結婚相手が無事に決まったら見届けは完了ということにしようか、というゴールが見えた。とはいえ、本人の姿すら見えていない状況であるから、本当に自分にできることなどないのかもしれない、という諦めがエルには感じられてきた。ここにきて数カ月、姿すら見ることができないような、自分とアランの身分差をひしひしと実感しているからである。
「(ネルが言うには、アラン殿下は基本的に鍛錬をしているか書斎で勉強しているか、らしいから、私が近寄れる範囲に生活してないのよね…)」
エルは、うん…と頭を抱える。そんなエルを見たネルが、休みの予定立てにそんな頭使わなくても、と冷やかした。エルははっとしてネルを見上げて、あ、あはは、と苦笑いを返した。
一日の仕事を終えて、エルは夕食を取りに食堂へ向かった。席について食事を取りながら、明日の予定を考えていた時、ふと、自分の実家のことを思い出した。ここに来てからも来る前も、何度も思い出した実家だけれど、この時はエルの中で何時もとは別の思いつきがあった。
「(…遠出するお金は貯まった。朝早くから出たら、明後日には帰ってこられる…)」
エルは、まぶたを閉じて考え込む。せっかく王都まで戻ってきたなら、一度実家へ行ってみたいと常々思っていた。今家はどうなっているのか、を一目見たらそれで満足するはずだ。しかし、軽々しく実家へ行って、自分の顔を知る人に出くわしたらどうしようか。エルは、実家に行くかやめておくかで非常に悩み、重いため息だけを吐いた。
「そうそうあたし、今日殿下をおみかけしたのよ」
同じテーブルにいた使用人が、そう楽しそうに言った。周りの使用人たちが皆、えっ!と驚いた声を上げた。エルも彼女の発言に、えっ!と声を裏返した。
「どっ、どこで…?」
エルが彼女に尋ねると、ええと、と口元に手を当てた。
「食堂の前を掃除していたときね。ヘレナ様と仲良さそうに歩いていらしたわ」
「あのお二人、ほんっとうに仲睦まじいわよね」
使用人の言葉に、他の使用人たちが微笑ましそうに笑う。エルは彼女のいう殿下が、ラインハルトのことだとわかると少しがっかりした。するとまた別の使用人が、そういえば、嬉しそうに言うと頬に手を当てた。
「私たまたま、フィリップス様をお見かけしたわ。目が合ったら微笑んでくださったのよ!」
本当に麗しいわ、と夢見心地のような口調で使用人が話す。他の使用人たちは皆、楽しそうに黄色い声を上げる。
エルはその話を聞きながら、あの日出会ったフィリップスのことを思い出す。どうやら彼はカーン侯爵家の次男らしく、騎士として王国軍に従事しているらしい。彼のきょうだいもお城で仕えているらしい。その類まれなる美貌を持ち、貴族身分でありながら平民の身分である使用人にまで柔和な態度を取る彼の人気は、年頃の女性使用人の間では絶大なものなようである。
「それにひきかえ、よく一緒にいるハロルド様のあたしたちへの目線ったらほんとに冷たいわよね」
また別の使用が苦々しげに、まあそれが普通なんだろうけど、続けて言った。
「あのハロルドって男、相当女を口説きまくってるらしいよ。貴族の女と遊びまくってるらしい」
ネルの情報に、いやー!と軽蔑の声を使用人たちが上げた。
エルはハロルドのことも思い出す。ハロルドは、エヴァン侯爵家の五男らしく、フィリップスと同じく騎士として王国軍に従事しているようだ。
「冷たい目線といえば、第二王子のエドワード様」
また別の使用人が話し始めた。
「誰も寄せ付けないところが怖いわよね。かなり性格も偏屈でいらっしゃるみたいよ」
「まだ結婚相手が決まってらっしゃらないけど、あのお方と結婚される方は大変そう」
話を聞いていた使用人がそう苦笑いをすると、その隣の使用人が、ねえ、と同調した。
エルは、あの怖いエドワードの顔を思い出して身震いがしたけれど、彼のあの怖い雰囲気は自分だけにではなく、他の人にも出していたものなのか、とエルはふと思う。
「(私のこと毛嫌いしてるのかと思ってたけど、みんなにそんな態度だったのかな?…いや、私には特に刺々しくしてたかもしれないけど…)」
「怖いといえば、第三王子のアラン様よね」
別の使用人の言葉に、エルは少しだけびくりとした。アランの話になると、エドワードのことすらなんだかんだ楽しそうに話していた使用人たちの顔が引きつった。周りの空気がなんとも異様な感じに変わる。
少しの変な間のあと、一人の使用人が口を開いた。
「なんていうか…あの方のことはもう、誰もどう扱っていいのかわかんなくなってるわよね」
「みんな腫れ物に触るみたいになってるしね。オーラからもう、めちゃくちゃに近寄りがたいらしいわ」
「誰に聞いてもあの方は怖いって言ってるわよね」
使用人たちの言葉を聞いたネルが、まあ、と口を開いた。
「国王も、婚約者を事故で亡くしてしまったことを不憫に思ってアラン様に強く言えないみたいだし」
「ええ?アラン様が人の死を悲しむような方なの?」
別の使用人が驚きの声を上げた。するとその使用人の隣に座っていた使用人が驚いた顔をして、あなた知らないの?と言った。
「アラン様って、元々はとってもお優しくて、聡明な方だったみたいよ。それにあの容姿だから、憧れる方がたっくさんいたみたい」
「ええ?!今と別人じゃない」
「別人みたいになっちゃったんだよ。…あの火事で、婚約者を亡くしてからさ」
ネルがそう、少しだけ重い声で言った。あの火事、という言葉に、話の輪にいた全員が口をつぐんだ。
皆のこの空気に、その火事がとてつもなく悲惨であったこと、そして、エル・ダニエルは本当に死んだのだと、エルは改めて思わされた。
「(…そういえば、私が死んだことになっているということは、お墓も作ってもらっているのだろうか)」
エルはそんなことをふと考えた。あの日、初めてお城に来てヘレナと会ったときに、エルの葬儀がきちんと執り行われたらしい話を聞いた。しかし、当の本人は生きている。ということは、葬儀もお墓も、他の誰かのために用意されたということになる。
「(…もしかして、誰か別の人が埋葬されているのかな。ひどい火事だったから、誰が誰か判別困難で、遺体を取り違えられている可能性がある…)」
エルは、そんな予測に不安がおこった。もしも自分が逃げたことで、めぐりめぐって他の人が縁もゆかりも無い家の墓に入れられてしまったのだとしたら、それはとてもエルにとっては心苦しかった。
「どうしたの?」
黙り込んだエルの顔を、隣に座っていたネルが覗き込んだ。エルは瞬きをしたあと、あっ、えっと…、と言葉を探した。
「あの、…熱かっただろうなって…」
「熱かった?」
「その…火事で亡くなったんでしょう?きっととっても熱くって、苦しかったんだろうなって…」
エルは咄嗟に、あの日エルが泊まるはずだった宿の人達のことを時折考えてはそう思っていたことを思い出して、そう返した。ネルはそんなエルの言葉に目を丸くしたあと、少しだけ目を伏せて、そうだね、と小さい声で返した。周りの使用人たちも皆痛ましい事故を思い出しながら悲しそうな顔をした。周りの人たちのの表情に、本当に大きな事故だったのだと、エルは改めて感じた。
それと同時に、エルは、やはり一度自分のお墓をみておかなくてはいけない、そんな考えが強く生まれた。自分のかわりに間違えて眠っている人に一度、会いに行かなくてはいけないのだ、と。




